8 三人の行く末
その後も勢いはとどまらず――。
生徒、教師、その他大勢の学校関係者が、なんとか許されようと謝罪行脚を繰り返したが、姫王子は頑として聞き入れなかった。
誰に対しても平等に接し、年上には必ず礼儀を払っていた彼はいまや、雄馬にしか心を開いていない。
そのせいか、明らかに特別な存在として扱われる雄馬に対しても、なんとか姫王子にとりなしてほしいと、すり寄ってくる面々がいたほどだ。
「困る」
「わかる」
ぐったりと疲れきった昼食時、二人はそんな短い言葉だけで報告し、今後の学校生活に向けて励まし合う。
「いい加減、あきらめればいいのに……僕、返事すらしてないんだけど?」
「だからこっちに波及してくるんだろうが……」
「ああ、なるほど!」
「なるほどじゃないが?」
「ははっ、雄馬もいいツッコミするじゃないか」
「ツッコミじゃないんだが!」
傍から聞けば励ましには聞こえないかもしれないが、互いに楽しんでの掛け合いだった。
教室では満足に話せない分、こういう場所で話して笑うことが、言ってしまえば栄養補給のような形になる。
「教室だと、僕たちで話す時間というか、余裕というか……スペースがね」
「一ヶ月くらいは、我慢するしかないのかもな」
毎朝どころか休み時間ごとに、客がひっきりなしに訪れる教室は、常に人で溢れ返っている状態だ。
手のひらを返した連中が申し訳なさそうに、媚びるように接してくるのを、気分がいいと受け止める人間もいるようだが、二人にとってそれはない。
悪意を抱くことがなくなったなら、あとはこれまでのように遠巻きにし、関わってこなければいいのに――周囲に対しては、どちらもそう思っている。
「一ヶ月かぁ……長いよ、めっちゃ長いから」
「あぁ、実感こもってんなぁ……」
「つらかったからね。雄馬がいなかったら、壊れてたかも」
事件からだいたい一ヶ月――先日の、逮捕劇までの時間だ。
途中からは雄馬という壁ができていたが、それでも悪意はやまず、おそらく雄馬の知らないところでも、姫王子は傷つけられていたのだろう。
「……ありがとね、雄馬。僕だけじゃなくて、両親も、お手伝いさんも、すごく感謝してるんだから」
「いや……本当はもっと早く、声をかけようとはしてたんだ。それを迷ったせいで、かなり遅れてな……悪かった」
「えっ、そうなの?」
そういえば、それは伝えていなかったか。
「……声をかけるべきか、そっとしとくべきか、わからなくてな。あんな顔色を見せられたら、放っとくのはまずいって、さすがにわかったけど」
「ん……周りとしたら、そうなのかもね」
あのときのことを思いだしているのか、姫王子が目を細める。
「なら――無理してでも、自転車通学にしてよかったよ」
「……あのとき会ってなかったらと思うと、かなりゾッとするけどな」
「運がよかったねぇ、お互いに」
クスクスと笑う姫王子を、雄馬はおもんばかるように見つめていた。
実際に――万が一の事態になっていても、彼はそれでよかったのだろう。
それだけ追い詰められており、解放されたかったに違いない。
「ほんっと――よくがんばったよ、稜」
「……雄馬って、なんかそればっかりだよね。よくがんばったって」
「え、そうか?」
言われてみればと思い返すと、たしかに口癖になっているかもしれない。
「……親父からそういう風に褒められてたから、かもな」
だいたいが自転車に乗っていたときの話だが、父親の褒め言葉はいつもそうだった――ような気がする。
それを聞いた姫王子は一瞬、なにか聞きたそうなそぶりを見せたが、踏んぎりがつかなかったのか、そのまま曖昧に微笑んだ。
「いいお父さんだね。急な話なのに整備して、自転車も貸してくれたし」
「ああ……まぁ、そうだな」
家族の話、それも褒め言葉となると照れる――同時に、つらくもある。
そのとき雄馬の表情は、心情を映して、少し歪んでいたのかもしれない。
「……雄馬、聞かれたくないことかもしれないけど、聞いていい?」
一拍遅れで踏んぎりがついたように、姫王子がそう口にする。
「その振りで、だいたい想像はついた」
案の定――彼の話は妹と、母親についてのものだった。
…
「母親の浮気で離婚になったんだが、妹はその浮気相手の子供らしいな。俺は離婚してからもしばらくは知らなかった、知ったのは中学になってからだ」
ただ、そうなってからも雄馬は仁科美羽を妹として扱い、彼女も雄馬を兄として慕っていた――少なくとも、当時は。
母親はしばらくし、その男と再婚したそうだが、実父であるにもかかわらず、娘とは折り合いが悪かったらしい。
「まぁ、そういうわけで……その分、父性を求めてたのかは知らんが、俺に依存してるところはあったかもな」
それだけの親愛があってなお、一瞬にして崩壊させた姫王子の魅力たるや、その強烈さには戦慄せんばかりだ。
話を聞いた姫王子は、複雑な感情を整理しかねるように、眉をひそめている。
「……だからあれだけ、必死になってるのかもね」
二人に媚びてくる面々には当然、仁科も含まれていた。
雄馬のことを兄と呼び、姫王子に対しても稜くん呼びに戻し、開きなおったように親しみを込めて接してくる。
兄と、好意を持った兄の親友に対する態度――とでもいうべきか。
もちろん、雄馬が心を動かされることはないが、姫王子はいまの話のせいで、どう扱うべきか迷っているようにも見える。
「お前が気にすることじゃないぞ、あいつだってもう子供じゃない」
人付き合いの判断くらいは自分ですべきだし、それで犯罪に巻き込まれたならともかく、そうでもないなら結果は自業自得だ。
「まあ、甘やかしてた俺が言うなって話だけどな」
「それはあるかもね……」
「そんなことないよって言ってくれよ!」
それは無理だね――と笑う姫王子だが、仁科については納得したらしい。
「じゃあ、そうだな――雄馬が許したら許す、ってことにしとくよ」
「俺の負担がでかくなるだろ……」
「甘やかした責任、ってことで」
「……わかった、なんとかしとく」
ただでさえ大きい姫王子の負担が、たとえひとり分でも小さくなるなら、それも悪くはないかと思えた。
「でさ――もうこの際だし、ほかのことも全部聞いていい?」
「全部って……ほかに、なんかあったか?」
「あるよ! まずは、その……北林さんのこと、とか……」
どこか遠慮がちなのは、以前に雄馬と北林が幼なじみであったことを聞き、それが自分のせいで疎遠になったと思っているからだろう。
「北林とは家が近所だったから、昔からよく一緒にいたんだよ。その縁で、親同士も仲良くなって、家族ぐるみで――って矢先に、離婚騒動だからなぁ」
以降、北林家と交流があるのは雄馬と父親だけで、母親はほぼ縁を切った状態にあるらしい。
仁科美羽については雄馬の妹ということで、積極的ではないにせよ、北林綾香との交流は認められていたように思う。
ただ――それも今回の事件で、少しばかり変化するかもしれない。
なにしろ、その綾香自身がいまでは、家で冷遇されているというのだ。
「え、そうなの?」
「本人の主張だから、どこまで信じられるかわからん」
北林家で話題にのぼる男子の名前といえば、少なくとも中学卒業までは、雄馬しかいなかった。
そのこともあり、ゆくゆくは――と、両親もひそかに期待していたのだろう。
けれど高校に入ってからの娘は、別の男子――つまりは姫王子の名前ばかりをだすようになり、雄馬のことを聞いてもそっけない反応しかなかった。
なにかがあったことは、両親でなくとも気づいただろう。
ただの気持ちのすれ違いであれば、まだ――。
そんな両親の期待は、しばらくして姫王子の名前すらあがらなくなったことと、その後の冤罪事件により、完全に裏切られた。
良識的な北林家のご両親は、娘の不誠実さに失望したのか、露骨に拒絶こそしないものの、以前のように接することはできなくなったという。
「――待って雄馬、詳しすぎない? それ全部、北林さんから?」
「いや……ご両親が、家に詫びにきて……」
「そ、それは……なんというか、お疲れさま……」
そうした事情もあり、冷遇は言いすぎだとは思うが、家族からもそっけない態度を見せられており、心が滅入っているようだ。
二人がそろっているとき、家に招待しようと声をかけてくるのは、そうすることで関係修復をアピールし、待遇改善をはかりたいのだろう。
「――さすがに厚かましいと思うな、僕は。仁科さんはともかく、北林さんは生徒会長ともども、許す気になれないね」
「え、ここで会長にも飛び火すんの?」
そりゃするよ――と、姫王子は目を見開く。少し怖い。
「僕の冤罪がわかってから、まったく仕事に身が入ってないって聞くよ。ほかの役員が、謝りにきたついでみたいに、戻ってきてって頼んでくるし」
「色んなとこで仕事が回らなくなってるってのは、俺も聞いたな」
東条響のモチベーション低下だけが問題ではなく、そもそも姫王子が抜けたことで、彼の受け持っていた仕事の大部分にほころびがあるとのことだ。
「ちゃんと引き継ぎはしたよ? どうせ聞かないだろうから、こまかく指示書まで作って残したし、それを使えばどうにでもなったはずなのにさ」
憤まんやる方ない姫王子の鼻息は荒いが、雄馬がもれ聞いた話では、純粋に生徒会の力不足だとされている。
姫王子の人間力で補っていた部分が、彼の不在によってカバーしきれず、埋められない部分から瓦解が始まっているとか。
「――その怒りようじゃ、戻るつもりはなさそうだな」
「そっちだってそうでしょ。会長から、ラブレターまでもらってるのにさ」
「ただの勧誘の手紙だ……ラブレターはやめてくれ、マジで」
げんなりする雄馬のもとには毎日のように、東条からの手紙が届いている。
登校時に下駄箱を開けると必ず置かれているそれは、まるで恐怖新聞のようで、見るたびに寿命が減っていく気分だった。
「……ちなみに、どんなことが書いてあるの?」
「なんで聞くんだよ、そんなこと」
「そ、それは、その……興味本位、的な?」
なぜか照れたそぶりをする姫王子は、もしかすると、女子からの手紙なんかはもらったことがないのかもしれない。
(告白しかされないとか、美形にしか許されない所業だな……)
「なんかおかしなこと考えてない? 言いたくないなら聞かないけど」
「いや、マジで勧誘の手紙だから。別にいいぞ、なんなら読んでもいい」
実際にたいした内容ではないからと、雄馬は心置きなく今朝の分を手渡す。
彼は臆することなくそれを開き、目を通した。
信頼していた雄馬を、一時の気の迷いから裏切ってしまったことを、この上なく申し訳なく思っている。
いまはもう姫王子には声をかけていないし、勧誘もしていないし、謝罪も一度しかしていないし、迷惑だろうからつきまとってもいない。
それでも雄馬にだけは傍にいてほしい、支えてほしい。
自分が全面的に悪かった、姫王子に許されないのはいい、だけど雄馬にだけは許してもらいたい。
許されるならなんでもする、だから戻ってきてほしい。
雄馬さえいればどんな苦境も乗り越えられる、そう信じている――。
内容はざっくり言えば、そんな感じである。
「――な、たいしたことないだろ?」
「あるよっ! まごうことなくラブレターだよ、これはっ!」
「いや、勧誘だって……苦労してるから手伝え、って話だろ?」
「そういうとこだよ、雄馬ぁっ!」
ラブレター、もとい勧誘の手紙を投げ返し、姫王子は腕を組んで、どっかと椅子に座りなおした。
「それ、絶対に受けちゃだめなやつだから。逃げられなくなるよ」
「心配しなくても、受ける気はない。さすがにもう懲りた」
そう言いながらも雄馬は考える、これは少し、逆恨みかもしれないと。
高校入学と同時に、幼なじみ、妹と立て続けに拒絶され、雄馬はなんでもいいから、すがりつける縁を求めていた。
そこで、必ず声をかけると言っていた、彼女のことを思いだす。
そうして足を運んだ生徒会室で、雄馬は一刀両断にされた。
勝手に最後の砦にしてしまったことは申し訳ないが、そこで拒絶された衝撃は、先の二人を上回るものだったと感じている。
そのせいで、より強く恨んでおり――まだ完全には、乗り越えられていないのかもしれない。
その気持ちを、晴らそうとしているのではないだろうか――。
「――いや、そんなことないでしょ」
「えっ、どうした急に――あれ、もしかして声に出てた?」
「出てたよ、思いっきり!」
顔を突きつけ、指を突きつけ、眉根をひそめて姫王子が告げる。
「最初から、どっちにも声かけとけばよかったんだよ。それを変な色気だして、僕にしか声かけなかったからこうなったの。全部、あの人の自業自得だよ」
いつもより饒舌に、早口でそう言うと、彼の手はポンと肩を叩いた。
「これ以上、あの人のことで悩まないほうがいいよ。雄馬の気持ちがもったいないだけだ、あの人にはね」
姫王子がそう断じ、言い聞かせるように何度も繰り返すというのは、非常に珍しい姿だった――。
純粋な恋文。




