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60.

ボドワン伯爵一家は、まもなく伯爵領に入るという森の中で魔物に襲われたのだと聞いた。

その当時、カルディシア国内でもトライシュラから遠く離れた地域では既に魔物による被害が多数出ていたが、王都近郊ではまだそれほど深刻な被害は出ていなかったから、ボドワン伯爵も移動にそこまで厳重な警備をつけてはいなかった。


御者を含む数少ない従者も、ボドワン伯爵一家も、全員が無残な有様だった、と伝えられた。



そしてヴィオレッタの婚約者であったエドガールの元に戻ったのは、ヴィオレッタが身に着けていたとされるドレスの残骸。

スカートの一部分だろうと、思われた。

大部分が赤黒く染まってしまっていたけれど、ところどころ元の生地の色が残っていて、それは間違いなく母親と選んだ、光の加減で色が変わって見える淡いピンク色だった。


このドレスを着て行ってたのかと。

着いてすぐに祖母にドレスを見せたくて、王都から着て行ったのだろうなと、ぼんやり思ったのを覚えている。


きっと身に着けていたドレスがそのドレスでなかったら、エドガールはそれがヴィオレッタの物だと信じる事など出来なかったに違いない。

その色合いは、本当にヴィオレッタのドレスなのかと疑う事も出来ないくらい、その残骸が "ヴィオレッタのドレス" だという確実な証拠となる "布切れ" だった。



ボドワン伯爵家の馬車が発見された時には、既に亡骸を回収できるような状態ではなかったらしく、一家の葬儀は空っぽの棺で行われた。

正直、エドガールは葬儀の事は──というよりも、その頃の記憶があまりない。


ただ、ヴィオレッタの棺にそのドレスの残骸を収めた事は、何となく覚えていた。



王都からボドワン伯爵領までは馬車で移動しても一日──朝に王都を出発すれば夕刻には到着出来る程度の距離だった。

まだ魔物の増加がそこまで深刻なものとして扱われておらず、どこかのんびり構えていた王都に住まう貴族達に、魔物の危険さと、その危険が間近に迫っている事を知らしめる事件となった。


この事件を機に、王都でも魔物への危機感が、一気に跳ね上がった。




「それでも誰かのいたずらなんじゃないか、とかさ……。ある日ひょっこり『エド』って、笑いながら会いに来るんじゃないかって、一年くらい思ってた」


だけど当然ヴィオレッタが会いに来る事はなく。

最初は同情や哀れみのこもっていた周囲の視線も、2年、3年と経つうちにそんな色はなくなって、

そして同じ年頃の娘を持つ親や当の娘たちから"次"を狙う空気が漂い始めた。


「そんな空気もあるし……何より、俺自身の記憶が薄れてるって、気付いたんだ」


 ヴィオラがどんな風に笑っていたか。甘える時は。 拗ねる時は。 怒った時は──……


忘れているわけではない。

今だって微笑むヴィオレッタの顔は思い出せる。

けれど、少しずつ、確実に、記憶の中のヴィオレッタに霞がかかり始めていて、細かい表情までは思い出せなくなってきている。


その事実に気が付いた時、ようやくエドガールはヴィオレッタがもういないのだと、理解した。

理解はしたけれど、だからと言ってすぐに気持ちを切り替えられるほどエドガールは器用ではなかった。


だからまずは、ヴィオレッタの事を言われても平気な顔をしていられるようになろうと思った。



「いるんだよな、結構。『何年も前に死んだ令嬢の事など忘れて』とか言う奴。そういうのはさ、そうですねって笑ってかわせるようになったんだけど……。ミリアからの前振り無しのど真ん中は、キツかった。しかもミリアは、本当に何にも知らないから、余計に」


顔を上げて腕の上に顎を乗せると、エドガールはぼんやりと前方の景色を見つめて、あーあ、と溜息のような呟きを落とす。


「俺、どれだけヴィオラの事好きだったんだろうな……」


そんなエドガールの呟きに、クラースが当時を思い出して小さく笑う。


「こちらが見ていて、胸やけしすぎて色々吐きそうになるくらいには」

「……9歳児でそこまで?」

「それくらい……この二人は一生こうして仲良く幸せに過ごすんだろうなと、9歳児でも信じて疑わないくらいに、両想いでしたよ」


クラースの言葉に、エドガールは再び俯く。


「泣かせんな、バカ」

「むしろ号泣してみて下さい。どうせ一度もまともに泣けていないのでしょう?──いつまでもこんな調子のエドを見たら、ヴィオラが泣きますよ」

「俺、ヴィオラを泣かせた事ないのになぁ……泣いてるかな」


呟いたエドガールに、クラースは空を仰ぎ見ると、きっと、と返す。


「ヴィオラは……泣く時も静かに涙を零すんでしょうね」


クラースがそう言うと、エドガールも一番堪えるやつな、と苦笑する。


「『女の子を泣かせるような男はサイテー』だっけ……?」

「フィーリア嬢は、そう言ってましたね」

「じゃあ俺、もうずっとサイテーな男だったんだな……。余計にフィーリア嬢に嫌われそうだ」


力なく笑うエドガールに、クラースは壁から背を離すとエドガールの後頭部をくしゃくしゃと掻き混ぜる。


「忘れろなんて言いません。僕だって忘れる事なんて出来ませんから。けれど──少しずつでも良いので、前に進んでみて下さい」

「──あぁ」

「まずは泣くところからだと言うなら、肩でも胸でも貸しますよ」

「いや、それは要らない」


少しだけ震える声で、けれど即答したエドガールの後頭部を、クラースは今度はぽんぽんと叩く。


「でしたら、僕は先に戻っています」


「────悪い」


いいえ、と言って踵を返したクラースの耳に、小さく「ありがと」という呟きが届いた。


その呟きに、クラースは片手を上げるだけで応える。

見てはいないだろうけれど、エドガールには動きだけで伝わっているだろうと、クラースはそのままその場を離れて室内へと戻った。



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