眠りを妨げた者達
薔薇のつるが、四方八方に、縦横無尽に、あてどなく、さ迷い続けていた。
植えられていた、一重花咲く赤のつる薔薇が、のたうち回るように、触手とみまごう蔓を、外壁にはびこらせ、建物を飲み込む様に覆い育っている。
かつては、手入れをされ、美しく建物を、彩る様に仕立てられたそれだったが、世話をする手を失うと、枷を外されたかのように、
何処に向かうのも自由、自然のままに、奔放にたくましく、その本来の姿を取り戻していた。
ひそりと、建物を音なく歳月をかけて、飲み込み行く、カクテール。一重の可憐な赤の薔薇。
×××××
ある夜、少年、少女達が合わせて数人、時が、眠りについている、空気が漂うここへとやって来た。
階上で、笑いさざめく声、コトゴトと足音、それを挟み、時折、弾けた高い声も上がる。
静かで穏やかな闇が、それにより切り裂かれ、私の眠りを妨げた。
全く、困ったものだ。私はため息と共に、ゆるやかに目を覚ました。
一体、どれくらい眠りについていたのか……
まだ思考が眠っているのか、はっきりしない。
そう、たゆたゆとして、温かく、そしてとろりとした闇に、闇いろの沼か、とろりと生温かい……
私はその闇に、浮かんでいる、そんな感覚に包まれている……
×××××
旅に疲れはてた私は、ある御方の許しを得て、カクテールが覆われしここに、宿を借り、幾久しい時を過ごしている。
静かで、穏やかな闇に包まれた、一室に私の世界がある。
それを破った、侵入者達に私は少し苛ついた……
物音が、堪にさわる。声が耳から入り込み、心をざわつかせる。
……若い者が、持ち得る好奇心とやらに、動かされている彼等は、暴虐無人に、中に入り込み、あちこちを『探検』しているようだ。
幸い、私が休んでいる場所迄は、来ることもなく、彼等はかしましく、一通り内部を散策すると、外へと出て行った気配がする。
――騒がしいのが苦手な私は、若々しい、澄んだエーテルを放つ者達が、居なくなり、安堵のため息をもらす。
彼等の放つそれは、清らで甘い、深紅の薔薇の花の様な香りで、私の鎮まる心をゆさぶる。
全く、今の若者は……と私は年寄りくさくそんな事を思い、目覚めたにも関わらず、灯りを灯していない、闇の中で苦笑を浮かべた。
それにしても、ここは静かで清らと『あの人』はそう言っておられたのに、現実はずいぶんと違うらしい。
『ゆっくり休むといい』
そう言って、この場を与えてくれた『あの人』
今は何処におられるのか……最後に別れて幾久しい。
私は再び訪れた静寂に、ゆるりと身を任せる。
何故か、今宵に限り巡る血潮が、じわりと熱を持っているかの様……
はて、と考える。彼等の放つ香りを捕らえたからか、それとも何か他にも理由があるのか……
それは私にとっては、不快な感覚。と同時に生理的現象か、酷く渇きを覚えた。
立ち上がると、もう入ってくるまい、と燭台に灯りを点す。
そして同じテーブルに置いてある、古めかしい瓶に手を伸ばし、とろりと濃い赤の葡萄酒を、グラスへと注ぐ。
そして一口含み、舌の上で転がし生まれ変わるそれを味わうと、目を閉じ喉の奥へと送る。
ゆるりと下る赤、深い薫りが私を包む。そして思い出す。若者達が話していたことを……
……ああ、今宵は聖夜か……私が産まれた夜ではないか、合点が行くのと、疑問が生まれる。
妙だ。今まで聖夜等、幾度となく送ってきた。
何もなかったではないか、血潮が熱を持つことも、こうして心がざわめく事も……
何か有るのだろうか、そもそも若者が忍び込む事など、よくある事。
昼間にはもう少し年端の行かない子供達が、宝物を隠しに来ることも、有るというのに。
私は酷く気分が悪く、そして渇き、並びに高揚する不可思議な感覚に陥っている。
それもこれも、先の暴虐無人に入り込みし者達の置き土産、と忌々しく思いつつ、二口三口と飲み進める、深い赤の色。
目を細め、グラスに残りしそれを、灯りに捧げ眺める。灯りが入る事で、ゆうらりとした色が、鮮やかになる様。
それを確認すると、一息に仰ぎ飲む。しかし、全て干しても、渇きは解消される事はない。
これはどうした事だろうか、私は無性に夜半の風に当たりたくなった。
ああ、彼等はこの地を離れたであろうか、私は無性に夜空を眺めたくなった。
普段は、外へ出る事など、思いもせぬのに……若い、清水の様な、溌剌とした気に、あてられたのだろうか……それとも、
もしや今宵は、私を包む青星の光が、薄くなっているかも知れぬのだろうか……
それはもう少し時が経てば、離れてしまい、見にくくなる、青に寄り添う白の星、私の守り星。
この星の、宇宙の揺らめきが静かな時に、密やかに『青星』に寄り添う『しろ』が、見えると言う。
青星の放つ光が、白星迄僅かに届かない、その様な時が、あるという。
もしやしたら、今宵がそうなのかもしれぬ。
なので、こうも心が目覚め、冷たい体が熱を帯びている事も、納得が行く。
そんな事など、日々が過ぎるなかで、よくある現象なのだが、今宵は聖夜、特別な夜。
そう私が産まれた日。それと星の揺らめきが重なったか……天の、否や闇の世界の神の悪戯か、悪巧みか、
次第に、晴れ渡る脳裏に、思考が、言葉が、欲望が、産まれ広がって行く。
しかし、何れにせよ『鍵』が響かぬ限り、私の静寂は破られぬ事になっている。
聖夜、星の揺らめき、決して、響く事の無い『一つ』それが全て揃わなければ、この安寧を破る事は……無い。
×××××
普段なら、この部屋から、出る気分にはならないが、揺らめきの夜ならば、この建物内部ならば自由にさ迷える。
窓から夜空でも眺めようか……そんな事を考えながら、燭台をかたてに、私はドアを開き、階段を音なく上に上にと進む。
……時折入り込む者達がいるのは、物音で知っている。
他愛の無い、無邪気な願いを叶えるために、宝物を捧げにくる子供たちは、明るし時に……
そして夕を過ぎれば、人目を拒む恋人達、先の様な好奇心に満ちた者達、が希に訪れている。
極ごく、たまにだが、美しい花を飾り、埃を払い、香を焚き帰る人がいる。
そして帰り際には、祈りを捧げる、そんな人が、ここに来ている事は、何気に知っている……
私は、今迄、侵入者達がいたらしい、部屋の扉を開けた。
そこは灯りはない、闇が満ちている無人の室内。
そして、誰かが捧げた、花の香りが満ちている闇の室内があった。