呪いの世・15
異臭を放つ大通りからワンブロックずれた一つのビル。
その一階の廃喫茶の中で水あめ少女は目覚めた。
「ん…………?」
少女は床に寝かされていた。しばらくぼーっと天井の回転しない風車を見上げ、それから額の痣を押さえながら体を起こした。静かだった。割れた窓と入口から入ってくる乾いた風の音しかしない。
「目ぇ覚めたか」
そこに男の声が混じる。
驚いて少女は声のした方を見るとビクッ! と肩を震わせた。
見れば体中に血と切り傷をつけたオバケ(少女にはそう写った)が半ばから折れた粗末なサーベルをカウンターの中へ投げ捨てていた。
「……分かりやすく怖がらないでくれ。昼前に町中であっただろ。別に何にもしない」
オバケの正体である菊千代は少ししょんぼりしたように肩を落とす。
「あ、あのときのおにいちゃん?」
「菊千代っていうんだ。お嬢ちゃんは?」
「え。あ、しゃ、シャオリン、です」
「シャオリンか、良い名前だ。そんで多分運も良いな。急いでたからそこに寝かして行っちまおうとしてたんだが、すぐ起きたし。とりあえず聞いてくれ」
菊千代は水あめ少女シャオリンにこれからについて告げていく。
「とりあえずここは危険区域内のでかい教会近くなんだが、町への帰り道はわかるか?」
「きょ、教会の近くですかここ? な、なら多分居住区までの道は分かりますけど」
「よし、なら今すぐ帰った方がいいな。ただしあっちの大通りには出ずにだ。教育と精神衛生に良くないからよ。何より生臭ぇし」
「?」
「とにかく使うな。そしてすぐ帰る。分かったか?」
シャオリンが疑問符をうかべつつも頷く。意味は良く分かっていないらしいが駄目とは伝わっただろうと菊千代は判断しておく。
「よしそれじゃ気をつけて帰ってくれ。もう誰かに捕まるなよ」
言うや菊千代はカウンターに立てかけていた長剣を背負い直し入り口に向かう。
用が済んだとばかりに立ち去ろうとする菊千代に、シャオリンは慌てて声をかける。
「あ、あの! またおにいちゃんが助けてくれたの?」
「んあ。まぁ……一応そうなる、のか?」
振り返った菊千代は頭を掻く。
シャオリンの為というより、成り行きでそうなったとしか思えない菊千代には妙な後ろめたさが胸に湧くのを感じる。
助けたというのなら、それは間違いなくアーナだろう。
助けるだけ助けて後はこちら持ちにされたことは業腹であるが……。
しかしシャオリンにはそんな菊千代の事情など知るよしもない。
「やっぱりそうなんだ。ありがとうお兄ちゃん。お礼しにきたのにまた助けてもらっちゃった」
「? お礼って……それって市場での事か?」
シャオリンは先程より大きく頷いた。
「町長さんのビルからおにいちゃんが出てこっちの方に行ったのは分かったんだけど……」
「俺達を探して禁止区域まで入ったらさっきのに捕まったと」
「……ごめんなさい」
迷惑をかけてしまったと再び小さくなるシャオリン。ただ菊千代は彼女の引け目など気にしない。
むしろ、菊千代が思ったのは逆だった。
「別に俺に謝る必要はないだろ。てかお礼しにここまで来たなんて勇気ありすぎだぞ。うん……すごいな。尊敬するわ」
菊千代の言葉にシャオリンは首をひねった。なんで自分がそう言われているのか分からないようだった。
菊千代のこの言葉は嘘でもお世辞でもなく本心だった。自分じゃお礼の為だけに危険な場所には行かないだろう。それをこの少女はした。結果は捕まり再びアーナに助けられたが、それはあくまで結果だ。シャオリンの人として当たり前すぎる行動に、菊千代は素直に凄いと思えた。
「勇気もらったよ。ありがとな。ただ悪いんだけどもう行かないといけないんだ。どうにか一人で帰ってくれな」
「お、お兄ちゃんどこ行くの?」
「ちょっと用事があってよ。急いで連れの迎えに行かないといけない」
「それって一緒にいた綺麗なお姉ちゃん?」
「まぁ、そうだな」
「恋人さんどうかしたんですか?」
「ごっ!?」
その瞬間、菊千代の顔が真っ赤になる。だけでなくなんか想像を絶するひょっとこ顔になった。やたらと顔の彫りや影が濃くなるわ図太くなりの般若顔にシャオリンはまたしても気絶しそうな程に戦慄する。
「ひぃ! すすすすすいませんすいません! 当たり前の事聞いてすいません!」
「あだりま!? い、いや違う! 違う! 別にまだそういんじゃなくてだなっ! いやあのそのこれはあれでそれでだな!」
未だ真っ赤な顔で弁明しようとする菊千代と恐怖全開で半べそのシャオリン。互いの前では意味もなく手がバタバタと動きあう。
そんなノリだけの動きがしばらく続くが、何とか顔を戻した菊千代が(顔は赤いままだが)観念したかのように、大きくため息を吐いた。
「とりあえず恋人なんかじゃねえよアイツとは。んあぁ、まぁ…………そうだな。俺にとって大事な奴には違いないよ」
菊千代は頬を掻きつつ、目線は店外へとぷいっと向ける。
数秒の沈黙し、菊千代がチラッとシャオリンの顔を覗けばその顔はまだ半べそだったが目は妙に光っていた。
(……女がこのテの話が好きなのは何時でもどこでも何歳でも一緒かよ)
心中にそうボヤき、菊千代はいい加減にと出口へ足を向ける。
その背にシャオリンの呟きが届く。
「そっか。大事な人なんだぁ」
「あっちにとっちゃ違うだろうけどな」
「え?」
入り口を押し開けながら、菊千代は振り返らずに呟いた。
「俺の事、あいつは嫌いだろうからな」