11 ある一族のしきたり 後
もっともな疑問を口にした雄馬の前に、大道寺氏ではなく、夫人のほうが話を切りだした。
「羽生さん……私はこの家に嫁いできた身なのだけど、その私が事情に通じていることを、不思議に思わなかったかしら?」
そう言われて雄馬は、ハッと目を見開く。
たしかに、両親のどちらかは家の外からきた人間になるのだから、冷静に考えれば両者が知っていることはおかしい。
そしてそうなれば、子供の性を偽って育てるなどという話に、事情を知らないほうの親が納得するのも妙だ。
よしんば納得したとしても、子の性別を知っている以上は、しきたりを破った呪い――と呼ぶのが正しいかはわからないが、影響がおよぶはずだろう。
つまり――そうならない方法があり、それを夫人は体現しているのだ。
「――気づいてくれたか。まぁつまり、これは法制度上ではなく、いわば気持ちの問題なのだろうが……」
「身内になれば、その秘密を知っても問題がない、ということですね」
言わんとするところを察し、雄馬は言葉を継いだ。
おそらくは出産においても、親戚筋から産科医を選び、その人物に取り上げてもらうのだろう。
「きみを巻き込んでしまったことを、申し訳なく思う――だが、真摯に娘を守ってくれたきみには、本当のことを伝えずにはいられなかった」
畳に手をつき、大道寺氏が頭を下げると、隣の夫人もそれにならった。
「や、やめてください、そんなこと――」
「そんなこと、なんかではないわ。この子……稜さんのわがままを聞いてもらう形になるのだから、これは親として当然のことなの」
その言葉を受け、雄馬は姫王子に目を向ける。
「稜のって……どういうことだ?」
「うん、その……ほら、雄馬が言ってたでしょ? 女性不信気味だ、って」
申し訳なさそうに眉を下げつつ、彼女も同じように手をつく。
「……ごめんね、雄馬。僕はずっと、雄馬のことをだましてた……これが原因で、また雄馬が女性を信じられなくなったら、どんな償いでもするよ」
「い、いや、そんなことしなくていいから、全然――」
むしろ、姫王子のようなまっすぐな善人が女性だったことで、雄馬の中での女性への不信感は、幾分か払拭されてさえいる。
それを伝えようとしたのだが、目の前で頭を下げる着物姿の美少女は、さらに驚くようなことを口にした。
「それでも、これだけは言わせて――僕は、雄馬のことが好きなの」
「な――えっ、えぇっ!?」
急になにを言いだすのか、思いもよらない言葉に、頭が真っ白になる。
「……雄馬のことしか信じられないから、こんな風に言ってるわけじゃないよ」
顔を上げた彼女の、ほんのりと朱に染まった頬に、潤んだ瞳――その上目づかいの視線を前に、雄馬は完全に思考を奪われていた。
「もちろん、それもあるけど……雄馬の気遣いが、ずっと……すごく、うれしかったから――雄馬のことを、本気で好きになったから言ってるの」
はにかんだ笑みを浮かべ、彼女は続ける。
「雄馬が、僕を……女性を信じられなくても仕方ない。結果的にだましていたのも、本当に悪かったと思ってる……でも、だからこそ――もう嘘はいやだった」
この秘密を明かせばどうなるか、それをわかっていても――。
「僕の――私の本当の姿と……この気持ちを、雄馬に知ってほしかったんだ」
「な……なんで、そんな……」
「決まってるよ、そんなこと――」
蠱惑的に唇を緩め、艶めかしい表情で彼女は口にする。
「――雄馬と、結婚したいからだよ」
そんな彼女の言葉で、頭は完全にオーバーヒートした。
親友だと思っていた美貌の男子が、じつは絶世の美少女であり、日本を牛耳るような一族の娘で、自分のことが好きって――どこのウェブ小説なのか。
いきなり伝えられたことで困惑させられるが、周回遅れでようやく回りだした頭の中で、雄馬は落ち着いて状況を分析する。
(待て……いや、本当に待て……これ、じつは詰んでるんじゃないか?)
先ほど夫人が口にした、娘のわがままという言葉の意味にも気づき、雄馬は彼女の美貌を見つめた。
「……ちなみに、断ったらどうなる?」
引きつった顔で問うと、姫王子は、甘い笑みを浮かべて返す。
「うーん……家は傾くから、グループにも影響が出るよね。持ちなおせないことはないと思うけど、とんでもなく苦労するんじゃないかな」
「……日本経済は、どうなる?」
「まぁ――全体的に、最悪なくらい落ち込むよね。いわゆる大恐慌?」
「だよなぁっ!?」
完全にはめられた――と、雄馬は思わず頭を抱える。
日本経済を人質にされた求婚なんて、聞いたこともない。
(いや、俺にどうしろと……っていうか、選択肢なんてないし……)
車内で聞いた、自分が大道寺の御曹司説について、半分だけ正解と彼女が答えたのは、こういう意味でもあったようだ。
ちなみにもう半分は、彼女が御曹司でなくご令嬢だったということ。
「……やっぱり、迷惑だよね」
思わず益体のないことを考えていたところに、姫王子がまるで見当違いなことを、申し訳なさそうに言いだした。
「家のことを気にするなら、形だけの結婚でもいいよ。それか……雄馬は、レイコさんがタイプみたいだし……レイコさんと結婚するのでも、いいと思う」
「待て、なんでそこでレイコさんが――」
いや――と、すぐに察する。
彼女がマンションで姫王子の世話をしていたのは、性別を知っていたからだ。
そして、知っていたからには身内でなければならない。
「うん……レイコさんは僕の侍女っていう形で、法律上はお姉ちゃんになってくれてるの。だから、レイコさんと結婚するのでも、全然――」
「だから待てって! それにしたって、レイコさんの気持ちが――」
「私はかまいません。お嬢さまを守ってくださった雄馬さんになら、身も心も捧げられるかと。ちなみにバストは、101センチです」
「ちょっと黙っててもらっていいですかっ!?」
1メートル超の誘惑に頭をクラクラさせながらも、雄馬はなんとか気を取りなおし、改めて姫王子に向きなおった。
「……悪い、色々と混乱してたのと、背負うものの大きさで動揺してた」
自分の選択で日本経済が傾く状況など、一介の高校生には荷が重すぎる。
「ただ――あくまで、それだけだ。稜のことは、ずっと友だちでいられたらって思うくらい、気に入ってたし……女だったっていうのも、その――」
うれしいくらいだ――と。
小声でボソボソと告げると、耳を大きくした彼女がニマァッと笑う。
「なんてっ? ねぇ、いまなんて言った?」
「ああもうっ、うるせぇっ! うれしいハプニングだって言ったんだよ!」
彼――だと思っていたときの彼女は、女性なのではと思うほど美形だった。
いや、実際に女性だったわけだが――それはともかく。
思わず見惚れたこともあるし、妙な気持ちになりかけたことも、ないと言えば嘘になる。
そんな相手がじつは女性で、自分のことを異性として意識していたと聞かされ、うれしくないわけがない。
「……将来的に、俺が大道寺の総帥になるとか、想像できん……」
「それだったら、僕がなるのでもいいよ。グループには優秀な人が多いから、その人たちもサポートしてくれると思うし」
形だけのトップでも機能する――それだけのグループでなければ、ここまでの大企業、一族になっていないということか。
「それに……生徒会活動なんかとは比較にならないけど、雄馬はそういうのでも、すごく信用してもらってたでしょ?」
あまり思いだしたくないことだが、それは間違いない――はずだ。
「それってきっと、まじめさとか誠実さとか、そういうのを含めての評価だと思うんだよね。大道寺のトップは、そういう要素のほうが大事じゃないかな」
だから順応できるよ、雄馬なら――と。
彼女が手を握りしめてきたことに、ドキリとさせられる。
「ただ――家のこととか、そういうのは気にしないで。お母さんも言ったけど、これは僕のわがままでしかないんだから」
彼女を背負ったりしたことはあるが、こうして手を握ったことはない。
その手は見た目より遥かに小さく、やわらかく、温かかった。
「雄馬には傍にいてほしい……そんな、どうしようもないわがままだよ。僕が雄馬以上に信じられる人は、どこにもいないんだから」
姫王子の言葉は、そのまま雄馬自身にも言えることだった。
拒絶され、女性不信を抱えているからこそ、その気持ちは痛いほどにわかる。
彼女が雄馬をそう思うのと同様に、雄馬が信じられる異性は、姫王子――稜しかいないのだから。
(だとしたら、あとは――)
「ね、だから――」
「――わかった、一緒にいよう、稜」
「――――えっ」
覚悟が決まった雄馬は、彼女の手を握りかえし、瞳を見つめる。
「あっ、えっ……あの、それは――」
「俺も同じだ、稜のことは信じられる……信じ続ける。支えられる自信は、まだないけど……俺も、稜の傍にいたい」
「ほ……本当、に?」
信じられないというように見開かれた稜の瞳から、涙が一筋こぼれた。
「すぐには無理だけど――結婚しよう、稜」
そう告げた瞬間、先の涙を追うように、大粒の涙が溢れてくる。
頬に手を添え、それを指で拭おうとするが、それも間に合わないほどにボロボロと、彼女の顔が涙に濡れた。
「ふっ、ぐっ……ぅあっ、あぁぁっ……ほ、本当、だよね?」
「ああ――いや、いまから本当は男だって言われたら、さすがに困るけど」
「言わないよっ、バカなのっ!?」
涙でぐちゃぐちゃになった彼女が、笑っているのか怒っているのか、わからなくなるような表情で、雄馬の胸元に頭をこすりつける。
「うれしいっ……ありがとう、雄馬っ……」
「まぁ、その……こっちも、渡りに船というか……だからな」
「……バカッ……もっとこう、ロマンチックな言葉とかないのっ……?」
「そういうのを、俺に期待するのか……」
などと――ケンカップルのような言い合いをしていると、横からゴホゴホと咳払いの音が聞こえ、二人はハッとした様子で勢いよく距離を取った。
「……すみません、ご両親の前で」
気まずそうに顔をそらして告げるが、夫人はむしろうれしそうに笑っている。
「いえいえ、いいのよ羽生さん。人目につかないかぎり、どんどんやってくれていいんだもの……ねぇ、旦那さま?」
夫人に水を向けられ、大道寺氏も苦笑するが、否定はしなかった。
「まぁ、そういうことだ。成人するまでは、婚約はもちろん、恋人でいることも難しいが……見られないよう、仲良くやってくれたまえ」
うれしそうに、けれど寂しそうに言った大道寺氏は、おもむろに立ち上がる。
「では、あとはお若い二人で……私たちは戻ろうか」
「はい。それじゃ羽生さん、どうぞごゆっくり……レイちゃんも、しばらくは近づかないようにね?」
そうしてご両親とレイコさんは去っていき、室内には静けさと、ほんのわずかな気まずさが残った。
とはいえ、それも一瞬のこと――。
「じゃあ――ふつつか者ですけど、よろしくお願いします」
稜のイタズラっぽいひと言が、そんな空気をまぎらわしてくれる。
「ふつつかなのは、俺も一緒だよ……まぁ、おおやけにはできない関係だけど、仲良くやってこ――うおっ!?」
照れくささをごまかすように、雄馬がそう返した瞬間、着物の彼女ははじかれたように、抱きついてきた。
「――ふつつかじゃないよ、雄馬は。僕にとっては、誰よりも気が利いて、やさしくて……誰にも渡したくない、素敵な旦那さまだよ」
「っ……お前さ、ほんと……そういうことを――」
恥ずかしげもなく言うな――と。
返してやりたいが、彼女の真っ赤に染まった顔を間近に見せられ、言葉を詰まらせてしまう。
顔見知りになって一年と半分、近しい関係になって一ヶ月と少し。
その間で幾度も見た美しい顔だが、こんなにも恥じらった、女性らしい雰囲気をまとった表情は初めてかもしれない。
「……ちょっと前まで男と思ってた相手じゃ、その気にはならないかな?」
目を見張るほどの美女から、息のかかるほどの距離に密着され、首に腕を回されて、しなだれかかるように抱きつかれ――。
あまつさえ、そんな風に囁かれて、その気にならない男がいるだろうか。
否だ――いるわけがない。
「……稜は、どう見ても女の子だよ。だから、その……あれだ」
「どれ?」
どこで覚えたのかと思うようなあざとさで、小首をかしげられ、彼女を意識する気持ちが急激に高まっていく。
帯で締めつけられた細い腰に腕を回し、身体を抱きよせるが、もちろん稜はいやがったりしなかった。
「正直、男だと思ってたときから……時々だけど、変な気持ちにさせられてたからな。自分では、かなり不安になってたところだ」
「うわぁ……あの噂、じつは本当だったんだ?」
「……あのなぁ――なんでそうなるんだよ」
「えっ――んっっ……」
逃がさないよう、腕の中に彼女をすっぽりとおさめ、やさしく唇を重ねる。
十数秒ほどをかけ、しっかりとそのやわらかさを味わい、温もりと堪能してから顔を離すと、彼女の顔は紅葉のように真っ赤に染まっていた。
「稜のことを、女として意識してたって話だろ。それがようやく、報われたってわけだ……」
「うん……あ、の……うれしい、です……はい」
小さく縮こまり、恥ずかしさに顔を伏せようとする稜の頬を撫で、もう一度、顔をゆっくりと上げてもらう。
「――これからもよろしくな、稜」
「ん……うん、よろしく――雄馬っ」
今度の口づけはしっかりと、彼女のほうから寄せてくれた――。
短いですが、息抜き中編ということで、以上となります。
長らくのお付き合い、お疲れさまでした。
次回投稿こそは、きっと長編になると信じてっ……ご愛読、ありがとうございました!




