呪いの世・14
照りつける太陽の中、むせ返るような血肉の臭いが周囲を満たしていた。
無慈悲に斬り飛ばされた体の様々な部位が無造作に転がる戦場の真ん中で、
「がああああああああああああああああああ!!」
少女を背負いながら菊千代は獣のように動き続ける。
振るうは刃渡り百センチを超す長剣。特段体つきが優れているように見えない菊千代ではとても振る事も叶わないような長剣を、それでも猛然と振るっていく。
腕だけでなく体の心から力を生み出し、右から左に。長剣を風車の羽のように振り抜いていく。
馬鹿正直な長剣の太刀筋。その先には東洋風の簡易の足軽具足を着けた一人の兵士。顔には布が巻かれ隠れているが、その目には形容しがたい恐怖が写し出される。
「ひッ!」
兵士は反射的に両手で握る湾刀で防御体勢を取る――――が、
「がああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
全く無駄。
加速を得た長剣は兵士の湾刀も具足も諸共叩き斬って肉体に至る。
皮も肉も血管も骨も内臓も、有無を言わさぬ威力で引きちぎり腹部から肉体を上下に両断した。
「ぁ?」
兵士から声がこぼれる。
その時には『兵士だった』上半身は強引な切断の反動で宙を舞っていた。腹の断面から血と臓物までも宙へと撒き散らし、土俵から吹き飛ぶ独楽のように地へ落ちた。
しかしその様子を見る間もなく、斬り殺した菊千代は赤い泥を踏みしめる。
長剣を握っていた右手を離し、足元の石々を引っ掴むと前方の二人の兵士へ思い切り投げつけた。
兵士たちは突如投げられた石つぶてに驚くが一人はそれをサーベルで弾き、もう一人は横に跳んでかわす。
だがそれで構わなかった。
菊千代が狙ったのは倒す事ではなく複数で固まる兵士を離すこと。刹那の一対一を作り出す為の投擲なのだから。
菊千代は両手で長剣を握り直し迷わず突っ込んだ。最短距離の方へ。サーベルで受けた兵士へと。
左肩を前にした半身の体勢で走り、長剣の切っ先を右腰から体の真後ろへと流した。極東の武術で言う脇構え。長剣は菊千代の体に隠れてサーベルの兵士からは見えなくなる。
「くっ!」
恐怖と殺意を持って、兵士がサーベルを振り上げる。すぐさま自分へ走りこんでくる菊千代の無防備な頭へと、間合いに入ったと同時に、全力で振り下ろす。
「クッソ餓鬼があぁっ!」
「糞はてめえだッ!」
菊千代は獣の如く獰猛に笑い返す。楽しくてしょうがないとでもいうように。
真っ直ぐ走りこんでいた菊千代は左足を左斜めへと踏み込み、突進の軌道を変える。サーベルの剣筋から菊千代の頭も体も消えていく。サーベルが残像でも切るように振り下ろされるが、既に菊千代は兵士から見て右側に進み出る。
左足で踏ん張り、菊千代の上半身が大きく反られる。同時に長剣が振り子のように下方から上方へと振り上げられた。兵士の視界の斜め下からの長剣の一撃。
兵士は反応も出来ずあっけなく、左腰から右肩までを斜めに、逆袈裟に断ち切られた。
「~~~~~~ッ!!」
叫びも上げれず、新たに兵士は仲間達の後を追う終末を辿った。
菊千代を一切止まらない。
脇構えから兵士を斬り上げた直後、振り上げた長剣の反動と上半身の捻りを利用し体を回転。斜め後ろへ向きなおる。回転と同時に体を屈めながら長剣を槍のように脇に掻い込む。体の勢いを溜め、その穂先にいるのは最も近くにいた一人の兵士。先刻の石つぶてを跳んでかわしたその兵士に狙いをつける。
「がらあああぁ!」
脇に掻い込んだ長剣を体ごと押し出した。兵士の間合いの外からの長剣による|諸手突≪もろてづ≫き。
槍のように突き出された剣尖は軌道上の兵士の体を容赦一切なく真横から、左右の肋骨をまとめて串刺しにした。
「びゃっっっは!?」
兵士の体がビクビクと痙攣する。
刺された本人は長剣からどうすれば抜けだせるのか、右に抜くのか左に抜くのかを文字通り必死に、痙攣しながら思考する―――が、
「あ? いつまでも刺さってんじゃねぇ!」
理不尽極まる一言を菊千代は放ちながら兵士を蹴り飛ばし長剣から引き抜いた。
蹴り飛ばされた兵士は両脇から冗談のように流れ出る血を何とか止めようと必死に手で脇腹に開いた穴を押さえるが、勢いよく流れだす血は指の間から止めどなく溢れ、程なく兵士は力なく倒れ伏し、動かなくなった。
「はぁっ! はぁっ」
そんな死人などやはり見もせず、菊千代は荒い息を整えながら周囲を見やる。
廃墟の中の大通り、そのアスファルトは至るところで真っ赤に染めあげられている。その材料は自身を殺そうとする周囲の兵士達。軽く三十は超した肉塊はみな菊千代の長剣によって叩き斬られていた。
きれいに斬りつけられたものから、肉を子供が無理やり切り潰したような乱雑さのものもあり、それが余計に惨たらしさを高めている。
そもそもこの長剣は鮮やかに斬る代物ではない。切れ味に重点を置かず、その持ち主の力で、その剣の打ち込みの速さで、そしてその重量をもって強引に叩き斬るか叩き潰し事こそが目的とした武器。菊千代自身その特性を重々承知し、ウプアアウトの兵士達を叩き伏せていったのだ。
大半の兵士はすでに息絶え道路の上で肉の塊と果てている。野良犬が喜びそうな凄惨な現場の中、残っている兵士は僅か五人。
五人は菊千代を大きく囲むようにしているが、そもそも五人程度で今更菊千代は囲みきれないのは生き残った兵士達が一番理解していた。
菊千代自身は数えてなどいないだろうが最初の一人が殺された時には兵士の手勢は四十人もいたのだ。
その時から全員で一人の男を囲み剣と槍を突き出した。一人目が不意を突かれてやられたといってもこの戦力差では関係ない。
囲んで殺す。
それだけのはずだった。そこに間違いは何も無い。
しかし到来した現実は、どうにも彼らの常識より歪んでいた。
囲まれ殺されるだけだった男は殺されなかった。少女を背負い戦うというありえないハンデを背負っても実力が兵士とはかけ離れていた。自身が傷ついても少女には傷つけさせずに死の囲いの一点へ自ら突っ込んできた。そこを斬り開き、走り抜けた。足を止めずに端から端からと手勢は減らされていった。屍だけが大通りの至る所に作られ、そして気づけばこの惨状。兵士たちはウプアアウトに救いを求める暇も与えられなかった。
一人で全ての兵士と切り結ぶのではなく、常に一対一に近い状況を作りだし、段違いの剣技でひたすらに殲滅する。それはまさしく戦場の剣。大盤石だろうと覆す狂気。兵士達とは文字通り、這いずり回った争いの桁が違うからこそ為せる芸だった。
そうして残ったのは五人の兵士達。その全員乾いた喉から嗚咽を漏らし、全身に恐怖が募っていた。もちろん怒りはある。菊千代への殺意もある。だがそれらを塗りつぶすような恐怖が体を支配している。死への恐れが兵士たちの四肢を麻痺させ、その場に金縛りにしていた。
対してこの戦場をただ一人で駆けた菊千代は残りの男達の精神状態に目を光らす。
倒れ込みたくなる体を必死に心で鞭打ち平静を装う。
(さて……こいつらがビビるように派手にトチ狂ったみたいに笑って叫んで暴れたが、いい加減に降参しても良いと思うけど……どうだ? これ以上子供背負って戦うのは、正直限界に近いんだが……)
菊千代は叫び続けて乾ききった喉の痛みを紛らわすように、唾を飲み込む。
三十人を超える人の群れ。それを斬り伏せはしたが、その数の圧力は決して楽ではない。ましてや少女を背負いながらだ。内実、菊千代は余裕を装っただけで余力は無かった。
体力は限界に近づいていたが菊千代はそれを決して見せはしない。
いまだ状況は五対一なのだ。弱みでも見せて流れが悪く進んでいけば、あっさりと殺されるのは自分だと菊千代は理解していた。いつでも斬り込めるように腰と膝を落とし、長剣を両手で中段に構え続ける。
それこそ本物の獣のように。臆病な心中を押し殺し、生き残りきる道を探リ続ける。
と、菊千代の正面にいた兵士が双方の膠着を破いた。
「う、ウううううあぁああああああ!」
嗚咽が口からもら出したと思えば、迷いなく反転。
一直線に教会へ向けて走り出した。
「ううううウプアアウトさまぁあああああああああああああ!」
「ちっ、面倒な事をッ!」
菊千代がその背を追う。
咄嗟に重たい長剣は捨てて腰の剣鉈を引っ掴み、
「してんじゃねぇえええ!」
剣鉈を逃げる男目がけてぶん投げる。
逃げる男のうなじ。そこに深々と剣鉈が突き刺さり、先端が喉を突き破る。
恐怖した兵士が今度は声すら出せずに倒れる。
怯えて逃げれば即死ぬ事になる。残った者たちにそう予感させるには充分すぎる光景だった。
そしてこれを機とするように、最後まで残った兵士達からの絶叫が菊千代にぶつけられる。
「「「「畜生がぁああああああ!!!!」」」」
殺さなければ殺される。
残った最後の兵士達は体中の力を解放するかのよう猛然と仕掛ける。純粋に生き残る為に。菊千代という畜生を殺すために。
菊千代は右手で腰の粗末なサーベルを引き抜き、自身に向けられる殺意に真っ向から殺意を放ち迎え撃つ。
純粋な感情をぶつけ合い、互いの刃が最後の交錯を行った。