呪いの世・10
「ふむ、菊千代。私にはアレはお前が今朝欲情していた水あめ少女のように見えるが気のせいかな?」
「誤解を招く言い回しをするんじゃありませんよてめえ。ありゃ朝にあった女の子で間違いないけど欲情はしてないからな断じて……てか何であの子また面倒な事になってんだ」
菊千代はため息を吐きつつ髪を掻いた。
一体あの娘は、どうやったら一日でこんな状況を作れるんだ? 自分やアーナのような揉め事の多い生き方をしているならまだ分かるが、あの娘は普通の町の子のはずだ。それが朝に代神者とトラブルを起こし、今度は拉致に遭遇中らしい。
どうして町の危険区域の中で兵隊に捕まるはめになるのか、見当も付かない。
「あの子今日は運勢最悪なんだろうな……」
「それよりどうするの。助けないのか?」
「…………助けねぇよ」
言い切り、菊千代はそのまま男達を見送ろうとする。
「本気なのか?」
「当たり前だろうが」
「相手は二人だぞ? お前一人でも、どうにかなるんじゃないのか?」
「騒ぎになればその十倍二十倍が群がって来るんだぞ? 今助けてもどうしようもねぇ。だいたいさっきもお前が無理やり俺にやらせたようなもんだしよ……せめて夜になってからだ。あの子には悪いがここは」
「ふむ。なら私が助けよう」
は?
菊千代がポカンと呆けている間に、
アーナは跳んだ。
目の前の窓から、ヒョイ、っと。
窓の縁に足をかけ、地面まで十メートルはありそうな高さにも関わらずあまりに気軽に跳び下りた。
落下は二秒とかからず地面へ。
かなりの加速がついたはずだが、アーナは花に止まる蝶のようにふわりと地面に着地してみせる。
「なッ」
菊千代が三階から呆気に取られているのをニヤリと見返し、すぐさま前を歩く兵士へと駆けた。
足音が聞こえたのか。
途中で少女を抱えていない兵士が後ろを振り返るが、既に遅すぎる。
振り向いた瞬間、タイミングを合わせたようにアーナは迷彩服の兵士の顔に向けて手を突き出し、兵士の顔をわし掴む。
突進の勢いで一瞬兵士の体が上方へと浮き上がったように見えたが、次の瞬間には兵士の体が急激に地面へ傾いて行った。アーナの動きに操られてだ。
掴まれた頭をどうしようもできずに。兵士の足は地面から離れ、制御の効かなくなった体は振り子のように後頭部から地面へ急降下し、
ボッゴオッ! っと。
後頭部から容赦なく、兵士の頭は地面へ叩きつけられた。
一瞬の出来事に迷彩服の兵士は言葉も発せずに意識を刈り取られる。頭を追うように両足がぱたりと、さびしく地面に落ちてようやくアーナは掴み続けていた手を兵士の顔から離した。
「な、なんだお前は!?」
突然の襲撃を理解できずに見とれていたもう一人が、ようやく仲間を攻撃されたと理解し慌ててアーナから距離をとる。
手の少女を地面に捨て置き、両手で槍を構える。
「貴様誰だ! どこの回し者か!?」
「サーカスの曲芸師。珍獣のしつけなどを担当中」
「サーカス!? ふ、ふざけんじゃねぇぞ女ぁあ!!」
「ふざけてなどないよ。あぁほら後ろに珍獣が」
「なっ!?」
鎧の兵士は咄嗟に横を見る。女が指差した先を。
そこには突っ込んでくる一頭の猛獣のような男が。
「だれッ」
「遅えぇっ!」
いつの間にかビルから飛び降りていた菊千代もまた、兵士まで一直線に走りこむ。
兵士も慌てて槍の穂先を菊千代に向けようとするが、菊千代は槍が突き出される前にその中へ。
槍の懐の中、兵士の眼前まで間合いを一気に詰める。
慌てて兵士は槍を捨て、腰の湾刀に手を延ばすがそれより早く、菊千代の鉄篭手に包まれた右拳が兵士の顔面へとぶち込まれる。
「ぐべっ!」
豪快に地面へと吹き飛ばされる兵士。何度か後転し、止まった時には顔の布は赤黒く変色していた。
「……で? 誰が動物だって?」
「ほぉ、聞こえてたか。気の利いたセリフだったでしょ?」
「ったく。逆だろ立場が。手間のかかる猛獣はお前だろうが」
「そうかしら? おかげで悩む必要もなく、女の子を助けられたんじゃないかしら?」
「言ってろッ」
菊千代は舌打ちし、遠くの音に耳を傾ける。
人声と走る音。おそらく教会の兵士達だ。やはり、今の騒ぎが聞こえたのだろう。
「ちっくしょおお! 面倒くさい事になっちまったじゃねぇかよ」
毒づき、菊千代は倒れている少女へと駆け寄る。
顔色を見る限り気を失っているだけのようだった。
ただ額に青あざができている。多分ここを殴られるかして気絶させられたのだろう
そこまで確認し、菊千代は少女を抱きかかえた。
「こうなったらしょうがねぇ。アーナ。お前が助けたんだからこの娘連れて一旦町まで戻れ」
「菊千代はどうするつもり?」
「正面から突破して呪術師を仕留めてくる。ここで引いたら依頼者にも切り捨てられてもおかしくねえ。最悪、街の兵士も合わせた手勢なんて事になったら逃げきれるかも怪しい。そしたら全部が御破算だ。もう今やるしかねえ」
「結局はそうなるのか」
「そうさせたのはお前だろうが!!」
怒鳴り、少女をアーナに託そうとするが、
「ほら早くッ」
「…………いや。ここは私が突っ込もう」
「は?」
「菊千代は言った通り兵士を引き付けろ。その間に私が呪術師の首を取ろうじゃないか」
不敵にそう言い放つアーナだが、菊千代はそんな余裕は無く、先ほどよりも声を荒げる。
「何バカ言ってんだ。だいたいそうしたらこのガキはどうすんだよ」
「その娘は菊千代がどうにかしろ」
「なっ!?」
「私は迂回して教会を目指す」
足音が徐々に近づく中、アーナは飄々とした様子で自身の考えを告げる。表情が歪む菊千代を置き去りにしてそのまま行動を開始しようとするが、そんなアーナの肩を菊千代は乱暴に掴んで引き寄せる。
「ふざけんなてめぇ! 勝手言うのもいい加減にしろや! 死に急ぐのもいい加減に――ッ」
そこまで菊千代が言うが、不意に言葉が止まる。否、止められる。
ずいっ、と。
引き寄せられたアーナが逆に、自ら菊千代のすぐ目の前まで顔を近づけたからだ。
唇が触れるかどうかという程の至近距離まで互いの顔を突き合わされる。
驚く菊千代の目を、アーナの妖しく光る目が間近から捉えた。
死線が目の前にさし迫ろうとも、その両眼はいつもと変わらない。軽口を言い合っている時と同じく挑発的であり、同時に身震いするほどに美しい。
男の心を焼く、黒い炎を宿しているかのようだった。
「いい加減も何も。そんな死に急ぎの女に勝手についてきているのは、貴様だろう、菊千代?」
言うや今度は女の口の端が、大きく吊り上った。
邪悪とはこの笑みの事だと断言してやりたくなるような笑みだ。同時にその笑みには、人の奥にある狂気を駆り立てるような凄絶な美しさをも見る者に覚えさせる。
ぞっとするほどの女の色香を菊千代にぶつけながら、更にアーナは『忠告』する。
「まともな頭があるなら菊千代。今すぐにでも私を見捨てろ。私から離れろ。それこそが互いのためだ」
そう言って、すっと、アーナが顔を菊千代から離される。
菊千代は歪んだ顔と視線のままにアーナを睨むが、それ以上何も言わない。
アーナはそんな菊千代に最後に限っては優しげに微笑みを見せると、ゆっくりとした足取りでビルの間へと消えていく。
それが消えるまで、菊千代は睨み続けていた。
女の影もすぐに見えなくなった。同時に近づく足音の群が確実に大きくなるのを耳にしつつ、やっと菊千代は一言、吐き捨てる
「……………………あの女がっ。見捨てろとか離れろとか、それができりゃぁ苦労しねぇんだよ」
心の底から吐き終わると、菊千代はすぐさま眼前の手勢へと意識を向ける。
邪悪この上ない女の手助けの為、毒づきながらも行動を開始する。