呪いの世・16
私ほど多くの人に嫌われた者もいないと思う。
いや嫌われたなど生温すぎる表現かもしれないが…………、
とある国の話だ。
呪界の世でも生き抜いた、大きな国家だった。
見識ある統治者と屈強な兵。そして聡明な呪術師達によって支えられていた強い国家だった。
そんな国家に、一人の少女が生まれた。
呪術に対する、非常に特殊な力をその身に宿して。
今更だが、呪術とはその名の通り『呪い』だ。神様が行ったように、呪って事を成す手段だ。
神に呪われ禁じられた科学を補う代替え手段。
が、どうであろうとも、それは呪いでしかない。
人を呪わば穴二つという。
呪いは科学の様に平等で整然とした技術ではなく、魔法のような神秘を生み出す美しい奇跡でもない。
どうあろうと呪いとは、他人と自分を貶める外法でしかない。
何かを呪えば、それは必ず自分も害する。
呪いは利用すればするだけ、大抵使った者の身は侵されていく。心を病み、体に実害を与える事もある。そこに身代わりの生贄でもない限り、呪術を使用する者はいずれ己の使った呪いによって体を蝕み死んでいく。それが現世における最後の道理なのだ。
が、ある少女は違った。
その少女は呪術を使おうと何ら変化がなかったのだ。
人を呪おうとも物を呪おうとも、その心身に影響がない。呪いがその身を脅かす事がない。普通なら身代わりとするべき生贄の調達も、彼女が呪う場合は不要のものだった。
どれだけでも強力な呪術の使用も可能。
この事により、彼女は国家に莫大な利益を生み出す最重要な存在と成した。
少女はひたすらに術を行使する事が使命とさせられた。
呪術師に術のやり方だけを教えられ、どんな結果になるかも教えられず術だけを行いもした。
呪術の肩代わり。
呪術兵器。
それが彼女の課された唯一無二の存在意義とされたのだから。
ただの術だけではない。
生贄をいくら積もうとも行えないような忌むべき呪い平然と行使された。
敵国に疫病を撒く。突然変異の生物をさらなる化け物に変異させる。人を化け物に造りかえる。本来ならば、万に達するだろう生贄の調達も彼女の存在が不必要とし、呪いの行使を加速させた。
……強い国家は、いつの間にか呪いの国家としてその姿を変えていった。
際限のない呪いの行使。見境のない利益の受容。
それはあたかも、呪界の始まりとなった人の行いと同じように。
少女が女性となってもそれはひたすらに呪術兵器は続いていった。
彼女と国家が、結局は自分たちの呪いに喰い潰されるその時まで――――。
(――全く。何を感傷的に思い出しているんだか)
アーナは浮かべる笑みに自嘲を混ぜながらも口を開く。
「まぁつまり。たいていの呪いの理論は、私には見たことも使ったこともあるという事さ」
「禁忌術、師……」
「大仰な名前でも呪術師と大した差は無いさ。ただそこいらの人より何千倍も自分以外を呪い続けていた、おそらくいま生きている人間の中で、最も屑と言える部類の一人さ」
「…………」
呆けるウプアアウト。それは正常の反応だろう。
ただ、殺しに来た側にはそんな事情は関係などない。
ダッ! と、アーナはいきなりウプアアウトへ向かい走りだした。
アーナの目的は標的の撃退。隙を作る無駄話はしても呆けているチャンスを無駄にはしない。
一本残った左手の中には既に杭が収められている。相手の急接近にウプアアウトが咄嗟に一歩下がろうとするが、それよりアーナの動きが早かった。
互いの距離は約十メートル。先刻の攻撃時より半分とない。
その距離でアーナは、今度は顔面と胸に向かって二本の杭を打つ。
胸に撃たれた一本。距離は確かに短くなったが、しかし布の服の前に弾かれる。
そしてむき出しの顔面に対しては黒手の一つが瞬時に動いた。蛇のように空中を高速で這いずるとウプアアウトの眼前でその手を広げ、投げ打たれた杭を難なく受け止めた。
黒い粘土に刺さったかのように杭は黒手に阻まれ、少しして地面へと寂しく落る。同時に、黒手の数本がアーナに襲いかかるが、アーナはバックステップでそれらをかわす。数歩前の床に黒手が突き刺さり、アーナは体から血を飛び散らせながらも笑みを絶やさずにウプアアウトに視線を戻す。
「服にも呪いにより防護。種としては、呪いという人の念を使って他者や物体に影響を与える呪術方法、呪術で最も基本的な強与呪術を用いているのね。方法は簡単、人間を拷問なりで苦しめる。拷問への苦痛の叫び、いわゆる『拒絶』の念を吐き出させ、それを服なり鎧なりに死ぬまで刷り込ませていく。残った物には『拒絶』という概念、死人からの呪いが刷り込まれる。この方法なら貴方に呪いの代償は特にない、他人を苦しめて殺すだけで手に入る防護手段の一つというわけだ」
当のウプアアウトは黒手を引きもどし、今まで以上に病人にも似た低い声を放つ。
「……禁忌の術師。万物を呪い続けた呪術師だと……ならばお前は、それだけ強力な呪術の使い手だという事か」
「あくまで元さ」
「どういう意味だ」
「結局、何かを呪って自分が呪われないなんて都合の良い事は幻想だったって事さ。当たり前だけど」
全神経で警戒するウプアアウトだったが、アーナは警戒するだけ無駄だと言わんばかりに己の愚かさを、なお平然とした態度で告げる。
己が惨めな結末を、あっさりと口にする。
「終わりの理由はしらける程に簡単さ。私は呪いでもって人を生き返らせようとした。ただその行為は当然の如く駄目な事らしくてね。呪術は見事なまでに失敗。私の体はとことん呪いに侵された。いや、今までのツケもいっぺんに来たってことかもしれないけど。どちらにしろ今の私は呪術を使えない。何かを呪う資格もないという事さ。だから元さ……これじゃ半分でもないかも知れないわね」
軽い口調であるが、その言葉の節々にはどこか吐き捨てるような自嘲が含まれているようだった。
その態度に、ウプアアウトの中で猜疑心が膨れ上がる。
当たり前の事だろう。
禁忌な呪術師? 人を呪いで生き返らせる? どれも真実だと言うなら途方も無い話だ。
だが、では何故、この女はそんな恐ろしい話をこんな簡単に、雑談の様に出来るのだ?
仮に真実だとしてもそもそも何故、この女はここまで自分の情報を教える? 呪術が使えないとかウプアアウトの術の解析結果などもだ。
確かに混乱させるにはいいだろうが、どれも黙っていた方がメリットがあるのではないか。そして殺しの刺客がこれだけ喋るのは奇妙だ。
(…………嘘か?)
一瞬そう考えるウプアアウトだが、
「そう怪しまないで良い。嘘じゃない。隠し事なんて性に合わないだけよ」
アーナはウプアアウトの心を覗いたように返答してみせた。いや、それだけウプアアウトの顔に感情が出ていただけなのだろう。
それでも直に心臓でも引っかかれたような表情で、ウプアアウトは言葉を詰まらせる。
それを見つめ血だらけのアーナもまた黙る。
「「…………」」
殺し合いの場に沈黙が流れる。
それは新たな初撃への機会となる。場が動くきっかけになり得るもの。
互いが互いに押し黙り、たっぷり一分経とうと感じられたとき、
「………………フッ」
黒手の囲まれたウプアアウトは、小さく、本当に小さく嗤った。
重病人が悲しみを押し殺そうとするような、どこか投げやりにも似た感情が見え隠れする嗤いが漏れる。
「フフフッフフフフ、ならお嬢さんはの前では、私の呪術はすべて筒抜けになっているというわけだ」
「まあ、今の所そうなるかな」
「なるほど。真偽はどうであれ、それだけで君はただ殺す以上の価値があるという事になるな」
「残念だけど貴方は好みじゃないのだけれど」
「そう邪険にするな。只の餌としては見れなくなったという事だ」
嗤いを止め一転、呪術師は血だらけの魔女を睨む。
細く歪めたその目には、今までとは違う色が滲み出していた。
それは敵意。
「禁忌術師。呪いを行使し続けた知識。その経験値。本当に事実だとしたら、どれも実に興味深いことだ。が、どうもそれらは私の手には余るように思える。欲を出して私自身が御嬢さんの呪いのとばっちりにでもなったら目もあてられん。なにより、この世の未知を知りたいどという欲望は呪界では通用しないことだからな」
今までの生贄という獲物を見ていた目では既に無い。それは自分に害を与える存在、気味の悪い存在に向ける明確な拒絶だった。
もちろんアーナの言っている事は本当かなどウプアアウトには分からない。妄言である可能性のがすっと多いはず。信じるも信じないもウプアアウト次第なのだ。
だが、ウプアアウトの思考は、もうそこにはない。
瀕死の女の話が真実だろうと妄言だろうと、アプアアウトの中では、どちらでもいいという結論にも達したのだから。
その理由は簡単。
分からないなら、殺しておけばいい。
自分の持つ圧倒的な呪術。この黒手の力によって引き裂けばそれで良い。
疑わしきは消し去り、可能性など摘んでしまえば何もない。そうしてしまえばウプアアウトは変わらない平穏に戻れるのだから。
「結局、互いにやる事は変わらないというわけね」
「その通りだお嬢さん。貴女には優先して死んで欲しく思えてきた」
アーナが腰をおとす。全力で横に跳ぶ為に。
対しウプアアウトの右手が動く。
黒水晶を頭上に掲げて仕掛ける。
「目の前の女を、引き裂けいッ!」
黒水晶が応え、教会内を再び黒い手の群が荒れ狂った。