呪いの世・18
「ひッ!」
そこでやっと、ウプアアウトは反射的に黒手を操る。
数えきれない杭が呪術師の体に突き刺さろうと飛ぶ。
ウプアアウトも黒手でそれを受けとめようと手を出すが、
ズボッ! と。
黒手のとっさの防御を抜けた二本の杭が、ウプアアウトに到達する。
ウプアアウトの体に衝撃。そして熱が走る。
防護呪術を施したガラベーヤを破り、杭はその根元まで呪術士の体内に潜り込んだ。
「がっはああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
ウプアアウトが悲鳴を上げる。そのまま膝をつき左手をかざす。
深々と貫れた――右肩を押さえた。
アーナは憎々しげに、
「……くそ、ずらされた、か」
そう呟いたと直後に、目の前で発射された暴れ狂う黒手の群れに吹き飛ばされた。
「ッッッ!!」
天井近くまで舞いあがり、大きく弧を描きながら、アーナの身は石の床へと轟音と共に墜落する。
体中の肉と骨とが限界以上に軋み、アーナは数秒意識を失う程だった。
アーナの起死回生の一手は、黒手によって防がれてしまった。ただ無駄骨では無い。二本はウプアアウトの右肩に根元まで食い込み、ウプアアウトは未だ絶叫を上げさせている。おそらくそれは拷問に近い苦しみだろう。未だ右手の黒水晶は必死になって放さないが、今のウプアアウトにアーナを見る余裕はなく、杭による激痛に絶叫している。
そしてそれは、命には届いていないという証明でもあった。
アーナは苦しみ悶えるウプアアウトを見つめながら、疲れたように微笑み、
「惜しかったなぁ…………ッ!」
ゴバッ! っと。口から大量の血を吐き出される。
落下の衝撃による内臓へのダメージ。アーナは亀裂だらけの床で倒れたまま声も出せず、血を吐き続ける。
黒手に刻まれた外の激痛。
落下の衝撃による内から激痛。
種類の違う二つの痛みは反発する事もなく互いに協力するように宿主の女を苛み続けていく。叫ぶ暇も無い苦痛を与える。
「ぎっ、ッぐぉおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
そんなアーナの代わりとばかりにウプアアウトが苦痛を吐き出した。
アーナは目だけで音の方向、ウプアアウトの方を見やった。
ウプアアウトは黒手を使い根元まで体に食い込んだ杭を強引に引き抜ようと躍起になるが、根元まで潜り込んだ杭はどうしても抜けないようだ。
「やって…………くれたな……本、当に」
が、それでもウプアアウトは激痛と激情を力に。よろよろと立ち上がりアーナを見据えた。
苦痛に顔を歪ませるウプアアウト。ドレッドヘアの奥のその顔にはべったりとした汗がこびり付いている。
(あぁ~~あ。杭はやっぱり肩だけか。残念、内臓にでも食い込めば殺せたのに)
対してアーナはぼんやりと心中でのに呟いた。
ウプアアウトは血が溢れる右肩を押さえ続けている。黒水晶は未だ右手。右手と腹に挟むようにして辛うじて握っている。
その様子からアーナは気づいた。
(……そうか。右肩を貫かれても左手に持ち替えないという事は、水晶は右手で持たないと使役できない、という事かな。制約なのか条件付けか知らんが、しまったな。もっと早く気づけばからかう事に使えたのに)
アーナはため息の代わりのように血を吐きだす。誰にでも瀕死と見える状態。そんな女に向けられるのは救いの手はだれも伸ばさない。
「最後のあがきは……確かに受け取ったぞ」
彼女に差しだされているのは、どうしようもない殺意と、呪いの腕のみ。
ウプアアウトはゆっくりとした足取りで、アーナに近づく。
非常に浅い息だ。大きく深呼吸をしたいが、右肩の激痛でそれができないようだった。極力肩を動かさないように呼吸し、歩みも同じように慎重さだった。
そうやってじりじりと進み、床に倒れるアーナまで再び五メートルの距離で立ち止った。
「グッ、しかし、何故さっきの一撃を受けて、まだ、生きていた? やはり呪術か? 武術か? それとも別のトリック、か?」
「……さぁ、ね。まだ死んでないってだけだよ」
掠れるような声でアーナは答えた。だがその目も口元も、倒れる前とと変わりない笑みが浮かんでいる。
ウプアアウトはそれを見て、ほんの一瞬だけ痛みを忘れ――体を震えせる。
何故この女は笑っていられる?
体は激痛に支配されているはずだ。すでに動けず、杭で仕留める事も叶わず、残っているのは確実な死しかないというのに。
自身の理解できない事への恐怖。それが最後のこの時に至ってもなお大きくなるのを感じるが、肩の痛みを思い出し、それを即座に、無理やり打ち消した。
知らない事を警戒はしても、これ以上恐怖してやる気はない。この呪われた世界で、無知に苦しめられる以上の無駄などありはしないのだ。
必要なのは未知をもねじ伏せ、殺す事のできる呪術。己の力。それだけだ。目の前の女がどれだけ未知数だろうと、不可解だろうと関係は無い。自分に一生理解できなかろうと知った事でも無い。
万が一にも、形勢が変わる前に今度こそ。ただ引き裂けば良いだけなのだがら。
ウプアアウトはそう考え、黒水晶に意識を向ける。
「今度こそお別れだお嬢さん。肩の傷は、思い出代わりに受け取ろう」
アーナからの返事を待たず、ウプアアウトは黒水晶に唱える。
「引き裂かれろ」
黒水晶が応える。
応え、黒手の一本が大蛇のように地を滑る。無いに等しい五メートルの距離。今までの集団攻撃とは違うたった一本の黒手。
幕切れはあっけない程に訪れる。
骨と肉に釘でも刺すように、黒手はアーナの胸を真っ向から貫通した。
「ッッッッ!!」
声にならないアーナの声。目を見開き口から血が吐き出される。
黒手は心臓を貫くだけでなく、そのままアーナの体を中吊りに。床から四メートルはいくかという高さまで吊り上げ、唐突にその頭を振った。
肉の飛び散る嫌な音をさせてアーナの体が遠心力で黒手から引き抜かれ、遺体は背中から落ちる。
鈍い音で祭壇近くに堕ちたのは、生ごみの様に捨てられた、力ない女の亡骸だ。
胸の風穴。そこからは夥しい血が血だまりとなっていく。どこも見ようともしていない空ろな目玉。長髪は乱れ地面に血と共に広がる。その光景はまるで捨てられ汚された人形のようだった。
女の身体を覆っていく確かな死の光景を目にし、しかしウプアアウトは特に感慨も湧かなかった。
自身最強の呪術である黒手でここまで粘られたのは動揺もした。手傷を負わされ怒りもした。意味不明な言動に困惑もさせられた。
が、やはり結末は変わらない。
辿り着いたのは女の死亡という最初からの予定のみ。
何よりも死んだ気色の悪い女の事よりも、今大事な事はもう一人の襲撃者の対処だ。
黒水晶の黒い光が消し、同時に何十もの黒手がその場で霧散した。そのまま黒水晶を右手と腹で抱え続ける。
(グっ。女の言う通りなら、まだ何者かがいるらしいが。兵士達が仕留めただろうか。とにかく状況を報告させねば)
ウプアアウトは亡骸に背を向ける。
肩の傷が暴れようとし顔を歪ませながらゆっくりとした歩調で老人のように出口に体を向けた。
黒手が破壊した木の扉付近は壁も崩れ落ちて完全に吹き抜けと化していた。
ウプアアウトはそこまで苦痛と共に歩いていこうとする。そして本堂の中央付近まで歩んだところで、
ザッ、と。
不思議な音を耳にする。
聞こえてきたのは自分の背後から。
そちらにあるだろう祭壇の方から。
もっと言ってしまえば、それは――
――今殺した女の遺体の方から。
「…………」
砕けた出入り口の方を向いたまま、ウプアアウトは歩みはピタリと立ち止まっていた。
本堂の出入り口まで後十メートル。その先の教会の出入り口まで約二百メートル。
いつのまにか何かの終わらない悪夢でも見ているのかと錯覚し始めた男には、開け放たれた教会入り口から射し込んでくる眩しい太陽の明かりが、異常に恋しく思えた。
そうやって焦がれた途端に、肩の焼ける痛みが酷くなったような幻覚がした。
まるでこの傷の存在を思い出させるように。恐怖が膨らむ現実から、決して逃してくれないように。
ウプアアウトが首を回す。それにつられて体も回る。
ゆっくりゆっくりと、再び祭壇の方を見やる。
そこには、死んだはずの女が立っていた。
黒衣の女。
右手を失い、体中を刻まれ、胸の中心に風穴を開けられた女。
漆黒の長髪が垂れ下がり顔は見えない。
しかし確かに、不吉を形にしたような女が、己の血だまりの上で立っていた。
人の死体は、確かに教会内で立ち上がっているのだ。
その光景をウプアアウトは信じられなかった。信じたくなかった。
「馬鹿な、何故だ……何故。何回立ち上がるんだ? こ、こんな事が、あるはずがッ」
茫然自失。
眼前の光景は一切理解の範疇を超えすぎて、もはや凝視したくもない。
目の前の未知に、自分を脅かす不可解に、ウプアアウトの心は握り潰されようとする。
だがしかし、そんな恐怖を感じて止まる程、目の前の存在は優しくなかった。
まったくの前兆もなく、女の胸の風穴で、何かが蠢き出したのだ。




