少女救出
雲の隙間から太陽が顔を覗かせる。八日目の朝だ。その光は、未だ夢の中にいる蓮華を現実へと引き寄せた。
「ん、む……?」
体育座りで眠ったせいか、少し腰が痛い。気がつくと蓮華の身体に毛布が掛けられていた。
「鮫島くん……?」
まだ頭が冴えていない蓮華は、寝ぼけ眼で周囲を見渡す。するとちょうど絞助が奥から出てきた。
「ん?やっと起きたのか。もう昼前だぞ。」
「え?ほんと?」
正確な時間は分からないが、太陽がかなり上がっているところを見ると、どうやら本当のようだ。
「寝すぎちゃったなぁ〜……。」
「まあそれはいいさ。ところで、腹が減ってるだろ?一応、食料になるものは見つけたが。」
絞助が持ってきたのは固形の栄養バランス食品だった。
「あ、うん、ありがとう。もらうよ。」
蓮華はそれを受け取り、食事にありつく。量は大したことはなかったが、一緒に持ってきてくれたペットボトルに入ったミネラルウォーター(らしきもの)で空腹は抑えられた。
「ふぅ〜……。満腹満腹。」
「なら良かった。よし、移動するぞ。歩けるか?」
「あ、ちょっと待ってね……よいしょっと。」
試しに立ち上がってみる。違和感はあったが、走らなければ問題はなさそうだった。
「うん、大丈夫みたい。でも、どこか行く宛あるの?」
「ない。」
即答された。ならばと蓮華は思い、一つ提案する。
「じゃあね、私、行きたいところっていうか、やりたいことがあるんだけど。」
「ん?なんだ?」
「えっとね……お風呂、入りたい……。」
「…………。」
一瞬の沈黙。絞助は呆れながら口を開いた。
「あのなあ……状況分かってるか?殺すか殺されるかの状態なんだぞ。風呂くらい入らなくて死にはしない。我慢しろ。」
「え〜?だって一週間ずっと入れなかったんだよ?さすがに入らないと汚くて気持ち悪いよ。鮫島くんも、その……ちょっと臭ってたし。」
「……何?」
躊躇いがちに絞助は自分を嗅いでみた。確かに、これはマズいかもしれない。
「はぁ〜……分かった。じゃあ風呂に入れそうな場所を探そう。それでいいだろ?」
「うん!」
二人は並んで歩き出し、薬局を後にした。
着いたのは豪華なホテルだった。無駄に大きな建物に、無駄な装飾品で飾られている。
「ここにしよう。」
「え?ここ……?」
高価そうな外観に戸惑う蓮華。絞助は気にせずにずかずかと入っていった。
「あ!ちょっと待ってよ鮫島くん!」
蓮華も急いで追いかける。中は金色の光がこれでもかと言うほど溢れていた。天井も無駄に高い。これほどのホテルにもかかわらず、フロントやカウンターには誰もいなかった。
「誰もいないね。」
「まあそうだろうな。こんな状況じゃ普通に営業なんて出来ないだろ。ま、そこを狙って来たんだが。」
一階は食堂と厨房しかなかったので、階段を使って二階へと移動する。二階の通路にはびっしりと扉が並んでいた。絞助は一番手前の扉のドアノブを回してみる。
「……開かないな。」
扉に耳を押し当てて中で音がしないか確認する。少しだが人の気配があった。
「先客がいるらしい、他のところへ行こう。」
「うん。」
手前から順にドアノブを回していく。しかしどこの扉も開かなかった。
「考えることはみな同じということか……。」
開かない扉のドアノブをいくつも回したが、どれも中へとは入れてくれなかった。絞助が諦めかけてた時、蓮華から歓喜の声が上がる。
「鮫島くん!ここの扉、開いたよ!」
蓮華が開けたのは階段から見て一番奥の扉だった。結局は最後まで見て回ったことになる。
部屋の中に入ってみると、そこもまた無駄に広いスペースで、長机を囲むようにソファが三つ置かれていた。入って右の奥に進んだところが入浴所らしい。
「おっ風呂♪おっ風呂♪」
上機嫌な蓮華をよそに絞助は部屋の中を見渡す。なんとなくだが違和感があった。調べてみる必要がありそうだ。
「鮫島くん、鮫島くん。」
「なんだ?」
扉に施錠しながら警戒を緩めず返事をする。
「覗かないでよ?」
「……いいから早く入ってこい。」
「は〜い。」
スキップで入浴所に消えていく蓮華を見送ったあと、絞助は部屋の隅に置かれた小さな冷蔵庫を開けてみた。その中には日持ちする数人分の軽食と、ガラス瓶に入ったドリンクが数本、所狭しと保管されていた。しかし、一つだけ抜かれたように空いたスペースがある。
「やはり誰かいる……!」
絞助がそう呟き目を見開いた瞬間、入浴所から蓮華の悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあ!」
「!?」
絞助は冷蔵庫を乱暴に閉め、何も考えず入浴所へと飛び込む。中では蓮華が倒れていた。いや、倒されているというべきか。
「……あら?」
見知らぬ長髪の少女が、馬乗りの状態で蓮華に跨っていた。左手で蓮華の左腕を後ろで固定させ、右手は蓮華の頭を抑えていた。
「部屋の鍵を閉め忘れてたわね。迂闊だったわ。」
蓮華が襲われている状況なのだが、いかんせん、二人の格好がなんとも危うい。長髪少女はバスタオル一枚(と首に巻いているMME)のみを身体に巻き付けているだけで、蓮華の方は脱ぎかけなのか下着(と首に巻いているMME)しか着用していない。
「うう……鮫島くん……。」
「…………。」
なんと反応したら良いか分からないでいる絞助の代わりに、長髪少女が口を開いた。
「一応、この娘を人質にしているわけだけど、あなたはどうするの?」
それを聞いた瞬間、絞助の返答は決まった。
「危害を加えるつもりはない。だからその手を離してほしい。」
「あら、懇願するのね。見かけによらず低姿勢とは驚きだわ。」
少女が考え込むように蓮華と絞助を交互に見やる。すると、絞助に言われた通りスッと手を離してくれた。
「そうね、人数的にはこっちが不利だし、あなたの言う事を暫定的に信用するわ。」
「そうしてくれると助かる。」
「でも一つ条件があるの。」
長髪少女は馬乗りのまま蓮華を指さす。
「私がお風呂から出るまでこの娘を私のそばに置いてほしいの。ほら、暫定的だから、完全には信用していないから。」
「あ、うん。それは私は構わないよ?」
絞助が答えるより先に蓮華が答えた。絞助も、女性同士ならば一緒に入浴してもさして問題はないとは思えた。しかし、今しがた出会ったばかりの少女の言う事だ。
「俺がお前を信用していいのか?」
という言葉が出るのは自然だった。
「あら、ほんのひとときだけでいいのよ?ご覧の通り、私は今半裸だから武器とかは隠し持っていないことは明白のはずだけど?それにこの娘に何かあった場合、あなたが私をただで帰すわけないじゃない。そう考えれば、メリットよりもデメリットの方が目立つわ。」
少女の言っていることは最もだ。向こうから譲歩してきたのだ、こちらも譲歩せねば事態は収束しない。
「分かった。それで手を打とう。」
「話が早くて助かるわ。じゃあとっとと出て行ってくれないかしら?ここ、脱衣所だから。」
言われて思い出す。二人の女性があられもない姿でいるのだ。本来ならば男性である絞助が居ていいわけはない。
「す、すまん……。」
おずおずと引き下がる絞助だった。
しばらくしてから二人が風呂から上がってきた。二人とも着ている服はバスローブだった。
「は〜、気持ちよかった。」
「う、うん……そうだね……。」
見るからに肌がツヤツヤな長髪少女と、見るからに精気を吸い取られたかのような蓮華が出てきた。それに対して絞助が必要以上に反応する。
「おいお前!何か余計なことしたんじゃないだろうな!?」
「失礼ね、女の子同士の過剰なスキンシップをしただけじゃない。それに私は『お前』じゃなくて『羽鳥みゆき』っていう名前なの。覚えておいて損はないわよ?」
みゆきと名乗った少女は、長机を挟んで絞助の正面とあるソファに座った。ただでさえ際どい格好のバスローブ姿であるのに、みゆきは足を組んでいる。蓮華はその隣にちょこんと座る。
「あなたも入ってきたら?バスローブはまだあるし、洗濯機も空いてるわ。」
「洗濯機?」
「ええ、乾燥機付きのいいやつよ。夜までには全員分回せるんじゃないかしら。」
「……そうか。」
絞助も風呂には入りたい。しかし、このみゆきとかいう少女をこれ以上蓮華と一緒にして大丈夫なのだろうかと心配になる。
「鮫島くん……?」
絞助の視線に気がついた蓮華が絞助を見つめる。
「鮫島くんも入ってきなよ。私は、大丈夫だから。」
「お前がそう言うんなら……。」
蓮華に見送られながら絞助は脱衣所へと向かった。薄笑いを浮かべるみゆきを見たような気がしたが、多分気のせいだろう。
絞助が風呂から上がると、蓮華とみゆきが楽しそうに談笑していた。
「それはそうと、蓮華はバナナ派?ソーセージ派?」
「うーん、なんでその二つなのかはわかんないけど、どっちかというとバナナかなあ。」
「あら意外ね。皮は自分で剥きたいだなんて。」
「え?バナナって普通、皮を剥くよね?」
「そうね。バナナは皮を剥かないと食べられないわ。」
「だよね〜。」
話が噛み合っているようで噛み合ってない。見兼ねた絞助が二人の話に割り入る。
「おい羽鳥。それくらいにしておけ。」
「あら?いつの間に居たのかしら、このバナナ野郎は。」
「それ、意味分かって言ってるんだろうな……?」
本当に意味が分かっていない蓮華が首を傾げるので、みゆきは嘆息着いて別の話題を振った。
「そういえば、二人に訊きたいことがあったのよ。」
蓮華と絞助が相槌を打ったのを確認し、次へ進む。
「二人は何を目的に生きようとしてるのかしら?今自分たちの現状は分かっているでしょう?なら、生きる目的くらいあるはずよね。」
「……何故そんなことを訊く?」
「当然よ。『あの日』から一週間以上が経った、なら二人とも誰かを殺して生きながらえてるってことじゃない。そうまでして生きたい理由は何かしら?私は断然興味があるわ。」
言われて絞助は少し考える。いつ死んでもおかしくない状況で、ただ単に生きていくだけではいつかは狂ってしまうだろう。だから目的を見つけなくてはいけない。ではその自分が生きている目的や理由は?
「俺には……ある。」
絞助はそう呟くことができた。
「どんな理由かしら?それを聞かせてもらえない?」
「……言えない。」
「あらそう?別にいいけど。」
対して蓮華は唸ったまま答えなかった。
「あなたはないのかしら?ありきたりな返答でも私は構わないわよ。」
「うーん……。私はとくにないかな。」
蓮華は無表情で天井を仰いだ。返答を貰ったみゆきは、目を瞑って曖昧に、
「そう……。」
と話題を打ち切った。なんともいえない空気になり、三人はただ時間が過ぎていくのを眺めているだけになった……。
三人はいつしか眠りにつき、絞助が目を開けた時にはすでに日が昇っていた。
「朝、か……。」
さすがにバスローブで眠るわけにはいかなかったので、三人とも元の制服に着替えていた。乾燥機付きだったのが幸いだ。
チラリと、みゆきを一瞥する。みゆきはまだ眠っているようで、規則正しく寝息を立てている。みゆきの着ている制服は、どこの学校のものか分からない、見たことのないものだった。だが制服を着ている、ということは年齢もさほど離れているわけではなさそうだ。
次に蓮華を探す。蓮華はみゆきの向かいにあるソファに寝転がっていた。蓮華も、絞助が出会った時に着ていた制服に身を包み、むにゃむにゃと小さな声で寝言を言っている。
「みゆきちゃ〜ん……バナナはミルクを掛けなくても美味しいよぉ〜……。」
「……ったく、こんな異常事態に呑気な奴だ。」
とは言うものの、少しばかり絞助の頬は緩んでいた。
絞助が身嗜みを整えていると、どこからか金属の擦れる音と、誰かの悲鳴がいくつか聞こえてきた。遠くの方で鳴っているようだ。不審に思った絞助は急いで蓮華を起こした。
「おい、おい起きろ。」
「むにゃ……鮫島くん……?」
まだ半分起きていない蓮華が気の抜ける返事をする。絞助は蓮華の身体を無理矢理起こした。
「なんだか嫌な予感がする。さっさとここを出よう。」
「嫌な予感?」
「ああ。妙な音が聞こえてこないか?」
「妙な音……。」
蓮華も耳を澄ませてみる。言われると、ギィーギィーという音がしている。
「この音、なんだろ……。」
「分からない。とにかく出よう。」
絞助は蓮華の手を握って部屋を飛び出そうとした。だが蓮華は手を振りほどいて立ち止まった。
「ちょっと待ってよ鮫島くん!みゆきちゃんはどうするの?」
「昨日今日会ったばかりのやつだ。放っておいてもバチは当たらん。」
「そんなのダメ!私、起こしてくる!」
言うが早いが、蓮華は飛びつくようにみゆきに向かって行った。
「みゆきちゃん起きて!ここから出るよ!」
「ん……蓮華?おはようのキスかしら?」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!早く起きて!」
「何?何なの?」
蓮華は起きたてのみゆきを引っ張って、絞助の待つ部屋の出入り口まで連れてきた。
「訳が分からないわ。事情を説明してもらえる?」
「話は後だ。今はここを出るぞ。」
絞助が部屋の鍵を解錠し、顔だけ覗かせて左右を確認する。左は行き止まりで、右がここまで来た通路が続いている。その通路が騒がしかった。
「なん、だ……?」
絞助は我が眼を疑った。喧騒飛び交う中心にいたのは、チェーンソーを持って振り回す男だったからだ。それを知らぬ蓮華が絞助に問う。
「鮫島くん?どうしたの?」
「チェーンソー!?何でもアリかよ……とりあえず逃げるぞ!」
絞助は蓮華の手を握って部屋の外へと飛び出る。みゆきも蓮華と手を繋いでいたのでつられて部屋から出てきた。外の状況を一瞬で理解したみゆきが、冷静に考える。
「ふむ。逃げるといっても、あのチェーンソー男がいるのは一方通行になってるこの通路よ。確かこの行き止まりになってるところ、非常口になってるはずだわ。」
狂ったかのようにチェーンソーを振り回し、逃げおおせる人たちを無残に引き裂いてく光景を背に、みゆきは通路とは逆方向の壁しかない場所を見渡す。
「あった、これね。」
壁のデザインのせいで見にくいが、確かに非常口の取っ手があった。みゆきがそれを回すと、重々しい音を立てて扉が開いた。中は暗かったが滑り台のようなものが先へ続いていた。
「まあここ二階だしね。さっさと行くわよ。」
先陣を切ったのはみゆきだった。何の抵抗もなく滑り台を滑っていく。
「俺は後でいい、お前が先に行け。」
「う、うん……。」
絞助が蓮華を促して脱出させる。蓮華の姿が見えなくなるのを確認し、絞助も後から続く。
滑り台の先は裏口に繋がっていた。そのまま外へと走り抜ける。
「……こっちよ。」
みゆきが顎で道を示す。蓮華と絞助はみゆきの後ろから付いていった。
大通りに出ているが人っ子一人見掛けない。三人がドタバタと、あのホテルから距離を取っている姿があるだけだった。
みゆきがちょうどいい路地裏を見つけてそこへ飛び込む。蓮華と絞助も一緒に入って行った。
「ふう……とりあえず、ここでいいんじゃないかしら。」
「ああ、そうだな……。」
三人ともまずは息を整える。そして、みゆきが素朴な疑問をぶつけてきた。
「なんで私を起こしてくれたのかしら?私なんか居なくてもあなた達だけで逃げられたはずよ。」
その問いに答えたのは蓮華だった。
「何言ってるの?私たち友達でしょ?」
「とも、だち……?」
聞き慣れない単語なのか、首を傾げながら復唱するみゆき。納得はしていないようだったが、理解はしたようだ。
「そういうことにしといてあげるわ。ありがとう。大きな借りができちゃったわね。」
「ううん、気にしなくて良いよ。」
「そうはいかないわ。お返しをさせてちょうだい?そうね……。」
しばらく唸って、みゆきは閃いた。
「この命、蓮華のために使わせてもらうわ。このご時世だもの、いくらでもそのチャンスはあるはずだわ。」
「あ〜……うん、それで良いよ。」
こうして蓮華と絞助に加えて、みゆきも共に行動することとなった。
最後にみゆきが絞助に耳打ちする。
「気の付けなさい。あの子は今とっても危険な状態よ。」
「……どういうことだ?」
蓮華には聞こえないようにヒソヒソと会話。
「あのチェーンソー男を見たでしょ?あれが今の状況を耐えられなくなった人の末路よ。蓮華はそれに近づいてる。」
「なぜそう言い切れる?」
「なぜならあの子は生きる目的がないと言ったからよ。あの子は……『死にたくないという願望すらない』のかしら?はてさて、彼女は一体何の為に生きてるのでしょうね。」
「…………。」
絞助は何も言えなかった。




