堤家、朝。
キラキラと太陽の光を浴びて輝く緑の垣根の向こう側。
ビルの立ち並ぶ街から少し離れた場所にある一見おしゃれな一戸建て住宅。
早朝六時。
そこでは、重要会議が開かれていた。
「……やっぱ、起こしに行くのは千尋だろ」
「えっ……、私…?!」
「ちぃが一番気にいられてるじゃん」
「え…っ、そんなことないよっ」
「そんなことあるあるー。結局、律は千尋に甘いしねー」
「ちょ、やめてっ。私、断固拒否するからねっ」
ぶんぶん、と自分の胸の前で両手を振って千尋は一歩後ずさる。
けど、すかさず千尋の背後に回っていた陸に後ろから羽交い締めにされた。
「わっ…、ちょ……っ、陸っ」
「バカ、誰が生け贄逃すかよ」
「い、生け贄……って…」
その言葉に絶句している千尋を無視して、陸が強引に小さな子供を抱き上げるように千尋を持ち上げた。
(こいつ、マジで軽いな。ちゃんと食ってんのか?)
あまりにもふわり、と抱き上げられる華奢な身体にほんの少し違和感を感じながらそのまま律の寝室に陸は直行する。
今、彼女を逃がすわけにはいかない。
(俺が起こしたら、確実に律に殺られる)
一度だけ長男、律を起こしたことのある陸はそのおぞましさを時下に体験していた。
だから、最初に千尋が律を起こしたときの不機嫌そうな律の顔を見て、穏やかすぎると悟ったのだ。
それは正直、他の兄弟、颯(次男)と蓮(四男)も同感していた。
寝起きの悪さだったら天下一品、律様が唯一甘さを持って接するのは千尋だけ、だと。
まぁ、本人は全然気づいていないのだが。
「り、陸っ…、お願い下ろして…っ」
「やだね。」
「あ、あたしだって…っ、律に怒られるの怖いよっ…!」
半泣き状態になった我が妹当然の彼女を見て、ふ、と得体の知れない感情がこみ上げる。
それと同時に彼女を抱き上げているこの体制に陸の意識が回った。
柔らかな腰元。
自分とは明らかに違う肌の温み。
鼻を掠める彼女の髪の甘い香りに、陸の視線を独占する白いうなじ。
「……千尋、お前無防備だな」
「え……、だって、陸、だし……」
「うん、俺なら良いけど。
他の男にこんなことさせんじゃねーぞ」
「え……、う、ん…」
あまり納得いかない、という顔で俯く千尋を律の寝室の前で下ろす。
不安定だった足下がしっかりした所為か、ホッと千尋は胸をなで下ろした。
「……じゃ、頼むわ」
「えっ?……あ、ちょっとっ」
本題を思い出したのか、千尋が慌てて陸の服の袖を掴む。
陸相手に男意識なんて持ってるわけ無いこと分かっていても千尋が女だということを改めて感じさせられて、心臓が大きく高鳴った。
(なに、可愛いことしてんだ、コイツ……)
自分の妹だと思ってずっと一緒に育ってきた陸にとって、千尋に恋情を持つと言うことはあり得ないに等しい。
いや、それどころか考えることも出来ないでいる。
「……陸?どうしたの、そんなじっと見て」
「…ん?…あ、いや……」
「……変なの」
ふふっ、と千尋は自分の手を口に持って行って花が咲いたようにほほえむ。
それに陸が息を飲んだ瞬間―――
「おそーい、千尋。何やってんのー、てか陸が何やってんの?もう遅刻すんだけど」
「そんなこというなら、蓮が起こしてよ、もー」
「やだよ、律の低血圧、鬼みたいだもん」
あー、やだやだ、
そう告げて自分の顔の前で蓮が手を振る。
一方、陸は蓮の登場に心のどこかで安堵の息をついていた。
「ねぇ、いっそ颯が起こすっていうのはどう?」
「……」
「お願い、颯」
顔の前で両手を合わせて千尋が颯を見つめる。
大きな目が上目遣いで颯をとらえて、それを見ながら颯は小さく息をはいた。
「……それ、ちぃの頼み?」
「…え?う、ん……」
「……へぇ、じゃぁ、聞いてあげても良いよ」
「えっ、ほんとっ!?」
あまりにあっさりと引き受けた颯にビックリして千尋はパァッと顔を明るくさせた。
それを見て、困ったように颯は少しだけ目を細めて優しげにほほえむ。
「その代わり、今日の夕飯カレー、ね」
「うんっ!ありがとう、颯」
「どーいたしまして」
ふわっ、と色香の漂う表情で颯はほほえむと、ツカツカと律の部屋に入り込んだ。
そこには、しっかりとキレイに布団をかぶった律が眠る。
颯はベッドの隣にあった律のめがねをスッと持ち上げると、それを持ったまま律の首根っこを捕まえてバンッと勢いよくベッドからたたき落とした。
それを見ていた外野側三人の顔つきが凍る。
(………颯、それはないんじゃ……)
千尋は颯の豪快な起こし方に頬を引きつらせた。
…が、低血圧の鬼はそれのおかげでお目覚めらしい。
「……誰だ、今たたき落としたの…」
「……俺。」
「…颯、お前か」
ギラリ、と鋭い視線が颯を射貫く。
颯はさほど表情も変えないまま、何も読み取れない無表情で律の前に律のめがねを差し出した。
「俺のこと、殴ってもいいけど。
俺、強いよ?」
「………」
「計算高い、我が家の頭首がそんなことするとは思えないんだけど」
「………貸せ、めがね」
むっすりしながら律は起き上がるとめがねをかけた。
そしてそのまま制服に着替える。
「……千尋」
「は、…はいっ!」
いつもは律に敬語を使わない千尋だったが、今回ばかりは恐怖で敬語を使った。
が、低血圧魔王様は、それを気にもとめずに上半身裸で千尋の元へ歩き出す。
「わっ…ちょ、っと……律、上着くらい着て…っ」
思わず後ずさる千尋に律は顔をしかめてさらに近づいた。
「……ワイシャツ、持ってるのはお前だろう」
「えっ…?あ、そうだった!ごめんなさいっ…!」
わわっ、と驚いたように顔を上げて顔を真っ赤にしながら千尋がおずおずと律にワイシャツを渡す。
それを無造作に受取ながら、律がまじまじと千尋を眺めた。
「……え、あの…律……?」
「………なんか、千尋、お前可愛いくなったな、いきなり」
「えっ…?はいっ…!?」
律が眠そうにふわぁ、と欠伸するのを千尋は凝視しながら首を傾げた。
(え…、これ寝ぼけてる所為?)
普段はこんなこと絶対言わない律に驚きながらも千尋はとりあえず無事学校に行けることにホッと息をついた。
これがよくある堤家の朝の風景である。