カクテールの館の司祭様
暗黒に染まりし森の奥から、ひゅるひゅると、なきながら、ざわと木々を揺らし吹き抜ける風に乗り、途切れとぎれに、12回鳴らす聖夜の鐘の音が、人々の元に届いた。
「司祭様が、鐘をならされておられるね。今宵のミサも、お若いのに良かったよ」
それを聞き、クリスマスの祈りを捧げる老女。清らな、響きのそれは心を穏やかに包む様……
赤いつるばらが、美しく館を装う様に仕立てられている森の奥にある小さな教会、
若いが、穏やかで物静かな司祭が、今宵祈りを込めて、鳴らすその音を皆が、感謝の心で受け止め、就寝前の祈りを捧げる。
×××××
「メリークリスマス、司祭様」
私が何時もの様に、朝の礼拝の準備を整えていると、開けられている扉から挨拶と共に、幼い孫娘を連れた、何時もの彼女の姿。
「しさいさま、メリークリスマス」
ミーシャとの名前の少女も、祖母に習いきちんと挨拶をしてくれる。私は二人に近づきつつ、挨拶を返す。
「メリークリスマス、御二人方に、神の祝福を……」
白く息を弾ませて、ミーシャがぱたぱたと、私に駆け寄ってくる。日課の、アレは開けてないよね、の確認の為に。
それがわかっている私は、しゃがみ彼女の視線に合わせて、それを待つ。
ねーねーと私の耳元で、真剣な面持ちで、内緒話をする、幼いミーシャ
「おはよう、しさいさま、みてないよね、ね」
「はいはい、さわってませんよ、貴方の大切な『お願いの箱』ですからね」
こしょこしょとした声で問いかけるので、私もそれに習う。
幼い彼女は、ある日祭壇のある場所に、自分の大切なお願いを込めた『お願いの箱』を忍ばせている。
……私がここの司祭として、務め日々を過ごす様になった事を知った彼女は、望みが消えることを案じて、祖母と共に来る度に、こうやって私に確認をしてくる。
よかったぁ、しさいさまやさしいから、だいすき、と無垢な笑顔を向けてくる。
やがて、次々に、挨拶と共に朝の礼拝の為に訪れる人々。私の清らな一日が始まる。
……ここに来て久しいが、こうして毎日の礼拝の他、産まれた赤子の洗礼、新しく門出をする二人の祝福、時を終えし者の弔いと、
小さな教会ながらも、多忙な日々を送っている。
神の御言葉をのべていると、愁いに満ちている姿の人を目にした。こうした人達の、嘆きの声を聞くのも、私の大切な務めの一つ。
終わってから声をかけようと、思いながら言葉を紡いで行く……
礼拝室の傍らにある小部屋で、その者の声を聞く私。理不尽な仕打ちを、涙ながらに話す、そして己の中にある、闇に恐れおののく。
「大丈夫ですよ。神は貴方の愁いを、きっと取り払ってくれます。心配しなくても良いですよ、善良なる人よ……」
私は優しく、そして強く励ます。神がその者に何時しか神罰を御送りになるでしょう、だから案じなくても、明日を見て、光の中を生きましょう……
×××××
人々に声をかけ、庭の手入れをし、神に祈りを捧げ、鐘を鳴らし一日が過ぎて行く。
日が落ち、夜の帳が降りてくる。森の木々が闇をまとい、その姿をおどろに変えていく……
……ああ、まるで『1つ』が響いたあの『揺らめきの夜』の様ではないか、館から『出る』事になった、外へと、出ることになった夜。
あの時と同じ様に、私は扉を開き表へと出る。ざわめく夜半の風が、私に絡み付く様に吹いてくる。
……あの時目覚めたのも、産まれた夜の星の揺らめきも、後で知り得たのだが、素行が悪いと人々が手に余していた、あの『侵入者』達の行動も、
全ては神の思し召し。私に再び与えられた使命、それをこなす為に、風と私を同調させて行く。あの夜と同じ様に……
――私は、先程迄彼等がいたその部屋を見渡した。飲みかけの酒の瓶、食べ散らかした残骸、全く、いくら閉められているとはいえ、教会の礼拝室で、この有り様。
仕方の無い者とは、何時の世にも居るものだ、それらをざっと片付け、私は神に対する。
……静かな時が私を包む。それはとても心地好い境地に私を誘う。簡単な感謝の祈りの言葉が、自然に口をついて出てきた。
それを述べ終わると、私はもう空も、星の揺らめきも忘れて、再び部屋へと戻ろうと踵を返す。
……闇いろの外から、鐘の音が聞こえてきた。それはとても神聖な響きとは言えず、何処かふざけた、そんな冒涜の音を響かせている。
あやつらかと、呆れ果てながら耳に響く音が、脳裏に刻まれて行く。1つ、2つ、3つ4つ……
部屋へと続く階段を下りつつ、数を数えたのは偶然なのか、そこに、天におわす、光を与える御方のご意志が働いたのか?
やがて最後の音が終わり、自室の部屋の扉を開けようと、その時に、
低く響く鐘の音が、私に向かってきた。決して響く事の無い『13番目』の鐘の音。
閉じられている室内にもかかわらず、夜半の風が吹き込んで来たのか、あるいは私の身の中からわき出たのか、
それに私の体は巻き込まれ『霧』となり、外へと、闇に染まりし森へと出て行く……
×××××
さぁ『狩』を始めようか、今私は『渇き』に満ちている。喉から手が出る程に、甘やかな滴る果汁を啜りたい。
あの侵入者達ならば、全てを頂くには丁度良い。
神の御前での無礼、禁忌とされる最後の1つ、それも聖夜に鳴らす悪行、彼等達ならば、誰からも存在が消滅する事に、惜しむ声は出ないだろう。
「闇いろの風」となりし私は、ひゅうるりと獲物に近付いていく……狩、いや、鬼ごっこを始めようか。どうせなら楽しまなくては……
笑い声を立てて、騒ぎ、ふざけながら歩く不埒な者達、その数四人、満たすのにはいい数。
彼等は若く、そして私にとって甘やかな、魅惑的な香りを放ちながら、森の小道を歩いている。
さて、先ずは『拡散』させようか、それには『一人』を獲れば、散って行くだろう……
――冷たく黒い風の姿の私は、計画通りに、ひゅうるりと背後に、静静と、しずしずと……
近づく……ゾクリと……ずぅるりと……じゅるり……
と、冷ややかな感覚を伴いながら、首元に私が絡み付く……そして、囁く、密やかに……
『全てをおくれでないかい……』
ザァ、と私はそれを飲む、温かな血潮が満ちる、私の全てに染み渡る。
カラ、と枯れ果て塵とかし、夜半の風に吹き飛ばされて行く……人間。
それを目にした、獲物達は慌てふためき、蜘蛛の子を散らすように、奇声を上げ目くら滅法に、闇へと逃げ去る。
先ずは一つ。私は久し振りの『それ』を堪能すると、次なる獲物の香りを追う。
たわわに熟す甘やかな果実を求めて、闇いろの風はそれを追う。
何処に隠れようと、木に登ろうと、地に伏せようと、風には関係無い。ひゅうるりと、近づく。
ずぅるりと絡み付く。じゅるりと、締め付ける、その温かく脈打つ命の源に……
……さぁ、逃げろ、駆けろ、逃げまどえ、生に執着を見せろ!怯えろ、泣き叫べ、足掻け!迫り来る死に恐怖を感じろ!
そうでなくては、面白くない。そしてそうして獲たモノは、よりいっそう甘美な味わいになるから……
×××××
全てを狩り獲て、ようやく渇きを満たすことが出来た私。気が付くと、夜明けの光に包まれている。
清らな朝の白き光に、それを浴びると、すわりと私は元の人の形へと戻る。
……人間の世界では、私達は日光に弱いとか、神の御印に弱いと、されているが、それは私達が戯れに『造り』だした模造品の事。
獲物の全てを塵としなければ、紛い物を造れる。それは人であって、人ではない。また、
純血の私達の力を持つが、決して私達ではない。
私達は、牙を当てそれにより啜る事はない。夜な夜な糧を得る必要も無い。
時折有れば良い、背徳の甘く熟す果実は、
私達は、それを味わう、血潮を、満ちる生の気を、全てを啜る事により、渇きを満たす事が出来る。
穢れなき、いにしえの種族、生まれながらに、風の姿を持ち得る私が、それだ。
……出逢う、一族の男と女が、そして愛し将来を誓う。そうして、脈々と密やかにこの世界で、生き延びている。
雑じり気等が無い、尊き純血の者、闇いろの風一族。
そして、古き良き神の名の元で、婚姻の契約を交わし、一族の間で産まれる純血の者は、何も恐れるモノは無い。
日の光りも、神の御印も、神の御言葉も……障りになどならない。清らな存在なのだから……
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赤いつるばら、カクテールに彩られる、美しい教会が、森の奥にある。
善良で、穏やかな若い司祭が、そこを守っている。
人々に愛されし、カクテールの館の若い司祭。人々を、光に満ちた神の御言葉で導く……
……闇の森で、夜半の風が吹く、
ひゅるひゅると、音をたてて、
ひゅるひゅると、と音をたてて……
じゅるりと、冷たく、ひゅうるりと、
獲物を求めて、ずぅるりと、絡み付く
それを求めて、密やかにざわと、吹き行く、
闇いろの風になりし、夜半の……私。
「完」




