003──決闘の申し込み~Why don't you?~
──漆:壱:拾弐:肆拾捌──
七月初めの木曜日──。
強く照り付ける太陽の光を反射し、眩い輝きを帯びた屋上の床は、腰を下ろすだけで熱湯じみた熱さで臀部を焼く。梅雨を抜け、晴天の空の彼方に入道雲が厳然と屹立する。こちらに向かって悠然と進んでおり、もうすぐ此所も豪雨に見舞われるだろう。
俺と桐花は、わざわざパイプ椅子を空き教室から拵えて屋上に弁当を持ってきた。何の目的でかは知らないが、屋上に放棄された机を使って、欄干の傍に配置する。二人の弁当は同じ、中身は少し違うけど調理したのは俺だ。
これでも家事全般はできる、執事系男子だぜ?尤も、母親の料理が壊滅的で父も働いてるから身に付いたんだが。
いつも俺と一緒に登校している桐花の分まで作っている理由……それは、桐花もまた料理が下手で材料が良質であっても謎の物体を生産するばかりだ。
もしかしたら、指先で触れた物質を爆弾に換える能力でも宿っているのか……『キラー◯イーンッ!その鍋の上の具材を爆破しろォ!』的な。
そんな理由あって、二人分を作っているが全然苦ではない。何より、作った飯を目の前で旨いと言ってもらえるのが、こちらとしても嬉しい。
「僕もご一緒して良いかい?」
飄々とした声音で、欄干の上で器用に中腰で姿勢を保つアイツ。片手には風呂敷に包んだ弁当箱、まさか自分で作ったのか。
いや、それよりもどうして学校に?
こちらの返答も聞かずに、アイツは欄干に腰を下ろして弁当を展開する。「尻があっつい!」とか叫んでるが、まあ当然だな。
「お前、その弁当は?」
「作ったよ」
「マジか、料理出来たのか」
「うん、サカキが置いてた弁当の残りを適当にぶち込んだんだけども」
「俺の感心を返せ」
相変わらず、人の期待を裏切りやがる。
桐花が楽しそうに笑って、俺たちを眺めている。あとは此所に筋肉だるまが居れば、いつものメンバーが揃うのだが、あの巨体では流石に学校は無理だ。ていうか、町中を歩くだけでもかなり目立つだろ。
……そもそも、あの怪物は何なんだ?それと含めてコイツも。それに桐花も、討伐家だか何だか言っていたけど、未成年が日本で拳銃を装備とかかなりヤバい。
「なあ、筋肉だるまって、どんな生物なんだ?」
俺の質問に、二人が腕を組んで唸る。
質問されたくなかった、というよりは、どう説明すれば良いかと悩んでいる。そうだろう、あんな不可解かつ不条理な生物、そもそも生き物なのかすら判じられない存在を、ド一般人である俺へ上手く伝えるなんて相当困難だ。
というか、アイツに関しちゃ悩んでるフリだった。一々、腹立つなコイツ。
「本来は一般人が関われる話じゃ無いし、そもそも見える筈がないんだ」
「見えない、って?」
え、あれは幻覚の類いなのか?にしては迫力あり過ぎだし、実際に爪痕を大きく残してる。
「彼等は“意魔”、と呼ばれる。
人間の深層心理に潜む感情が権化したモノなんだ。形は千差万別、特定の種として限られるとすれば、それは出産された際に根源であった感情だけ。
普通は人に見えないモノで、よく町を徘徊してる。特に夜なんかは多いかな」
意魔──そんなモノがあったのか。
ファンタジーな要素に、まさか現実で遭遇するのは思いもよらなかった。心躍る冒険ってよりは、心臓を物理的に握られるような恐怖感の方が鮮烈だけど。
「世界に何億と存在していて、穏やかな奴もいれば、人を襲う個体も居る。ボクみたいなのを『意魔狩り』って言って、後者を優先的に処理するのが仕事なんだ」
「ふーん、じゃあトーカは何かの任務で来たのか」
「うん、実は最近だけど、叶桐市でよく凶暴な意魔が出現するようになったらしくて。それで今回、ボクともう一人が派遣されたんだ。
ボクが器宮町担当、もう一人は路鉈町」
若くして仕事人、それもあんな化け物を相手取った命懸けとは。まあ、化け物を退治するくらいだから、人離れしてても仕方ないよな。
編入してから、敷波桐花は才覚を現した。
運動神経抜群、学力優秀で、友人関係も大きく広い、教師からも直ぐ様信頼を寄せてしまった。しかも、これが僅かな注意のみを心掛けただけの、ほぼ素の状態で成したのだから恐ろしい。
だが、幾ら多くの友人ができても俺達を蔑ろにせず、寧ろこっち側をよく頼ってくるのが嬉しい限りだ。
表は才色兼備な美少女、裏では化け物討伐家。
なかなかミステリアスな雰囲気があって魅力的だな。普通に字面だけでもカッコよく見える。
「普通は見えないんだろ?なんで俺は見えるんだ?」
「うーん……確かに、見える人、見えない人って居るよ。前者の条件は、“まだ意魔を作り出した事がない”、“意魔によって攻撃された”。二つ目はやられても可能性低いけどね」
「じゃあ、俺は何で見えるんだ?しかも、どうして襲われる?」
「うーん……何でだろう」
顎に手を当てて考える桐花の横で、アイツがけたけたと笑っていた。解答を知っている素振りを見せるが、聞いてもきっと不真面目に流されるだけだ。
「サカキが狙われる理由は、僕の所為だよ」
突然、アイツが話し始めた。
「訳あって僕は意魔に狙われる体質でね。一緒に居る人も対象にされちゃうんだ……詳しい事は、まだ言えないけど」
「……一体、何者なんですか?」
桐花が少し顔を険しくさせて問う。
当然だ、友人が巻き込まれていて、それを良しとして笑う奴がいれば正気を疑うだろう。
アイツは両手を広げ、後ろへと上体を反らす。落ちるか否か、その境で体を静止させ帽子を胸に抱く。
「名前は無い、ただサカキの親友ってだけさ。彼の行く末を、前進を、葛藤を見守る傍観者さ。気持ち悪いし、迷惑だっていうなら去るけど?」
その体勢を維持しながら、何の迷いや澱みない口調で言った。
迷惑なのに変わりはないが、正直に俺はコイツとの生活が凄く楽しい。退屈な日々に訪れた大きな吉兆、それを今さら中途半端に放棄するほど廃れてはいない。
「なら確り見とけよ、何が見たいかは知らんが」
「良いのかい?前にも言ったけど「理不尽」をいつだって被るよ」
「やるだけやるさ、戦い抜いてやる」
「その果てに何もなくても?」
「もう既に桐花やお前、筋肉だるまが居る。何もない筈がない、最後まで行く」
アイツは跳ね起きる。指先で帽子を打ち上げると、器用に頭の上に載せた。
「退屈な日々は終わらせよう」
桐花は諦めて箸を進めた。
昼休みの時間はまだまだあるが、太陽の下にずっと弁当を晒すのも良くない。俺も急いで食べた、アイツが横から箸を入れてくるのを必死に回避する。
残り十五分、というところで全員が完食した。
桐花のご満悦な様子と満腹感に深く息を吐いて、欄干の下にあるグラウンドを見下ろした。何気無く投げ掛けた視線の先に、二つの人影が立っている。興味本意に目を凝らしてみると、一人は見知った顔──朝陽だった。
そしてその正面に立つのは、金髪の目鼻立ち整った美少年だ。こうしていると、二人は理想のカップル像みたいだな。周りに花畑の幻影が見えなくもない。
ふと、こっちを見上げた朝陽と目が合った。
その時には、アイツも姿を消してい……なかった、熱さも忘れて床に寝転がっていた。
「おーい、朝陽!こっち来て一緒に話そうぜ?」
「あ……うん、すぐ行く!」
朝陽は美少年と少し話してから、二人でグラウンドを去った。何だろう、告白かな?
あいつもやっぱり恋に恋する女子だった訳か。暫くして、屋上に二人が現れた。……あれ、何でこの男は朝陽と一緒に?
「よ、何してたんだ」
「体育祭実行委員よ。今年は路鉈高校と合同でやるんだけど、会場が此所になるから」
「うへー、大変だな。手伝える事あったら言えよ?」
「うん」
朝陽が破顔したが、桐花と目が合ってすぐに顔を引き攣らせる。やっぱ、最初の自己紹介から続いて俺と常に行動してるから変に疑われてるのかもな。
すると、金髪の美少年が一歩前に進み出た。
「初めまして、オレは路鉈高校の体育祭実行委員の広瀬翔。君があの有名な戸番榊くんだね?」
「え、有名?それって良い噂?」
「うん、巷じゃ有名だよ。誰にでも手を貸す、心優しい少年だって」
そりゃ嬉しいな。
桐花も一礼して名乗った。
「ごめん……もしかして、お邪魔だったかな?」
「全然、丁度さんに……二人で話してたから」
危うく三人って言うところだった。アイツの存在は、きっと二人には見えてない筈だから。
しかし、金髪の美少年も朝陽も、床に仰臥するアイツを見た。
「……あれは、一体……?」
「気にするな、学校の精霊だ」
「いや、不審者じゃ」
「安心しろ、あれは昼寝中だ」
「通報した方が良いと」
「早まるな、奴は悪人でない」
何故に見えるんだ~?
桐花に目配せするも、彼女も判らないという様子だ。──意魔じゃないのか、だとしたら何者なのだろう。俺を怪物の見える世界に巻き込んだのも、きっとアイツの仕業だ。
桐花でも分析不可能らしく、いま考えても正体の解明は無理だな。材料が少ないし、本人があの調子だと無為に思えてくる。憂いも怒りも感じさせない仮面と性格、果たしてそれが暴かれるのはいつだろうか。
金髪の美少年──広瀬翔が怪訝に見詰めていたが、やがて俺に視線を戻すと、その端整な面差しを真剣な表情にさせる。え、何だよ。そんなんじゃなくて、もっと楽しくて軽い雰囲気ないの?もしかして地味に友達少ない感じかな?
「戸番榊くん、君って霧島さんとは付き合ってるのか?」
「は…………?」
突然、何の脈絡も無く俺と朝陽の交際関係を疑い始めたイケメン君。
おい、やめろよ。ただでさえ、桐花との噂で持ちきりなのに、『朝陽とも……』なんて情報が流布されたら、いよいよ学校での立場も無くなる。
俺は首を横に振った。朝陽をちらっと見ると、何だか少し不機嫌だった。え、え、何で?
広瀬はそう言うと、胸を撫で下ろして息を吐き、朝陽の両肩を横から抱いた。
…………ホワァっ!?
「なら、遠慮はしない。オレは霧島さんが好きだ、彼女と交際したい!」
「いや、俺を見るんじゃなくて、それ本人にな?」
「断られたんだよ、さっき」
あ、あれって告白の現場だったのね。やはり俺の推理は正しかった!
「なら、どうして」
「霧島さんが、君を倒したら交際しても良いと」
「朝陽?もしかして俺って売られちゃったの?」
朝陽が顔を逸らす。
えー……いや、それは嘘でしょ君。
そんな俺らの心労もお構いなしに、広瀬翔は俺に一歩詰め寄った。
「君に決闘を申し込む!体育祭で霧島さんを懸けて、オレと勝負してくれ!」
屋上に風が吹いた。
あまりの驚愕に全員が硬直する中、静かにアイツが起き上がる。
「これ、何の茶番?」