A beautiful day(13)
僕たちしかいない静かな公園に、ギターの弦声が響き渡る。まるで世界に光の粒が振り撒かれるような晴れ晴れしいリフが、石川の両手から奏でられていく。左手はたおやかに指の形を変え、右手では軽やかなストロークを繰り返す。
……やはり彼女の演奏は上手い。
初めて聴く曲だが、一切ミスをしていないことは、目と耳で感じて理解できる。ギターを鳴らす両手の動きが不自然に止まることはなく、一瞬たりとも音の濁りが生まれない。美しく流麗な音色だけが空間に広がっていく。
間も無くイントロを終え、彼女はメロディを歌い出した。歌詞はまだ無いので鼻歌だ。そこで彼女の口から放たれた音もまた、あの日のものと同じだった。一瞬で溶ける綿雪のような柔らかさと脆さを孕んだ歌声。恐ろしいほどに透き通ったそれは、どこか憂いを感じさせる。
しかしあくまでも声質が儚げなだけであって、メロディ自体はアップテンポの朗々とした調べだ。楽しげな音の粒が鮮やかに弾けて、爛漫とした情調が紡がれている。ジャンルでいえばポップパンクに近い。快晴の夏の日に雲一つ無い青空の下をがむしゃらに駆けているような情景が脳裏に浮かぶ。そんな、どうしようもなく晴れやかで、心地よい躍動感に満ちた旋律だった。
眼前で奏でられる音符の羅列を、僕は目を見張って聴いていた。石川の音楽に対する意思や才能がどれほど優れたものかは既に知っている。しかしそれを踏まえたうえでも、楽曲の完成度は予想を遥かに超えていたのだ。コード進行とメロディだけでも十分な輝きを放つサウンド。ここにベースラインやドラムのビートを加えれば、さらに豊かな表情を見せる曲になるだろう。
サビらしき部分を過ぎ、清爽さ溢れるアウトロを刻んで旋律は終わった。耳に入り込んだ音が高揚感へと形を変えて全身に染み渡っていくような余韻に僕は浸される。
「これが黄色の方だよ。いったん最初のサビまで弾いてみたけど、どうかな?」
「……いや、すげえ、ちょっと驚いたよ。正直、想像してた以上にちゃんとした曲だった」
感嘆の語彙が纏まらないまま続ける。
「俺はそんな正しい評価ができるような人間じゃないけど、個人的には素直に好きだよこの曲」
「本当!? 良かったあ!」
僕が感想を述べると、彼女は嬉しそうに声を華やがせた。まるで親に何かを褒められた子供のように顔を綻ばせている。
「実はサビのフレーズは前から頭の中にあってさ。満を持して今回曲にしてみたんだよ! そのフレーズから曲の全体像をイメージして、イントロもいくつか考えたんだ。それでこのイントロが一番しっくりきてね! あ、それとBメロのサビ直前の部分なんだけど――」
曲が出来上がるまでのいきさつや、まだアレンジの余地がある部分などを、彼女は無邪気な顔のまま熱弁する。曲に対する思いが湧いて止まらないのだろう。
「それでそれで――」
「いったん落ち着け、落ち着いてくれ。そんなに一気に言われても思考が追いつかん」
「あ、ごめんごめん、ついね」
片手を上げて制止すると、彼女は微笑んだまま言葉を止めた。その隙をついて僕は続ける。
「一つ聞きたいんだけど」
「ん、なになに?」
「なんで歌う時はあんな声になるんだ? 前の屋上の時もそうだったけど」
すると石川は少し目を丸くした。
「え、何か変だった?」
「いや、変っていうか……声質が急に変わるからさ。普通に話してる時の声と全然違うし」
「ああ、そういうこと。べつにわざと変えようとして変えてるわけじゃないんだけど、なんか歌ったら勝手にああなっちゃうんだよねえ」
彼女は事も無げに言う。何も意識せずにあそこまで変化が現れるものなのか。眩しいほどに活気横溢な声と、今にも消え入りそうな儚げな声。屈託の無い様相と、物憂げな様相。無意識だというなら、はたしてどちらが本当の彼女を映し出しているのだろう。
「まあまあ、歌声はいったん置いといて、もう一曲の方も弾かせてよ」
思考を巡らせていると、石川が浮き立つように口を開いた。待ちきれんとばかりにそわそわと肩を揺らしている。
「ああ、じゃあ頼むよ」
一曲目のクオリティを見せつけられたため、僕の中でも次への期待が膨らんでいた。
「オッケー、じゃあ続けて青色の方!」
楽曲のイメージカラーを発して、彼女は再びギターを弾き始めた。
一曲目と同様に軽快なリズム。しかし曲調は少し違う。エフェクターを通していないので音の輪郭は変わらないはずなのに、先ほどより弦の震えが繊細に聞こえる。彼女の表現力によるものだろうか。
煌びやかな清涼感に満ちたクリアなサウンド。彼女の放つ音が爽やかな風となって頬を撫でるような錯覚を覚える。青春の輝きというものを音に映し出せと言われれば、この音色が答えになるのだろうとも思えた。そんな涼しげな旋律は緩やかに皮膚の奥底にまで浸透し、体中に得も言えない心地良さを残していく。
彼女がこの曲を「青」と言った理由が分かった。一曲目を「黄」と表したのもまた頷ける。たしかにイメージカラーを付けるとしたら、その色以上に適したものは無い。そう思えるような音色でそれぞれのメロディは彩られていた。
僕は息を呑んでその澄み切った音律に耳を傾ける。雫が落ちた水面に広がる波紋のように空間を満たす音の波。それに包まれた僕の胸中には、賞嘆と同時に、一つの違和感が沸々と湧いてきていた。
今聴いているこの曲も、先ほどの一曲目も、不思議と以前から知っていた曲のように感じられるのだ。無論、それはただの既視感に過ぎない。これら二曲はこの数日の間に石川の手によって生みだされた。つい先日までこの世に存在していなかったものであり、聴くのは間違いなく今日が初めてである。
どこかで似たような曲を、似たようなフレーズを耳にしたことがある、という考えが最も妥当だろうが、なかなか思い出せない。
懐かしいという感じはしないが、目新しいという感覚もない。
幼い頃から今に至るまで、ずっと自分の近くにあったような――
「はい、これが青の方だよ!」
僕が記憶を探っているうちに、石川は二曲目を弾き終えた。
「どうかなどうかな? こっちも良い出来じゃない?」
得意気に声を弾ませる。正直、後半はあまり彼女の演奏に意識をまわせていなかった。
「ああ、うん……二曲目も良かったな」
生返事をしながら、僕は想起を続けた。腕を組んで少しばかり唸る。答えが指先に触れては離れてを繰り返す。間違い探しで最後の一つの答えだけを見つけられないような感覚に近い。絶妙なもどかしさに頭の内がむず痒くなる。
「あれ? もしかして何か不満な点があった?」
少し不安そうに石川が顔を覗き込んできた。彼女の顔が勢いよく視界に現れ、その円らな瞳で表情を窺ってくる。
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
僕は少し気圧されて、視線を下方に滑らせた。両目で捉える輝きが、彼女の瞳からギターのボディの艶めきへと変化する。ソニアのユウキと同じ、3トーンサンバーストのストラトキャスター。
「――あ、そうか」
その瞬間、僕は閃いた。絡まっていた思考の糸がスルリと解ける。
「ソニアの曲に似てるんだ」
「え」と、石川は不意をつかれたように声を漏らした。
「いやさ、二曲ともなんかどっかで聞いたことがあるような気がするなあ、って思ってたんだ。腑に落ちたよ、曲調がソニアに似てるんだ」
メロディそのものも、楽曲に漂う情調も、どことなく似ているのだ。幼い頃から毎日のように聴いてきた曲たちに。
「なるほど。それでなんか考えてたんだ」
「ああ。作曲する時になんか意識したりしたのか?」
「ううん、全然。ソニアの曲に寄せようなんて、まったく思ってもなかったよ」
石川はサラリと語る。どうやら無意識の相似らしい。
「……でもたしかに、言われてみればそうかも」
そう言って彼女は心なしか嬉しそうに相好を崩した。石川もまた、ソニアのファンだ。憧れのバンドに近い曲を作り出したことが喜ばしいのだろうか。
「気づかないうちに自然と影響を受けてたんだろうね」
「やっぱり好きなバンドの影響力って凄いもんだな」
「だね。まあ昔からソニアばっか聞いてたからなあ。もう頭の奥底に音が染みついちゃってるんだと思うよ」
「石川の音楽のルーツはソニアにありって感じか」
「たしかに。そんな感じかも」
彼女は愉快そうに声を上げ、ピックで弦を撫で始めた。先ほどの二曲とは違ったリフが奏でられる。即興で適当な音を鳴らしているのだろう。これもまた、どこかソニアの曲を彷彿とさせる晴れやかな響きを呈している。
「……それか」
不意に、石川が緩いストロークを続けたまま、まっすぐ遠景を見つめて呟いた。
「血筋なのかもね」
「血筋? どういう意味だよ?」
「……音楽的な感性が親譲りかもってこと。無意識に同じような曲を作るんだもん」
「ああ、なるほど。そういうのって遺伝するもんなのかな」
「……さあねー」
たしかに親子揃って絶対音感を持っていたり、音楽の嗜好が同じだったりすることはある。実際、後者は我が家にもいえることだ。
しかしそういうものは先天的というよりは、産まれた後の環境に大きく影響を受ける印象が強い。幼少期から音楽に関わっていればいるほど絶対音感は身に付きやすいと聞くし、親が流している曲を何気なく耳にすることで同じアーティストを好きになるということも多いだろう。
石川の作曲におけるセンスやアプローチ方法も、生まれつきというよりは他の影響を受けているのでは――
「……ん?」
「よし、篠宮くんも二曲とも気に入ってくれたみたいだし、この調子でどんどん曲作っていっちゃおう! あ、でも先にベースやってくれる人を探さなくちゃだったね」
「……石川、今なんて言った?」
自分の心臓が不自然に跳ねたのが分かった。明らかに鼓動は早くなり、肌に汗の滲む感触がひどく鮮明に感じられる。
「だからベース担当を探さなくちゃって」
「いや、その前」
「私の音楽のルーツはソニアにあり?」
「戻り過ぎだ。その後」
はたと、そこで彼女は右手のストロークを止めた。左手で弦を押さえたままなので音の尾は残らない。鋭く訪れた静寂が僕の体に広がる緊張を膨らませていく。
数秒後、石川がゆったりと首をこちらへ向けた。
「……私がソニアと似た曲を無意識に作るのは血筋なのかもって、感性が親譲りなのかもって言ったことかな?」
僕の問いの真意に気づいているような語調で彼女は言った。僕は唾を飲み込む。
「……それって、どういう意味だ?」
「なんの捻りも無く、そのままの意味だよ。もっと分かりやすく言うとね――」
口元に小さな笑みを浮かべて、彼女は続けた。
「ソニアの曲を作ってたユウキが父親だから、私はその影響を受けているのかもね、ってこと」




