プロローグ
人は期待を裏切る結末を前にすると、必ずこう口にする。
──あんまりだ。
──こんなのって無い。
絶望すると他者を妬み、恨み、時に無関係な人間にまで余波を与える。
それが波及していく事で悲劇の登場人物は脚本により名前を列ねていくが、いつか悲しみの波が凪いだ部分に仕切りの柵が完成し、勝手に中に舞台が築かれる。
過去にあった話として、永遠に保存されて人の口から語られると、機会仕掛けのオルゴールさながらに起動して始まるのだ。
けれど、登場人物が体感したほどの悲しみは無いのだ。
──ああ、そうなんだ。
──そりゃ、つらいよな。
どうあっても傍観者にしかなれない。
当事者になるには、自らのいる世界で悲劇を描き続けるしかない。それでも、やはり観た物語とは違う訳で、また独自の悲しみを作って、それがまた誰かに語られる別の物語になる。
この連鎖を見て、中に嗤う者が現れるのだ。
例えば、こいつは道化師とする。
道化師は当事者だった経験があって、物語の中でも傍観者として過ごしており、素知らぬ顔をして他人に自分の経験した悲劇を聞いてみる。
第三者の観点で語られる悲劇、そこに居合わせた己の奇跡と奇妙さに可笑しくなる。
俺はそんな道化師が許せなかった。
でも、何処にそんなやつがいるのか判らない。
当事者は無自覚に、物語を進める他にないのだ。
だから、物語になるかもしれない…………この“今”を必死に走るのだ。
だから、退屈になんてならない。
「今日は静かだな」
だから……。
その静寂も。
退屈も。
「退屈な日々は、終わらせよう」
──愛すべき物語を進める一幕に過ぎない。
読んで頂き、誠に有り難うございます。
バイト(?)編、指導です……!




