【 初恋の傷跡 】
高校二年の春、さつきちゃんは初めて同じクラスになった子だった。
可愛いくて頼れる女の子。
一緒にクラス委員をやり始めてからいつの間にか彼女を意識するようになっていた僕。
彼女は時折、僕の目の前でだけ可愛い間抜けな一面を見せることがあった。
「糸倉君、今の恥ずかしいからみんなには内緒ね」
二人だけの秘密。
彼女は恥ずかしそうに、時々僕にそう言ったんだ。
みんなには内緒――――。
そのちょっとした二人の秘密感が僕の気持ちをドキドキさせた。
学校ではあまり一緒にいることはなかった。
でもとにかくよく目が合った。
目が合う度に恥ずかしさと嬉しさが僕の気持ちをくすぐった。
人知れず常に連絡を取り合う、そんな特別な関係にいつしか大きくなっていった彼女の存在感。
正直なところ恋愛なんてよくわからなかった。
でもこのまま順調にいけばきっとそのうち付き合って彼女のことを本気で好きになっていくんだろうな……
僕はそんな淡い気持ちを持っていたんだ。
そんな僕に事件が起きたのは学園祭の時だった。
いつもよりぐっと近いさつきちゃんとの距離感に、僕はソワソワしていた。
周りの雰囲気に当てられたのもあっただろう。
この学園祭が付き合うきっかけになるかもしない、そう思った。
人混みの中、彼女は密な空間で顔を近づけてささやいたり何度も僕に触れたんだ。
彼女の息遣い。
彼女の体温。
テンション高く盛り上がる周りの熱気――――。
彼女から告白されるのか、僕の方から付き合おうと切り出すのか……。
ドキドキしながら僕はそんなことばかり考えていた。
でも僕の浮ついた気持ちをよそにその時は突然おとずれた。
「お―、さつき!」
馴れ馴れしく彼女の肩に手をかける見知らぬ男。
見るからにチャラそうな奴だった。
「糸倉君、ごめんちょっと先行っててくれる?」
そう言うと彼女は男に引っ張られ廊下の端へ連れていかれた。そしてもめていた。
噂でさつきちゃんは他校の生徒に言い寄られたり、元カレによりを戻そうとしつこくされることもあると聞いていた。
僕は遠目にそっと見守った。
「ちょっと、やめてよっ!」
無理やりキスするように彼女にぐっと体を近づけた男。
「な、何してるんですか。やめてください!」
慌てて二人の間に割って入った僕。
「あぁ? なんだお前」
荒い口調。
男は鋭い目つきで僕を睨みつけた。
「か、彼女、嫌がってるじゃないですか」
「お前には関係ね―だろっ」
顔を擦りつけるように僕を睨む男。
僕を押しのけ、また彼女に体をぐっと密着させる男。
「ちょっと、やめてよっ!」
嫌がるさつきちゃん。
その彼女のその表情に、僕が彼女を守らなきゃ、そう思ったんだ。
「さつきちゃんから離れろっ!」
僕は必死だった。
ドンッ!
男の胸ぐらを掴んだ僕は、勢い余って後ろの壁に突っ込んだんだ。
「いってぇなぁ! てめぇ、さっきからうっぜぇぇぇ――んだよっ!!」
唸るような声。
苛立ちが湧き上がっていく表情。
振り上げられた拳に、僕は反射的にやばいと思った。
「やめて――っ!」
さつきちゃんが叫んだ時にはもう遅かった。
バキ――ンっ!!!
とっさに自分の腕で顔を隠した僕。
次の瞬間、すさまじい痛みが腕に走った。
骨の芯まで来るような鋭い痛みと、続く顔面への衝撃波――――。
バタ――――ンっ!
「あ、あぁぁ……」
すさまじい勢いで吹っ飛ばされた僕は、全身体を強打。
僕は興奮した男にすかさず胸ぐらを掴まれた。
「やめて! 糸倉君は関係ないでしょ!」
「さつき、お前まさかこいつとも付き合ってんじゃねーだろうな」
男は僕の胸ぐらを掴んだまま彼女を睨みつけた。
(え、こいつとも‥‥?)
「付き合ってるわけないでしょ! もういい加減にしてよっ!」
彼女の躊躇ないストレートなその言葉が、僕の胸にぐさりと突き刺さる。
「だったら関係ねーよな。これ以上口出してくんなよ。さつきは俺の彼女だ!ちょっかい出すんじゃね―ぞぉぉぉ!!」
男は僕の耳元で地鳴りのようなドスのきいた声で怒鳴り散らした。
僕の頭は混乱していた。
顔面への衝撃波で脳震盪でも起こしているのか?
目の前で起こったことを理解できないでいた。
自分が彼女の特別だと思い込んでいたんだ僕。
見る見る腫れあがった腕と体中の痛み。
ショックを隠すことができなかった。
あの人は紛れもなくさつきちゃんの彼氏だったんだ。
僕は確かに告白されたわけでもなかった。
単なる僕の勘違い……?
学園祭終盤、人気のないところで仲睦まじくいちゃつく二人の姿があった。
さっきのは人前でいちゃつこうとする彼を彼女がただ拒んでいただけのただの喧嘩だったんた。
僕の入り込む余地など最初からありはしなかったんだ。
女の子に免疫のない僕にとって、彼女の態度や言葉、ふとしたボディタッチは絶好の勘違い要素だった。
怪我の痛みを抱えながら僕はしばらくの間どうしようもないやるせなさに、心が沈みきっていた。
僕はその時、きっとこの子を好きになる、大事にしなくっちゃ、そう本気で思い始めていたんだ。
結局さつきちゃんとはそのまま疎遠になり、僕の淡い恋心は儚く砕け散った。
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「そんなことがあったのかぁ……」
僕の話しに賢治は渋い表情をした。
「とにかく女は面倒なんだ。頼むから放っておいてくれ」
「翔ちゃんの気持ちは分かったよぉ。でもさ、失恋には新たな恋が効くっていうじゃん! だから俺に任せてよ♡」
楽しそうに笑う賢治。
でも僕はもううんざりしていた。
「それより早くレポ―ト書けよっ」
僕は賢治をまくしたてた。
「レポート終了―っ!」
思ったより早く終了した賢治のレポート。
そう、賢治は面倒くさがりだが、かなり器用でやることが早い。見た目に似合わず要領がいいんだ。
賢治はテンション高く話し始めた。
「じゃぁさ、今度一緒に合コン行かない? 先輩が女の子紹介してくれるって! 紹介ならきっと大丈夫だし、一緒に彼女作ろうよぉ! 翔ちゃんも苦手意識を克服できて一石二鳥だよ♡」
「嫌だ! 興味ない」
「なんでぇ? いいじゃん行こうよ。他にいい子なんていっぱいいるよぉ!」
「しつこいぞ、賢治」
「いいじゃん、翔ちゃん! 行こうよぉ!」
あまりのしつこさに、イラッとした僕。
「行かないって言ってんだろ! 俺は疲れてんだ。終わったなら早く帰れよっ!」
それは自分でもびっくりするほどの大きな声だった。
僕は賢治に怒鳴っていた。
いつもはヘラヘラしている賢治もさすがにムっとした顔をした。
「なんだよせっかく翔ちゃんのために言ってんのにぃ! 一生独り寂しくおひとり様してればいいじゃん! マザコン! 意気地なし! 翔ちゃんのバァ―カ!」
賢治は慌てて荷物をまとめると書き終えたレポートを握りしめ、アッカンベ―をしながら僕の部屋を駆け足で出て行った。
「アッカンベ―に意気地なしって。子供かよっ……」
ドタドタドタドタッ!
怒っていることを強調するかのように大きな音で賢治は階段を下りて行った。
「は――っ」
ドサッ。
僕はベッドに倒れこんだ。
今日は疲れた。
賢治の奴すごく怒ってたな……。
でも、からかうあいつが悪いよな。
人と関わるってどうしてこんなに面倒ばかりなんだ。
昔の苦い思い出に、賢治との喧嘩。
疲れも相まって僕の心はざらつき、イラ立ち、凹んでいた。
「は――――――っ」
自然と深いため息が漏れた。
恋愛か……。恋愛って一体なんなんだ?
人を好きになるってなんなんだ?
すぐに結婚するでもなし、一緒にいるだけなら友達で十分じゃないか。
今日のカップルもすごかった。
あんなに喧嘩して、嫌な思いをしてまで付き合う意味ってあるんだろうか?
ベッドの上で色んなことを考えながら、僕はいつの間にか眠りに落ちていた。
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次話【 気になる相手 】
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