万毒蠍が対する戦場医療
医療技術の発展は、幸せだけを生むのか?
万毒蠍は、毒を操る蠍の八百刃獣である。
戦場における医療などを担当している。
ここは、戦場を目前にて生死の狭間で左右される場所、戦場の仮設病院。
ある意味実際の戦場より死に近い場所。
瞬く間に人が死に、新たな怪我人が運び込まれる。
「先生、出血が止まりませ!」
「痛えよぉぉぉ!」
「痛み止が効いてません、どうしたら?」
「俺の足が無えぇぇぇ!」
阿鼻叫喚の生き地獄が繰り広げられて居る。
そこの医者、鷹野は、一つでも多くの命を救おうと休みも取らず頑張っていた。
「そこら辺の服を切り裂いて、傷の上部から縛って出血を抑えろ! 傷口にアルコールをぶっかけて気絶させておけ! 足がぶっ飛んでも生きてるんだ、連れてきた仲間に感謝しな!」
足が無い兵士が絶望し、嘆く。
「こんな体になるくらいなら死んだ方がましだった……」
鷹野が兵士を怒鳴る。
「そんな台詞は、お前を運び込み、生き絶えた兵士に言え!」
鷹野が指差した所には、兵士と同じ部隊の兵士の亡骸があった。
「先生、新しい患者です!」
看護婦が連れてきた兵士の腹から大量の血が流れ落ちていく。
「こっちの処理が終わったら行くから傷口を洗っておけ!」
まさに戦場より生と死がせめぎ合う場所。
負傷兵のうめき声の響く中、一人の商人がやって来た。
正確に言うなら商人に偽装した万毒蠍だ。
無論、ただやって来たわけでは、ない。
傷の治療の特効薬を持ってきたのだ。
それがこの仮説病院にとんでもない騒ぎを呼ぶことを知りながら。
「どんな負傷にも有効な薬だと?」
胡散臭げに見る鷹野に万毒蠍が作り笑顔で答える。
「すいません、それは、セールストークでして、有効なのは、そのまま治療を行え、薬の量が傷の大きさ以上の場合のみです」
「それでもとんでもない薬だな?」
まだまだ信じる気が無い鷹野に万毒蠍は、仮想の本音を漏らす。
「はっきり言いましょう、私達が欲しいのは、使用データです」
鷹野が睨み付ける。
「患者をモルモットにするつもりか!」
その視線を正面から受け止める万毒蠍。
「はい、より多くの人間を救う為に」
その言葉に苛立つ鷹野。
「患者に上下は、無い。全ての患者が救われるべきなのだ」
万毒蠍は、自分の手を見せて言う。
「私の手は、無力な人間の血で汚れています。まだ幼い自分がただ戯れで毒を使い多くの人間を殺しました。幼さが罰を受けなくても良い理由になりません。私には、多くの人間を救う義務があるのです。その為なら、更なる血でこの手を汚す覚悟があります」
言葉の重みに鷹野が怯む。
「……それでも、患者をモルモットにする事は、認められない」
万毒蠍は、薬でつき出して問い質す。
「それでは、貴方は、この薬があれば助かるかも知れない彼処で呻く人々の命を見棄てるのですか? 打つべき手がありながら、医者の良心を守るために生き残る可能性を閉ざすのですか?」
唾を飲み込む鷹野を見ながら万毒蠍は、その場にあったナイフをランプの炎に当て消毒してから自分の腕に突き刺す。
「何をするんだ!」
鷹野が叫ぶ中、万毒蠍が告げる。
「この薬の有効性をはっきりさせる一番の方法は、自分で試す事。私は、自分の体で試す自信と覚悟があります」
万毒蠍は、傷に薬を塗る。
「これは、薬と言っていますが、正確に言えば人の体組織に非常に酷似した単細胞生物の集合体です。栄養を補給するために人と同化するのです。同化後は、その人間の一部として通常の細胞と同じレベルで一生を終えます。まだ開発されたばかりで副作用や万人に有効かは、はっきりしませんが、傷の治療に革命をもたらす物と確信します」
説明している間にも傷が完治して行く。
つき出された薬を見て鷹野が自らもナイフをとる。
「俺も一人でも多くの人間を救う為なら自分の身をモルモットにする覚悟は、ある」
腕にナイフを刺し、激痛の中、薬を塗り込む。
すると信じられない事に痛みが急速にひき、傷が完治してしまう。
「自分の身で確認しても信じられない……」
暫し呆然としていたが鷹野は、薬を手に取り言う。
「手の施しようが無い患者のみに使う。それで良いな」
万毒蠍が頷く。
「我々が欲しいのは、不整合例と副作用のデータです。それが更なる薬の開発の糧になるのです」
こうして万毒蠍が持ち込んだ薬は、使用されていった。
絶望的とされた傷も外部からの毒素を入らないように傷に埋めれば大半の人間が完治した。
それでも不適合者が存在したが、元々死を目前にしていた患者だったので大きな問題にならなかった。
その事例を聞くたびに万毒蠍が告げる。
「この件で罪を償うのは、私です。その贖罪の為にもより完全な薬を造り出します」
その言葉を聞くたびに鷹野は、万毒蠍の強さに打ちのめされる気分であった。
万毒蠍が帰った後、呟く。
「あの男は、救えなかった全ての命の責任を背負って居る。私は、それだけの覚悟があったか?」
鷹野の苦悩と裏腹に薬の成果は、広まっていった。
「あの薬を大量生産すると言うのですか?」
驚く鷹野に仮設病院にやって来た将軍が告げる。
「相手から最新のレシピも手にいれてあり、これからも改善点は、随時報告してくれる約束も取り付けてある」
戸惑う鷹野。
「あの薬は、まだ実験段階で、どんな副作用があるか解っておりません」
将軍が淡々と告げる。
「副作用の有無を確認するのにどれだけの時間が掛かる? 戦場は、待ってくれないんだよ。今、この瞬間にも多くの同志が治る負傷で命を失っているかもしれないのだ。悠長にまっている余裕は、ない」
「しかし、問題で起こってからでは……」
鷹野の言葉を将軍が制する。
「残念だが、君の意見は、聞いていない。我々が欲するのは、君の治療記録のみだ。もしも、断るのなら、違法薬品を使った罪で君を拘束する事になる」
「わかりました」
悔しげな顔をして首を縦に振る鷹野であった。
瞬く間に広がった薬は、戦場から怪我人を一掃した。
傷を負っては、薬を塗られて再び出撃する兵士達を見送る鷹野。
「本当にこれで良かったのか?」
そんな事を考えてた時、万毒蠍が現れた。
「一つだけ、貴方の不安を取り除きます。副作用は、ありませんし、不適合者もどんどん減っていきます」
「そんな事がどうして解る。貴様は、神様なのか?」
鷹野が鋭い視線で睨むと万毒蠍が首を横に振る。
「違います」
「だったら、副作用が出ないなど保障出来まい!」
鷹野の追及に万毒蠍が遠い眼をして言う。
「あの薬は、神の名の元にもたされた物なのですよ。副作用が起こらないよう最初から定められています」
「何戯言を言っているんだ?」
鷹野が問いかける中、万毒蠍は、真摯な瞳で言う。
「以前とは、別の地獄が待っています。覚悟だけは、しておいてください」
それだけを言い残して万毒蠍は、去って行った。
「別の地獄だと?」
鷹野が眉をひそめる。
「やだ、もう戦いたくない!」
「もう二度と、あんな思いをしたくないんだ!」
「薬を塗らないでくれ! 俺は、このまま死にたいんだ!」
悲痛な兵士たちの叫び声が仮設病院に響き渡る。
「ここは、地獄だ……」
鷹野は、おぞましい現実をそう例えるしか出来なかった。
どんな傷も癒してしまう薬は、兵士達を否応もなく戦場に押し返すのだ。
戦い、何度死にかけても戦場に返される兵士達の心は、病んでいく。
それでも治療を止められない鷹野は、激しい葛藤に襲われ続けた。
兵士の嘆き声が響く夜、鷹野は、自分の手を見つめて言う。
「俺がやってきた事は、間違いだったのか?」
「それは、解りません。しかし、あの薬だけが、兵士に地獄を見せている訳では、ありません。貴方がなおした兵士達の多くは、再び戦場に向かい、地獄を見ているのですから」
声を聞き、鷹野が振り返るとそこに万毒蠍が居た。
「お前は、全部承知の上でやっていたのか!」
鷹野の言葉に万毒蠍が頷く。
「新薬の実験と言うのも全くの嘘です。最初から完璧な薬も作れました。全ては、この状況を作るためです」
鷹野が掴みかかる。
「こんな地獄を作るのが望みだと言うのか! 貴様は、悪魔か!」
万毒蠍は、本来の蠍の姿に戻る。
『我は、偉大なりし神の使徒、八百刃獣の一刃、万毒蠍。全ては、人がこの状況で何をするかを観察する為にした事です』
「そんな事にどんな意味があるのだ?」
鷹野の言葉に万毒蠍が悲しそうな顔で言う。
『他の世界での戦場医療技術の調整に利用されます。やはり、過ぎた医療技術は、不要、それが結論でした。それを報告に戻ります。最後に騙していた事を謝罪します。失礼します』
消えていく万毒蠍。
「俺は、認めない! こんな物が医療の限界な筈は、ない! もっと、もっと先がある筈だ!」
鷹野は、彼の求める医療には、辿り着くことは、無かったが、一生を医療に捧げ続けた。
八百刃の神殿。
「今回の実験は、あまり益の無いものでした」
万毒蠍の言葉に八百刃が言う。
「そうでもないよ。少なくとも一人の偉大な医師が居たことが解った。それは、きっと未来につながる筈だから」
万毒蠍がほほ笑む。
「そうですね。きっと彼の医師は、受け継がれていきますね」
そんな中、白牙が言う。
「ところで気になったのだが、薬のネーミングなんだが、どうにかならないか?」
八百刃が頬を膨らませる。
「ナオルンデスってストレートで良いじゃん。ねえ、万毒蠍!」
万毒蠍が視線をそらして言う。
「……現地でも、その名前だけは、不評でした」
「嘘!」
驚くネーミングセンスが無い八百刃であった。




