後日談3B
お待たせしました、続きです
◇
ひとまず、朝食代わりの雑煮を片づけたところで、中途半端な時間ができた。
おせちは自前のものも含め、昼にいただくつもりだが、それまでは二時間ほどというところか。
普段の正月も似たような流れで、午前中は特にやることもなく過ごしていたものだが、今年にかぎってはそうもいくまい。
(そうだな、二年参りもできなかったし、二人……三人で、初詣にでも――)
そう声をかけようとして、雄馬ははたと気がつく。
初詣といえば人混みだ。
そして彼女は、その人混みで耐えがたい苦痛と屈辱を受け、心身ともボロボロになるまで追い詰められた経験がある。
そのトラウマを刺激するような場所に、連れだしてよいものだろうか。
二年参りにしても、結局は誘わずじまいとなったが、無神経に誘っていたら彼女を傷つけてしまっていたかもしれない。
よくレイコさんに確認しておいたものだと、いまさらながらにホッとするが、そのレイコさんの発言がふと頭をよぎる。
自分を連れて行けば問題ないというのは、夜更かしや深夜外出についてだけではなく、そういった事態も想定してのことだったのだろうか。
そんなことを思いだし、思い悩んでいると、顔がしかめっ面になっていたのか。
「もしもーし? カワイイ彼女が隣にいるっていうのに、そんなこわい顔で、なにを考え込んでるのかなー?」
意識を現実に引き戻す声とともに、頬がツンツンと突っつかれた。
「ああ――いや、ちょっとな。たいしたことじゃないぞ、うん」
「うわぁ、露骨に嘘くさい……まぁいいけど」
ちなみに――ここはリビングではなく、すでに雄馬の部屋だ。
リビングを占拠してしまっては、父もいづらかろうと気を遣い、気がつくと彼女を部屋に連れ込んでいたのである。
広々とした彼女のマンションにくらべると、実に手狭な部屋だ。
客を招くスペースにも余裕がなく、二人でベッドに腰かけているという状況。
冷静に考えれば、こんな無防備な彼女が隣にいるのだから、もっとあれやこれやを妄想してもいいだろうとは思うのだが――。
「雄馬さま。お嬢さまはもっとかまってほしいと、おねだりしていらっしゃるのです。私の目など気にせず、どうぞ普段どおりのイチャコラをお願いいたします」
「いや、普段からこんな感じですよね?」
目の前には、小さなテーブルを挟んで正座するレイコさんの姿もあり、とてもそんな色っぽい流れにはなりそうもない。
「たしかに、家では基本的にレイコさんがいるしね……まぁ、視線とかもあんまり気にしなくなってきたけどさ」
そう言いながら稜は、チラリとレイコさんのほうを見やる。
「……お願い、ちょっとだけ二人にして?」
「お断りします。お二人のむつまじい姿を観察し、なんなら撮影までして、旦那さまと奥さまに報告するまでが、私の楽しみですので」
「しないでよっ! えっ、まさかいままで報告してたのっ!?」
驚愕の事実に目を剥く稜だったが、レイコさんの視線は雄馬を捉えていた。
「それはそうと、雄馬さま」
「それはそうとしないで、質問に答えろぉっ!」
そんなお嬢さまの言葉には、ペコリと一礼のみで済ませ、再度レイコさんは口を開く。
「かわいい彼女と二人きりでいらっしゃるのに、その難しいお顔――どのようにベッドインに持ち込むかと、考えていらっしゃるようには見えませんが」
「そりゃまぁ、さすがに正月早々、そんなこと考えてませんから」
「じゃあ、なに考えてたの?」
そこには稜も興味が湧いたのか、身体をかがめ、覗き込むようにこちらを見上げてきた。
自分の無神経さを晒すようで気が重いが、さりとて隠すようなことでもない。
「……せっかく時間ができたし、稜もきてくれたからな。初詣でも行かないかって、誘おうとしたんだが――」
そう切りだし、先ほどの難しい顔の原因を明かす。
二人はしばらく黙ってきいていたが、やがて稜のほうからフッと頬を緩め、コテンと肩に頭をもたれさせてきた。
「……そんなこと考えてたんだね」
「ああ……悪かったな、考えがおよばなくて」
そう謝罪するが、首を振った彼女の頭が、スリスリと肩を撫でる。
「さすがに、そこまで気を遣わなくても大丈夫だよ……でも、ありがと。気持ちはすっごくうれしいよ」
彼女のほうに横目を向けると、甘く瞳を細める、やわらかな笑顔があった。
反対の手を伸ばし、彼女の頬に触れるも、それをいやがる気配はない。
「……稜」
「んー……」
自然と、彼女は頭を浮かせて瞳を閉じ、心持ち唇を突きだしてきた。
(いや、レイコさんいるから……最近は本当に、気にしなくなってきてるな)
そのレイコさんがスマホを取りだしているのを気にしつつ、雄馬は顔を近づけるのではなく、口を開く。
「――行ってみるか、初詣」
「んー……えっ?」
この流れでそれはないだろう、というような反応で目を開く稜だが、雄馬の誘いにはそれなりに心が揺れたようだ。
「まぁ、大丈夫とはいっても、なにがあるかわからないし……人がほとんどいない神社にするつもりだけど」
「積極的に人混みに行きたいわけでもないから、それは助かるけど……」
不服そうに、空気をついばむように唇をツンツンと動かしながら、彼女もそんな風に思案する。
「年始だし、ちょうどいい時間帯だし、どこも混んでるんじゃないかな?」
「いや……あんまり知られてないけど、近所に小さい社がある。毎年お参りしてるけど、混んでたことはないから大丈夫だ」
「へぇー……近所ってことは、すぐ近くなの?」
「ああ。歩いても五分ほどだと思う。ちょっと入り組んだ奥のほうにあるけど」
だからこそ人目につかず、こんな時期でも穴場のようになっているのだろう。
それを聞いた稜は、ふむむと声にだしながら腕を組み、しばし悩むようなそぶりを見せていたが、やがて――。
「……じゃあ、行こっか」
そう言って、ニヘッと頬を緩めた。
そんなお嬢さまの姿に、レイコさんも心なしかうれしそうに見える。
「よかったですね、お嬢さま」
「うんっ」
「私はお部屋の掃除をして、お待ちしておりますので。どうぞゆっくりと、デートを楽しんでいらしてください」
「お願いねっ」
「待て、そこはお願いするな」
驚きの発言を聞き咎めるも、レイコさんは、それこそ意外という顔を浮かべた。
「おや、雄馬さま。なにか不都合でも?」
「掃除は年末に済ませましたし、見つかって困るものは隠してあるんで大丈夫です」
「待って、見つかって困るものってなに?」
それはその、色々だ。
女性不信気味ではあったが、その存在自体に罪はないのだから。
「――そんなことより、レイコさんも一緒に行きませんか?」
「そんなことじゃないんだけどっ!」
先ほど頭でスリスリと撫でられた肩が、かわいい手でポカポカと叩かれる。
受け止めるでもなく、されるがままになってレイコさんの返事を待つが、彼女はくるりと部屋を見回し、やがてフッと小さく微笑んだ。
「……三十分後に出直してきてください。プロの掃除の成果というものを、お見せしますよ」
「いや、お見せしなくていいので」
「まぁ、冗談はともかくとして――」
コホンと咳払いを挟み、レイコさんはピッと人差し指を立てる。
「私のことはお気になさらず、どうぞお二人で行っていらしてください。年末を一緒に過ごされなかった分、年始はしっぽりと過ごしていただきたいので」
「……わかりました」
表現に突っ込みたいところはあるが、言わんとすることはわかった。
自分たちに気を遣っているのなら、ここは彼女の意を汲んでおくとしよう。
「ごめんね、レイコさん……ありがとう」
「いえ、とんでもございません、お嬢さま」
申し訳なさそうに伝える稜にも、レイコさんは慈しむような笑みを向ける。
「午後と夜につきましては、私がしっぽりと過ごさせていただきますので」
「させるわけないでしょっ、なに言ってんのっ!」
ともあれ――そうして雄馬たちは外出の支度をし、父親にひと声かけ、初詣デートに出かけることとなった。
「――どうぞごゆっくり。私はお約束どおり、見つかっては困るものをお探ししておきますので」
「絶対やめてくださいね」
若干の不安を残しながら――。
…
羽生家の周辺は住宅街であり、元旦はのんびり過ごしたいと思う人も多いのか、あまり人通りはない。
そういったわけで二人の距離は、さほど人目を気にすることなく、いつもにくらべてやや近くなっていた。
肩が触れ合うくらいの距離、というところか。
稜のほうは、それなりに気を遣おうと距離を取っていたのだが、それを許すまいと雄馬のほうから近づいていく。
「ゆ、雄馬……見られちゃうよ?」
「まぁ、大丈夫だろ」
男同士でも肩を組んだりして歩けば、このくらいの近さにはなる。
もっとも、男同士で肩を組んで歩くなど、普通はしないものだが。
「それならいいんだけどさ……」
困ったようなうれしいような、曖昧な笑みを浮かべた稜は、そのまま雄馬のほうにわずかに身を預けつつ、先ほどからなにか、考え事をしている様子だ。
「どうした?」
「うん、えっとね……これから行く神社って、その――北林さんとか、仁科さんも知ってるのかなって」
幼なじみの北林綾香、妹の仁科美羽。
たしかに、二人も幼年期からここで過ごしており、特に北林のほうは、いまもこの近辺に住んではいる、けれど――。
「少なくとも、俺は教えてないな。それに、神社で会った記憶もない」
おそらく知っていたとしても、友人付き合いの多い二人なら、もっと有名で大きな神社に行くはずだ。
「それならいいけど……もしかしたら、雄馬とばったり出くわすことを期待して、こっちにきてるかもしれないよ?」
「ははっ、そこまではしないだろ」
彼女たちはなにかと理由をつけ、雄馬と話そうとしている状況ではあるが、そもそも神社と雄馬の接点を知らなければ、そうする理由がない。
稜の言葉を笑い飛ばし、彼女をエスコートしてゆっくりと、五分ほどの道を十分ほどもかけ、神社へ向かう。
見えてくるのは、本当に小さな社だ。
背の低い鳥居に、短い参道。
いつきても、細部にまで清掃が行き届いており、ゴミのたぐいが落ちていたことは一度もない。
そんな閉ざされた聖域のような場所に、雄馬と稜は二人きりである――かに思われた。
だが、鳥居に向かう道の反対側から、同じく参拝客と思われる人影が近づいてくるのが見える。
「珍しいな……ここで誰かに遭遇するのは、本気で初めてかもしれん」
「神主さんとか、管理人さんは?」
「いるとは聞いてるけど、会ったことはないな」
そんな風に話しながら、鳥居の前に立ったとき――。
「――もしかしたらと期待はしていたが、運がよかったよ」
相手の顔を見て、二人が声もなく固まるのと対照的に、向かいからやってきた参拝客は、落ち着いた様子でそう告げる。
「あけましておめでとう、雄馬」
少し疲れを残した笑顔を見せる、生徒会長――東条響の姿が、そこにあった。
ヒエッ