004話 確証が無い!?
その日の業務を定時で終えたキャスは、バタバタと足早にアルテを出ようとしていた。
「お疲れ様でした~!!また明日~っ!」
持ち前の明るい笑顔と、元気良い声を張り上げて退勤しようとするキャスの後ろ姿に黄色い声が飛んできた。
「お疲れ様~!拾った男によろしくね~!」
瞬間、キャスは大きく後ろ跳びで見事な空中一回転を見せながらカウンターの前まで戻り、冷やかしにかかった同僚女性に反論した。
「拾った言わない!!!不慮の事故よ!!ジ~コッ!!!」
ムキになったキャスの迫力に押された同僚は、顔を引き攣らせながら両手で制止しながら
「そ、そうだったわね・・・。兎に角お大事に・・・ね。」
と、入り口へと視線を送りキャスの退勤を促したのであった。
「まったく、もう・・・」
昼間と同じく両頬を膨らませながらも、慌ててアルテを飛び出すキャスを、その場に居た常連冒険者を含む一同が不思議な気持ちで見送っていた。
「まあ、自分が加害者になったって事は理解出来るがよ?あそこまで慌てる必要ってあるのかね~?」
冒険者の一人が肩を竦めながら呟くと、他の者が別の声を上げた。
「いいじゃね~か。おかげで普段では見られないキャスの姿が拝めて楽しめる。」
「違いね~!!!」
一気にアルテ内が陽気な笑い声で一杯になった事は、当のキャスが知る由も無い話であった。
ハア・・・ハア・・・
病院の前に着く頃には息も上がっていたキャスであったが、その表情は清々しい。
「意識が戻ってれば良いニャ~」
呼吸を整えてから受付で面会に来た事を伝え、看護師から状況を聞きながら男の病室へと向かった。
「様態は落ち着いていますが、夕診の時点ではまだ意識は戻っていません。」
看護師の説明にキャスは肩を落とした。
「そうですか、でも、様態が落ち着いているなら良かった。」
カチャリ・・・
病室に入ると、ベッドには男が静かに横たわっていた。
キャスはソッとベッドの横に立つと男の顔をのぞき込んだ。
「呼吸も落ち着いているようね。」
「この後、夜診も有りますが、それまでに変化があればお知らせください。」
そう伝えると看護師は病室を後にした。
キャスは側にある椅子に腰をかけながら男の様子を見続けた。
「そうは言われてもニャ~・・・やる事が無いし・・・」
この日は夜診が行われるまで、呆けたように男を眺めただけで帰宅する事となった。
翌日以降も、早朝と夕方に病院へと足を運びながら毎日の仕事をこなしているキャスは支店長から呼び出された。男が病院に運ばれてから3日後の事である・・・
「その後の様子はいかがですか?」
支店長の問いかけに、キャスは首を横に振りながら答えた。
「様態は落ち着いており、命の心配は無いものの依然意識不明の状態です。経過報告をせず申し訳ありません。」
「そうですか、それはさぞ心配でしょう。いや、貴女の事ですから、何か変化があれば知らせてくれると思っていますが、一応私も気になったもので・・・」
「はい。状況が変わり次第お知らせさせていただきます。ご心配をおかけして申し訳ありません。」
一礼し部屋を出たキャスは深いため息をついた。
「ハ~~~~・・・・何だかな~」
トボトボと業務に戻ったキャスの姿を見送った別の影が、静かに支店長室へと入っていった。
キ~~~~イ・・・パタン
「変化なしですか?」
窓の外を眺めながら支店長は呟くと、影は黙って頷いた。
「引き続き観察を続けてください。状況によっては報告を上げなければなりません。」
影は静かに部屋を出て行った・・・
***
それからも男の様子に大きな変化は見られなかったが、少しずつ体に瑞々しさが戻ってきている事は朗報と言えた。
「この一週間で随分身体がふやけてきたかの・・・ハッハッハ」
医師はキャスに軽口をたたいて見せたが、看護師が医師のお尻を抓ってから補足してきた。
「まだ体重は完全復活とは言えないでしょうけど、運び込まれた事からすると順調に戻っているようですね。」
ベッドに横たわっている男の身体は、枯れた倒木のような状態から人である事がハッキリと判るようにまで瑞々しさを取り戻していた。
この頃になると、顔つきもしっかりと認識できるようになっており、キャスの記憶にあるイメージと、目の前にある顔が、ほぼ一致した。
(やっぱり、この人・・・プータローさんじゃ無いかしら)
「でも、まだ意識は戻らないんですよね?」
キャスの問いかけに、医師も看護師も首を振った。
「そうなんじゃよ・・・それだけが気になっておってな。まだ暫くは安静という事じゃな・・・」
三人は男の顔を眺めながら状況の確認をした。
「そうですか・・・。でも、命の心配が無くなったのはうれしい。」
キャスの穏やかな顔を見て医師も頷いた。
「まあ、ここに居る間の心配は無用じゃ!」
「よろしくお願いします。」
キャスは頭を下げ、診察を終えた医師と看護師を病室から送り出した。
医師はにこやかに手を振りながら部屋を出ると別の診察へと向かった。
「ふう・・・」
ベッドの横にある椅子に腰をかけたキャスは、軽くため息をついた。
実際のところ、日常業務などで多少気疲れを起こしていたキャスには、この男の顔を眺めている時間が心を落ち着かせるひとときとなっていた。
この日も三十分ほど男の横についていたキャスは、特に何をする出なく帰宅する事になった。
「早く元気になってね・・・」
返事が返ってくるはずも無く、独り言のように声をかける事が当たり前のようになっていたキャスであったが、男に向かって話しかけると何故か心が軽くなっているようで楽しかった。
翌日も平常業務をこなしたキャスは、家に直接帰るより病院に行く事が楽しく思え、少しでも早く男の顔を見ようと病院へと向かった。
「フフフ~ン。ララララル~・・・」
ガチャ!
「アッ!?」
「キャッ?!」
楽しげに鼻歌を歌いながら、弾むようなステップで病室へと飛び込んだキャスの目の前に、驚きの光景が広がった。
病室へ飛び込んだキャスは、ベットの上で上体を起こし医師の診察を受けていた男と目が合ったからであった。
「キャ~~~~ッ!!!!???気がついた???!!!ホント???生きてる?動いてる!!!??」
あまりの事に気が動転したキャスは、興奮しながら部屋の入り口でバタバタとはしゃいだ。
「コレコレッ!!驚くのは無理も無いが、診察中じゃ!静かにせんか!」
聴診器を男の背中に当てていた医師がキャスに声をかけた。
我に返ったキャスは手を口に当て、直立不動になりながらも、目に涙を溜めながら男の姿を見続けた。
(良かった・・・意識が戻ったのね。本当に・・・)
診察を終えた医師は、聴診器をポケットにしまい、ベット横の椅子へとキャスを招いた。
「今日の午後、意識が戻ってな・・・。先ほどやっと上体を起こせるまでになったところじゃ。」
「まだ無理は出来んが、状況は良い方向に向かっておる・・・。」
医師は、そこまでで一度話を切った後、天井を眺めて一息ついた。
「ただ・・・」
そう言いながら、男の顔を見た医師につられてキャスも男の顔を見つめると、男は少し恥ずかしそうに下を向いた。
「ただ・・・何です?」
キャスは医師へと視線を向け直して話を促した。
医師もキャスへ顔を向け直して、腕を組みながら話を続けた。
「本人の記憶が曖昧なんじゃよ。名前や身の上の事は一切不明、日常生活に必要な情報はある程度記憶して居る。」
「しかも、ワシらの知らん単語がしばしば出てくるが、そこはワシには内容がわからんので評価のしようが無い。」
そこまで言うと、医師は改めて男の顔を見た・・・
「そんな・・・」
膝の上でギュッと拳を握りながらキャスはボソリと呟くと、男の方へと向き直り身を乗り出して声をかけた。
「ねえ、私の顔覚えてない?美味しい店紹介したら連れて行ってくれるって約束したじゃ無い。」
キャスは、半分話を盛りながら男の反応を探った。
いきなりの声がけに驚いた男は、少し後ろに身をよじりながら、首を横に振って否定した。
「ご免なさい。そんな約束をした覚えは無いです。」
「それより、貴女は僕の事を知っているのですか?僕の事知っているなら教えてください。」
男は慌ててキャスに質問を投げかけてきた。
その表情から、本当に記憶に無いという事がうかがえるほど真剣な目を向けられたキャスは・・・
「私はキャス。貴男の名前は・・・タロー・・・よ。私達付き合い始めたところだったの。だから私も貴男の事をまだよく知らないの・・・ご免ね」
思わずキャスは正確で無い情報を男に伝えてしまった。
「タロー・・・。名前がわかっただけでも嬉しい気がする。有り難うキャスさん。」
なんとも丁寧な口調で話しかけてくる男に、キャスは人違いをしているのでは無いかと後ろめたくなってきたのであったが、男はそれからも話を続けてきた。
「キャスさん、僕たち付き合い始めたところって言ってたけど・・・。その・・・もし良ければ、そのあたりの話をもっと聞かせてもらえないですか?全然記憶に無くって・・・」
爽やかな男の笑顔にキャスは、顔を引きつらせながら頬を掻いて笑いながら、あらためて椅子に腰をかけた。
「まあ、後の事は二人でやってくれ・・・何か変わった事があったら待機室の看護師に声をかけてくれ」
そう言い残し、医師と看護師は部屋を出て行った。
キャスは自分の咄嗟の行動を後悔しながら、情報を訂正しようかとも考えたのだが、男の期待に溢れた笑顔を見ていると、そうすることが出来ず、半分自棄になって暴走を始めてしまったのであった。
「そう。何も覚えていないのね・・・。わかったニャ。教えてあげるから良く聞くニャ」
声が上擦って明らかに余所余所しい態度であったが、キャスは男に話をした。
「そう、あれは一月ぐらい前だったわね・・・。町を歩いてると後ろから声を掛けられたのよ。それが貴男だった。近くに美味しい食事の店は無いか?ってね・・・」
若干脚色しながら話を進めると、男は食い入るように頷いていた。
「え~?僕から声を掛けた訳なんですね・・・。通りすがりの女性に声かけるなんて、その時よっぽどお腹すいてたのかな?」
「さ?さあ~~~~??そこはなんとも・・・・」
「まあ、私にしてもいきなり声かけられたら変な奴認定するじゃ無い?でも、ただの町案内だからと思って店を教えてあげたんだけど・・・・」
「けど?」
「貴男、有難うだけ言って行こうとしたのよ?酷くない?普通そこ誘う所でしょ?」
ズイッと顔を男に近づけたキャスは話を続けた。
「と言うことは、一緒に行かなかったと?」
男は目の前のキャスに確認を入れた。
「そ、その時はね・・・だけど、食べて美味しかったらあらためて誘うって言ってたし・・・」
キャスは真実であろう事を多少混ぜながら、顔は横を向けて拗ねるように伝えた。
「はあ、それが切っ掛けだったと・・・。で?その後は?」
興味津々に聞いてくる男に、流石のキャスも作文が追いつかず・・・
「そうこうしているうちに貴男が事故で倒れたのよ、でこの状態・・・」
男は目を丸くしながらポツリと呟いた。
「それって・・・付き合い始めたという以前の状態の気が・・・」
その言葉を聞いて、キャスは横を向きながら顔を真っ赤にして黙り込んだ。
フッと軽く溜息をついてから男は言葉を発した。
「まあ、その辺りはどうでも良いです。」
その一言にキャスは男に詰め寄った・・・
「ちょっと!!どうでも良いってどう言う事?」
男は笑顔でキャスの両肩に手を添えて優しく押し返しながら答えた。
「ああ、ご免なさい。変な意味では無くて・・・」
「医師から聞いたんですが、僕が倒れてからずっと、キャスさんが世話を焼いてくれていたって・・・」
「それは・・・」
キャスが少し困ったような顔を見せたが、男は気にせず話を続けた。
「普通、見ず知らずの人間にそこまでする事ってあまり無いですよね?そう言う意味でも僕とキャスさんがある程度懇意にしていたと言う事だと思っているので・・・。出会った頃の切っ掛けとかは・・・まあ、どうでも良いかと・・・」
「あらためて・・・御礼が遅くなってすみませんでした。今日までお世話になり有難うございました。」
深々と頭を下げられたキャスは両手を激しく振りながら
「気、気にしなくて良いんだから・・ほら、私とタローの仲じゃ無い。これからも頼ってくれて良いんだからね?」
なんとも確証の無い中で、キャスと男はお互いの存在を意識し、和やかな時間が過ぎていった。