呪いの世・3
二人の目の前。人波の割れたまん中で。
つい先程その目で見た水あめの逆アーチが、再びそこには作り出されていた。
「なあぁあああああああんだぁぁ??????????」
人込みの中心にいた代神者も気付く。そこにはチャイナ服の少女がいた。
ちらちら菊千代達の方をよそ見していた少女。
そのせいで今度は代神者とぶつかり、再び水あめをくっ付かせていた。
「こ、小娘ぇええええええ!!!!! 神の写し身たる私にぃい何をしくさっているのかぁぁあああああああああああああああああああああ!?!?!?!? 」
叫びと同時に代神者が少女を突き飛ばす。
少女は倒れ、水あめもどこかに飛んでいく。周囲からは一気に緊張が漂う。
「わっっっっったしにぃいい唾の付いた飴を押し当てるなどぉ! 天に唾を吐く事に何一つ変わらないぃいいいいいいいい! その罪は呪われた身体をもってでも許されませんンんぞぉおお!!!!」
同時に代神者は懐から細長い蛇のような物体がとり出される。
横手に振ると空気の裂けるような炸裂音が周囲に鳴り響いた。
それは動物の皮で作られた、拷問用の皮鞭。それが、代神者の手に握られる。
鞭と言う明らかな凶器の登場にいっそうざわめく人込み。
その中の一人であるアーナは、ふうむと唸って顎に手を当てる。
「そうかそうか。どうやら彼女にとって水あめはお菓子ではなく武器らしいわね」
「意味分からん事言ってんじゃねぇぞアマ! ボケてる場合じゃねえだろ、ったく……にしてもキレやすい野郎だな。やばそうだし誰か助けに行ってやらねえのか?」
「確かに。では菊千代―――派手に助けてこい」
唐突な言葉に菊千代が反応を示すより先に、アーナはその背を思いっきり蹴って前へと押し出した。
「んなぁ!?」
突然の事に菊千代はそのまま前に突き飛ばされる。よろめきとび出し、倒れ込んだそこは既に人波の中ぽっかり開いた、騒ぎのステージ上だった。
周囲の視線が一箇所に集中した。
代神者、水あめチャイナ少女、周りの通行人見物人の視線は突如登場した菊千代へ注がれる。
(うわ……駄目だコレ。無責任にも俺が何かする的な空気になってんじゃねぇかよ……)
自身の状況を感じ取った菊千代はゆっくり起き上がりながら大きくため息を吐く。
面倒な事になった。
そう菊千代の心で呻く。
おそらく菊千代が飛び出てこなくても誰かがここに出ていたったんじゃないだろうか。自分が行かなくても、もっと正しい見識を持った誰かが仲裁に入ったんじゃないだろうか。そう現実逃避したくなる。
が、そこに菊千代がいの一番に出てきてしまった。
見るからに傭兵風の男が出たなら既に自分達は必要ない。
むしろ更に横やりを入れて面倒な事などしたくない。そんな集団心理がすぐさま周りからは芽生え、さてここからどうなるんだ? という目の前のハプニングへの野次馬根性が緊張と同じく一帯に流れ出しているのが目に見えるようだった。
「なぁぁあんだああ貴様はぁあああああああああ!?!?」
いつの間にか少女を掴んで拘束した代神者が声を張り上げる。
それが見世物の開始合図だった。
(……こうなっちゃったら、イモ引く訳にもいかねぇよなぁ)
いくらあのクソ女のせいでも、さすがにここで下がるなんて気分の悪い真似が出来るわけがない。
何とか穏便に終わらせ少女を連れてこうと、菊千代がしょうがないと意を固める。
「えぇっと、その……あぁこの子も悪気は無ぇだろうし許してやったらどうでしょ? 神様の代わりならさ、ここは一つ器のでかいところを、」
「貴っっっっっっっ様らあぁあ呪われた存在があぁあ! 神の下僕となり呪いから解かれた高尚なる私にぃいいいいいいいいいい!? 意見しようというのかぁあ!?!? 呪われた事に慣れたお馬鹿さん共にこうして罪を思いださせてあげましょ~~そうしましょ~~とする神が如き私にぃぃぃいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!」
代神者は闖入者である菊千代の言葉など聞かず言い放つ。
互いの距離は五メートル以上はありそうだが、距離など関係ないとばかりに代神者の唾が菊千代の顔へと飛んでいく。
「とにかく子供のした事だしさ。ここは」
「黙ぁあああああああありなさいぃいいい! 神に唾吐く牛犬猫以下のゴロツキがぁあああああああああああああ!!!! 見るな寄るな汚れるわぁあああ!!!!!!!」
「……とにかく、子供を放したらどうですかい、聖職者さん?」
ヒートアップする代神者。その剣幕さが目立ちすぎ周囲は気付かないが、アーナだけは見つけていた。 苦笑いの菊千代のこめかみに、うっすら青筋が出始めていたのを。
「黙れゴ、ミ、ク、ズ、がああぁああああああああ! こぉおおの罪っっっっ深いぃ少女はその身から罪が消えるよぉぉ! 神に等しい私がじっきじきに神聖なる交わりを行いその身を清めてあげましょおおおおおおおッッ!」
「……なるほど。その辺りの代神者とお前を一緒にしちゃぁそいつらが迷惑だな。テメぇはただの腐れ神に選ばれた下種馬だってわけだ」
吐き捨てるような菊千代の言葉に、代神者の眼が狂った猫のように見開かれる。
あっさり怒りは頂点を超え、その手に握っていた皮鞭を振り上げられる。
「貴様ぁああああああああああああああああああああ!! わっっっっったしを侮辱――――」
ゾンッ、と。
何かが断ち斬れる気配が大通りに走った。
代神者の声が途切れる。
同じく周囲の人込みも静まり返っていた。音が止み、目の前の光景をただ見入る。
前触れもなく、自然と息を呑んだ人々の頬を微かに、妙な感触の風が撫でた。
それは斬撃の余波。
刀身だけでも一メートルを軽く超す長剣を用い、牛犬猫以下のゴロツキが鞭を根元から斬り落とした後の余波だった。
「「「…………」」」
あまりに突然の状況。
まるで本のページをいくらか飛ばして読んでしまったようだった。
つまり、菊千代は周囲にそう思わせる程の速さで、そう感じさせる程の一瞬の隙を突いて、狙いである鞭の根元へ大重量の長剣を寸分違わずに打ち込んでみせたのだ。
「――――――――――――――――――――――――は?」
鞭の大部分が地面に落ち、代神者は状況も完全にはつかめず、それでも一言絞り出す。
菊千代はそれを完全無視し、長剣で塞がった両手の代わりに足を突きだした。
踏み込んだ右足とは逆の左足による前蹴りで代神者の顔に一撃。
目が点の少女から思いっきり突き放した。
声も出せずに代神者はあっという間にもみくちゃになって地面を盛大に転がっていく。
その動きがグッタリと止まった時には菊千代は長剣を背に戻していた。
一連の流れが止まり、ようやく周囲が状況を認識。
同時に。
大音量の人の声が一帯に轟いた。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」
それは驚愕と興奮。満場一致の大歓声が街中で響き上がった。