【 母親 】
春花が実家に帰ったその日の夕方、僕は一人で須藤先生に会いに行った。
昨日の非礼をお詫びしたかったのだ。
病棟階の廊下を曲がると先生の後ろが見えた。
先生はそうた君の病室に入っていった。
追いかけて僕が半分開いていたドアをノックをしようとしたその時。
「母さん、さっき話した糸倉さんだよ」
僕は病室から聞こえてきたその須藤先生の言葉に立ち止まった。
須藤先生のお母さんと ……糸倉さん?
なんとそこに由美さんとジョージもいたのだ。
「初めまして、糸倉と言います」
「突然お伺いしてすみません」
なぜか二人は僕らにだまってそうた君のお見舞いに来ていたのだ。
聞き耳を立てるつもりはなかった。
でも病室の中から漏れ聞こえる会話に自然と僕の体は固まった。
「どんな話しを聞いたのかは知りませんが、あなた方には関係のない事です。お引き取りください」
それはとても冷たい声。
そうた君のお母さんは静かにそう言いきった。
「母さん、とにかく話しを聞いて」
お母さんをなだめようとする須藤先生。
中では何やらもめていた。
「将太、あなたも関係ない人連れてこないでちょうだいっ」
苛立ちの隠せないお母さん。
「少しでいいんです。僕たちの話しを聞いてもらえませんか?」
「放っておいて! あなたたちには関係のない事でしょっ!」
急に興奮し、ひどく声を荒げていたそうた君のお母さん。
「須藤さん、少し落ち着きましょう」
由美さんとジョージも必死だった。
「あなたたちに何が分かるっていうのよっ!」
そうた君のお母さんはジョージと由美さんに怒鳴り散らしていた。
「すぐに回復するだろうって言われてたのに……っ。もう何カ月も……っ、そうたはいつになったら目を覚ますのよぉぉぉっぉ! あぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ」
泣き崩れたお母さんの泣き声が、病室の中には響いていた。
少しして、ジョージはゆっくりと話し始めた。
「僕たち夫婦にも子供がいたんです。元気に大きくなっていれば……、今頃、そうた君と同じくらいの年になっています……」
ジョージはまるで僕の知らない人みたいだった。
静かに真剣に話すジョージの声はかすれるように震えていた。
「私たちの娘はもともと心臓が弱くて……。手術して、何度も入退院を繰り返して……っ。闘病の末、娘は亡くなりましたっ……」
由美さんは必死に言葉を繰り出しながら泣いていた。
「由美……」
由美さんに優しく寄り添うジョージ。
「私は自分を……っ、何度も何度も責めました……っ。どうして健康な体に産んでやれなかったのか、……どれだけ自分が代わりになってあげられたらと思ったか……っ。全く一緒だなんて思っていません。でもっ……、子を想う母親としてのお気持ちは……っ、少しくらいわかりますっ」
そう言って由美さんは、そうた君のお母さんの前で膝をついた。
僕の胸は震えていた。
必死に伝えようとする二人の言葉に胸が張り裂けそうだった。
「お辛いですよね……っ」
ジョージの優しい言葉が胸に響く。
「ああっ……っ、あああああ―――――っ」
お母さんは由美さんにしがみついて泣いていた。
「そうた君は今、必死に頑張ってます。でもお母さんがこんなに疲れてしまっていたら、そうた君もきっと悲しいですよ……」
由美さんのその言葉に僕はようく理解したんだ。
二人はそうた君のお母さんを支えるためにここに来ていたんだと。
「少し休みませんか? 僕らと色んなことを話しませんか? 話したくないことは話さなくていい……。話したくなった時に、話したいだけ話してくれればいい……」
「そうた君のこと、お母さんのこと、家族のこと、春花ちゃんのこと……なんでもいいです。私たちに教えてくれませんか?」
二人の言葉は本当に優しかった。
込み上げる感情が胸に熱く熱くしみていく。
表情を見なくても伝わる優しさ。
僕の頬には熱い涙が何度も何度も涙が流れていった。
「みんなそばにいます。母さんだって、決して一人じゃないですよ……」
「あ……っ、あああああ…………っ」
由美さんの言葉に、そうた君のお母さんは再び大きな声をあげて泣いていた。
『もう病室に来ないでほしい』
感情にまかせてそう春花に言い放った言葉を、そうた君のお母さんはひどく後悔している様子だった。
そうた君だけが取り残されていくようで、春花のことをどうにも見ていられなかったそうだ。
いつも明るく楽しい由美さんとジョージ。
フェルマにはいつも二人の笑顔がある。
でも最愛の娘を亡くし、二人もたくさん辛い悲しい想いをしたに違いなかった。
僕の知らないところで、悩んで、苦しんで、自分を責めて……。
由美さんとジョ―ジの子供は、生きていれば僕の三歳年上のお姉ちゃんだったんだ。
僕の脳裏にはいつものバカみたいに騒ぐ二人の笑顔が次々と頭に浮かんでいく。
きっと二人は亡くなった娘の分までたくさんたくさん笑い合っているんだと僕は思った。
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次話【 後悔 】
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