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【 本当の病気  】

春花が帰ってきて間もなく、須藤先生からの連絡で僕らは病室に集まった。


そして僕らは驚いた。

そうた君が一般病棟から集中治療室に移されていたのだ。


「なんでっ!? また容体が悪化したの? 安定してたんじゃないの!?」

今にも泣きだしそうな春花。


「春花ちゃん、大丈夫。容体が悪くなったわけじゃないんだよ」

そう言って先生は穏やかな表情で春花の頭を優しく撫でたんだ。



「実は先日、そうたは手術を受けたんだ」

「手術っ?」


周知されることなく行われた手術。

どうやらそれは緊急手術ではなさそうだった。




「春花ちゃん、落ち着いて聞いてね。そうたはね、実は抗NMDA受容体抗体脳症という病気だったんだ」


「…………え?」

先生の言葉に驚き言葉を失った僕ら。


〝 抗NMDA受容体抗体脳症 〟

僕らはその病名に聞き覚えがあったのだ。



なぜ僕らが知っていたのか、それはある映画にあった。


1970年代に制作された『エクソシスト』という悪魔払いのホラー映画。

〝悪魔つき〟と言われ、悪魔に取り憑かれたように豹変する少女と悪魔払いの男の話なのだが、その少女が抗NMDA受容体抗体脳症だったのではないかと医学界で話題になったことがあるのだ。




「もしかして腫瘍があったの? だから手術……?」

春花の言葉に先生はゆっくりうなずいた。


「病気をすぐに見つけてやることができなくて……、申し訳ない……っ」

言葉を詰まらせ、ぐっと眉間にしわを寄せた須藤先生。


自己免疫疾患である抗NMDA受容体抗体脳症は非常に稀な病気だった。

しかも男性の発症は極めて珍しい。




そうた君の体には、自己免疫疾患の原因となりうる〝奇形腫〟という腫瘍ができていたんだ。


体内の様々な組織の細胞を腫瘍内に含み持つ奇形腫。

そうた君の場合、胸部にできたその腫瘍の中に脳組織の細胞が含まれていたのだ。



体を守る免疫システム。

その攻撃対象の奇形腫に脳の細胞が含まれることにより、免疫が正常な脳そのものもまで敵と判断してしまったというのだ。 


脳は人間の体の中でも最も発達した複雑な中枢器官。

体を守るはずの免疫システムが正常な脳を攻撃。


それによってそうた君は脳炎を起こしていたというのである。




初期症状から病気を発見することが多いというこの病気。


「そうたにも初期症状が出ていたはずなんだ……」

先生はそう言って険しい顔をした。



発熱や頭痛、倦怠感などの風邪のような症状から始まる初期症状。

その後統合失調様精神症状、つまり様々な感情障害、無気力、無感動、抑鬱、不安、孤独感など、ひどい場合は幻聴や幻覚を見ることもあるという。




そしてその後、無反応期、つまり昏睡のような状態となのだ。


自発呼吸が弱まり人工呼吸管理が必要となることもある。

また症状が進むと多くの場合、痙攣や自分の意思と関係なく体が勝手に異常に動く現象(不随意運動)がみられるようになるという。


その不随意運動の状態は様々。

指先だけの小さなものからまるでダンスをしているかのように全身で激しい動きをすることもあるそうだ。




強がりでやせ我慢する性格だったそうた君。

大学に入学したばかりのタイミングも悪かった。

新しい環境に新たな人間関係。


いつもふざけた事をしては人を笑わせるのが好きだった、そんな明るい性格にも惑わされたのだろう。


奇怪に体を震わせるダンスやテンション高く叫びまくる喜びの舞もその一つだった。




「そうたのそばにいてやれていたら……、もっと気にかけていたら‥‥、もっと早く異変に気付いてやれたかもしれなかったんだ……」

眉間にしわをよせ、悔しそうな表情の須藤先生。



「じゃあもしかして……、そうちゃんが橋から落ちたのは…………」


「病気のせいで幻聴や幻覚が見えていた可能性もある。感情のコントロールができなくなっていたのかもしれない。病気の影響は大きい……、僕はそう思う……っ」


込み上げる感情を抑えながら懸命に繰り出される一言一言。

先生の目にはうっすらと涙が溜まっていた。


「ぁ……、あぁぁぁぁ………っ」

先生の言葉を聞いた瞬間、春花は泣き崩れた。



「春花っ」

春花を慌てて抱きかかえた僕と三田さん。



「春花ちゃん、きっとそうたは待ち合わせの場所に必死に行こうとしていたんだよ。誰のせいでもない。だから自分を、責めることはないんだよ……」

 

ドックンっ…………


僕は心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。

頭の先からサ――っと引いていく血の気。



『どうでもいいことばかり言うくせに、肝心なことは何も相談してしてくれなくて……』

伊豆で聞いた春花のその言葉。


そうた君の悩みに気づけなかった、そう春花は苦しんでいたんだ。



病気のせい。

誰のせいでもない。

だから自分を責めるないで……。


このとき僕らは初めて知ったんだ。


そうた君が自分で橋の欄干を飛び越えたという目撃証言があったことを。





先生も春花もきっとずっと疑っていたんだ。


そうた君は何かに想い悩み、自ら命を絶とうとしたのかもしれない。

自殺しようとしたのではないかとーーー。




全身が押しつぶされたように全身がギュ――っと急激に萎縮していった。


春花が待ち合わせの場所に遅れて着いた時、その時すでにそうた君は川から助け出されたところだった。


楽しみにしていた待ち合わせの場所には変わり果てた彼の姿。


どうして悩みに気付けなかったんだろう。

もしも相談にのってあげられていたら。

橋から落ちるのを止めることができていたなら。


自分が時間通りに約束の場所に行っていれば――――――っ。


春花はそう思い悩んでいたに違いなかった。



心臓をえぐられるような胸の痛み。

心の中もメチャクチャだった。


「ち……、ちがった……っ、……違ったんだ……」

かすれるような小さな声で絞り出すようにそうつぶやいた春花。



「自分から……、飛び込んだんじゃ……、なかった………っ」

僕は春花の肩をぎゅっと抱き寄せた。

彼女は泣きながら震えていた。


春花の嗚咽に急激に連鎖していく感情―――。



三田さんや賢治、僕や井上。


そばにいた僕らの目にも涙が溢れては流れていった。

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