さくらに願いを ~記憶の欠片~
現役医師監修。
文芸社文庫『さくらに願いを』改訂版が公開スタート。
糸倉翔は医学部の一年生。恋愛なんてくだらない、そんな想いを胸に秘めた真面目なお堅いクールな青年だった。しかしハチャメチャな同級生たちに揉まれながら、翔は次第に1人の女性、春花に心惹かれていく。春花の大切な人を襲った突然の事故と病気。診断は時に高次な方程式だった。僕たちだって初めから医学生らしかったわけじゃない。様々な経験を経て成長していく彼らの等身大の青春ラブストーリー。
一日に10万回鼓動する心臓。脳細胞へと刻み込まれていく記憶。たくさんの感情の中で僕らは今、生きている。
~ 第一章 記憶の欠片 ~
「ねぇ、そうちゃん知ってる? 満開の桜の花には魔法の力があるんだよ。手の中に満開の桜から花びらが舞い降りてきたら、その人の願いが叶うんだって……」
【 事故 】
4月。
その日は、季節外れの大雪というニュースが朝から大きく騒がれていた。
「明け方から降り始めた雪は徐々に降雪量を増し大雪となる予想です。この季節外れの大雪は観測史上最も遅い終雪となるでしょう」
春の訪れにようやく咲き誇った桜は、冷たい雪に意欲を削がれがっかりとうなだれていた。
「雪と一緒に桜も散っちゃうかな‥」
河原沿いの桜並木ではそんなため息にも似た言葉が聞こえてきていた。
足早に行きかう人々もすっかり真冬の装いに逆戻り。
時間を追うごとにひどくなる雪。
傘に激しく当たる雪がサラサラと音を立てていた。
ピ―ポ―ピ―ポ― ピ―ポ―ピ―ポ―
遠くから救急車のサイレンが近づいてきていた。
橋のたもとに大勢の人が集まっていた。
「川に人が流されたらしいよ」
「橋から川に落ちたんだって」
水辺にはぐったりと横たわる全身ずぶ濡れの男の子。
10代後半くらいか。
怪我をしたのか頭からは真っ赤な鮮血が滴っていた。
そばにいた男性が男の子の傷を押さえながら必死に声をかける。
「おいっ、大丈夫かっ? おい、わかるかっ?」
反応はない。
「ダメだ、心臓マッサ―ジと人工呼吸をします」
一気に緊張が走る。
ドンっ、ドンっ、ドンっ、ドンっ
「1,2,3,4,5,6、7、8……」
「フ――ッ フ――ッ」
力強く肺に空気が送られ、大きく膨らんでいく胸。
「1,2,3,4,5,6……」
「おいっ! しっかりしろっ! 頑張れっ!」
必死さを強調するように、救助の男性の口元からは荒々しく白い吐息が漏れ出していた。
祈るように見守る人々。
冷たい雪は容赦なくその激しさを増していく。
時間との勝負。
ドンっ、ドンっ、ドンっ、ドンっ
「頑張れっ、頑張れっ! ……戻って来いっっっ!!」
男性が祈るようにそう言った次の瞬間ーー。
「……ゲホッ、ゲホゲホッ……」
男の子が水を吐き出した。
トクン、トクン、トクン、トクン……
「体動確認! 自発呼吸戻ったぞ!」
心臓がゆっくりと動き始めたのだ。
「あぁ、よかった」
周りの人々はホッとした表情を浮かべた。
ピ―ポ―ピ―ポ― ピ―ポ―ピ―ポ―
ピ―ポ―ピ―ポ― ピッ。
しばらくして到着した救急車。
ガタンっ。バタンっ。
救急隊員に状況が慌ただしく伝えられた。
「そ、そうちゃん? そうちゃんっ!?」
知り合いだろうか。息を切らしながら駆け付けた女の子。
その子は必死に彼の顔を覗き込んだ。
「嘘でしょっ!? 橋から落ちたなんて……っ」
女の子は信じられない様子で、担架で運ばれる男の子にしがみついた。
「そうちゃんっ、しっかりしてよぉ……っ、そうちゃぁんっっっ!!!」
意識の戻らぬ男の子。
女の子は声を裏返しながら必死に彼の名前を呼び続けた。
✼ ✼ ✼ ✼ ✼
ピ―ポ―ピ―ポ― ピ―ポ―ピ―ポ―
「今日は救急車が多いな…」
降り続く雪。
大学病院裏にあるバイト先のいつものカフェで僕はこの日、この時、確かにこの救急車の音を聞いていた。
まさかこの時聞こえていた救急搬送が後に僕の人生を大きく左右することになるなんて、その時の僕には知る由もなかった。
これは僕と彼女が出会う少し前のこの出来事。
この事を僕は後に知ることになる。
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次話【 CAFÉ FERMATA (カフェ・フェルマータ) 】