第一話 墓場の女《後編》
登場人物
■姿乃
「鮎川 姿乃」。27歳。
地元生まれ、都会育ち。
■蒲沢
「蒲沢 星瞬」。27歳。
都会生まれ、都会育ち。
―黎和3年11月中旬―
【ナレーション】:夜の墓地。
【ナレーション】:赤錆びたベンチに独り座り、「死んだ夫とのデートだ」と、女は言った。
【ナレーション】:虫たちは一斉に鳴き止み、男は絶句している。
【ナレーション】:あぜ道の古びた電灯が、ジジ、と喘ぎ。
姿乃:墓場に、一人で居る女が……、
姿乃:こんな事を言ったら。
姿乃:気味が、悪いですよね。
蒲沢:……、……、
蒲沢:しょ、正直……、かなり……、
蒲沢:はいィ……。
姿乃:取り決めなんです。夫との。
蒲沢:とり、きめ……、
蒲沢:あ……、あの……、
蒲沢:し、失礼にならなきゃ、良いんですけど……、
姿乃:はい。
蒲沢:……座って、らっしゃるんですか……?
蒲沢:ソ、ソコに……、
【ナレーション】:男は恐る恐る、女が一人座るベンチの、空席を示す。
姿乃:…………。
姿乃:いいえ。
蒲沢:え、っと、
姿乃:ここに、夫は居ません。
蒲沢:ああ……、
蒲沢:お墓の中、
姿乃:墓石の下にも、夫は居ません。
姿乃:焼け残りの骨が、埋まっているだけです。
蒲沢:……、……、
姿乃:あれはただの骨で、夫ではありません。
姿乃:斎場で、棺の中に納まっていた物も、やっぱり夫ではありませんでした。
蒲沢:……、
蒲沢:じゃあ、
姿乃:もしも今、私の隣に死んだ夫が座って、
姿乃:もしかしたら私に、優しく笑いかけてくれていたと、しても。
姿乃:生きている私には、見る事も、触れる事も、感じる事も、出来ない。
姿乃:関わりようが、無い。
蒲沢:……、
姿乃:死ぬ、亡くなる、
姿乃:……無くなる、というのは、そういう事で。
姿乃:喪う、遺されるというのは、そういう事なんだ、と。
姿乃:喪主を務めて、得た学びです。
蒲沢:…………、
【ナレーション】:探り、伺うように微か、虫たちの声が戻る。
蒲沢:……じゃあ……、その、
蒲沢:デート、っていうのは……、
姿乃:火曜と、木曜と、土日のどちらかは必ず、
姿乃:ご近所で構わないから、出かけて、歩いて、二人で過ごす事にしよう、って……、
姿乃:決めたんです。夫と。
蒲沢:そっ、そ、それっていうのは、
姿乃:生前に、です。
蒲沢:(安堵し)
蒲沢:あ、ああ……、
姿乃:忙しい人、でしたから。
姿乃:ただ漫然と、家に帰ったから顔を合わすというのでは、なくて。
姿乃:無理はしなくても良いから、少しだけ、能動的に……、二人で過ごす時間を作ろう、って。
姿乃:夫からの、提案です。
蒲沢:……、……、
蒲沢:それ、は、
蒲沢:その…………、
姿乃:はい。
蒲沢:…………素敵……、
蒲沢:ですね。
姿乃:……、…………。
姿乃:そうでしょう?
【ナレーション】:ざ、と風が立ち、草や枯葉や、石段の脇のススキを揺らし、吹き渡って行く。
【ナレーション】:女は仄かに眼を細め、虚空を見やる。
姿乃:……風が。
蒲沢:ああ……、出てきましたね。
姿乃:野焼きを、風上でやっていなくて良かったです。煙たくて、敵いませんから。
蒲沢:デートも、中断ですもんね、
蒲沢:あはは……、
姿乃:……、
蒲沢:あっ、すいません、あの、
姿乃:いえ……。
姿乃:……習慣というのは、短い間に身に付いたものであっても、
姿乃:変えるのが、難しいものですね。
蒲沢:ああ……、デートの、
姿乃:中身を失っても、
姿乃:残った枠組みだけで案外、間が持つものなんだな、と。
姿乃:これも学びです。
蒲沢:……、
蒲沢:それは、結構……、あるかも、ですね……、
【ナレーション】:束の間の静寂。
【ナレーション】:田園の向こう、2両編成の列車の光。
姿乃:(不意に)
姿乃:このお墓、
蒲沢:はっ、はい、
姿乃:風ぐるまが、あったんですよ。
蒲沢:は……?
姿乃:たくさん。
姿乃:たくさん、そこにも、ここにも。
姿乃:風ぐるまが、あったんです。昔は。
蒲沢:……、
姿乃:近くにお住まいだった女性が、一人で拵えられたもので。
姿乃:強い風で飛んで行ったり、子供が、持って行ってしまうから……、
姿乃:新しいものを、いつも。
蒲沢:今は……、
姿乃:ありません。見た通り。
姿乃:亡くなられたそうです。その、女性が。
蒲沢:ああ……。
姿乃:春はピンクで、夏は、緑や黄色。
姿乃:秋と冬は、鮮やかな赤や、朱色や……、
蒲沢:おおー……、季節ごとに、
姿乃:死んだ人を思い出す為の場所、なのに、
姿乃:すごく、すごく綺麗な……、
姿乃:一面の風ぐるまが、吹かれて、回って。
姿乃:小さい頃お墓参りに来たり、近くの道を、通る度に……、
姿乃:当たり前のように、見慣れた光景だったから……、
蒲沢:無くなっちゃってて、
姿乃:夫も、この場所で、あの風ぐるまに吹かれて、眠るんだと。
姿乃:思い込んでいた、ので。
姿乃:……だから……、
蒲沢:……、
姿乃:だから、夫は。
姿乃:ここには、いないんです。
蒲沢:……、…………。
【ナレーション】:女の顔は再び、暗く隠れ。
【ナレーション】:沈黙を虫の音が補う。
蒲沢:そう……、なんです、ね……。
【ナレーション】:腕の時計は8時を回ろうとしていた。
【ナレーション】:薄ぼけた電灯は依然、朽ちかけた墓地を照らし、
【ナレーション】:秋の風は生きる者だけに吹いている。
蒲沢:……冷えてきたな。
【ナレーション】:男がこぼしたところで。
【ナレーション】:次回へと、続く。
―【終】