【 図書館で 】
図書館でテストの資料整理をしていた僕と賢治。それは僕が賢治と離れた時だった。桜並木の女の子に偶然鉢合わせた僕の心臓は不意の出来事に大慌て。僕と彼女のファーストコンタクト。
テスト資料をまとめに大学の図書館にやってきた賢治と僕。
日が暮れるころには図書館の2階は誰もいなくなっていた。
「翔ちゃ―ん、俺こんなに過去問解けないよぉ。試験難しかったら嫌だな―」
「バカ、学生の本分は勉強だろ!いつも授業に集中してないお前が悪い」
僕は賢治にわざと意地悪を言った。
図書館は私語厳禁。
でも人がいないのをいいことに僕らは騒ぎながら作業をしていた。
ジ――ッ、ジジッ、ジ――――ッ。
賢治が器用に3台同時進行でスキャナーを動かす傍ら、僕は過去問の模擬回答を作った。
「ちょっと参考書探してくる」
賢治をその場に残して席を立った僕。
本を探しているとフロアの奥の方に小さな自習スペースを見つけたんだ。
僕はしまったと思った。
顔は見えないが静かに勉強している女性の姿があったのだ。
あちゃー。
僕の口からは小さくため息が漏れた。
僕らは相当騒いでいたんだ。
うるさかったに違いない。
怒られても仕方のないこの状況。
しかも非常に運が悪い。
僕の探していた書棚はその人の席のすぐそばだった。
でも気まずいが仕方がない。
僕は意を決してそっと参考書をとりに行った。
何食わぬ顔でさっと選んでさっさとずらかろう。
ずるいとは思ったが “触らぬ神に祟りなし” だ。
そ――っと、そ――っと。
できるだけ気配を消して……。
その人の方を見なければ大丈夫。
そう思った。
だが、人の心理というのはおかしなもの。
見なければいいのに、見ない方がいいと思ってるのになぜなんだろう?
棚に手を伸ばしながら、僕はチラっとその人を見てしまったんだ……。
目の前の光景に、僕はハッとした。
えっ!?
あまりの驚きに硬直する僕の体。
肩よりちょっと長いくらいのきれいな黒髪に、ぱっちりした大きな目。
それは間違いなく、桜並木の女の子――。
間違いなく、そこにいたのは彼女だった。
ドキンっ、ドキンっ、ドキンっ――――!
胸が急に早鳴った。
目と鼻の先。
目の前に現れた彼女から…目が、離れない。
透明感のある白い肌に整った横顔。
とても真剣な表情で机に向かっていた。
僕の目は完全に釘付け状態。
参考書を積み上げて一心不乱に本を読む姿。
彼女の周りにはピンっと張りつめた空気が流れていた。
周りの静けさに、彼女の緊張感が相乗する。
冷たい空気が流れるように、僕の方に一気に緊張感がなだれ込む。
ドクドクと大きく脈打つ僕の心臓。
彼女との距離はわずか1.5メートル――――。
次の瞬間……
ドっキンっ!!
僕は彼女と目が合った。
引き込まれるような黒く大きいきれいな瞳。
一瞬で……、僕の呼吸は、完全に停止した――――。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ!
激しい鼓動とともに、カ――ッと顔が熱くなる。
呼吸の仕方を忘れてしまったかのように僕の息は止まったまま――――。
頭の中はまさにパニック状態だ。
まっすぐ、じっと僕を見つめる彼女の視線。
焦って一気に汗をかいた。
ますます火照る顔。
慌てて再開した呼吸もどんどん荒くなっていく。
僕はやっとの思いで不自然に、中途半端に頭を下げた。
まるで壊れたブリキのおもちゃのよう。
ぎこちなく、僕はそこら辺にあった適当な本数冊を手に取るとその場から逃げるように立ち去った。
僕の心臓はしばらくの間全身で感じとれるくらいうるさく脈を打っていた。
お、驚いた……。
とにかく僕は驚いたんだ。
そしてそれと同時に恥ずかしかった。
真剣に勉強する彼女。
バカみたいにふざけて大騒ぎしていた僕らとは、大違いだ。
「ふぅ――、はぁ――、ふぅ――、はぁ――」
同じ大学の学生だったんだ。
先輩か?
看護の人か?
いつもここで勉強してるのか?
近くで見ると彼女はますます可愛いかった。
しばらく顔が熱いまま、僕は本棚の間に隠れ一人で心臓が落ち着くのを待った。
沈まれ心臓。
平常心……、平常心……。
心穏やかに、平常心……。
それにしても突然すぎる。不意打ちもいいところだ。
せっかく彼女に会えたのに、ファーストコンタクトがこんなシチュエーションとは、全く何て情けないのだろう。
あまりに格好悪い自分。
「はぁ――――っ」
僕はガシガシ頭を掻きながらため息を連発していた。
少し落ちつた僕は手元の本に目をやった。
手に持っていたのは論文に使うような専門書ばかり。
「なんだよ。これじゃあ全然役に立たないじゃないか……」
どっと疲れを感じて、その場にしゃがみ込んだ僕。
心臓が落ち着きを取り戻しても、本をとり替えに行く勇気も気力も僕には残ってなかった。
「翔ちゃん、いい本あったぁ?」
席に戻ると何も知らない能天気な賢治がいた。
「し―っ、バカ! 奥に人がいたから静かにしろ!」
「え? 俺らだけじゃなかったの?」
賢治は慌てて小声で言った。
その後しばらく静かに作業を続けた僕ら。
僕は時折彼女のいた方に目をやったが、僕らの席から彼女の姿は見えなかった。
♪―♪――♪♪―♪―♪――♪♪――(蛍の光)
図書館の閉館時間が迫っていた。
あれから僕は集中できず、ため息ばかりついていた。
彼女の真剣な横顔がいつまでたっても頭から離れなかったんだ。
「翔ちゃん、そろそろ帰ろうよ」
僕はしぶしぶ彼女の席の方へ本を戻しに行くことにした。
胸の中がずっとモヤモヤしていた。
いっそのこと彼女に騒いでいたことを謝るか?
でもそんな僕の思いをよそに、彼女の席はもぬけの殻。
荷物を置いたまま、彼女はどこかへ行ってしまっていた。
ちょっと残念なような複雑な気持ち。
そんな僕はこの時きっと諦めがつかなかったんだと思う。
悪いとは思った。
でも衝動的に彼女がいつ戻ってくるかとハラハラしながら、そっと彼女の席を覗き込んだ。
彼女のことが気になりすぎて自分の衝動とめることができなかったんだ。
たくさんの感染症の本が積み重なる机。
開かれたままの本。
〝ウィルス感染症〟〝日和見感染〟という項目に小さな付箋がついていた。
同じ医学部の学生であることは一目瞭然だ。
何学年だ?
横に置かれたカバンには手作りの小さな桜の花のキーホルダーがついていた。
きっと桜が好きなんだろうと思った。
彼女の私物を覗き込んだ罪悪感。
でもそれでいて彼女のことをほんのわずかでも知ることができた嬉しさが相まってなんとも言えない気持ちに襲われた。
僕は泥棒がこっそり逃げ出すように抜き足差し足でそっと賢治の元へ戻っていった。
大量の資料を抱えて図書館を出た賢治と僕。
「あ―翔ちゃん、俺トイレ! ちょっと待ってて!」
「なんだよ、先に行っておけよ」
僕は図書館前のロビ―で賢治を待った。
コツ、コツ、コツ、コツ……。
不意に後ろから聞こえた控えめなヒ―ルの音。
振り返ると、そこにいたのは彼女だった。
ドキドキと急激に早鳴る僕の鼓動。
「あ、あ(の)……」
騒いですみませんでした!
そう謝ってしまいたいのにいざとなると言葉が出ない。
僕は何とか頭を下げた。
そんな僕に彼女はニコっと笑って会釈したんだ。
図書館の出口の方に歩いていく彼女。
怒っている様子はまるでなかった。
笑いかけてくれたことが、僕はむしろ嬉しかった。
「はぁ―――っ」
全身から力が抜けるように大きなため息が漏れた。
「翔ちゃんお待たせ~!」
能天気にようやくトイレから戻ってきた賢治。
本当にこいつはなんて能天気なんだろう。
「あれ? ねえ、翔ちゃん。あれ、春花ちゃんだよね?」
驚いたことに賢治はそう言うと、今出て行った彼女に大きく手を振り始めたんだ。
「春花ちゃーん!」
賢治は大きな声で彼女を呼んだ。
「えっ? 賢治? お前、あの人知り合いなのか!?」
僕は慌てて賢治に聞き返した。
しかも〝ちゃん〟付け?
あたかも僕も知っているはずだと言わんばかりの賢治の口調。
「え? 何言ってんの?春花ちゃんだよ。同級生の山峰春花ちゃん!」
「えっ? あの人、同級生っ!?」
まさか、そんなはずはなかった。
賢治に気づいた彼女は遠くから控えめに手を振っていた。
手を振り終えると彼女はフェルマと反対方向にゆっくりゆっくり歩いて行ったんだ。
「春花ちゃん可愛いよね♡ 翔ちゃんもしかして春花ちゃんのこと知らなかったの?」
「あ、あんな子同じ学年にいたか? オリエンテ―ションの時あんな子いたか?」
僕は本気で知らなかったんだ。
「あぁ、春花ちゃん入学式の後すぐに体調崩してGW明けくらいまで休んでたんだよ。かなりこじらせたみたいで相当大変だったんだって。今はもう元気みたいだけどね。でもさぁ、入学して3か月もたってるのに同級生の顔も知らないとかありえるぅ? 翔ちゃんって本当に薄情者だよねぇ」
賢治はここぞとばかりに呆れた顔をしていた。
1学年は約80名。
入学してすぐに行われたオリエンテ―ションで、僕はそこにいた全員の顔と名前をしっかりチェックしたはずだったんだ。
「オ、オリエンテ―ションにいなかったなら納得だ。仕方ないだろっ! 俺は女子には興味がないんだよ」
僕は自分の動揺を隠そうと必死だった。
突然の展開に、頭も心も追いつかない僕。
「まぁ、翔ちゃんらしいけどね。でも同級生の顔ぐらいちゃんと覚えておきなよ。失礼だよ! じゃあ翔ちゃん、俺これから先輩たちと約束してるから帰るねぇ」
「お、おう。じゃあまた明日な」
賢治は僕の気も知らず、寮の方向へ彼女を追いかけるように走っていった。
外の気温のせいもあるのか、僕の顔はのぼせたように火照っていた。
それにしても、今日は驚くことばかり。
彼女の名前は〝山峰春花〟というらしい。
まさか、同級生だったとは……。
僕はご神木の前で足を止めた。
見えるのは光に照らされた葉っぱだけ。
ジジジジジジジッ。
夜だというのにアブラゼミが鳴き続けていた。
「山峰さん、真剣に勉強してたな……」
彼女との出会いを思い出しふいに笑いが込み上げた僕。
誰もいないと思って賢治とバカみたいに大騒ぎ。
彼女に驚いて適当に本は選んじまうし、選んだ本は全く役に立ちやしない。
ずっと気になっていた彼女は3か月も一緒に授業を受けていた同級生だった。
彼女が図書館で読んでいた感染症の本だった。
日和見感染とは、普段健康な状態では悪さをしない病原体が、体力や免疫力が低下した時にここぞとばかりに感染症を引き起こすことをいう。
入学してからしばらく体調を崩して休んでいたそうだから、その時のことを調べていたのかもしれない。
もともと体が弱いのだろうか?
今はすっかり元気だと聞いても今さらながらに心配してしまう僕がいた。
「あ――ぁ、俺は一体何をやってたんだろう……」
同級生ということは、明日授業に行けば彼女に会える。
毎日彼女に会えるんだ。
歯がゆいような、くすぐったいような何とも変な気持ち。
でも悪い気はしなかった。
ザワザワザワ~っ。
桜の木を揺らしたのは清々しい心地いい風だった。
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