生還逃走
「はっ……はっ……はっ……。」
一人の制服姿の少女が街を駆ける。彼女は追われているのだ。
『生きる為には誰かを殺さなければならない』
そんな狂った世界では、か弱き少女は逃げるしかないのだ。
「ふっ……ふっ……ふっ……。」
しかしそれも時間の問題、いずれは息が上がり、足を止めざるを得ない。それは彼女にとって『死』を意味している。
「はー……はー……はー……。」
ビルの壁にもたれ掛かり、息を整える。もうここがどこなのか分からないくらい走り回った。あまり悠長にはしていられないが、身体全体がもう動けないと悲鳴を上げている。
タッタッタッ……。
彼女を追いかけてきている人物の足音がすぐそばまで来ていた。追いつかれたら……殺される。
「逃げなきゃ……。」
そう言うが、やはり身体は思うように動かない。フラフラと歩みを進めるが、足を絡ませて転んでしまった。
「痛っ……!」
疲弊しきった身体に加えて足首を捻ってしまった。痛みがひどく、立ち上がることすら困難になった。絶望の思考が頭を巡る中、更なる追い討ちが彼女を凍らせた。
「追いついたぞ、小娘……!」
彼女を追いかけて来た男だ。手には少女を殺すには充分過ぎるほどの刃渡りの長い包丁が握られていた。
男の狙いは分かっている。彼女の首に巻かれている健康管理装置(メディカル・マネジメント・エクイップメント)、通称『MME』と呼ばれる装置だ。
ほぼ全人類が着けているであろうMMEは、常時微量な毒が人体に投与される仕組みになっている。一週間以内に解毒しなければ死に至る毒だ。そしてその解毒剤は、当のMMEからしか入手できない。つまりは、『一週間以内に誰かを殺さなければ自分が死ぬ』ということだ。
本来MMEは風邪等を代表とするウィルスに対して、予防又は治療を内科的に自動で行う装置なのだ。それが今では人類を脅かす凶器となり、同時に生き延びる為の必需品となっている。
この頭のネジが飛んだような状況になってから七日が経過しようとしている。男が必死になるのも無理はない。
「や……やだぁ……。」
それでも大人しく殺されてやる必要もないし、己もMMEから解毒剤を入手しなければならない身。こんなところで時間を食っている場合ではないのだ。
だが現実は非情である。立つことのできない身体では這って動くことが精一杯であり、そんなことでは男が捕まえるのは容易なことだ。
「もう逃がさねえ!頼むから殺されてくれ……!」
「!!!?」
男に馬乗りにされ、髪の毛を引っ張られる。剥き出しになった首筋に包丁が当てられた。
まさにその瞬間だった。
「おい。」
その場に似つかわしくない、冷淡な若い男性の声が聞こえてきた。馬乗りになった男が、声のした方へ振り向くと、目の前に蹴りが飛んできていた。
「うべぇ!?」
容赦のない一撃が男の頬を直撃する。男の身体はそのまま勢いよく吹き飛ばされた。
「大丈夫か?」
蹴りを喰らわせたであろう男性は、少女に問いかけてきた。見ると男性は学ランを着ており、少女と同い年のように見えた。いや、実際年齢はそこまで離れてはいないのだろう。なにしろ同じ学校の制服なのだ、一目見れば分かる。着崩した学ランは不良の印象を与えている。
「あ、あの……。」
混乱したままの少女。味方などいないと思っていた世界で自分以外の誰かに助けられたのだ。
しかし驚いている場合ではない。今しがた襲われたばかりなのだ。男はすぐに起き上がり、こちらを睨みつけていた。
「てめえ!何しやがる!なんだったらお前から殺して……。」
そこで言いとどまる。手にしていたはずの包丁が手元にないのだ。だが見渡さなくともすぐに見つけられた。
「これを探してるのか?」
いつの間に拾ったのか、学ランの男性がヒラヒラと包丁を見せびらかせていた。それを見た男は顔が真っ青になり、恐怖の表情を募らせた。
「ち……ちくしょう!」
男は悪態をついて逃げ去ろうとした。武器を奪われ、形的には二対一の状況だ。自分が殺されかねない。もたつきながらも逃げていく背中に、学ランの男性は殺意を向けて言い放った。
「逃がすかよ……!」
大きく振りかぶり、男の後頭部目掛けて手にしている包丁を思いっきり投げつけたのだ。包丁は空中で何回転もし、ついぞ男の後頭部にたどり着いた時にはしっかりと刃が突き立てられた。
「あ……がっ……。」
当然男は即死。頭蓋骨が何のためにあるのか問いたくなるほどキレイに刺さった。動かなくなったのを確認すると、学ランの男性は少女に再び問いかけた。
「怪我はしていないか?」
「ひっ……!」
今の少女は何に対しても怯えてしまう状態だ。それを察した男性はまずは自己紹介をした。
「俺は鮫島絞助。お前と同じクラスの高一だ。」
「あ、うん……。」
言われて思い出した。いつも教室の隅で一人でいる一匹狼の鮫島絞助くんだ。思い出すと自然と恐怖が少しだけ薄らいだ。続いて少女が自己紹介する。
「わ、私は蝶野蓮華。」
「……知ってる。」
絞助は蓮華の身体をしげしげと観察する。倒れたまま立ち上がろうとしない蓮華に違和感を覚えた。
「足、くじいたのか?」
「うん……。」
「そうか。」
そう言うと絞助は黙って蓮華を抱えて歩き出した。蓮華は短い悲鳴を上げたが、大人しく絞助に身を任せた。
MMEの一般化により病気にかかることはまずないとされるが、怪我等の外傷は従来通りの治療しかない。故に薬局や病院は未だに存在している。
絞助が向かったのはその薬局だった。応急処置くらいはできるであろうという目論みだ。案の定、中には捻挫程度ならばどうにかなりそうな薬品が揃っていた。
電気が来ていないのか、中は少し薄暗い。絞助は蓮華を優しく下ろし、治療に必要な道具を探し始めた。
「……。」
蓮華は黙って待っていると、絞助が湿布とテーピング用の包帯を持ってきた。
「どの辺りが痛む?」
「えと……この辺り。」
蓮華が指さしたのはちょうど右足の踝の下だった。絞助は言われた所に湿布を貼り、動かしても悪化しないよう包帯でテーピングした。
「応急処置だが、これで大丈夫、のはずだ。」
「うん、ありがとう。」
絞助は自信が無さげだったが、蓮華は素直に感謝した。
気持ちが落ち着いたところで、蓮華は絞助に質問をなげかけた。
「えっと、鮫島くん……は、どうして私を助けてくれたの?」
「…………。人助けに理由は必要ないだろ。」
絞助は一瞬だけ、不機嫌そうな顔をしたが、すぐに無表情に戻り蓮華の質問に答えた。
「外に用事がある。少しの間だけここで待ってろ。」
おもむろに絞助は立ち上がり、一人でどこかへ行こうとした。それを聞いた蓮華は絞助の学ランの裾をがっしりと掴んで喚き始めた。
「嫌だよ!一人にしないでよ!」
「すぐに戻る。大人しくそこでじっとしてろ。」
目も合わさずに無理矢理蓮華を振りほどき、本当に一人で行ってしまった。
「あっ……。」
蓮華の手は宙を掴む。自分で動けない蓮華は仕方なく待つことにした。
しばらく体育座りで待っていると、絞助が何かを持って戻ってきた。時間にすればそれほど経ってはいないが、蓮華にとっては怒りをあらわにするほど長い間待たされた。
「もう!どこに行ってたの鮫島くん!」
「……これを取りに行ってたんだ。」
絞助が見せたのはMMEの内側にある、件の解毒剤が入っている小さな容器だった。見た目は単四電池ほどのものだが、これがなければ生きていけない代物だ。
「それは……。」
「お前のことだからまだ解毒していないんだろう?これで解毒しろ。」
蓮華が『どこで手に入れたの?』と聞く前に絞助が遮った。渡してきたMMEの解毒剤はまだ鉄の匂いが強く残っている。
蓮華はこの解毒剤の容器の形に見覚えがあった。まだ解毒していないのは確かだ。ならば見るのは初めてのはずだが、記憶が『見たことがある』と主張する。蓮華は解毒剤を受け取りながら過去を振り返ってみた。そうだ、一週間前のあの日に……。
「……やっぱり。」
蓮華が制服のポケットを探ると、出てきたのは今絞助が持ってきた解毒剤と同じ形をした小さな容器だった。
「お前……持ってたのか。」
「うん、ちょっと、ね。」
蓮華にとってはあまり良い記憶ではない。絞助にもそれは見て取れた。だが、気になった絞助はあえて問いただした。
「良かったら聞かせてもらえるか?それの入手する経緯を。」
「うーん……。鮫島くんになら話してもいいかな。」
受け取った解毒剤を絞助に返し、蓮華は解毒剤を握り締めながら天井を仰いだ。
一週間前の、この悪夢が始まった当日の朝から思い出す…………。
雀の鳴き声と共に朝の目覚まし時計が鳴り響く。蓮華はベッドの中でのそのそと動き、目覚まし時計を黙らせた。
「……むにゃ。」
まだ眼がきちんと開いていないまま、洗面所へ行き顔を洗ってシャキッとする。そしてなんとなく、意味もなしに決め顔を作ってみたり。
「うわ恥ずかしぃ〜……。さっさと学校の準備しよ。」
流石にパジャマ姿では締まらない。蓮華は自室に戻って制服へと着替えた。
朝食は焼いたトーストの上に目玉焼きを乗せたものだ。蓮華の大好物なので、朝はよくこれで済ませる。目玉焼きを作る際に着けたエプロンもそのままで、それをかじっていた。
蓮華の両親はいつも早朝に出かけるゆえ、朝はいつも一人だ。寂しさを紛らわせるためにテレビでも付けてみる。ちょうど朝のニュースをやっているところだった。しかしやけにニュースキャスターが慌ただしい。とくに興味があったわけではないが、自然と耳に入ってきた。
『え〜先程もお伝えしましたように、政府はMMEを用いて世界中の人口を減らそうとしています。動機はまもなく百五十億を超えようとする人口を減らすためのものと主張。しかしこれに反発する人も多く、各地で抗議の声が上がっています。』
よくわからなかったが、また政府がなにか問題を起こしたらしい。蓮華はあまり聞きたくなかったので、別のチャンネルに合わせる。だがどの番組も同じくニュースキャスターが慌ただしく似たようなことを口にしていた。
『MMEからは微量の毒が私たちの身体に投与され続け、一週間ごとに解毒しなければ死亡するとのことです。解毒剤は他者のMMEから入手しなければならず……。』
『速報です!解毒剤の入手方法の確認が取れました!解毒剤はMMEの内側にあり、首を切り落とさなければならないというものです!政府は本気でこんなことをするのでしょうか?』
『反抗した者は射殺するという声明もあり、事態はさらに激化しています!』
物騒な話だ。要約すると、他人を殺さなければ自分が死ぬということだ。話半分でも聞くに耐えない。蓮華はテレビを消し、溜め息混じりに食事を終えた。
戸締りの確認をし、最後に玄関の鍵を掛けて学校へと向かう。いつも一人で登校しているが、途中で見知った背中を見つけた。
「七花ちゃ〜ん!」
「んお?蓮華じゃん、おはよ。」
名前を呼ばれて振り返ったのは、蓮華の幼馴染み、蜂須賀七花だ。二人は近所でも有名な仲良しさんだ。
「おはよ!ねえねえ七花ちゃん、今朝のニュース見た?」
「え?今朝?ごめん、あたし今日は起きるのちょっと遅かったから見てない。」
「あ、そうなんだ。」
「なんかあったの?」
「ううん、別に。」
あんな物騒なこと、知らない方が良い。それに本当に人殺しを行わければならないのなら、みんないつも通りなわけがない。周りを見ても、スーツ姿の男性が腕時計で時間を確認しながら早歩きで駅に向かったり、小学生くらいの男の子二人が元気に走り回っている。うん、いつも通りいつも通り。
「蓮華……いきなりにやついて気持ち悪い。」
「うわ!七花ちゃんひど〜い!」
「ちょ、ちょっと!殴るの禁止!痛い痛い!」
キャッキャと騒ぎながらも歩みは進む。二人は通っている高校の校門をくぐり、二階にある自分たちの教室へと向かっていった。
教室の中は少し騒がしかった。すでに到着している生徒たちが会話を楽しむのは毎度のことだが、今日にいたってはなおのこと騒がしい。
「おっはよ〜。」
「おはよう。」
蓮華と七花が挨拶をするも、誰も返事をしない。不思議に思った蓮華は、一人の女生徒に声を掛けた。
「みんな、何かあったの?」
「あ、蓮華……。何かあった、じゃないよ!今大変なことになってるんだから。」
「大変なこと?」
思い当たる節がある。が、まだ確定はしていないため、蓮華はあえて惚けた。
「ほら、私たちにはMMEが着いてるじゃない?」
女生徒は自分の首に巻かれている金属を触りながら言う。蓮華も頷きながら自分のMMEに触れる。物心ついた時にはすでに身体の一部のようになっていたMME。なんだかちょっと冷たい感じがした。
「それでね、このMMEから少しずつだけど、毒が私たちの身体を侵食して、一週間後に死んじゃうって話。テレビで散々言ってたじゃない。」
「…………。」
蓮華は答えなかった。いや、なんと返せば良いかわからないのだ。女生徒は気にせず話を続けた。
「死にたくなかったら他人のMMEを奪え〜とかなんとかも言ってたよ。奪えって言われても、これ、外せなくなってるのにね。」
本来MMEは脱着可能なはずだ。それが急に外せなくなったのは、やはりテレビで言っていたことは本当のことなのだろうか?その考えに至った瞬間、蓮華は身の危険を感じた。ダメだ。ここにいてはいけない。ここにいては……。
パァーン!!
銃声が響く。ドラマや映画で聞いたことはあるが、直に聞いたのは始めてだった。それでも銃声だとすぐに理解できたのは、今朝のニュースキャスターが言っていた『射殺』という単語が脳裏に浮かんでいたからだ。銃声は校門の方から聞こえてきた。クラス中のみんなが一斉に校門側の窓に張りつく。蓮華もその中に混じって外を覗き込んだ。
三人の男性らしき姿が見えた。一人は武装した自衛隊のような格好で、拳銃を構えていた。もう一人は尻もちを着き、怯えながら逃げているのが遠くからでも分かった。そしてもう一人は……。
「死ん……でる?」
血を流し、地面に倒れていた。恐らくはさっきの銃声の被害者なのだろう。蓮華の一言で教室内には異様な沈黙が訪れた。
パァーン!!
また銃声。耳をつんざくような音が蓮華たちの目を瞑らせた。目を開くと、逃げ惑っていた方の男性が崩れ落ちる瞬間を捉えてしまう。
「う、うわあああああああ!!!?」
一人のクラスの男子生徒が悲鳴を上げながら教室から出ていく。それを皮切りに、ほとんどの生徒が取り乱し、教室内は騒然となった。
「あ……あ……。」
蓮華はその場にへたれ込んだ。あれは間違いなく政府に反抗し、文字通り射殺された人だ。それが意味するところは分かっている。今朝のニュースで言っていたことが事実であるという証拠だ。本当に、始まってしまったのだ。
『生きる為には誰かを殺さなければならない』。
先ほどまでの日常からの一変、非日常的な出来事に受け入れられないでいる蓮華の後ろに、誰かがやってきた。振り返ると、七花が蓮華を見下ろしていた。
「な、七花ちゃん……。」
蓮華はなんとか立ち上がり、七花に抱きつく。しかし七花は蓮華を突き飛ばして鞄から何かを取り出した。尻もちを着いた蓮華は訳も分からず七花を見上げた。
「七花ちゃん……?」
「そっか……。本当に、殺しても誰も文句は言わないのね……。」
七花が取り出したのはカッターナイフだった。刃を剥き出しにし、蓮華に向ける。
「嘘、だよね?七花ちゃん。私たち、親友じゃ……。」
「はぁ?何言ってんのあんた。」
下劣な視線が蓮華を見下す。その目は決して友を見る目ではなく、まるで動物の死骸でも見るような目だった。
「あんたは知らないだろうけどさあ、あたし、イジメられてたんだよ?」
「え……?」
初耳だった。そんなもの、今までの言葉にも態度にも、微塵も感じなかった。
「あんたはクラスの人気もの、それにくっついてるあたしは邪魔だって。わかる?あんたのせいであたしは毎日毎日嫌がらせを受けてたんだよ?」
語尾になるに連れて声色が険しくなる。こんな七花の表情、蓮華は見たことがない。
「あんたを殺せば、きっとあたしはあんたを許せる……。だからさあ、死んでくれない?」
カッターナイフが蓮華に近づく。蓮華は急いで立ち上がり、周りを見渡した。もはや教室には蓮華と七花しかいないが、蓮華のそばには誰かが置いていった鞄があった。蓮華はそれを手に取り七花に投げつけた。
「えいっ!」
「!!?」
七花が左腕で防御する。その一瞬の隙を突いて蓮華は教室から飛び出した。
「待て蓮華ぇ!!」
背後から怒号がする。蓮華は振り返らずに走り出した。
行くあてはない。それでも逃げなければ、殺されてしまう。
蓮華は慣れないながらも一段飛ばしで階段を掛け降りる。つまずきそうになったがなんとか踏みとどまり、昇降口にたどり着く。昇降口は人で溢れかえっていた。恐らくは別のクラスの生徒たちが、蓮華のクラスと同じように恐怖に駆られて錯乱しているのだろう。
「きゃっ!」
「いてっ!」
他の男子生徒とぶつかってしまった。蓮華は謝罪もせずにすぐにまた走り出す。
人と人との間を縫っていき、校門に出る。
「ひっ……!」
そこには死体があった。さきほど射殺された死体が二つ、無惨に転がっていた。拳銃を持っていた男はもうそこにはいなかったが、『死』を間近に見せられた蓮華は吐き気を催してしまい、立ち止まってしまう。
「う……。」
だがそれはすぐに霧散する。まだ距離はあるが、後ろから聞こえてくる殺意は蓮華の足を動かすのには充分だった。
「殺す!殺してやる!」
「七花ちゃん……。」
蓮華はもうどうすれば良いか分からない。ただひたすらに逃げ続けることしかできない。
混乱しているせいか、いつの間にか知らない道に来ていた。住宅街らしき場所で十字路に差し掛かる。右も左も分からないとはまさにこのことだ。
「こっち!」
左へ行く。似たようなブロック塀が立ち並んだ道は蓮華の方向感覚を狂わせる。もはやどこをどう走っているのか皆目見当もつかない。
「うそ……。」
そして蓮華は致命的なミスを犯す。行き止まりだ。後ろ以外の三方向をブロック塀が塞いでいる。慌てて戻ろうとしたが一歩遅かった。
「はん、ようやく追い詰めたわよ。」
カッターナイフを持った七花が、息を切らしながら蓮華に詰め寄る。周りには誰もいない上に、助けを求めるための声も微かにしか出せないでいた。
「や……いや……。」
向けられた凶器から少しでも遠ざかろうと壁に背を押し付ける。
七花は勝利を確信した。やっと、蓮華を許すことができるんだ。蓮華を殺してあたしは生き残る……!
「じゃあね、蓮華。」
振りかぶったカッターナイフが蓮華を狙う。蓮華は頭を抱えてしゃがみこんだ。目を閉じて震えながら死を覚悟した。が、いくら待っても蓮華には何も起こらなかった。恐る恐る目を開けてみる。
「……!?」
そこにはカッターナイフを振りかぶったままの状態で止まっていた七花がいた。いや、それだけならまだしも、七花の首には日本刀がくい込んでいた。斬りつけられた、といったほうが的確なほどだ。
「う……あ……え?」
七花本人も状況がよく分かっていない。くい込んだ日本刀にゆっくりと手を伸ばすが、突然首から引き抜かれ、トドメを刺さんとばかりにもう一度七花の首に目掛けて斬りつけてきた。七花の首は骨まで綺麗にスパッとはねられた。はねられた首は蓮華の足元に転がり、頭を切り離された四肢は血を流しながら後ろへと倒れていった。
「う……、げえええええ!!」
蓮華は我慢できずにその場で吐いた。腹の中の物が全て出し尽くしそうなほど吐いた。今まで耐えてきた分、余計に気分が悪い。
そんな蓮華を見下げてくる誰かがいた。日本刀を持った誰かだ。
「ハァ……ハァ……。」
「どう?少しは落ち着いた?」
女性の声だ。蓮華が吐き終わるのをわざわざ待っていてくれていたのだ。見上げると、同じクラスの人だった。蓮華はクラスメイトの名前は全員覚えているつもりだったが、今は頭がきちんと働かず名前が出てこない。その少女は蓮華の返事を聞かずに話し出した。
「ちょうど自分の家から日本刀を取ってきたところなのよ。危なかったわね。」
しゃべりながら七花の首から外れたMMEを拾い上げる。それをカチャカチャといじると、内側から白い小さな容器を取り出し、日本刀の少女は蓮華に握らせた。
「これは貴女のものよ。大事に使ってね。私は妹が心配だから、これで失礼するわ。」
近づいてきた少女の顔には七花の返り血が着いていた。そして少女は日本刀を握ったままどこかへと走り去っていった。
一人残された蓮華は死体となった親友を見やる。ピクリとも動かず、ただただ鉄の匂いを撒き散らしている。
「こんなの……こんなのって……!」
あまりにも非現実的すぎて、この時の蓮華は泣きじゃくるしかできなかった……。
「……ま、こんなとこかな。あとはずっと逃げ回っててただけだから。」
話し終わってみると、すでに外は暗くなっていた。最後まで黙って聞いていた絞助は、まるで自分のことのように辛そうな顔をした。
「そうか……。俺が学校に着くまでにそんなことがあったのか。」
「鮫島くんはいつも遅刻してたもんね……あはは。」
蓮華は全力で笑ったつもりだったが、それは誰が見ても苦笑いにしか見えなかった。
「ふあ……。」
話し疲れたのか、蓮華が大きな欠伸をする。慌てて口を抑えるが、バッチリと絞助に見られた。
「ご、ごめん……。」
「なぜ謝る?時間が時間だ、眠くなるのは当たり前だ。」
そういうと絞助は上着を脱いで蓮華に被せた。ほんのりと体温が残っている上着は、今の蓮華にとっては睡眠を誘発するのには充分すぎた。
「いいの?」
「ああ、俺はなくても多少は大丈夫だ。それより、寝る前にちゃんと解毒しておけよ。俺は他に毛布がないか探してくる。」
絞助はそれを最後に建物の奥へと消えていった。
一人になった蓮華は手元にある小さな容器を開けてみる。中には少量の液体が入っていた。『解毒剤』というからには飲まなければならないのだろう。蓮華は一気に飲み干した。
「……苦いね。」
少し泣きながら眠りについた。




