月光花
「……私が死んでしまったら、どうする?」
熱帯夜。
そう呼ぶのが相応しい湿気と、むせ返るような花の香りに包まれて私は問うた。
「ふふ、いきなりどうしたんだい?」
スルリ、彼の女性のように細い指先が私の頬を撫でる。
「……聞いてみたくなったのよ。」
熾熱灯も、何の明かりもないこの温室は只月の光だけが光源で、薄闇の中で彼の艶やかな白い肌を月の光が照らし出す。
彼の答えは、分かりきっていた。
「君を追いかけて、僕も逝こうか。」
冗談交じりに言ったその言葉が本気でない事は私が一番分かっていた。
彼の一番は私ではなく、彼の特別はあの女性でしかあり得ないのだから。
これは人肌さみしい二羽の鳥が、一時その寂しさを紛らわしているに過ぎない。
ただ虚しいのは、片方の鳥が求めるのはもう片方の鳥の温もりだけであるという事。
いつも人に囲まれているのに、寂しそうな笑顔が好きだった。
多くの女性に囲まれつつも、想う女性は一人だけという不器用な真面目さが好きだった。
男性でありながらも、どこか女性らしい中性的な色っぽさを持つ彼が好きだった。
彼の声が、線の細さが、ひた隠しにする情熱が、どうせ報われないとは分かっているのに惹かれずにはいられないほど好きだった。
「……泣いているの?」
頬に添えられたままの指が、いつの間にか流れ落ちた私の雫をそっと拭った。
「幸せすぎて、死んでしまいそう。」
「君は寂しい女性だよね。」
「貴方ほどではないわ。」
「はは、それは言えてるかも。」
でも、もう貴方の片翼は見つかったのだから私は必要ないでしょう。
貴方の傷をただ舐めるしか出来なかった私とは違って、その傷丸ごと貴方を包み込み、愛し、癒してくれる別の女性。
彼女を失ってからの貴方は本当に魂は彼女と同じ場所に行ってしまったのではないかしらと疑うほどに空虚で、まるで人形のようだったけれど。
もう本当に、彼に私は必要なくなってしまった。
生を感じたいのか、互いに生身の体を擦り寄せてその心音を聞き、彼女の思い出話をして眠りについていた貴方はもう何処にもいない。
貴方は何も言わなかったけれど、これが最後の夜だと私は知っている。
貴方に私はもう必要ない。
いつか、人形のような貴方が見ていられなくなって心中しようかと考えた時もあったけれど、貴方に必要なのは矢張り心中相手などでは無かったわね。
ドクンドクン。
彼に流れる血潮を聞きながら目を瞑る。
これが私の、最期の夜。
***
「……凛、私ちょっとそこまで出てくるわ。」
「お散歩ですか?私も一緒に行きましょうか?」
「いいえ、ちょっと考えたい事があるから一人で歩きたいの。」
「そうですか。気をつけて行ってらっしゃいませ。」
「ええ。ありがとうね、凛。」
ざああ、と吹く風が河原の草を揺らす。
この先には海がある。
海の向こうには欧羅巴という国の集まりがあって、日本とは異なる様々な文化が花開いているらしい。
私の身代わりは、無事に船に乗ってくれるだろうか。
私のお気に入りのスカーフを巻いて、私のお気に入りのワンピースを着て。
そう、今日の私と同じ姿形で。
「左様なら。私の愛おしい貴方。」
優柔不断で、優しい貴方が大嫌いで大好きだった。
私の体は、どこかの誰かさんが彼の知らないどこかへ連れ去ってくれる。
そうして私は貴方の前から消える。
私の最初で最後の貴方への嘘。
どうか貴方は最後まで知らないままで。
私のお姉さまが、貴方の愛した彼の女性が死んでしまった時に歪んだ私たちの関係はそうして漸く終息を迎える。
貴方が用意した鳥籠で囀るだけだった私は今日貴方の元から羽ばたく。
もう一人の私、がどうか彼に見つかりませんように。
どうか幸せになってくれますように。
最期に感じたのは、月の光とは真反対の、私を焼き殺してでもしてしまいそうな照りつける太陽の光。
「太陽の光なんて、大っ嫌いだわ。」
私は、月の光の下でしか生きられないのに。
「月光花」