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増殖する殺意・6

 アーナや菊千代が部屋を取る海岸沿いのアパート。

 赤レンガで組まれた四階立てのこのアパートから海岸までは百メートルと離れていない。そこから見える、地球の切れ目のようにも思わせる真っ黒な闇そのもののような夜の海。どこまでも遠くまで、果てしなく広く、呑みこまれそうな程深く。海は静かに存在していた。

 漁師の間では夜の海はあの世と繋がっているとも云われている通り、その光景はおどろおどろしく心をかき乱すが、途切れる事もなくアパートに届く波の音も、そこから香る潮風も、その恐ろしげな光景とは裏腹に人の心を安らかにするようでもある。

 夜も深まり波音だけの静寂が支配する、そんな町の一角。人影も在ろうはずもない時間帯だが、アパートのドアがゆっくりと開く音が通りに広がった。

 ドアの闇の中から大きな月が照らす街並みに一人の女が歩み出る。

 女は夜の海からこの世に渡って来たのかと想わせる程の不吉さを身に帯びていた。

 腰まである長い黒髪を潮風になびかせる黒服の女。

 アーナ・イザナミ。


「…………」


 アーナは真っすぐ通りの真ん中付近まで行くと、立ち尽くすように足を止め、頭上を見上げた。そこには夜の海と同じく黒に染まる夜空の中で、燦然とした月がアーナを見下ろし、それをアーナも仰ぎ見た。

 満月に近くなった月に照らされた不死の女ははまるで一枚の画のような美しさが備わっていたが、そこに笑みは描かれていない。何時も浮かべていた涼しげな笑みも、妖しく魅せる微笑みもない。無表情に、生気の薄いその姿は常とは違う意味で魔女を思わせた。


「姉さん、こんな時間にどこ行くの?」


 唐突に、そんなアーナに声がかけられる。

 アパートの正面、その路地の影から月明かりの下に歩み出てきたのは鉄球を腰に携えお団子状に髪を結った少女、ウラグナ・ミドルススだった。ただし額や体のあちこちには同僚の菊千代と同じく包帯が巻かれている。

 アーナはそんなウラグナの登場に少し驚いたようだった。


「ウラグナ。どうしてお前がこんなところにいる?」

「姉さんの護衛よ。何時またあの呪術師が来るか分かんないもんね」

「……そうか護衛か……菊千代の依頼か?」

「それもだけど、団長も同じ理由で姉さんについて下さいって言われてな」

「エリスが?」

「? 何か意外なの?」

「いやそうじゃないが……そうか、知らなかったな。迷惑をかけてしまっていたらしいわね」

「別に姉さんが言うことじゃないわよ。団員を厄介事から守るのは私の仕事だもん。それより、こんな夜に何処に行く気なの?」

 

ウラグナの問いに、アーナは微かに口元を緩ませて言う。


「なに、酒場に酒を買いに行こうと思ってね。しばらく閉じこもっていて一滴も飲んでないから。禁断症状みたいなものよ」

「姉さん、程ほどにしないと体壊しちゃうわよ」

「私は飲まないと余計に体調が悪くなるのさ」

「だからって、夜中にそんな理由で外出なんて。まぁ姉さんらしいけどね」


ウラグナの呆れたような顔に、アーナは苦笑した。


「とりあえず私は直ぐそこの酒場まで行ってくる。安心してくれ」

「あ、私も付いてくね」

「大丈夫さ。すぐに帰ってこれる」

「でもここから酒場までの道は人通り少ないから危ないって。姉さんの護衛は私の仕事だもん」

「しかし、」

「駄目です。危ないってば」


 ウラグナはそう言いアーナと共に酒場まで強引に同行する事にした。

都市中心から離れたこの海岸沿いの通りは倉庫や空き家も多く、夜中に人の姿は少ない。しかも時刻は日の変わる時間でもあり、街灯の無い通りは月明かりだけが照らしていた。


(……姉さんやっぱり元気ないなぁ)


 ウラグナはアーナの隣りを歩きながら、横目でチラ見してみる。

 失礼なようだが、ひどい顔だった。

 生気が極端にない、死人のような顔。それでもアーナは微笑みを浮かべているが、それは上っ面だけだと感じた。常のアーナの自暴自棄ながらも不敵で凛としたものとは程遠い。

 原因は言うまでもないだろう。

 三日前に目の前に現れた、亡国からの復讐者たるヤユタ・タケミカズチ。

 アーナを殺すためだけに呪術を身につけたという同郷の呪術師。

 あの男が現れて、アーナは自分の持つ過去の罪とやらを強く思い出してしまったのではないだろうか。ウラグナもアーナの過去については聞いている。いつもは気高く不敵なこの女性が国一つを滅ぼす恨みと苦しみを背負って生き続けている事を。それは心の中でどれだけの傷に、いや、傷如きで済んでいるのかもウラグナには分からなかった。おそらく、知る事は出来ても本当の意味で理解など出来ないだろう。死を願い、ひたすら死を繰り返す事など、他人には絶対に分からない事だと思う。


(――――でも、だからって。あんな奴に姉さんを殺させはしない)


 ぐっ、と奥歯を噛んでウラグナは先の見えない道を無意識に睨んだ。


「どうしたウラグナ? 眼が怖いぞ」

「あ、何でもない」


 慌ててようにウラグナは手を振る。その後二人は大して話す事もなく、淡々と夜の道を歩いていった。途中酔っ払いらしい男が道端で寝ていたり、からんできたりとあったが、特に問題という事でもなかった。

 静寂に包まれた夜道をそのまま進み、次の曲がり角を曲がって大通りまで進めば酒場だという所で、


「よぉ、お嬢さん方。ちょっと一緒に遊ばねぇかあ?」


 男の笑いが後ろからかけられた。


 二人が振り返り見れば、脇の路地から酒瓶を手にした一人の男がふらふらと千鳥足で近づいてきていた。また酔っ払いかと、ウラグナは面倒くさそうに眉をひそめるが、そこに警戒が走る。

 酒を片手にした男はな軽装ながらも装甲服を身に着け、腰には剣を帯びていた。片手で扱う為に長さを抑えた西洋的な剣が二本、月からの明かりを反射させている。

 町の自警団の装備ではない。

 普通ならそこらにいる旅の傭兵だろうが、何だか嫌な感じがする。ウラグナはすっと、盾のようにアーナの前に立ち、男とアーナを分ける。

 ウラグナの警戒に気づき、男はわざとらしく不満そうな顔になる。


「おいおい何だよその喧嘩腰は? 別にそんな気俺にはねぇって。長旅で久しぶりにゆっくり酒を飲んでて気分が良いんだ。仲良く三人でお酒を飲もうって言ってるだけだぜ。あっちにある酒場でも良いし、こんな道端でも良い。もしくはベッドの上なんてどうだろう?」

 

 ビキリッ、とウラグナのこめかみに青筋が浮き出す。男の卑猥な発言に普段の彼女ならば全力であの顔面を吹き飛ばしてザクロにでもしてやろうとするだろうが、今は無駄な揉め事をする訳にはいかない。そう自制し、さっさと離れようと決断する。


「……悪いけど姉さんと私は遠慮させてもらうわ」

「え、お姉さんなの! いやあ美人姉妹かぁ~~こりゃ酒が美味くなるよ!」


 ニヤニヤと嫌らしい笑みで男は捲くし立てる。二人に構ってもらえたのが嬉しくてしょうがないというようだ。


「とにかく飲もうよお二人さん! なんなら俺が奢っちゃうからさぁ? ついでに気持ち良くサービスするぜ」

「行こう姉さん」


 さっさと立ち去ろうと、ウラグナは後ろのアーナに振り向く。

 その瞬間、



「まぁ待ちなって言ってんだろう――――なぁ!」



 装甲服の男は二人に向かって酒瓶をウラグナに思い切り投げつけた。そしてそれを追うように駆ける。今までの千鳥足が嘘だとはっきり言う接近。完全な奇襲攻撃。


「こいつ!」


 それをウラグナはすぐさま迎え撃つ。

 アーナを後ろに押し、腰の鉄球を抜いた。一メートル程の鉄の棒先端に人間の頭の倍もある大きさの鉄球を装着した棍棒、ヴリトラハンを。それを手にし、投擲された酒瓶を冷静的確に払い落としながら槍のように鉄球を構えた。

 走りながら男もまた剣を手にしていた。両手に一本ずつ、同じ形をした両刃の片手剣を構え姿勢は低く、互いの間合いに即座に入り込む。


「ハハ! 遊ぼうぜぇ!」


 男の初撃は左手に持った剣での袈裟懸け。

ウラグナの右肩を狙い、躊躇無く振り下ろすが、その一撃はウラグナの体ではなく、突き出された鉄球と衝突する。

 鋼が激突する音が一瞬響き、次の瞬間。男の剣は鉄球の表面を滑り大きく逸らされる。


「うお!?」


 驚く男に構わず、ウラグナは剣をいなした勢いそのまま鉄球を男の顔に向かって槍のように突き出す。巨人の拳のような鉄の塊が男の眼前を埋め尽くし迫る。

「うっおぉ!」

 ウラグナの突きに避けようと男は突撃を真後ろへと変更する。バックステップで大きく跳び下がるが、鉄球の一撃はぎりぎりだが男の顔に届き、そのまま吹き飛ばした。


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