凡人たちのセッション(3)
コンテナの扉を開けると古めかしさを感じる空気が鼻先を過ぎった。校舎の片隅にある、人の出入りが少ない教室で嗅いだことのあるような埃っぽい匂いだ。
そうして目の前に現れたのは音を奏でる為に作り上げられた空間。六畳ほどの室内の端にはドラムセットが鎮座してあり、その手前の壁に面して一台のスタックアンプが置かれている。扉のすぐ傍には小さなテーブルと、それを囲うようにして木製の丸椅子が三つ。最低限必要な道具だけを揃えた手狭な練習スタジオといった構えだ。
天井もさほど高さが無いため窮屈さは否めない。しかしそれを平気で許容できてしまうほどの高揚感が一瞬で体中に行き渡る。僕自身、実際のスタジオに入ったことがないため、擬似初スタジオ体験といった感覚だった。
「おおー! すっごい! 練習スタジオみたいだ!」
コンテナ内を見回した石川が感嘆の声を上げる。同様の感想を抱いたらしい。
「御堂くんの叔父さんって何者!?」
「いや、ただの一般人だけど、なんか音楽全般が趣味らしくてね。アマチュアバンドも組んでるみたいで、ここはその練習場。見ての通り演奏できて二人までだけどね」
「ほー、なるほど」
荷物は適当な場所に置いて大丈夫だよ、と圭一は入口に敷かれたマットの上で靴を脱いで奥へ進んだ。僕と石川も続く。
「しかしなんというか、ちぐはぐな景観だよな」と、僕は靴を脱ぎながら言った。
「ここまで立派な和風の庭に、こんなコンテナが置いてあるなんてさ」
「叔父さんはそういう庭の風情とか、あんまり興味無いんだよ。コンテナを設置する時、叔母さんは相当反対したみたいだけど」
「まあ、こういう庭園が好きな人からしたら台無しだろうな」
「実際に設置した時は、叔母さん、激怒してしばらく口聞いてくれなかったらしいよ」
圭一は愉快げに言いながら通学鞄をテーブルに置いて「さて、じゃあ準備しようか」と、早々にドラムセットの方へ近づいていく。
「早速だな」
「もちろん。善は急げ、思い立ったが吉日だよ」
「急がば回れ、走れば躓くって場合もあるけど」
「まあ、結局そんなのは結果次第なんだけどね」
「そんな身も蓋も無い……」
「やっぱりスタックアンプといえばMarshallだよねえ」と、石川は僕たちの会話など気に留めず、機材に熱く食い付いていた。正方形に近いキャビネットの上に横長のアンプヘッドを積んだそれを眺める彼女の目は、玩具屋を見て回る子供のように燦然と輝いている。
僕は今日幾度目かのため息を吐き、ギグケースのファスナーを開けた。厚いポリエステル素材のケースが二つに割れ、中からローズウッドの指板が覗く。そのネックを掴んで取り出せば、橙色の艶めきを放つ丸いボディが顔を見せる。
そのままストラップを肩にかけた。ズシリと左肩に走ったその感触が『今からギターを弾く』ということを脳に伝える。
「おお! ギブソンのレスポールじゃん!」
こちらを振り返った石川が、光を湛えたままの目で僕のギターを捉えて言う。
「篠宮くん、良いギター持ってるねえ。だいぶ高かったでしょ?」
「ああ、まあ」と、僕はヘッドの先端にチューナーを取り付けながら応えた。
「高校入学してすぐにバイト始めて、そのバイト代とお年玉を合わせてなんとか買ったよ……ずっと欲しかったからさ」
「ふーん」と、石川はニヤニヤ笑いながらギターから僕の顔へと視線を滑らせる。
「……なんだよ」
「いや、分かりやすいなあって思ってさ」
「本当に修志くんはソニアが好きだよね」と、ドラムスローンに座った圭一が口を挟んだ。
そう、この二人は知っている。僕がソニアに憧れていることも、そのソニアのリードギターだったヒロトが僕と同じモデルのギターを使用していたことも。僕がこのギターを選ぶに至った理由は容易に見透かされているようだった。
「え、御堂くんもソニア知ってるの!?」と、圭一の言葉を聞いた石川は声をあげる。
「うん、まあね。昔から修志くんに聴かせられて、いつのまにか自分も好きになってたんだよ」
「へえ。あ、じゃあソニアの曲の中だったらどれが一番好き?」
「そうだねえ、やっぱり『emotional rock』かな」
「ほほう」と、石川は嬉しそうにニヤつく。
「なかなか通好みのところを突いてきますなあ」
「ギターのフレーズ……たしかリフっていうんだったっけ? それが曲全体を通してすごく印象的で気に入ってるんだ」
「たしかにあの曲のリフはカッコいいよねえ。ベースラインも複雑で独特のグルーヴ感があるし」
「曲名の通り情緒的なメロディで、思わず惹きつけられるよね」
話しながら圭一はドラムのセッティングを続けていた。スネアやタム、シンバルの位置や角度を僅かに調整し、それらをスティックで軽く叩き感触を確認している。そのたびにそれぞれの打音がコンテナ内に小さく響く。
その姿を見た僕もすぐにチューニングを始めた。いつも通り六弦からペグを回して音を合わせていく。ギターを演奏するためのなんの面白味も無い準備作業。しかし石川はウキウキとした様子で眺めてくる。まるで祭りの始まりでも待っているかのように。
その強い視線を受けていると思わず肩に力が入ってしまう。数え切れないほどの回数をこなしているはずのチューニングの手順が、途端に間違っていないか不安になってくる。そんな無駄な緊張と不安のせいで普段より時間がかかってしまった。
チューニングを終えた僕は、ギグケースのフロントポケットからシールドを取り出す。小さく丸まったケーブルを伸ばした後で、片一方のプラグをギターのジャックに差し込み、もう片方も繋げようとアンプに近づく。
ハーフスタックと呼ばれる二段積みの状態になっているそれは、多くのアーティストたちの背後を飾ってきた存在だ。ライブで使用されるアンプといえば、誰しも第一にこれを想像するのではないだろうか。黒を基調としたシンプルなデザイン。筆記体で書かれたメーカーのロゴからはどことなく風格が漂っている。
少しの高揚を感じながら僕はジャックにプラグを差し込んで、アンプの電源を入れた。いつか動画で見た知識だが、このタイプのアンプは真空管を温めるために電源を入れた後、音を出すまで最低一分は時間を空けないといけないらしい。
その間にアンプのセッティングを進める。スピーカーから出る音色を変化させるイコライザーのツマミを、フラットサウンドになると言われる数値を目安に調整していく。これも動画で得た知識だ。
セッティングを続けていると、先ほどよりもやや強いドラムの音が鳴った。音の方向を一瞥すると、圭一がゆったりと8ビートを刻んでいる。どうやら準備は万端のようだ。
イコライザーの調整を終えた僕はアンプのスタンバイスイッチをONにした。ギター本体のボリュームノブを最大にした後、アンプ側のボリュームも少しずつ上げていく。ツマミが回るに連れてスピーカーからはジィーと小さなノイズが聞こえ始めた。続けて歪みを調整するツマミも回していくと、その音は一層大きくなっていく。
ある程度のところでノブを止め、そのままピックを摘まんだ右手をピックアップ部分にかざす。そして僕はその手を振り下ろした。
――ジャアァァーーン
電気的に増幅された弦の震えが勢いよくスピーカーから放たれる。生音よりも僅かに歪んだギターの音色。その音の迫力に、自分で弾いておきながら少したじろいでしまう。これほどの音量を鳴らすのは初めてのことだ。自宅にあるアンプは小型であるし、何より家では近所迷惑を気にして、あまり大きな音を出すことができない。ヴーン、とスピーカーから漏れる音の余韻を耳にしながら、血潮に興奮が浸透していくのを感じた。
「準備はいいかい?」
圭一がこちらに視線を向け聞いてくる。相変わらず泰然とした態度だ。不安や緊張の色はまったくと言っていいほど窺えない。
「ああ、いいぞ」と、軽く頷いて答えた。
「準備オッケー!」と、演奏しない石川までなぜか声高に返事をする。
「よし、じゃあやろうか」
その言葉と同時に僕は左手で弾き始めのAのコードを押さえた。弦が指に食い込む感触をいつもより鮮明に感じ取りながら、改めて右手をピックアップ部分に構える。
そして次の瞬間、四回のオープンハイハットが鳴らされ、僕はストロークを始めた。




