副会長の時間外業務報告
1人がけのソファーに腰かけて、うつらうつらとしていると、人の気配が近づいて来る事に気が付いた。敵意はなく、勇んでいる様子もなく、速足のようながら、速度は一定。
このまま、まどろんでいたい気もするけれど、呼び出された身の上なのだから、仕方ない。目を開けて、欠伸を1つ。ついでに、うんと伸びをすれば、
「待たせたな」
「いいよ、別に。うたた寝してたし」
ノックと同時に書斎へ入って来たのは、ウチの大事なパトロン。ルーベンス辺境伯サマだ。アトさんなんて呼ばせてもらってるけど、本当は雲の上の存在のはずなんだよねえ。
「それで、俺が呼ばれたのは、昨夜の報告でいいんだよね?」
「ああ。何が出て来た」
アトさんに続いて入って来たメイドが、お茶を淹れてくれる。
供されたカップは、1センチ幅ほどの濃紺のチェックラインが上部に描かれた、シンプルなデザイン。珍しいな、と思っていたら「アンタの好みでしょ。そういうの」と、アトさんが笑う。
メイドはもう書斎から退室していたので、口調が変わっている。変わり身が早いと言うか、何と言うか。どっちも同じアトさんのはずなんだけど、口調だけで印象がずいぶん変わる。
とは言っても、彼の本来の話し方がコレと知った時はずいぶん驚いたけども。
「よくお分かりで」
「意外に付き合いが長いんだから、何となくは分かるわよ」
俺の嗜好は、シンプルイズベスト。実用美だろう、と指摘されては、肩をすくめるしかない。芸術ってヤツは、昔から俺の苦手な分野だ。絵や彫刻で腹は膨れないからね。
カップのお茶は最高級品。淹れ方が上手いのもあるんだろうけど、良い香りがする。
「スシルォートの物は、こういう雰囲気のデザインを出したいんだけど、どこかで見たような物ばかりなのよね。なかなか上手くいかないわ」
スシルォートっていうのは、アトさんが出資している陶磁器の工房の名前だったはず。
「じゃあってのも何だけど、骨を線画でシンプルに描いたの作ってよ。歯車とか工具、道具もいいよね、そういうのも好きなんだよね、俺」
「骨はどうかと思うけど、歯車や道具は面白そうね。伝えておくわ」
アトさん、骨を馬鹿にしちゃいけませんぜ。リアルに描くとアレだけど、記号化したものは悪くない。ジョリーロジャーを知らないの? あれは格好いいよね。そう言うと、
「なるほどね。だったら、航海図とか羅針盤、コンパスなんかもいいわね」
他にダーツやビリヤードなんかも、面白そうだと付け加える。しばらく、モチーフで盛り上がってしまった。おっといけない、脱線だ。さっさと本題に入るとしよう。
「昨夜の、というよりは昨日の件だけど──正直、恐ろしいと思ったね。背筋がぞわっと来たよ。鳥肌が立ったのなんて、久しぶりのような気がする」
「ちょっと!? それ、本気なの?」
「これでも大真面目だよ。出し惜しみしたってしょうがないから言うけど、黒幕はユーデクスだったよ。キアラン王子付きの、ね」
「はあ!? ちょっ……あの馬鹿王子、そこまでマリエを嫌ってたってこと!?」
「いやあ……それがさあ、独断による暴走みたいなんだよねえ。これはこれで、問題アリだけど、この程度で済んで良かったかも、っていう気もしないではないし──」
いや、ホント、もう……こんなにも反応に困った事って、そうはないよ。
お茶に口を付けて、舌を湿らせ、俺は昨夜の件についてアトさんに報告をする。
どうして商会の副会長でしかない俺が、こんな報告を彼にするのかと言うと──パトロン様の鶴の一声で、そうせざるを得なくなってしまっただけの話。
スズメーズはウチの専属アタッカー。いわば、俺の部下も同然。その部下が関わった件なんだから、しっかり調べてくるように。ついでに言うと、マリエさんが絡んでいる以上、王家が何か秘匿しそうな気もするから、掴めそうな弱みはつかんで来い、との事であった。
ええ~、と渋る俺に、アトさんは言いました。
「下手したら、ウチの家名にも傷がつきかねなかったんだけど?」
「いってきまーす」
はい、俺の負けでした。勝負にすらならなかったね。
発端は、マリエさんの誘拐事件だ。スズメーズとちびこの証言に加えて、エルンストという、実行犯の証言も交えて、まずは表の時系列をたどる。
エルンスト坊やがマリエさんに淡い恋心を抱いていたっていうのは本当。
マリエさんが外出するから、護衛を兼ねた付き人が必要だと聞きつけ、同僚たちに頼み込み、坊やはその役目を譲ってもらった。同僚も坊やの淡い恋心は知っていたから、今度1杯奢る、という約束で譲ってくれたらしい。
冒険者ギルドでの用件を済ませ──マリエさんに好意を持つ身としては、色々思うところがあったみたいだけど、横道なので省略──陽気な羊の歌声亭へ移動。ここで、昼食。
坊やは従者だから、マリエさんと同席する事は許されず、別の席で食事を取っていた。
その時、法術使いらしき風体の男が相席を申し出て来たんだそうだ。店内が混雑している事もあって、了解したそうだ。
その男は、話し好きらしく、あれこれと話しかけてくる。
「気が付いたら、お嬢様への気持ちとか、周りへの不満とか、あの冒険者たちへの妬みとか、そういうのを、そいつに喋ってました。勢いって、怖いもんですね。一通り、話し終わったところで、その人が言ったんですよ。お嬢様へ近づくチャンスがあったとしたら、どうする? って」
その男が持ちかけてきたのが、狂言誘拐だった。護衛としてついて来てはいるけれど、そういう荒事は、からっきしだというエルンストに、その男が貸してくれたのが、あの法具。
キーンとクーン、2人が鑑定したところ、法具としては最低レベルの粗悪品。とは言っても、素人のエルンスト坊やには、そんな事は分かるはずもない。
上手く言いくるめられたのは間違いないと思う。
話を戻して、狂言誘拐には当然、誘拐してくれる協力者が必要だ。これについては、話しかけて来た彼の方が手配してくれると言う。
何もかもが至れり尽くせりで気味悪く思ったものの、
「──実は、その法術使いの雇い主のお嬢様が、うちのお嬢様を嫌っていて……ちょっと怖い目に遭わせてやれと、言いつけられていたんだそうだ。でも、はっきり言って八つ当たりみたいなモンなんで困っていたら、僕を見かけて……これなら、一石二鳥になるかもと……」
そういう事ならってんで、エルンスト坊やはソイツの申し出を受けたらしい。
「ちょっと待って。色々、おかしくない?」
「おかしいよ。坊やも、今更だけど、何だってあんな話を信じたのか、自分でも分からないんだって、半泣きになってたからね」
でも、詐欺師ってのは相手をノセるのが上手い。それに、その詐欺師の正体は、この国の影で暗躍しているユーデクス一族だ。
「暗示系の法術を使ったらしいよ。ソイツ、マリエさんを怖い目に遭わせてやろうって考えてはいたらしいけど、具体的な方法は思い浮かばず、急に降ってわいたチャンスに縋りついたんだと」
「その坊やは、この法術使い風の男──ユーデクス出身の暴走男に体よく使われちゃった、可哀そうなコってワケね」
額に手を当てて、ため息をつくアトさん。
暗示系の法術は、見世物程度のシロモノならともかく、そういう高度な事をやらせようと思ったら、繊細な調整が必要らしい。坊やの支離滅裂な行動は、その辺に原因があるんだろう。
「──で、その言い方なら、問題の悪い男も捕まえてあるのね?」
「当然。んで、これがまた……アレでソレだったんだよね。さっきも言った通り、唆したのは、ぼんくら王子付きのユーデクスだった訳だけど──実は、男じゃなくて女でした」
「はあ!?」
「背が高くてガタイもいいし、声も低いからそうは見えないけど、女の人だったんだよ。この人、ぼんくら王子に惚れてたみたいで。で、こっちもかなわない、報われない恋だって最初から諦めてた。ここまでは、まあ……よくありそうな話。問題は、ここから」
この彼女、マリエさんに仲間意識を持っていたらしい。
「はあ?! マリエと、その女とどう繋がるのよ!?」
「繋がりはないよ。あくまで、彼女の一方的なモノ。報われない愛に生きる者同士だってね」
何よそれ、と頭を抱えるアトさん。気持ちは分かる。俺も、何だソレ、って思ったもん。
「ところがところが、マリエさんは、ぼんくら王子から距離を取るようになり、俺に、アトさん、スズメーズと次々に男を側に寄せ付けるようになった。これは、ぼんくら王子への、ひいては同士たる自分への、立派な裏切りだ、許せん! 罰を与えねば! って事になったらしいよ」
どういう思考回路をしてるんだ、と皆思うに違いない。尋問に立ち会った、ランも頭を抱えていたよ。ユーデクスでは、どういう教育をしてるんだってね。俺も同感。
それも問題っちゃ問題だけど、もっと根本的な別の問題も浮上した。
基本、護衛は複数人で行う。今回は3人態勢だったそうだ。彼女が持ち場を離れた事について、他の2人はダンジョン内での出来事を報告しに、行ったんだろうと、思ったそうな。
もちろん、と言っていいのかは不明だけど、そういう自己申告はなかった。
勝手にそう思い込んでいただけである。
人員が減る事に関しても、自分たちもいるし、ぼんくら王子たちも自分の身を守る事くらいはできるはずだし、こんな町中で襲って来る者もいないだろうし、と深く気にしなかったらしい。
「……マリエ付きのユーデクスは? あっちは何を考えていたの?」
「あっちはあっちで問題だね。自分たちが出るほどのものじゃないから、スズメーズに手柄を譲ってやろう、って考えたらしいよ。一応、外に漏れないよう、情報規制だけは仕掛けたみたいだけど──」
「最低ラインはやったのね。それしかやってない、ともいうけれど」
ランはキレたね。同時に、喜んでもいた。
というのも、元々、ユーデクス自体に不信を持っていたらしい。ところが、それを具体的に示す事が出来ず、あちらの幹部に若造が、と侮られていた事もあって、どうにもならなかったそうだ。
それが具体的な事例として表に出て来たのだから、ここで動かなきゃ、主じゃないね。
「何でも、使われてやってる、自分たちがいなきゃ、この王家は何にもできないんだ、みたいな風潮があったんだってサ」
「主従の権力逆転ね。よくある話だわ」
要するに、この国の王家はユーデクスからナメられていた、という事である。
「ランは、ユーデクスの格を落とす事を即決したよ。連中のそういう雰囲気は気付いていたから、個人で間諜を雇い入れていたらしいんだよね。今後はそっちを優遇するってさ」
古参と新人の確執で、遠慮していた部分もあったそうだけど、これで大鉈を振るう事ができる、とランは苦笑いしていた。手放しで喜べる事じゃないもんねえ。
この日、ぼんくら王子とマリエさんに付いていた者は、全て排除。ユーデクスでも、ランが信用できると思ったほんの一握りの人材以外は、全員処分。
これからしばらく、情報戦が弱くなるのは仕方ないにしろ、このまま放っておいた方が国にとって大きなマイナスになる。
「不幸中の幸いなのは、情報規制のお蔭で誘拐事件が、ほぼ闇に葬られたって事だね。ユーデクス内部が大きく入れ替わった、程度の情報はよそにも漏れるだろうけど……」
「他国がつけ込めるほどの大きな穴にはならないでしょうね。別口がもうあるんだし」
「よその耳目は入り込む前に、ユーデクスをシメられたのは大きかったかな」
「そうね。どっちが主なのか再教育するには、いい口実になったわね」
大分冷めてしまった紅茶を口に運び、アトさんはため息をこぼした。
今回の件で、アトさんは王家にまた貸しができた訳だし、辺境伯側としては、結果的に得をしたと言えるだろう。マリエさんが無事だったから、言える話だけどね。
「で、この件をマム……マザー・ケートにも報告しようと思ってるんだよ。ランにも許可はもらってる。マムは共犯だし、何よりマリエさんの護衛を──ね」
「教会から護衛を出させるつもりなのね。まあ、悪くないんじゃない? でも、誘拐事件そのものは表ざたにしないのでしょう? どういう理由で出させるの? それとも、影?」
「スズメーズから、聞いてない? 冒険者ギルドで、マリエさんをすっげー顔で睨んでたコがいたって言う話。あの場に、冒険者と兼業してる司祭見習いのコがいたんだよね。で、その子にマリエさんの身が危ないかもって、進言してもらえないかって、お願いしてる」
これは、ちびこの証言から、冒険者ギルドに行って人相から個人を特定する事ができた。
善は急げってな訳で、とりあえず昨夜の内にポストへ、進言依頼の手紙を投函済。これから、直接会って、もう一回お願いに行くつもりだ。
この子には、ちびこに、ポシェットをくれたお礼も言わなくちゃいけないしね。
「なるほど。そのリトル・オーガから、マリエの身を守るため、っていう理由ね」
「そそ。あの花十字を持つ身なんだから、教会から護衛が派遣されてない方が不思議だっていう話ね。一応、侍女の2人は護身術の心得を持ってるけど、それじゃ頼りないって事でね」
言外に、侯爵家の武力はあてにならん、と言ってる訳だけど、その通りなんだからしょうがない。
マムへの報告は、進言の根回しが済んでから、という事になる。早くても、今日の夕方くらいかなあ? こちらも手紙での対応をお願いする事になるだろう。
「とりあえずは、こんなとこかな。ただ、護衛をどこから引っ張って来るのか、っていう問題がある……のかな? 教会騎士はちょっと厳しいと思うんだよね。あ、一応、そんな事はないと思うけど、念のために言わせてくれる? 俺がマリエさんに付くのは、無理だからね?」
出店契約がまとまりそうなのだ。出店場所が決まれば、内装やら商品の搬送、品出し、スタッフの採用、教育。その他もろもろ。忙しくなるのは分かり切っている。
「それは、分かってるわよ。ただ、アナタが実力的に納得しそうな護衛なんて、そうそういないのよねえ。スズメーズでも、不安なんでしょう?」
「5年後なら、まあ、何とかってトコかな。一番安心なのは、ちびこさんなんだけどね」
「それは、色んな意味でダメでしょう。むしろ、襲ってくれって雰囲気になるわ」
全員、返り討ちどころか地獄を見そうな気もしないではないけどね。そんな事よりも、幼児を護衛につける、教会や侯爵家の常識が疑われそうだよね。
「ランとマムにも相談してみるよ。とりあえず、司祭見習いのコにお願いしてくるから」
「よろしく頼むわね」
じゃ、そういう事で行って来ます。……働くなあ、俺。
******************
「それにしても、護衛……護衛なあ……」
司祭見習いのコは、とてもイイコだった。こっちのお願いを聞いてもらえただけじゃなく、ギルドで冒険者たちに声をかけて、連名で陳情書を出してくれたのだ。
おかげで、マムも動きやすかったみたいだね。ただ、問題は護衛として、誰を派遣するか、という事だ。最初に指名されたのは、やっぱりというか、俺だったけど、これは丁重にお断り。過労死するってえの。
と言っても、教会から派遣すると決めた以上、お城の騎士団からは無理。
教会に所属する騎士は、予想通り俺の目から見て、不安ばっかり。この人なら、っていう人は偉い人が多いので、個人の護衛に派遣するのはちょっと……という事になる。
俺としては、冒険者ランクで言うと、最低でもBランク中位くらいの実力は欲しい。そうなると、ルドラッシュ村のオッチャンたちの誰か、かなあ? という気にもなる。
ただ、マリエさんに付けるんだから、見栄えも大事だと思うんだよね。そうすると、ちょっと難しい。冒険者から、見繕うか~? でもなあ……とりあえず、検討させてほしいとマムには返事をして、ルドラッシュ村に帰還している。
いやあ、転移陣サマサマだよねえ。一瞬だもん。超便利。
それはともかく、マリエさんの護衛である。心当たりは、あると言えばあるんだけど、諸々の都合で頼めない。それは誰かって言うと──
「姉ちゃん、ただいま」
「おお、チトセではないか。久しいな。しばらく出ていると聞いていたが、戻って来たのか」
「おっと、ごめん。気付かなかったから、ノックし忘れた」
部屋にいたのは、14、5歳くらいの天使のような美少年。黄金を細くしたような巻き毛の長髪とサファイアの色をした、くりっとした目。小さな顔に小さめのぷるっとした唇。
にこっと笑うこの少年こそ、誰あろう──
「来てたんだね、バドさん」
ウィリアム・ファイネスト・バートン・ニニブ王、その人である。
つまり、魔族の王様の1人である。どう見ても、ミドルティーンにしか見えないが、これでもアトさんより何倍も年上という……。魔族の年齢って本当に分からない。
「うむ。ローザからシュークリームがあるから、遊びに来ないかと誘われたのだ」
王様がシュークリームにつられて、来たのか。別にいいけど。誘う方も誘う方だけど、誘われる方も誘われる方だと思う。
「お帰り、チトセ。出店契約は、まとまったのか」
「大筋でね。これが契約書。確認して、サインちょうだい」
空いている席に腰を下ろしつつ、俺は契約書が入った封筒を斜め前に座る女性に差し出した。
彼女は、シャツとパンツを身に着け、腰に赤色の派手な布を巻いている。これが、姉ちゃんこと、リッテ商会会長ローザリッテ・アルバータ・バルバロッサの基本スタイル。
ここは、リッテ商会の本部にある、サンルームだ。てっきり、ローザ1人だと思っていたから、ノックもしないでドアを開けてしまった。
バドさんはそういう事、あんまり気にしないので助かる。
「ご苦労。後で確認する。ところで、ちびこたちは元気にしているのか」
「してるよ。してるけど……今、ちょっと問題発生中」
俺は、ここ最近、頭を悩ませているユーデクス一族やらかしちゃった事件の事について、ローザに説明する。ああ、マリエさんの事は以前に報告済みだ。
話を聞いた会長は、ただ一言。
「どこの阿呆だ、それは」
ごもっともで。
「……話はよく分からないが、お前たち程度に戦える護衛が欲しい、という事か?」
くりん、と首を傾げるバドさん。天使がやると、何をやってもサマになるなあ。口の回りに粉砂糖がついたままだけど。ちびこもよく、口の回りを粉砂糖だらけにするんだよなあ。
勝手に出かけた罰として、簀巻きにしてみたけど、あれは絶対に反省していない。
「まあ、そうだね。できたら、見栄えのいい方が嬉しい。相手は、侯爵家のご令嬢だからさ。中身は庶民派なんだけど」
「ふむ……気難しい令嬢ではない、という事だな。なら、適任が1人いる。以前からこちらへ来たがっている人間がいるのだ。ずいぶん前に、双子の弟が東側へ飛び出して行ってな。一度、そちらへ探しに出たものの、見つけられずに戻って来たのだ。その後もずっと音信不通で、何とかもう一度探しに行けないかと気をもんでいるようでな……」
バドさんの領地に住んでいるのは、何も魔族だけじゃない。少数民族扱いではあるけれど、人間も住んでいる。おまけにひ弱レッテルを貼られていて、大事にされているそうだ。
たまに、とんでもないのが出てくるらしいけど、その適任者とやらもそのクチだろう。
「えっと……一応確認。男? 女?」
「男だ。名前はインドラ。見栄えは文句なしだと思うぞ。戦わせても、お前たちといい勝負をするはずだ。性格も穏やかだし、こちらに対して偏見も持っていないし、以前、作った身分が使えるだろうしな。近いうちに連れて来よう」
「バドさんのお墨付きなら、大丈夫だね。ぜひ、お願いします」
「うむ。任された」
俺が頭を下げると、バドさんは力強く頷いてくれた。
いやあ、持つべきものは人脈だね。
この後は、時間が許す限り、世間話に花を咲かせた。ルドラッシュ村の事とか、バドさんたちの国の事とかね。話題は尽きる事がないんだよ。
うん、後で反省はしたよ? 思い込みだけで物事を進めるのはよくないな、ってね。
「アトさん、護衛にめどが立ったよ」
「あら、イヤだ。ずいぶん早いじゃない。どうしたの?」
「商会で紹介してもらえた……って、ダジャレだね。こりゃ」
思わず笑えば、アトさんも笑う。
「辺境中の辺境にある、ど田舎の小さな村なのにね……」
「否定はしないけど」
アトさんの感想に、俺は思わず苦笑い。ルドラッシュ村は、閉鎖的なんだか開放的なんだか、よく分からない村である。
魔族が訪れる事もそうだが、深魔の森には、大小さまざまな規模の少数民族が住んでいて、一部の民族は、ルドラッシュ村へ香辛料などを求めて商談に来るのだ。
その一方で、同じ領内の人間はほとんど来ないのだから、面白いと言えば、面白い。
「身元は大丈夫なの?」
「う~ん……使えるだろうって話だけど、昔に作ったものらしいから、曖昧かもね」
「なら、おじい様を頼ってきちんとした経歴をおねだりしましょ。すぐに用意してもらえるはずよ」
「ちょっと待って。オジイサマって、どこのオジイサマ?」
嫌な予感がする。窓の外から、チチチという小鳥の鳴き声と「ていやー」っていうちびこの気合が聞こえてきた。……スズメーズを相手に組手でもやってんのかね、あのお子様は。え? 簀巻き? あんなもの、ちびこが飽きたら、それで終了。脱出まで1分かからない。あれは、ちびこにとって、新しい遊びにしかならなかった。我ながら、馬鹿なことをしたモンだと反省している。
軽く現実逃避をしていた俺に、アトさんはにっこり笑って言いました。
「もちろん、ヴァラコのおじい様よ」
「……巻き込むの? 巻き込んじゃっていいの? って言うか、経歴なんてすぐに用意できるモンじゃないよね?!」
今は引退して、悠々自適な隠居生活って聞いてるけど、それでも共和国内での発言権はまだ強いって聞いてるけどー? 国の醜聞、バラしちゃっていいのかね?
「おじい様はとても情熱的な方だもの。花嫁として迎えたい女性の護衛に、社会的な身分が必要だからお願いしたいのって言えば、叶えて下さるわ」
「そういう方向でもってくの!? って言うか、嫁候補に付ける護衛の身分が、しっかりしてないっての、まずくない?! ついでに言えば、その嫁候補、この国の王子と婚約してんだよ、今!」
「その辺は、上手く聞き流してくれるでしょ。ええと、経歴だっけ? そんな物、必要になった時に揃えるんじゃ、遅いのよ。向こうだって、清濁併せ呑んだ政治家よ。必要になりそうな物は揃えているに決まっているじゃないの!」
……って事は、アトさんも架空の人物経歴をいくつか用意してあると。聞かないけど!
「それだけじゃないわよ。そろそろ、リッチェモント湖の港湾事業が動き出す頃だから、様子を知りたいの。そっちが動き出せば、新たな流通経路が開かれるんだから、情報を集めるのは当たり前でしょ。それに、スネィバクボ山脈の開発事業もどうなっているのか、興味はあるし、港湾都市の利権関係なんかもね」
「あ~……こっちの内情を手土産に、あっちの内情も探ろうってワケ?」
「そうよ。ユァシェルとのパイプは、我が家だけではないでしょうから、向こうも知っているとは思うけど──それでも、アタシが爵位を継いでから、中央とはほとんど繋がりを持たなかったから、おじい様にはお手を煩わせることも多かったでしょうしね」
アナタたちのせいで、っていう副音声は気のせいだよね? アトさん。
「手紙のやり取りはしてたんでしょ?」
「もちろんよ。でもねえ、おじい様に話せる事なんて微々たるものよ。山脈の向こうの事とか、魔族の事とかルドラッシュ村の異常ぶりとか、深魔の森の開発状況とか──言える訳ないでしょう? 当時はまだ、どうなるか何の見通しもなかったんだし」
「デスヨネー。特に深魔の森関連となると、ウチの事業と直結しちゃってるからねえ」
「今なら、報告しても問題ないって分かるのよ。小遣い握りしめて駄菓子を買いにいく感覚で、あの森に出かける子供は、世界広しと言えど、ルドラッシュにしかいないわ」
あはー、スズメーズの事ですねー。分かります。10年後くらいには、第2第3のスズメーズもいそうだしねえ……。あそこン家、近々4人目が生まれるらしいしな。色んな意味でビックリだよ、ホント。
「それじゃあ、ちゃっちゃと手紙書いてもらっていいかな? 情報はスピード命だから、ドラゴン便でささ~っと、行ってくるよ。むこうとこっちとあっちと、まあ、何回か回れば、矛盾のない経歴が用意できるでしょ」
「ちょっと待て。ドラゴン便って何?」
アトさんの血相が変わった。そんなに驚かなくても……って思ったところで、そういや話してない事を思い出した。
「ん~? ちょっと前って言っても、もう3年くらい前になんのかなあ? 姉ちゃんがはぐれドラゴンと拳で語り合っちゃって意気投合。それから、頼めば馬替わりに空飛んでくれるようになったんだよねえ」
あくまで世間話の延長という風を装って、報告する。
「仮にも元男爵令嬢が、拳で語り合うって何なの?! おまけに意気投合ですって!?」
「しかも、クレシェント・ドラゴン。ちなみにオスで、ただいまカワイイ嫁さん募集中」
アトさんと同じだね、って言いかけたけど、それは飲み込んでおこう。
「クレシェン……200年だか300年だか前に、北のシャンポークサを壊滅させたっていう伝説のドラゴンと同種じゃないのよ!?」
「若気の至りだったらしいよー」
「本人、いや、本ドラなワケ!?」
本ドラて──落ち着け、アトさん。
「拳で語り合っちゃうくらい、熱血ドラゴンではあるけど、良いヤツだから大丈夫。ボディは三日月みたいな色で涼し気だけど、中身は正義感溢れるナイスガイだから」
「ナイスガイって……いつの言葉よ……もう、いいわ。アタシ、アナタたちと付き合うには、諦めが肝心って悟ったんだから……」
そんな、燃え尽きたみたいに言わなくてもいいんじゃないカナー。
それからが、また忙しかった。
クレシェント・ドラゴンを呼び出して、ヴァラコの近くまで飛んで。馬車なら半月くらいかかる旅程もドラゴン便なら、あっという間。2時間コースで到着。
アトさんのじいちゃんの家へ、アポなしで突撃して──いや、訪ねて行って、宿にいるから訪問の日時について連絡ほしいって言ったら、そのまま屋敷に通されちゃったんだよね。
バドさんに紹介されたインドラの経歴は、30分くらいで、出て来た。アトさんが言ってた通り、いつかの何かの為に用意されていたらしい。
それから、ドラゴン便で戻って来て、マムにも報告。それなら、教会の信者としての記録もあった方が良いだろうって事になり、偽造する事が決定。これは、ちょっと時間がかかるみたいだ。
んで、実は、すっかり忘れてたんだよね、俺。
バドさんにとって、人間って言えば、知能があって会話ができて、意思疎通が可能な2足歩行の種族だって事! その人が魔族だろうが人族だろうが、それ以外の何かだろうが、あの人にしてみれば、全部人間の括りに入るんだよ!
「チトセ、この者がインドラだ」
「お初にお目にかかります。インドラ、と申します」
絵に描いたような執事スタイルの男の額には、どう見たってホンモノの目がついていた。
「ハジメマシテ……チトセ、デス……」
人間だって言うから、てっきりあっちにいる人族を紹介してくれるんだと思ってたよ!
……うん? あれ? 俺、アトさんにバドさんが紹介してくれた、って言ったっけ? それよりも、マムにも言わなきゃいけない事が増えたな。
魔族って事は伏せておくにしても、インドラがこっちに来たのは、100年くらい前の話だって事!
え~っとだから、本人じゃなくて、身内って事にして、双子の弟……の子供か孫がいるって事にすればイケるか? バドさんの話は記憶違いって事にして、ごまかそう。
ああそれから、100年前と今じゃ常識も変わってるだろうから、覚えなおしてもらわなきゃいけないな。
あ~……頭イタイ……。ホント、思い込みって怖いな!
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
ちーちゃんは、働き者です(笑)