呪いの世・21
廃ビルだらけの町並みが紅くなっていく。
依頼を早々に終えたアーナと菊千代が町長のビルから出てきた時には、既に周囲は夕暮れになっていた。
「んまぁ当然見送りなんてないわな。町民には秘密での依頼だし」
「なんだ菊千代? 朝の時のようにヒーローになりたかったのか」
「別にそういうわけじゃねぇって。味気ないと思っただけだ」
呪術師の撃退という厄介極まる依頼を予定外にも一日足らずで達成したアーナと菊千代は報酬を受け取り、既にその足は町の外へと向けていた。
報酬の金品の入った袋は菊千代が肩にかけ、アーナの右手には茶色い袋が握られている。それぞれ戦利品を手に入れ、二人はアスファルトがめくれ上がった道路を歩き、紅く染まったビル群を抜けて行く。
ふと、菊千代は紅い太陽を横目にしながら隣を歩くアーナに目を向けた。
相変わらず、傷はすでにどこにも無かった。以前聞いた話では死の原因になる重傷を負うと浅いものも含めて一気に呪いで塞がるらしいが、小さい傷だけでは呪いは吹き出さないらしい。
今のアーナには、もはやそうした小さい切り傷も見当たらない。
つまりは、それだけ死んだという事だろう。
(……ただでも、そりゃ服までは治るわけねぇんだな)
アーナの服はそこら中に裂け目や穴が開いていた。右手の辺りに関しては肘の辺りから布が千切れておしまっており、そうした跡からもアーナが子湯だけでもどれだけ死んだのか予想させる。
何度も体を貫かれ引き裂かれ、そのたびに苦しみながら死んで、そして今日も死ねなかったのだろう。それを思うと、菊千代は自分の中に怒りが湧き上がるのを感じる。ドロドロと胸の下に溜まる粘りつくような憤り。
それは、自分の無力さへの怒りだ。
確かにまだアーナは生きてはいるが、それは結果でしかない。もしかしたらこの戦いで死を迎えていたかも知れない。アーナはその瞬間を願っているだろうが、それは菊千代の願いではないのだ。
アーナがどう願おうとも生きていて欲しい。その為にアーナの意志をも無視して勝手に権を握る。
それが菊千代の自分勝手な願いであり、目的なのだから。
ただそんな菊千代の勝手な自己嫌悪を知ってか知らずか、女はぽつりと呟いた。
「また、死ねなかったわね」
「はっ! そう簡単に死んでもらっちゃ困るっての」
咄嗟に強い口調で菊千代は返し、菊千代もまたビルの先の紅い空を見る。
「困るのは菊千代だけだろう?」
「だけじゃないだろ。エリスやウラグナとか色々いる…………まぁそれを言っても知っても、お前は死にたいんだろうけど」
「そうね。それが私の願いだからね」
死を望んでいる者とは感じさせない程あっさりと、それでいて芯の通った声だった。
「周りの者がどう思ってくれても関係ないし、変わる事はない。私はもう死ねればそれでも良い。それだけさ」
「悪いが、俺はそれを応援する気にはなれねえよ」
「される必要も希望もないさ……今更だが、私といると巻き添えを食らうと思うわよ?」
「斬り抜けてやるさ」
「お前も存外に勝手なやつだ。はっきり言ってそれを私は望んでいないぞ。お前がやっている事は、私の望む事への妨害だ。迷惑であり害悪にも思えてしまう。それでもか?」
「それでもだ」
「私の意志と関係なく?」
「そういうことだ」
「そうか…………ふふ、なんて残酷な奴なんだろうな」
「……そうかもな」
そうだよと言い、アーナは笑った。珍しく邪気の少ない、単純に愉快そうな笑い声だった。
並び歩く男と女。
改めて、それは奇妙な関係だ。
アーナは自分の為に死を渇望するが、菊千代はそんなアーナを生かしたい。
互いが互いの正反対の望みのを持ちながらも共に歩む。今この瞬間の生が絡み合っていても、決して同じ所を目指してはいない。
ひたすらの『我欲』
それがこの魔女と剣士の関係だった。
「変わらず意地の張り合いか……」
アーナは正面の空を見つめたまま楽しそうに呟く。
そしてアーナもまた隣の菊千代を見た。上目遣いに口元を吊り上げて。先ほどの邪気の薄さはどこに行ったか、にやぁと歪められた意地悪い笑みを浮かべてみせる。
まるで、やれるものならやってみろとでも言うように。
菊千代はそれを眉間に皺を寄せてねめつけると、そうかよ、と一言だけ呟き返す。それだけが剣士の答えだった。
挑発するように女が嗤い、男はそれを不機嫌そうに見返したままにしばらく歩き続ける。
が、唐突にアーナが視線を外して前に一歩。菊千代の前に歩み出すと背中越しにその手に持っていた袋を菊千代へと雑に投げ渡した。
「うお!?」
菊千代は突然のパスに驚きながらも袋をキャッチ。中身は思った以上にずっしりと重かった。菊千代は困惑しつつ問い質す。
「いきなりなんだよ?」
「意外と重くてねソレ。菊千代が持ってってくれ」
「なら投げんなって。こんな得体の知れないのをよ」
「なに、もし落として割ってたらさっきの黒い手が勝手に飛び出してきてただけよ」
「うおぉおいバカ! くそ危ねぇじゃねぇか! そんな物騒な物を気軽に投げんな!」
菊千代の叫びを笑い飛ばし、再びアーナはビルに囲まれた先の道を見据える。
「さぁ帰るわよ菊千代。さっさと帰ってくるようにとの団長の指示なんだから」
「……ったく、伝獣が着いてたから報告してみりゃすぐに次の仕事で帰ってこいとか。エリスの奴も人使いが荒いぞあの野郎。おかげで野宿しながら帰宅かよ。宿にも泊まれねぇじゃねぇかよ」
「我慢しろ菊千代。私もこんなビリビリの服のままで我慢しているんだから。まぁできれば羽織る物ぐらい欲しいが、どこかに店はないかな?」
アーナは周りのビルに店がないか見渡してみるが、二人の歩くこの通りには人影も見えない。当然店は無く、あっても既に閉まっていた。
(はぁ~~、全くこの女は、そんなキョロキョロそこら中見てみたって無いもんはないだろ。朝の大通りまで行くにも方向が違うし、うん? …………あッ!)
そこで菊千代は『ある事』に気づいた。
(い、いや待て悲観するな。決して遅くないぞ。今気づいただけでも僥倖じゃねぇか)
菊千代の気づいた事。それはアーナの格好だ。
つい先ほどまで命のやり取りをしていたから意識が向かなかった。だがこうしてアーナと馬鹿話をして余裕が出来たからだろうか。菊千代はやっとそれに意識できた。
そう、アーナの服はどこもかしこもビリビリなのだ。それだけ言えば、もう長々と言う事でもないだろう――――そう、そこらじゅうが見えそうなのだ。
下賎だ、最低だ。そうは思ってもしょうがない。それが男だ。
特に背中などは胸元と同じように大きな穴がぽっかりと。そこから艶っぽい肌と肩甲骨が見えてて、一度意識すると思わず視線はそちらに向いてしまう、
菊千代自身は気づいていないが、その目はチラチラとアーナのチラリズムを行き来していた。男なら誰しもが共感できる選択だが、非常にみっともない行動――――その最中、
「……おにいちゃん」
「うおおぉぉおおおおおお!?!?!?」
突如の背後から声に菊千代は盛大に飛び上がった。
アーナもまた声の主に振りかえる。
「あら、昼間のお嬢ちゃんじゃない」
そこにいたのは両手で風呂敷を持ったチャイナ服の少女。シャオリンだった。
「シャ、シャオリンだっけ。なんだまた来たのか、びっくりさせるなよ」
「? この子が声かけただけで菊千代、何故お前はそんなに息を荒くしているんだ?」
「んぁ!? いや別に何でも、その」
とてもアーナをチラチラチラ見していた為に過剰に驚いたとは言えない。
ゴニョゴニョと歯切れを悪くしてしまった菊千代を見て、アーナはハハ~~ン、と悪い笑みを浮かべて右手を菊千代の肩に乗っける。
「大丈夫だ菊千代悪い事じゃ決してない。ただやっぱり、お前は生粋のロリコ」
「それは違うっつってんだろがッ!」
菊千代は全力で否定するが、アーナはやはりどうでもいいと無視し再びシャオリンに質問する。
「で、シャオリンちゃん? こんなところでどうしたの?」
「あの……」
緊張したのか下を向いて少し黙るシャオリンだったが、恐る恐るといった感じに何か入った風呂敷をアーナと菊千代の方へ差し出した。
そして顔を上げて一言。
「お、お礼です」
「? お礼って、菊千代に? でもこいつ本当はシャオリンちゃん身捨てようとした最低野郎だよ」
「ぐッ」
「も、もしそうだとしても助けてもらいました。あの、朝の市場の時と、さっきのこわい人達に捕まった時も、多分その後の気を失っている時も」
後半は何の事か分からなかったアーナに菊千代が説明する。
話を聞いたアーナが『さすがは生粋のロ』『違うわくどいわっ!』とやり取りした後、アーナがシャオリンの目の高さまで腰を下ろし、荷物を受け取った。
かなりの大きさの袋だった。めくってみると、中には果物や野菜が何個か入っていた。
「すいません。私のお金じゃこれぐらいの物しか買えなくて」
申し訳なさそうに謝る少女。
中身の質素さと包んだ布の大きさのわりに中身が少ない事を気にしているようだった。
ただ、アーナも菊千代もそんな少女の気持ちが妙にうれしかった。
「本当に貰っちゃってもいいのかしら?」
「はい、お礼です!」
アーナの後ろで菊千代は照れくさそうに顔を背けるが、アーナは少女に優しく微笑み、お礼を述べた。
「本当にありがとうシャオリンちゃん。私も菊千代もとってもうれしい」
アーナは優しい笑みで少女の善意に感謝を告げる。いつもの、どこか含みのある笑みとは全く違う純粋な表情で。
アーナの嘘の無い態度にシャオリンも安心したように笑う。子供らしい澄んだ笑みだ。
「あぁそうだ、シャオリンちゃん。一つ聞いても良い?」
「なんですか?」
「この包んでた大きな布ももらえるのかな?」
アーナの問いに、シャオリンはどうぞ、と即答した。
「ありがとうシャオリンちゃん。 良し、菊千代」
「んぁ? どうした」
「ポーチに果物入らないか? それか他に袋は?」
「? その量なら入る袋あるが」
「ちょっと貸してくれ」
「?」
言われるままに菊千代はベルトポーチから小さな麻袋を取り出しアーナに渡す。
その袋に今もらった果物と野菜を移し、再び菊千代に返した。
「アーナお前、中身移して何するんだ?」
「ほら、ぴったりそうだからね」
アーナはそう適当に返し、腰を上げる。黒い布をその場で広げ、その大きさを改めて確認する。
「うん。急場のマント代わりにも使えそうだ」
そうしてアーナは黒い布をボロボロの黒衣の上から羽織った。上手く下の服を隠せてはいたが、その姿は余計に魔女のように感じさせるし、もちろん菊千代としては少し残念だった。
「ありがとうねシャオリンちゃん。元気で」
アーナは明るくシャオリンに別れを告げる。最後にアーナは傷一つない綺麗な手を少女に差しだし、二人は短く握手をした。
「さて、それじゃ。行こうか菊千代。完全に夜になるまでにある程度は進んでおこう」
「おう。じゃあなシャオリン」
そう言って二人は歩き出す。
見送るようにその場から動かないシャオリンとの距離は少しずつ開いていく。互いの姿が小さくなっていき、五十メートル程になった時、
「お、おねぇちゃん! おにいちゃん!」
その背にシャオリンの声が再び届く。
二人は振り返ると、少女はほんの少しだけ潤んだ目で、どうしても聞きたかった事を尋ねた。
「またこの町にくる? またいつか、会えたりするかな?」
「…………」
その問いに、自然とアーナの口は閉ざされた。
それはアーナにとって、おそらく望む事とは全く違うところにあるものだったからだ。
一刻でも早い終わりを願うアーナが再びこの少女と会う事、それは自分がその時まで死んでいない事に変わりは無い。それはアーナにしてみれば叶ってはいけない、叶えたくない現実だ。しかし、そんな事を少女に言うわけにもいかない。少女の純粋な言葉にほんの少しだけ、魔女はなんと言えばいいか分からなくなる。
今まで受け答えしていたアーナの沈黙に、不安を感じてシャオリンの顔が曇りかける。
が、
「もちろんだ! また三人で会おう!」
菊千代の力強い返事が飛ばされ、シャオリンはうれしそうに笑った。
「約束だシャオリン!」
菊千代は手を振り、同じく振り返してくれた少女にもう一度、腹から声を出した。
そうして再び歩き出す二人。
優しい少女からかなりの距離が離れた後、アーナは菊千代に対して、忌々しげに口を開いた。
「おい菊千代」
「何だよ?」
「勝手に、無責任な約束をするな」
「無理でも無責任でもじゃねえよ。きっと叶うさ」
菊千代は言い切った。
それはアーナの望みが叶わないと断言する一言でしかない。
もちろん菊千代はそれを理解した上で、言い切っていた。
(…………私の事を知ったうえでこの男。よくもまぁ、ここまで言える……)
アーナは横目でしばらくの間、呆れたように睨んでいたが、そっと目を閉じる。
「アーナ?」
少しして気付いた菊千代がどうしたと言葉をかけた。
紅く染まった荒れた世界の中で、アーナは小さく微笑む。
「さて、互いにどうなる事かしらね」




