拾参
梅雨が明けて夏休みシーズンに入り、期間限定イベントとして天文科学館の屋上展望台を夜間開放をしていた。そのため交替制で夜間勤務が入り、この日は松井と青葉が担当している。
青葉が展望台を見に行っている間に窓際にパソコンを置いて天体観測をしていた松井だが、この時期になると妻若葉の命日間際に発症する“プチ鬱状態”となっていた。
これまでは妻と過ごした日々を延々と思い出しては一喜一憂していただけだったのだが、今年に限って言えば時折伊勢の存在が割り込んできてげんなりしてしまう。
格別彼女が嫌いな訳ではないが、妻と同じ顔を持つ女性に告白されるなどとは思ってもみなかった。四十五年生きてきて、恋愛経験も妻のみだった彼は今なお伊勢の気持ちを持て余している状態だ。
はぁ……こんな時に東北で飲んだコーヒーの味を思い出す。伊勢が淹れてくれたあのコーヒーは、自宅で飲んでいるコーヒーとはまるっきり違う配合だった。なのになぜか妻が淹れてくれたものと同じ味がした……水質の違いがあっての同じ味にはならないはず、考えれば考えるほど分からなくなる。
「面倒臭」
松井は誰もいない中一人呟いて机に突っ伏し、いつの間にかうたた寝してしまっていた。
それからどれくらい眠ったかは不明だが、コーヒーの香りに誘われて目を覚ます。顔を上げると二つのカップを持った青葉がスッとそれを差し出してきた。
「お疲れさん。せっかく晴れてんだから外、出れば?」
彼は松井と二人でいる時はタメ口で話す。年齢こそ四歳下なのだが、以前勤務していた専門機関の同期で当時から親しくしている。因みにここでは一年後輩にあたり、『あんたがいないとつまらない』という理由で専門機関を退職して中途採用で入社してきた。
「これ飲んだら屋上にでも行くよ」
松井はカップを受け取って口を付ける。青葉は彼の猫舌を見越して予めある程度冷ましたものを出してくれるのだ。
「お前、バリスタでもしたら?」
青葉の淹れるコーヒーは職員たちの間でも評判が良く、凝り性なところもあってインスタントは絶対に使わない。それどころか、余裕があれば一人一人味を変えたものを出すという変なこだわりさえ持っている。
「ヤダよ、趣味は仕事にしないもんだって輝男さんに言っても分かんないか」
「まぁ、ほぼ一体化してるから」
この二人は付き合いこそ長いが、趣味嗜好が違うためプライベートで会うことは滅多に無い。にも関わらず一緒にいて全く気を遣わずに済む数少ない存在た。
「俺たち知り合って何年になるっけ?」
「前の所で六年、一年開いて今の所で十一年」
「そっか。知り合った頃奥さんまだ生きてらしたもんな」
「そう考えたら結構長いな」
青葉は松井のプチ欝現象の事も知っていたが、他の人間であれば空気を読んで避ける部分も平然と切り込んでくるタイプである。その性格で時折周囲と軋轢を生むこともあり、それについてはむしろありがたいと思っているのだが……。
「そろそろ奥さんに縛られるの、やめにしない?」
たまに大ダメージを食らわせる爆弾を投下してくるのだった。




