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呪いの世・17


 ウプアアウトの周りに浮遊していた黒手が再びアーナへ突っ込む。

 言葉通り、目の前の女を殺害する為に。


「ちッ!」


 アーナが真横に跳ぶ。失くした腕の痛みに耐えながらもその動きは死んではいなかった。

 次の瞬間、先ほどまでアーナのいた場所は黒手の群れによりまとめて粉砕する。


「それで避けたつりか?」


 それでもウプアアウトが嗤う。

 同時に床や壁に突き刺さった黒手の群れが頭瞬時に真上に向かったと思うと、体を起こしているアーナ目がけて再び突っ込んでいく。

 間髪入れずにアーナも走る。

 少しでも止まったら呪いの手による爆撃の雨に打たれる事となってしまう。先のない右腕とズタズタの体から血を流しながらも足は止めるわけにはいかない。中心のウプアアウトからも視線は放さず、反撃するための間を探す。


「人の恨み憎しみをよくこれだけ水晶に吸わせたものねッ」

「褒められるのは悪くない。ただ、いつまで逃げるつもりだお嬢さん」

 

 黒手の群れ、その爆撃をアーナが前へ跳んで避けるが間を置かせずに次の群れが時間差で襲いかかる。アーナはそれを床の上を転がり間一髪で避けていく。

 立ちあがり、舞い散る土と煙の中を必死に避けるアーナに対し、ウプアアウトは嗤いを投げる。


「無理をせずとも、諦めたらどうだ。貴様の実体が何であれ、私が殺すと決めたその時からお嬢さんの生はここで終わりなのだから。私は私を不安にさせる目の前のモノは微かな可能性も見逃したりしない」

「では町から町へ移動を繰り返すのもそういう事かな? 人を疑わずにはいられない小心者だから一つの場所にはいられないというところか。お墓で無口な死人と暮らしたらどうだ」

「ぬかせッ」


 黒水晶を握るウプアアウトの手に力が入る。それは近くから見ても分からないようなほんの僅かな行動だ。だがそれだけの動作に呼応するように、黒手達はもがくように空中で震える。

 石の床を軽く抉り取る破壊の力がさらに強く、さらに激しく、さらに無茶苦茶に、一人の女に振るわれる。


「ッ!」


 アーナが跳び避けた瞬間、元いた場所はその一切が粉砕されていく。

 背中に破壊の余波と轟音をぶつけられながらもかわし続けるが、半分が瓦礫となった教会内の素早く動けるスペースは見る見る無くなっていく。


 が、不意に。

 間断なく迫っていた背に圧迫感が唐突に途切れた。

 

 黒手が空気を裂く音も、それらが起こす破壊の音も前触れもなく止んだのだ。

 突然の空白。

 不可解な安全の到来は、突撃されていた先程よりも背筋に寒いものを走らせた。

 ウプアアウトは動いていない。部屋の中心に陣取った絶対有利の呪術師。

 その周囲では黒い腕々が苦しそうに空中でもがき、もつれ合い、巨大で歪な蛇が絡まり合うように見える。

 戦塵舞う中でアーナはそう考えながら自身の立つ場所を再確認する。

 光源である大窓の明かりは真後ろから差してきている。左右の壁までの距離はおよそ同じ。横目で後ろを見ると祭壇。

 アーナは回避を続けた結果、最初にウプアアウトの見た祭壇前まで移動していた。

 対してウプアアウトは部屋の中心。互いの位置関係は最初とは真逆になっていた。

 ただ位置が入れ替わろうと、命のやり取りの流れは終始ウプアアウトが握り続けている。


「まったく。お嬢さんは大したものだよ。これだけ私の腕たちから避け続けるとはな。それに、禁術師などとおぞましい名で呼ばれるようになるのにどれだけ呪いを連ねたのか私には想像もできない。どれだけの物と人を貶めたのかもな」

「…………」


 浅い息のアーナは滴る血と汗を床に落としながら、黒手の群れの動きに注意を向ける。


「どうであれ、相当な業だ。およそ死しても許されない罪。せめてもの救いは最後の場所が教会というところだろうか」

「教会の中で殺されるぐらいで救われるなら、私だけじゃなくいろんな人のお墓になっているわよ。神もいない世界で教会の天使も死神の真似事までやるのは億劫だろう」

「ここにきてまだへらず口とは。恐れ入る、が」

 


 ウプアウトに言葉を聞きつつ、そこでアーナは僅かな変化に気づく。

 空中に伸び出し動き続ける黒手の群。その指先や手のひらは変わらずそのアーナを捉えようと抜けられている。が、その動きはどこか、今までよりもぎこちないように見えた。


(…………まさか、)

 

 アーナではなく、見えない何かを掴もうとするかのように指を蠢かし、爪を立てている。

 そう感じているとギリギリと、アーナの耳に奇妙な音も届く。

 黒手がもがきながら、何かを押し込んでいるようなその音。

 溜めに溜めた力を逃がさないようにするかのようなその音。

 おそらくそれは、


(爆発の前兆ッ!)


 アーナの思考がそこに達して、危機感のまま回避行動を取ろうとする。

 よりも前に、


「自身の業によって、その一片まで引き裂かれろッ!」


 黒水晶が応えた。

 今までの突撃爆撃とは明らかに速度が違う、何重という呪いで形作った人の手が、爆発的な濁流となって、祭壇前へと殺到する。

 アーナは動く暇もなかった

 一心不乱に、触れたもの全てを薙ぎ払う圧倒的な脅威の群がアーナを地面ごと呑み込んだ。

 轟音だけが響いた。

 大量の破片が天井近くまで吹き飛び、それを覆い隠そうとするように粉塵が本堂内を埋め尽くした。

 地震のように建物全体を衝撃と粉砕の唸りがしばらくの間支配し、やっと土煙だけになるまで何十秒とかかった。

 地鳴りが止み僅かなに静寂が見え隠れし始める。

 その中心で、ウプアアウトは笑う。


「クフフハハハハ!」


 黒手の伸びる黒水晶、それを掴む右手を胸元まで下ろして。

 先ほどまでの女に向けていた嗤いではない。悪意で歪んだ笑み。それはたった今、呪術で殺した女が浮かべていた笑みに近かった。

 もちろん近いだけで、同じではない。

 ウプアアウトのそれには人を殺したという獰猛な達成感が見え隠れしている。死んだ美女のような、理性を狂わすような美しさは微塵も見当たらない。

 自分に向けた、自分を湛える安堵の笑み。

 薄れゆく粉塵の中で、ウプアアウトは笑っていた。

 その粉塵を突っ切って、今まで以上に瀕死の魔女が姿を現した、この瞬間まで。


「な!?」


 あり得ない光景にウプアアウトの息が止まる。

 それを無視しアーナが一気にウプアアウトに接近する。

 十メートル――――

 五メートル――

 そして三メートルもないという至近距離から、


「死ね」


 酷薄な一言と共に、握りしめた何本もの杭をウプアアウト目がけて打ち飛ばした。


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