魔道士雷夜のある日のお仕事 蛙退治
「悪徳魔道士雷夜」シリーズの日常(?)仕事話です。
民話的なイメージで書きました。
ある村で、山に出かけた村人が行方不明になることが相次いだ。
山の中腹にだだっ広い湿地があった。
そこに、岩のように巨大な蛙がいつの間にか十何匹もいるのだった。
蛙たちは毒々しいアメジストのような紫色をしていた。基本的にはじっと動かなかったが、急にどしんと跳ねたり、素早く舌を伸ばしたりした。
山に登った村人の何人かは、その蛙たちに食われてしまったらしい。
気づかずに湿地に出て、跳ねた蛙に潰された者もいた。
蛙の存在に気付き、用心して森の中から様子を見ていた者も、伸びてきた舌に絡め捕られて丸呑みされたりした。
村の男たちが、猟銃や弓矢、剣やら槍やら斧や鋤などを持ち寄って何度も蛙を退治しに出かけた。
けれども銃を撃ってもまるで堪える様子がなく、矢を受けてもはね返してしまう。
命がけで近づいて剣や斧を突き立てるとぶるん、と刃は食い込むのだが、しばらくするとぼわん、と押し返され、蛙の皮膚には傷一つない。
目を狙った者もいたが、何か透明な硬いものに覆われているらしく衝撃が返ってきた。
死人は増える一方で、村人たちは困り果てた。
あれはきっと魔獣というやつだ。魔術を使えば何とかできるのではないか?
ある者が思いついてそう言った。
多少でも魔術の心得があるのは医者くらいという村だったので、若者が情報を集めて、村の外へ依頼を出した。
やって来た一人目の魔術士は、あの魔獣は既存の記録にない未知の種類のようで、発生原因も性質もわからないので自分では手に負えない、と帰って行った。
二人目の魔道士は、案内した村人たちの目の前で、あっという間に食われてしまった。
三人目の魔道士は、蛙たちに炎の矢を降り注いだ。
狂ったように跳ね回った蛙たちの数匹が森に突っ込んできて、火が草木に燃え広がった。
村人たちと魔道士は必死の消火を行なって山火事を食い止めた。
蛙たちは矢を受けた傷口から毒液を吹き出し、毒を浴びた数人の村人が命を落とした。
四人目の魔道士は、強力な火炎球を放って三匹の蛙を炎に包んだ。
けれども別の蛙が舌を飛ばしてきて、大地の魔術で何とか食われるのをまぬがれたものの、大怪我を負ってしまった。
五人目の魔道士は蛇の召喚魔獣を従えていた。
その蛇たちは巨大化してまたたく間に蛙たちを食い尽くしてくれた。
が、村人たちが感嘆の声を上げたその瞬間蛇たちは苦しみ始め、のたうち回った挙げ句に蛙を吐き出し、逆に蛙に食われてしまった。
六人目の魔道士は蛙たちを水に包んで窒息を試みたが、蛙たちはいつまで経っても苦しむ様子は見せなかった。
そこで魔道士は術を変え、蛙たちの身体から水分を奪った。
干からびた蛙たちは動かなくなったので、魔道士は蛙たちに火の術をかけた。
すると途端に蛙たちは毒液を噴き出して跳ね回り、四人の村人が死んだ。
七人目の魔道士は、これまでの経緯を聞いて自分には無理だと言った。
が、魔道士雷夜なら何とかできるだろう、と村人たちに伝えた。
そうして呼ばれてやって来た魔道士雷夜を見て、多くの村人は落胆した。
いかにも魔道士という風情の黒いマントを着てはいるが、これまでの魔道士に比べてあまりにも若く、それどころか子どものような顔をしている。
七人目の魔道士は、ただ断るのが心苦しくててきとうなことを言ったのではないのか。あれはどう見ても無理だろう。
早々に引き上げることを覚悟して、村人たちは魔道士雷夜を山に案内した。
この先の湿原に蛙たちがいる。森の中からそう指し示す。魔道士はしばらくその場に立ち、木立の間から目を凝らしていた。
ふとおもむろに懐に手を入れると、赤く光る親指の先程度の石をぽーんと湿原に向かって放った。
続いて一つ、また一つ。
遠くの方、近くの方、今来た山道の方、とさまざまな方向にいくつも放る。
立っている村人たちの足下にも、一つ二つ転がってきた。
村人たちはあきれた。
これではまるで、子どもの遊び。
一体何の冗談だ。
その日はよく晴れていて、青い空には雲一つなかった。
ところが急に雨音がし始めたので、村人たちは驚いて空を見上げた。
生い茂る木々の隙間から見える空は相変わらず晴れていた。
ところが森の向こうの湿原からは草を打つ雨音がする。それぞれの蛙たちに、雨が降り注いでいる。
魔道士は、何かぶつぶつ呟きながら両手の平を胸の前で合わせ、その手をだんだんと開いていた。
包むような形の手のその中に、何か赤黒い、もやのようなものが渦巻いていた。
大人の握りこぶしほどの大きさになると、魔道士はそれを空中に放ち、再び手のひらを胸の前で合わせた。同じ動作を繰り返し、十を超える赤黒い渦巻きが魔道士の頭上に浮かんだ。
魔道士が何か小さく号令のような言葉を唱えると、それらは一斉に湿原の方に向かって飛び、それぞれ軌道を変えて散った。赤黒い渦巻きは、それぞれの蛙のまわりを飛び回った。
蛙たちはおもむろに舌を飛ばしてそれを口の中に入れた。
数匹は、反応しなかった。
魔道士はそこらに落ちている木の枝を拾い上げ、風の術を使って渦巻きを食っていない蛙たちに飛ばすと、口の隙間を横から木の枝で突いた。
そうして蛙の口が開くと、そこに間髪入れずに赤黒い渦巻きを飛び込ませた。
一匹、なかなか口を開けない蛙がいた。魔道士は手をそちらに向けて風を操作して、木の枝を横から差し込ませて口をこじ開けた。
その時ふいに別の蛙が、魔道士めがけて舌を飛ばしてきた。すると先程転がした石の一つから赤い糸のような光が放たれ、その舌を貫いた。下から貫かれて空中で固定され、蛙は舌を戻せなくなった。魔道士がそちらに向けて手をかざし空を斬ると、舌はすぱっと切断されて、そのまま空中で燃え尽きて消えた。
身体にしとしとと雨を受けている蛙たちは、みなどことなく気持ちよさそうに見えた。
すべての蛙が赤黒い渦を呑み込むと、魔道士は片手の指を小さく動かすような動作をした。
しばらくは、何の変化も起こらなかった。
やがて村人たちは、紫色の蛙たちが、マグマのように内部から赤く光り始めているのに気がついた。
蛙たちは局所的な雨に打たれて表面はしっとりと濡らされながら、内部から燃やされているのだった。
大半の蛙は穏やかな様子のまま、動こうともしなかった。
何匹かは時折森に向かって舌を飛ばしてきたが、そのたびに石がセンサーのように反応してそれらを貫いた。
途中で跳び回り始めた蛙も何匹かいたが、一定の範囲から出ようとすると転がった石から赤い糸が飛び、ある蛙ははじき返され、ある蛙は刺し貫かれた。
それらすべての蛙に、雨は降り注ぎ続けた。
蛙たちの内部からの赤い光は徐々に強さを増していて、蛙たちは、赤紫の光源をはらんだ半透明のガラス細工のようだった。
魔道士自身の身体もその時ぼうっと赤い光を帯びていたが、それに気がついたのは同行した村人の中でわずかながらも魔力を持っている数人だけだった。
やがて光はメラメラと燃える炎と化し、蛙のすべてを飲み込み始めた。
降り注ぐ雨は少しもそれらの炎を弱める気配はなく、一方蛙の内部から燃え始めた炎は周囲の草木には一切燃え移ることがなかった。
湿原のいたるところでまばゆい光を放ちながら燃えさかった炎は、蛙を燃やし尽くすと役目を終えたように次第に小さくなって消えていく。
すべての炎が消え去って、それとともに雨音もなくなった。
魔道士が両手を伸ばすと、ざあっと一帯に風が渡った。
葉に残っていた水滴がきらめきながら散ると、山はしん、と静かになった。
再び風が、今度は自然のものが吹き渡って、さらさらと葉ずれの音を響かせた。それを合図にするように、どこからともなく、小鳥たちのさえずりが戻り始めた。
魔道士は、無言のままきびすを返して歩き出した。
呆然と蛙たちの最期を見ていた村人たちは、はっと我に返ってある者はおそるおそる湿原に足を踏み入れ、ある者は慌てて魔道士の後を追った。
山道の途中で一度魔道士がよろけたので、村人の一人は慌てて彼を支えた。
魔道士雷夜はあてがわれた宿の部屋に戻ると、それから三日三晩、一度も目覚めることなく眠り続けた。
その間、蛙が退治されるさまを目の当たりにした村人のうち半分は、いかに魔道士雷夜が凄かったか、他の村人たちに熱っぽく語り伝えた。
しかし残りの半分は、あまりにもあっさりと効率よく魔道士雷夜が蛙を片付けたので、実は彼自身がこの魔獣を生み出し山に置いた張本人ではないかと疑っていた。
村人たちは何度も会合を開き、魔道士雷夜に本当に言われたとおりの報酬全額を払うのか、彼をこのまま帰していいのか、話し合いを重ねた。
けれども結局は、報復が恐ろしいという結論となった。
魔道士雷夜が目覚めると、ある者は本心から、ある者は仕方なくそう装って、村人たちはとにかく感謝を口にした。
魔道士雷夜はどちらについても特に心にとめる様子もなく、淡々と金を確認すると、村を去った。
帰りに山に寄ったが、なぜ未知の魔獣が異常な形で発生したのかは、魔道士雷夜にもわからなかった。
お読みいただきありがとうございます。
この話の本編の、「悪徳魔道士雷夜」シリーズも読んでいただけると嬉しいです。
※1つの話は10,000~15,000文字程度、掲載分はすべて完結済です。