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シークレットトラック  作者: 豊岡和人
A beautiful day / 凡人たちのセッション
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A beautiful day(5)

 チョークが黒板を叩く音が教室中に伝播する。他に聞こえるものは遠くで鳴いている金管楽器と木管楽器の音色だけ。静けさの密度が高い部屋では小気味好い硬質な音は響きやすい。


 一人の女子生徒が放課後の教壇に立ち、生き生きと黒板に向かってチョークを滑らせていた。丸っこい白色の文字がテンポ良く記されていく。そんな石川彩音の姿を、僕は中央の席に腰をかけて見ていた。傍から見れば、まるで個別補習でも受けているような光景だ。


 丁寧に感嘆符まで書き終えたところで彼女はこちらを振り返り、黒板上のそれを声高らかに言い放った。


「では、 第一回、バンド作戦会議を始めます!」


「ちょっと名前ダサくない?」


 あまりにも安直な題名に、つい明け透けに返してしまう。彼女は唇を尖らせながら教壇から降り、机を挟んだ前方の椅子に座った。


「さて、じゃあ今後の活動についてを――」


「ちょっと待て」と、僕は口を開いた石川を即座に制する。


「とりあえず、最初に聞いておきたいことがあるんだけど」


「ん、なに?」


 首を傾げる彼女へ、率直に本題を投げかけた。


「昨日石川が言ってた『生きた証を残す』ってのがどういうことなのか、具体的に教えてくれ」


 昨晩から色々と考えてみたが、やはり見当がつかない。その答えを把握しておかなければ話を進めることもできないと思った。


 僕の問いを受けた彼女は悪戯っぽく目を細める。


「もちろんちゃんとそれも言おうと思ってたよ。まったくせっかちなんだから。急いては事を重んじるよ」


「仕損じるな」


 得意げに間違える様に呆れながら続ける。


「とにかく最初にその内容から頼むよ。昨日からずっと気になってたんだ」


「しょうがないなあ。じゃあそれから話そうか」


 そう言って、石川は机に対して横向きにしていた体をこちらへ回した。まっすぐな視線を向けられて思わず体が強張る。何かとんでもないことを言い出そうとしているのではないか、と彼女の口が開く直前になって強烈な不安に駆られた。


「『生きた証を残す』っていうのはね――」


 僕は生唾を呑み込む。


「CDを作ろうと思ってるの」


「――え?」


 体の中に複雑に張られていた緊張の糸が解けるように声が漏れた。


「バンドを組んで、演奏して、CDを作るんだよ」と、石川は改めて言う。


「……CDってCD?」


 僕は人差し指で顔先に丸を描くジェスチャーをする。


「うん、CD」


 石川も同じように右手を動かした。


「コンパクトディスク?」


「イェス、コンパクトディスク」


 慮外の言葉に僕は唖然とした。それは一寸足りとも思い至っていなかった答えだった。


「え、CDって自分たちでレコーディングして?」


「うん!」


「……もしかして、オリジナル曲で?」


「もちろん!」


「……CDを作ってどうする気なんだ? 売ったりするのか?」


「ん? いや、べつにそういうつもりはないよ。ただ残しておきたいんだ、今の私の音をね」


 狼狽気味の僕に対してあっけらかんと返してくる。


 自分たちの手で曲を作り、CDを作り上げる。ギターを始めて半年弱、バンドを結成(仮)して一日の僕にとってはあまりにも突拍子もない発言だった。


 たしかに、自身で楽曲を作り、それをもとにCDを制作するという行為は、分かりやすく自分の存在を有形化することができる。実際にプロのアーティストの作品などは全てそういうものだ。『生きた証を残す』という彼女の目的に相応しいと言えるのかもしれない。


 SNSや動画共有サイト、サブスクリプション全盛のこの時代に、あえてCDにこだわることに対しても異論はない。バンドがCDという媒体で音楽を表そうとすることに、実利や利便性、流行や常識、といった類の言葉では収められない、時代錯誤かつ非合理な意義が存在していることを、僕は知っているつもりだ。


 しかし――


「……なんでそんなことをこのタイミングで?」


 無意識に昨日と同じ疑問が口からこぼれた。それならばべつに、それこそ高校卒業後でも、社会人になった後でも構わないはずだ。


 なぜ、今この時に強く固執するような素振りを見せたのだろうか。


「いや、まあ、あれだよ……ほら、せっかくだから高校生の間に青春っぽい思い出の一つや二つ作っておきたいじゃん? 来年は受験で忙しくなるだろうから、二年生のうちにさ」


 明らかに欺瞞に満ちた語調だった。何かを誤魔化そうと、オーケストラの指揮者のように両手の人差し指を胸の高さで泳がせている。


「……まあ、いいけどさ」


 胡散臭い言動は気にかかるが、本人が語りたくないことならば無理に詮索するのも気が引ける。どのみち一度バンドを組むと約束した後だ。今さら断るつもりはないし、断れる気もしない。


 石川がバンドを組んでやろうとしていることは分かった。だがそうなると別の懸念が押し寄せてくる。レコーディングを行ってCDを作成すること自体は、アマチュアバンドでも容易にできる。スタジオで録音する一般的な方法や、家で行ういわゆる宅録というやり方もある。


 問題はそこに至るまでだ。それを僕は口にした。


「でもオリジナルの曲で構成するっていうなら、作曲ができないといけないよな」


「それは私に任せといて! 作曲も作詞も喜んで、だよ」


「……そうなるよなあ」


 いちおう口にしてはみたが、なんとなくそんな気はしていた。自分が曲を作れるだけの才能を持ってないと、オリジナル曲でCDを作ろうなどと言い出さないだろう。


「しかし凄いな。作曲までできるのか」


「ま、簡単な構成の曲ならね」


 驕らず平然と言ってのける彼女に、僕は自嘲気味に返した。


「まあ、その曲を俺がちゃんと弾けるかが問題だけどな」


 それがもう一つの不安だった。カバー曲を演奏するのですら精一杯だというのに、今後作り上げていくオリジナル曲を弾き、しかもそれをレコーディング可能なレベルにまで仕上げていくなど、今の僕には微塵も自信が沸いてこない。


「大丈夫、大丈夫、そんなに難しい譜面にはならないだろうからさ。難しいとこがあったらできる限り私がレクチャーするし」


「それは……遠慮無く頼むよ」


 活動内容が分かった以上、劣等感などと言っている場合ではなくなった。万難を排してレコーディングするに恥じないレベルにまで演奏技術を磨かなければならない。自分のギターの拙劣さがCD制作に差し響くようなことは避けたい。一度やると決めたことはやり遂げる、正確には極力やり遂げたい主義だ。


 当面の目標は決まった。一つは僕自身の演奏技術を向上させること。


 そして、もう一つは石川の口からも語られた。


「じゃあ、目的を話したところで、まず最初に私たちがやらないといけないことがあるよね」


「そうだな。それ次第じゃあ、まともなバンド活動もできないし」


 二人で頷き合った後、彼女は言った。


「メンバーを集めよう!」

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