005──缶けり・3~I'm Winner.~
──陸:玖:拾漆:拾玖
謎の少年に助けられた命を、そう易々と手放す気はない。と言うか、死ぬ気は毛頭無い。何よりも、筋肉だるまに殴られて逝くなんて事は絶対に。
眼前に立ちはだかる巨躯は、今まで自分が乗り越えたあらゆる困難よりも厳しい。母親が帰宅するまでの父親との野宿なんて比較にすらならない。俺の力じゃ無理矢理あれを押し退けるなんて不可能だ。期待だって散々裏切られたし、もう諦念はついている。
筋肉だるまに対して、俺の有効だった行動。──持ち前の身体能力と、奴に比べて低い俺は的が小さい蝿も同然。動けば狙い撃つのはさぞ困難を極めるであろう。しかし、それは森林のような木々に囲われた場所だからこそである。セントラルタワーは周囲が見渡せる開けた地形。加えて、そこへ向けては緩やかな上り坂となっている。地勢もなく、今や何が味方なのかも判らない。少年の助勢を断った以上は、俺で完遂しなくては示しがつかないのだ。アイツは何をしている……ホントに殺られてしまったのか?
「ゴオオオオッ……!」
考える暇はない。
俺は出来る限りの低い前傾姿勢で駆けながら、水エリア付近へと迂回しながら接近していく。俺を追って、タワーの周りを歩く奴からは視線を離さずに、足元の濡れた砂を一掴みした。これが決め手になるかは知らない。だがそれでも足掻くだけだ。
急ブレーキを掛け、方向転換。
その先は、セントラルタワーに一直線である。怪物と真っ向勝負。ただの一般男子校生と謎の怪物の果たし合いが、遂に終わりを迎えるであろう。実際に、もう躱わす猶予もない距離まで来ている。一手違えれば、それが自分の死に直結する。
振りかぶられた右足が視界の隅に映る。その刹那に、俺は手元の砂を投じた──怪物の顔面、やや左側に向けて。
人間の投擲など、こんな奴に通じる筈もなく、事も無げに躱わされた。首を右に傾げて、最小限の動作での回避。これが狙いだった。目隠しをされれば狙いが狂う。だから、避けると予想してた。
首を傾けたのは右、振り上げて宙にあるのは右足。重心は少し傾き、あと一押ししで倒れるであろう。揺るがぬ城の支柱はいま、眼前で無防備に晒されている。
俺は滑り込むように筋肉だるまの足下へと潜り込み、回し蹴りで膝裏へと打撃を加えた。太い脚が、簡単に折れ曲がる。人の体でなら、膝裏の中心を叩くと相手を座り込ませることが出来たりする。
筋肉だるまの上体が反れ、振られた足は制御の効かない暴走車の如く、上空へと突き上げられる。空気が唸る。その威力に体ごと巻き込まれ、セントラルタワーの前に倒れた。
横に伸びた筋肉だるまの腹部を踏み台に、缶へと跳躍する。追い縋る太い剛腕が、背後から発射されたのを感じた。だが怯んではいられない。ここを逃すようなら俺に二度と勝機はない!
片足で着地。缶まであと一歩。既に蹴り上げる予備動作に入っている。
あとコンマ二秒で爪先が到達する。固い感触が伝わった。背中から冷や汗が伝う。
頭上を筋肉だるまの拳が通過した。倒れた上体から、無理矢理出した攻撃は的を外れたのである。死の直撃を免れた。セントラルタワーの上半身が瓦礫と化す。
「よッ──しゃぁぁああ!!」
渾身の力で振り抜いた。
空振った。俺の蹴りも、着地と同時に無理な体勢だったらしい。渾身の、と言うか痛恨の空振りである。
まだ終われない。
筋肉だるまは身を起こす。
俺は振り回された体を引き絞り、缶を挟んで奴と正面対立。
「ゴルァァァアゥッ!!」
「日、本語でお願いしますッ!」
怪物の突き足。直撃すれば胴が消し飛ぶ。トラックとの正面衝突に等しい。
地面に伏せた。
炸裂音。セントラルタワーは見る影もない。ただの「缶けり」によって、中央公園の象徴は跡形もなく消し飛んだ。
構っていられない。
足払いの要領で、再度缶を狙う。
同時に、地面を薙ぎ払う暴風が如し筋肉だるまの蹴りが、反対側から迫っていた。缶を無視した奴の脚部と正面からの激突。既に全力を込めたそれは停止不可能──必中不可避!
先に届くは俺の足か。それともブサイクだるまか。
俺の足が先に届き、缶が宙に跳ね上がる。
安心はできない。
一寸先の未来に、足を失った俺の姿が脳裏に浮かび上がる。肉だるまは止まる様子はなく、既に理性を失った獣の形相で攻撃を遂行する所存だ。躱わせない……
「よくやった──サカキ。」
聞きなれた声とともに、空から降り立ったアイツが怪物の足に着地する。それは最高速度に達した自動車に、発射された弾道ミサイルが垂直落下で激突したも同然の威力。
目の前で筋肉だるまの足が地面に踏み押さえられる。壮絶な力の拮抗は行き場を失って、辺りの地面を爆散させながら風と共に塵を撒き散らした。当然、俺もそれに吹き飛ばされる始末である。
地面の上を転がり、打ち付けた体を擦りながら起き上がった。前から思ってはいたが、やはりアイツは本物の化物だった。
土煙が晴れ、その全貌が曝される。筋肉だるまは空を仰いで倒れ、その近くのベンチに優雅に腰掛けるアイツを発見した。何だか間の抜けた画に失笑を禁じ得なかった。
「遅ぇよ、お前。何してたんだよ」
「ごめん。水エリアで遊んでいた」
「冗談は休み休み言え」
今はじめて呼吸が出来た気がする。吸った空気が全て新鮮に思えて、胸の内で蟠っていた熱ごと呼気とともに吐き出した。疲労、不安、恐怖がすべて霧散していく。
筋肉だるまが呻いた。足を踏まれたのが痛かったのか。
俺は立ち上がって、取り敢えず歩み寄った。その顔を覗き込む。四つの眼球もまた、俺の方へと一斉に向けられていた。瞳孔から光線でも放ちそうな眼光の鋭さは、見慣れたからこそ判断できるものがあり、そこに柔らかい感情が内包されていると察した。
「俺の勝ち、で良いよな?」
筋肉だるまが首肯する。デカイな。
「今後一切、俺を狙わないこと」
暫くして頷く。迷うなよ怖いから。
「それと、明日からお前も土手に来い。丁度、人数的に遊べる物がなくなってきてたんだ」
「ゴウ?」
「異存は認めないぞ、良いな?」
怪物は顎を引いて頷いた。
ゲーム「缶けり」・・・決着
・勝者──戸番榊、“???”
* * *
「なあ、何で最後になって来たんだ?」
「ん?」
俺の家に向かう帰宅への道中、訊ねてみた。最後に登場するまで、缶を狙う訳でもなく、ただ何処かで俺を見守っていた理由。結果的に最後まで俺一人(少年の助力は除外したとして)で戦った。
もし、理由が面白そうだったからなどと言われても、もう怒る気力すらない。精根使い果たした気がするし、帰ったらシャワーを浴びてすぐに眠りたい。
アイツは少し思案げに悩むような仕草をすると、俺の肩を叩いた。
「隠す必要も無さそうだし。
多分、これから君をあんな理不尽が幾度となく襲うと思ったんだ。それを乗り越える為の力があるか、見定めたかったんだよ。
勇気のない奴に、僕は協力したりしない。今回はそれを見定めさせて貰う良い機会だった」
「……で、結果は?」
「それが、あららビックリ!満点の合格さ。現に謎の少年の助けを断った時点で、既に最高点を叩き出してる」
「俺も正気じゃないとは思ったけど、あれだけ真剣に挑まれたら誠意で応えなきゃ駄目だしな」
「で……あの少年はどうしたの?」
「?さあ……どうだろう」
あの後、筋肉だるまとは解散して公園を去り、特に寄り道もせずに器宮へ帰ってきたのだが、あれ以来あの子の姿を見かけない。帰り道には、あれだけ忽然と姿を消していた人々もいつも通り、恰も俺達がおかしいかの如く平然と過ごしていた。
「今回は中々、神秘的な体験だったわ」
「ねえ、そろそろあの秘匿されたページ、読ませてくれない?」
「お前、盗まない?」
「少なくともそんな事しないから」




