後日談2A
二人が恋人関係になり、数日――。
「いやー、相変わらず教室は面倒だねぇ」
すっかり隠れ家と化した旧校舎の空き教室にて、稜がそんなことを口にする。
「それは、そんな笑顔で言うセリフなのか?」
「え、ウソ――僕、笑ってた?」
おやぁ、と首をかしげながら、箸を置いてペタペタと顔を触る稜。
どうやら無自覚だったようだ。
「教室でも笑ってたのかな……だとしたら、いやだなぁ」
「なにがだ?」
むー、と眉をしかめる彼女をよそに、雄馬は弁当を食べ進める。
今朝は色々あって準備が遅れたので、メニューはお手軽な生姜焼き。
焼き目をつけて既製品のタレを絡めるだけ、それを白飯に乗せるだけだ。
もちろんそれだけでは、オカズとしても栄養としても物足りないため、稜の弁当をつつかせてもらうことになるのだが。
「……雄馬以外に、笑った顔は見られたくないなぁって」
そういう不意打ちは、食べる手を止めざるをえないので、やめてほしい。
たまらずこちらも箸を置き、うれしさを隠すように、赤くなった顔を覆う。
「あれ――どうしたの、雄馬?」
「いや……なんでもない」
てっきり、恥ずかしがらせるための発言だと思っていたのだが、普通に天然もののセリフだったらしい。
彼女が小悪魔でなく天使だったことに安堵しつつ、なんとか顔の緩みをおさめ、雄馬は再び箸を手にする。
「で――それなら、どうして笑ってるんだ?」
「ここでだったら、人目なんて気にしないで、雄馬と楽しくお弁当食べられるからかな?」
鶏ササミに海苔を巻いて焼いた、いわゆる磯辺焼きをハムッと頬張る稜。
彼女がそれを十分に咀嚼し、飲み込むまでの間、雄馬はまた顔を覆うはめになっていた。
(いや、もう……わざとだろ、これは)
人前では完璧に男子を演じているのに、そこから離れたら、すぐこれである。
この彼女はもしかすると、自分が超絶美少女であることを忘れているのではないだろうか。
そんな美少女にこんなことを言われて、男子が平常心を保てると思っているのだろうか。
(学校では自重、学校では自重、学校では自重――)
よし、詠唱終わり。
気を取りなおした雄馬は、彼女の弁当からアスパラのソテーをいただいて、野菜を補充しつつ、改めて問う。
「――たしかに、毎日そんなかわいい笑顔ではあるけど。今日は特に、うれしそうに笑ってる感じがしてな」
だから、なにかあったのかと思った――と。
雄馬が続けようとするより早く、彼女は箸を置き、顔を覆う。
「……食べてるときにさ、そういう恥ずかしいこと言わないでよぉ」
そっちが先に言ったんだよ!
彼女の真っ赤に染まった耳を見つめ、そう叫びたくなる気持ちを静める。
だめだ、こんなことを続けていては、いずれどこかでボロが出てしまう。
そんなことになっては、日本経済の破綻だ。
なんとか話題をそらす――もしくは、彼女のご機嫌の理由を探ろう。
「……そろそろテストの時期だけど、それじゃないよな?」
「テストが近くて笑顔になるって、それもうあきらめてない?」
「いや、勉強がスムーズに進んでるとかさ」
「それくらいで笑顔になんてなんないよ」
この余裕の発言である、さすがはトップ5常連の優等生。
とはいえ、そもそも笑顔の自覚がなかったのなら、そこは無関係か。
だとすれば、もっと日常のことに起因する――いや、日常的な笑顔でないとするなら、非日常のなにかだろう。
そこでピンときたのは、今月が十二月ということだ。
「あ――そうか、クリスマスか」
「えっ? ああ――言われてみれば、そうかも……」
雄馬の指摘で稜も気づいたのか、やわらかな頬をにゅーんと伸ばし、またはにかむような甘い笑みを浮かべる。
「そっか……今年は、雄馬と二人ってことになるんだね、えへへ」
そんな彼女の言葉を受け、去年のクリスマスを思いだす。
クラスでは、稜を中心にした十数人ほどのメンバーが、ボウリングだとかカラオケだとか、あとはバイキングだとか。
そういったものに昼から出かけ、楽しんでいたと聞いたことがあった。
ちなみに雄馬は、ケーキを売っていた。
「……今年は、売らなくていいかな」
「クリスマスになにを売ってたのっ!?」
「いや、ケーキな、ケーキ」
「ああ、そっち……っていうか、雄馬アルバイトしてたんだ?」
そっち以外だと、なにを売るというのか。
妙にピンク色に見える彼女の思考を心配しつつ、まぁなと軽く返す。
「一応、短期限定でやってる。去年は五月の連休と、夏、冬、春休みはほとんどバイトしてた」
自分のこづかいくらいは稼ぎたいと、渋る父親をなんとか説得したのだ。
自身にはなんの非もないというのに、片親である負担をかけまいと、父なりに気を張っているのだろう。
月ごとのこづかいもきちんと渡してくれるし、誕生日や正月には、なにかと祝いの席を設けてくれたりもする。
今年は友人――実際は彼女だが、そんな相手とクリスマスを過ごすと伝えれば、どんな顔をされるだろうか。
「これは僕も、気合いを入れてかからないといけないね……」
「お前はクリスマスに、なにをしでかすつもりなんだ」
雄馬の言葉からなにを感じ取ったのか、妙に真剣な彼女に問うと、なにやらワクワクした表情が返ってくる。
「だって、初めてのバイトだもん」
「――――はい?」
どういうことだろう、一緒に過ごすクリスマスの話をしていたはずだが。
話が見えず箸を止める雄馬に、だからさぁ、と彼女が箸を持った手を掲げる。
お行儀が悪いからやめなさいと、あとで注意しておかねば。
「クリスマス、一緒にアルバイトしようよ。その帰りに、うちでご飯食べていけばいいかなって。レイコさんも喜ぶだろうし」
なるほど――その発想はなかったと、雄馬は感心する。
クリスマスに恋人と過ごすとあって、まずはデートすることを考えていた。
しかし稜は女子として振る舞えないのだから、外でのデートは、男子同士の付き合い程度におさめておかなければならない。
だから、一緒に恋人らしく過ごすということなら、どちらかの家でのんびりすることになるだろう、と思いなおしたのだ。
それを踏まえた上で、彼女の提案はなかなかに妙案と思われる。
街に出かける、彼女と節度を守って過ごせる、普段はしない特別なことが経験できる――なるほど、たしかに楽しそうだ。
「あー、その……二人きりがいいなら、考えなおすけど……」
「いや、大丈夫だ。というか、付き合い始めたばっかりなのに、二人でクリスマスってのは……ご両親に、申し訳が立たない」
あと、レイコさんにも。
「……たぶん、喜ばれると思うけど」
「それはそれでどうなんだ……まぁでも、稜もバイトしてみたいんだろ?」
「うん、やったことないから楽しみ!」
彼女の場合、長期のアルバイトではなにかと不都合もあるだろうし、短期のバイトは力仕事が多いこともあって、本来の性別を考えれば難しくなる。
一日限定の売り子なら、環境の過酷さを除けば、やりやすいといえるだろう。
「わかった――それなら、去年と同じとこに頼んでみるか」
「やった、ありがとう! でも、かなり急だけど大丈夫かな」
「去年は俺しか申し込んでなかったから、大丈夫だと思うぞ」
近所の商店街にあるため、登下校時に前を通りかかるのだが、アルバイト募集の張り紙はまだ残っていたはずだ。
「え――じゃあ、去年はひとりでやってたの? 交代とかは?」
「そこまで規模が大きくない、個人の店だしな。そこの娘さんも手伝ってくれてたから、店長と奥さんも入れて四人で、普通に回ってたよ」
そこに稜も加わるとなれば、今年はもう少し楽になるだろう。
などと考えていると、稜の眉根が妙に険しく寄せられた。
「……そのお店、娘さんいるんだ」
「ああ。たしか今年から、中学生になったんじゃなかったかな」
「あっ――なーんだ、そっかぁ」
なーんだ、とはどういう意味なのか。
「……中学生とはいっても、店の従業員としては先輩だからな。ちゃんと彼女の言うことを聞いて、真面目に働くように」
「わ、わかってるってば……っていうか、そういうことじゃないし……」
モゴモゴと口ごもるのを聞いて、雄馬は小さく息をもらす。
「……同年代だったとしても、去年の俺はそんなの考える余裕なかったしな」
「――うん、ごめん……そうだよね」
雄馬の女性不信については、心ならずも彼女は関わっている。
だからこそ、そこに触れればこういう反応をされると思い、あえて触れなかったのだが。
とはいえ、稜がそれを気にする気持ちは、わからなくもない。
「あと……今年の俺は、稜ひとすじだからな」
ならば、その不安ははっきりと解消しておこう。
「俺は稜のことが好きだよ、稜のことだけがな」
「ぁ……うっ、うん……私も……好き……」
誰も近くにいないことがわかっていても、学内でこういった言葉を交わすのは、かなりリスキーである。
だが――たまにはいいのではないか、と。
恥じらった顔を伏せる彼女を見つめ、そんな風に思うのだった。
なんだかんだ、毎日一回は言っている気がするが、それはそれとして。
クリスマス前と当日ということで、2パート分割です。
後日談とはなんだったのか。
Bパートは、クリスマス当日だと遅いだろうと思うので、15日くらいを予定しています。