第一話 墓場の女《前編》
登場人物
■姿乃
「鮎川 姿乃」。27歳。
地元生まれ、都会育ち。
■蒲沢
「蒲沢 星瞬」。27歳。
都会生まれ、都会育ち。
―黎和3年11月中旬―
姿乃:「回れ 回れよ 風ぐるま
姿乃:亡き人に吹きそそぐ あの日の風よ。」
―タイトルコール。
蒲沢:『夜灯哀歌』。
姿乃:第一話、
姿乃:「墓場の女」。
【ナレーション】:ある年のこと。
【ナレーション】:秋の日は釣瓶落としに気忙しく暮れ、吹く風は淡く、冷たい。
【ナレーション】:田園の外れ、あぜ道に沿って密と在る、寂れた墓地にて。
蒲沢:…………、
【ナレーション】:おずおずと、
蒲沢:あのォ……、
【ナレーション】:男は呼び掛ける。
姿乃:……はい……?
【ナレーション】:応える声は虚ろに細く、
【ナレーション】:畔に立つくすんだ電灯のもと、暗い墓地のベンチに独り、
【ナレーション】:女の、姿。
姿乃:何か……?
蒲沢:あ……、
蒲沢:いや、その、
姿乃:道を、お尋ねですか……?
蒲沢:う、いえ、
蒲沢:もう、すぐ近くですので、道は、わかるんですけど……、
蒲沢:あー、と、
姿乃:では……、
姿乃:ご近所さん、かしらね。
蒲沢:ああ、そう………、なるんでしょうね……、
蒲沢:お近くにお住まいなら、
姿乃:すぐ近所です、私も。
姿乃:といってもこんな田舎ですから、このあぜ道をもう少し、行った所の集落ですが。
蒲沢:ええ、と……、その、
蒲沢:こんな所でその、何を……、
姿乃:しているか?
蒲沢:は、はい……、
蒲沢:ええーと、もう、暗いですし……、
姿乃:墓地で、生きた人間がする事といえば。
姿乃:一つ切りだと、思いますが。
蒲沢:……、……、
蒲沢:お墓、参り……?
姿乃:そうでしょうね。
蒲沢:……、……、
【ナレーション】:男は二の句を次げず。
【ナレーション】:方々の繁みから、虫の音。
姿乃:近頃来られたんですね。
蒲沢:えっ、あ、
姿乃:昔からお住まいの方はどなたも……、
姿乃:ここで、こうしている私を、
姿乃:気にかけられたりは、しませんから。
蒲沢:……、
姿乃:お見かけも、しませんし。
蒲沢:はい……、えー、と、に、二週間ぐらい前に……、
姿乃:そうですか。
蒲沢:で、駅前でその、バイトが、決まって……、
蒲沢:喫茶店なんですけど、
姿乃:『ショパン』ですね。
蒲沢:あ、ご存知……、
姿乃:そこだけ、ですから。駅前には。
蒲沢:ああ……。
蒲沢:いいお店、ですよね、
姿乃:そうでしたか?
蒲沢:あー、と、
蒲沢:ですね……、少なくとも、自分には。
姿乃:良くしてくださいましたか。
蒲沢:はい……、余所者だからとか、そういうのも無く……、
蒲沢:あ、別に、そういうのあるんだろうなとか、思ってた訳じゃなくて、
姿乃:それは、
蒲沢:あ、はい、
姿乃:何よりです。
蒲沢:……、
蒲沢:はい……。
蒲沢:あと名前も……、名前も良いし……、
【ナレーション】:暫しの沈黙。
【ナレーション】:虫の音に、別の虫の声が加わり、混ざる。
蒲沢:で……、最初はあっちの、国道沿いの方の道で行ってたんですけど、
姿乃:大回りですね。
蒲沢:そう……、で、この、田んぼの中の道なら真っ直ぐで近いよ、って教えてもらって……、
蒲沢:それで、今日……、
姿乃:帰り道に通りがかると、
蒲沢:こんな、って言ったら失礼ですけど、ひと気の無い、お墓のベンチに……、
姿乃:私のような若い女が、
蒲沢:……座って、らした、っていう話で……、
蒲沢:えっと……、はい……。
姿乃:……嫌な物を見たと思って。
姿乃:忘れてください。
蒲沢:て、いうか……、
蒲沢:正直、見ちゃいけないモノを、見ちゃったかな、とか……、
姿乃:信じていらっしゃるんですね。
蒲沢:あ、え?
姿乃:幽霊。
蒲沢:……、
【ナレーション】:沈黙。乾いた風が荒れ草を揺らし。
姿乃:私は、違いますが。
蒲沢:ええと……、
蒲沢:あの、勿論、ていうか、信じてはない、んですが……、
蒲沢:……信じたくない、ていうのが、正しいのかも、ですけど……、
姿乃:怖いですからね。幽霊が居たら。
蒲沢:怖い、から、信じてはないんですけどでも、
蒲沢:やっぱり見ちゃったら怖いモノは怖いっていうか……、
蒲沢:上手く言えないんですけど、
姿乃:ごめんなさい。お仕事の後に。
蒲沢:い、いえ……、こちらこそ、
蒲沢:お墓参りの後に声なんか、かけちゃって……、
姿乃:お墓参りでは、ありません。
蒲沢:え……?
姿乃:私が、ここでこうして、座っているのは。
蒲沢:じゃあ……、
蒲沢:一体、
姿乃:デートです。
蒲沢:デート……?
姿乃:死んだ、夫との。
蒲沢:……っ!?
【ナレーション】:遠くの田畑より、野焼きの残り香。
【ナレーション】:男は幾度目かの絶句。
【ナレーション】:深く被ったベルハットの陰、女の表情は、覗えず。
姿乃:墓場に、一人で居る女が……、
姿乃:こんな事を言ったら。
姿乃:気味が、悪いですよね。
蒲沢:……、……、
【ナレーション】:墓地の灯りは薄ぼんやりと照っている。
【ナレーション】:振り向いた女の顔は、微笑んでいるように見えた。
【ナレーション】:示し合わせたかのように、虫たちの合唱が一斉に鳴り止んだところで、
【ナレーション】:《後編》に続く。