001──幕引きは唐突~Abrupt end~
──漆:拾:玖:肆拾──
市民会館にて催された三人の宿泊会より、数日を経た土曜日。我が器宮東高校のグラウンドは真夏の日差しに加え、グラウンドの熱気を滾らせる人々の気勢に今にも校舎が燃え上がらん勢いである。
俺──戸番榊もその一人であり、四色に分かれた団体戦に臨むべく、与えられた赤の鉢巻を後頭部で堅く縛った。無論、ここで眼鏡を忘れるほど落ちぶれてはいない。この戦場では何としても譲れない理由がある以上、全力で戦う為に必須装備。全力を発揮する時までの抑制機がこの眼鏡だ。
赤、青、白、緑の配色での団体、今年は路鉈高校と合同開催とあって気合いも例年を遥かに上回る。普段見慣れぬ顔と一緒にグラウンドで集合する風景は、こちらの注意を曳くのには事欠かない。
俺と朝陽は赤、桐花は青という……まさか桐花と対立する羽目になるとは。いや、実質男女別競技もあるから直接対決の機会は中々無いだろう。
天下に集う戦士を厳しく照り付ける太陽は、蒼空より睥睨している。今日は熱中症の危険もあって、学校の各部に飲料水の提供体制が敷かれ、これには有り難いと学生が益々躍起になった。俺としては、鎮痛作用のある秘薬を水筒一杯に満たした物を持参しており、我が親友の敷波桐花曰く身体能力への影響は無い故にドーピングでは無いとの事。……先ほど、ちろりと舐めてはみたが苦味が半端無い。
さて観衆も集合し、開会式が始まろうとする時頃に俺は自分の所属する一団の作った列へと混じる。炎天下で人口密度が高いと、それだけで気概を削がれてしまいそうだ。現に、登校時は絶対勝利を目標にすると嘯いていた大樹も下を向いて嘆息していた。
俺の居る位置は、白の列に面する場所であり、少し後ろへ振り返れば、其処にこちらへ不敵な笑みを浮かべている広瀬翔が居る。余裕は感じられないが、その変わり気負いも無く、堂々とした戦士の面構えだ。さすがに俺の傷には気付いて居ないだろうし、惜しみ無く全力で来るに違いない。
最後に身嗜み確認の為に実行委員が列の一人ひとりを検査して回り、丁度良く俺の所へは朝陽が来た。何だか入念に襟やら裾やらを調査されている……まさか、卑劣な手段使ってでもデートに行きたいとか思われてるのか?
「何も仕込んで無いみたいね」
「ふっ、甘いな朝陽。お前は一つ見落としている」
「え、何が?」
「この眼鏡に、どんな秘密があるかを」
「では次の方へ」
「聞いてよ!?」
おい、俺の眼鏡調べろよ!?
もしかしたら、睡眠薬を塗り込んだ仕込針があったりとか、熱感知の機能とかあるかもしんないじゃん!広瀬を『眠りの◯◯◯』にするかもしれんぞ、学校で事件始めちゃるわ。
擦れ違い様に、そっと朝陽が小声で耳打した。
「約束、守ってよ」
「……おう、任せときな」
通過する朝陽にそう言って、俺は開会の言葉を述べる校長に意識を集中した。代表の生徒が声を張り上げて何やら訴える中で、何故か三年生の面子の中で青の大将を務める桐花の快活な声が響く。
どっと歓声が音圧を伴うほどに沸いて、俺は思わず耳を塞いだ。この短期間で一体人望をどれだけ集めたのだろうか。その部分に関して謎だったが、何か短パンの裾から覗く足が艶かし……後で注進しておこう。
……それにしても──アイツは観に来ているのだろうか?
* * * * * * *
現在進行形で競技が恙無く済んで行く。
エース同士の一騎討ちもあったりと、観衆を飽きさせない戦況。放送室から観戦し、解説席の広報委員の奴等も途中から早口になって、何処の国の言語を話しているのかと錯覚してしまう。何か始終一人で盛り上がってる奴等も居た。
大樹と一緒に歩いて自販機を目指し、財布を片手に歩いていた。最初に『玉入れ』の競技に参加した俺達だったが、差して疲労していない。体力を温存する為に程々に努力する戦法で挑んだ結果、篭に容れた総量は三位。微妙なこの順位には再び己の戦術を再考する必要性がある。
そちらの事は指揮官を自称する連中に委任して、合間の休憩を楽しんでいた。
「にしても、結構人が集まるな」
「これだけ多いと、気分も高まってくる」
「つまり、犯罪の温床だぜ」
「冬の満員電車の菌みたいだな」
確かに、こうして人の熱に当てられると、平生穏やか人柄の人間でも、突然予想外の行動に出る傾向がある。理性による抑制が緩み始めるため、犯罪への抵抗感などが希薄になり易い。一般的な例を上げるなら、他校との交流とあってナンパだったり、人混みを利用して痴漢したり。対象として周囲とは異彩を放つ存在、可愛かったり挙動不審だったりとか多種多様。
そうなると、朝陽や桐花が心配になる。二人はお世辞抜きでも可愛い女子だからな、進学校の路鉈高校に粗野な連中が居るとは思い難いが、そこら辺も考慮して職員達の見回りが厳戒である事を願う。
「サカキ、お前良いのかよ?」
「あん?馬鹿野郎、俺はこの眼鏡に懸けて犯罪はしないと誓う」
「いや、そっちの話じゃなくてだな……霧島の近くに居なくて良いのかよ?この間にも、広瀬翔の猛攻は続いてっかもしれねぇぞ」
「…………猛攻、ねぇ」
この間も何も、ずっと前から奴は猛烈なアピールを始めてる。確かに勝負の場を設けてまで手に入れようとしていたが、それは交際を条件にしたのであって、それまでの期間に何も手出しはしないと考えられない。
朝陽には好きな男が居る。そう本人から聞いたが、きっとそいつは以外に鈍感なのか、或いは朝陽が好意を隠すのが上手いのかもしれない。恋愛には彼女も奥手なのだ。俺がその恋路を邪魔する奴を片っ端から倒すのも、助けるにしては度が過ぎたお節介。
俺はできる限りは見守るスタンス。それまでは別に、悪意がなければ朝陽に近付くのも容認しよう。
「お前ってさ、本当に霧島の事好きなのか?」
「それは無いな、朝陽は親友だし」
「……ああ、そう。これ言ったら霧島に悪いけどよ、よく聞けよ?」
「あ?」
大樹は少し口を閉ざす。
周囲の歓声が収まるのを待って。
「霧島はお前の事、超好きだぞ」
「………………ないない。朝陽からしても、俺は手の掛かる弟で」
「クラスメイトも気づいてる。特に、霧島親衛隊(霧島の友達)はお前の思わせ振りな態度が気にくわなくて攻撃してんだぞ」
いや──あり得ない。
中学三年以降、俺達は友達だった。他のクラスメイトもきっと勘違いを……いや、俺がしてるのか?朝陽の部屋の写真、俺も飾っているから親友との友情を深めた品だと思っていたが、あれも違う意味を含むのか。
情報通な大樹から言うと鵜呑みにしてしまいそうになる。
「霧島なりのアピールは何度も見たぞ。お前に近付く女の子に嫉妬して、露骨にお前へ少し意地悪したり、女子じゃ一番愛想尽かさず接してるじゃねぇか」
「だとしても、だぞ?告白とか、その、そういうの無いし」
「そりゃお前が原因だ。恋愛に興味無ぇとか、人助けに夢中だとか、丸っきり振り返る要素ゼロじゃねぇか。突き放してんのお前だぜ?」
「……大樹、そんなに俺の事を想って」
「ふざけんな、真面目にしろ」
いつになく真面目な雰囲気の大樹に気圧され、俺は口を噤んだ。いま一番状況を軽視しているのは、人の想いを軽んじているのは──俺だ。
「俺に、ハッキリしろってか?」
「そうだろ、敷波さんとイチャイチャしてるの見て、楽しそうだなぁって遠目で見ながら少し辛そうにしてんだぞ」
「よく見てるな」
「だって俺も好きだしな」
大樹は気さくに笑って見せた。
桐花とイチャイチャ、だから別に……そう否定しても、周囲から見えてしまうのか。朝陽が俺を想ってくれていると仮定すると、今までの自分の言動を顧みれば勘違いを招いたり期待させたりと、随分酷い真似をしたと自覚する。
もし、本当に朝陽が俺を……。
「頼むぜ、霧島が一番嬉しそうに笑うの、お前と居る時だけだぜ」
「そう……なのか」
思い返す朝陽の笑顔は、どれも眩しい。
それに救われて来た事は何度かあったし、きっとこれからもあると断言できる。俺は考えるべきなのだ、朝陽との向き合い方を。喩え朝陽の好きな人が誰であっても、彼女を好きだという大樹や広瀬翔の為にも、立場や気持ちを明瞭にする。
俺が求められているのは、そこだ。
ふと、正面から何かと衝突した。
相手は体が小さいのか、胸の辺りにその額がめり込んで思わずうめく。自分は倒れるのを堪え、逆に支えてやった。
下を見れば、そこに白髪に小麦色の瞳をした少女が立っている。
「よう、大丈夫──」
「見つけた、戸番榊」
瞬刻。
俺は腹部に鋭い痛みを感じた。次いで、目前に赤く水が噴き上がって、意識が遠退く。
「サカキ!!」
大樹の悲鳴を聞きながら、薄れて行く視界に捉えた少女の微笑を最後に、瞼が完全に閉ざされた。