鏡界兎が見守る軍師
人道的に不適切な兵器や戦略があるが、最終的に使うのは、人間である
鏡界兎、鏡の世界を自由に行き来する兎の八百刃獣。
その役目は、戦いの監視である。
その世界では、二つの大国があった。
一つは、宗教を国の軸とし、その教義を中心に聖戦と称して、侵略を続けるペルソーナ神国。
もう一つは、強力な科学力で作り上げられた軍隊で隣国を次々に侵攻するランナード帝国。
その両者の対決は、長く続き、その疲労により、両国の国民は、苦しみ続けるのであった。
こういった消耗戦の場合、極端に国力に差がない時に勝負を決めるのは、国民性である。
どんなに強力な武器があろうとも、戦う兵士達の気力が萎えればそれまでである。
疲労した国力では、十分な恩賞を払えない状況にランナード帝国内では、反戦の空気が流れ始めていた。
逆に、あくまで聖戦を掲げるペルソーナ神国の兵士は、武器の差を気力で覆し始めていた。
そんな状況に、ランナード帝国では、休戦の為の工作が始まろうとしていた。
「それでは、休戦という事で話をするつもりなのですか?」
ランナード帝国の軍師、セルスの言葉に、若き皇帝の宰相、ランテが頷く。
「あくまで、休戦だ。国力が回復し次第、戦争を再開して、憎きペルソーナ神国を潰してやるわ」
「そんな簡単にいきますかな?」
セルスの問い掛けにランテは、自信満々に答える。
「当然。兵器の性能では、わが国が勝っている。国力さえ回復すればペルソーナ神国に負ける訳がない」
セルスの隣に居た側近、アルクスが呆れた顔をしていう。
「向こうが、その簡単な理屈に気づかないと思っているのですか?」
ランテが睨む。
「どういうことだ!」
アルクスが極々当然のことの様に言う。
「休戦の条件に、こちらの技術提供を付けてくる可能性が高いって事です」
ランテが怒鳴る。
「そんな馬鹿な条件を飲むわけが無かろうが!」
アルクスが肩をすくめていう。
「それでしたら、折角奪い取った領土を渡しますか?」
ランテが不機嫌そうに言う。
「さっきから聞いていれば、どうして我々帝国がペルソーナ神国の奴等に譲歩せなければ行けないのだ!」
それに対しては、セルスが答える。
「簡単です。ペルソーナ神国に休戦する必要性は、ありません」
それを聞いてランテが笑う。
「馬鹿を言うな、国力で言えば、こちらよりペルソーナ神国の方が格段劣っている。このまま戦争を続ける余力など、こちら以上にないであろう」
セルスが首を横に振る。
「あの国には、余力など関係ないのです。あるのは、神の教えに殉じる事のみです」
苛立ちをこめてランテが言う。
「そんな馬鹿げた話が信じられるか! ペルソーナ神国の連中とて、国を盛り上げる為に侵攻を繰り返しているのだろう!」
セルスが今度は、頷く。
「上層部は、そうでしょう。しかし、実際に戦う国民は、違います。すべては、神の為。その為だったら、命も要らないのでしょう」
舌打ちをするランテ。
「そんな話が納得できるか! とにかく、休戦を行う。そして、私の力できっと有利な条件を飲み込ませて見せる!」
そのままセルスの執務室を出て行くランテ。
「大丈夫でしょうか?」
アルクスの言葉にセルスが難しい顔をする。
「上手くいかないだろう。しかし、わが国に休戦が必要な事もまた事実だ」
アルクスも苦虫を噛み潰した顔をする。
「そうですね。年々重くなる税に内乱がいくつも起こっています」
セルスが遠い目をして言う。
「後は、宰相の実力を信じるだけだな」
それが淡い願いな事は、セルスにも解っていた。
セルスの予測通り、休戦交渉は、失敗した。
最終的には、あくまで強気のランテの対応にペルソーナ神国側があくまで戦争継続の意思を示したのだ。
それを聞いてアルクスがあきれ返った風に言う。
「あんな交渉が上手く行く訳ありませんね」
セルスが遠い目をして言う。
「和平や休戦を言い出せるのは、有利の方なのだ。一見互角のこの状況でも、国民の支持があるペルソーナ神国と内乱に苦しむ我が国では、条件が異なる。このままでは、どうやっても休戦は、行えない」
アルクスが眉をひそめる。
「それでは、このまま戦い続けるしかないと言う事ですか?」
それに対してセルスが言う。
「さっきも言ったであろう、勝っていれば良いのだ」
それにアルクスが反論する。
「しかし、この膠着状態を切り崩せるほどの手駒は、ありません」
セルスは、答えない。
「一日だけ時間をくれ」
アルクスは、その言葉に何かを感じ、頭を下げて退室する。
セルスは、何重にもロックされた金庫の中から一つの資料を取り出す。
「我が国が生み出した最強最悪の兵器。これを使えば、一気に戦況を覆せる。この兵器の対処にペルソーナ神国も休戦せざるえないだろう」
そこに書かれていたのは、開発されたばかりの細菌兵器だった。
その細菌兵器は、ペルソーナ神国に一番多い人種だけに罹る疫病を流行らせる事が出来る。
しかし、セルスは、躊躇をしていた。
「確かに有効な兵器だ。しかし、これを使うと言う事は、人の道を外す事になるのでは、無いのか?」
長い苦悩の中、ふと鏡を見ると自分をじっと見る兎が居る事に気付く。
「どこから紛れ込んだのだ?」
あわてて周りを見回すが、兎の姿が無かった。
再び、鏡を見るとそこにも兎の姿が無かった。
「見間違いか?」
数日後、セルスは、ランテとアルクスをつれて、問題の兵器の開発現場に来ていた。
「この兵器の説明は、既に行った通りです。この兵器を使う事で、ペルソーナ神国が戦争の継続が難しくなるはずです。その間に休戦協定を結んでください」
それを聞いてアルクスが眉を潜める中、ランテがうれしそうに言う。
「流石は、帝国最高の軍師だけは、ある。これで戦争に勝てるぞ!」
慌てるセルス。
「お待ちください。現状では、休戦こそが一番の道です!」
ランテは、セルスの忠告を聞かない。
「うるさい。ここにペルソーナ神国を滅ぼせる兵器があるのだったらこれを使い、一気にペルソーナ神国を滅ぼし、世界征服を目指すだけの話だ!」
セルスは、尚も反論する。
「低下した国力では、これ以上の戦争継続は、不可能です!」
ランテは、笑みを浮かべて言う。
「金など、敗戦国から搾り取ればいいだけの話だ」
高笑いをしながら、その場を後にするランテ。
「このままで宜しいのですか?」
セルスが拳を握り締めて言う。
「いいわけが無かろう!」
そんな時、セルスは、細菌兵器の研究室とを区切る窓ガラスに兎を見た。
「あの兎は……」
「兎?」
首をかしげるアルクスが見回すが、兎の姿を見る事は、出来なかった。
セルスは、首を振って言う。
「私の見間違いだ。それより、どうにかして宰相殿には、踏みとどまってもらわなければいけない」
行動を開始するセルスであった。
だが、セルスの行動は、無駄に終わった。
ランテは、セルスが提出した資料を基に、発言力がある人間を抱え込み、一気にペルソーナ神国の侵略作戦を実行しようとしていた。
そんな状況にセルスは、執務室で自分の無力さを痛感していた。
「もはや、止めるのは、不可能です。ここは、宰相の言うとおり、侵略の方向で動いた方が賢明だと思われますが?」
アルクスの言葉にセルスが首を横に振る。
「それでは、駄目なのだよ。今のペルソーナ神国の国力では、今までの戦争に因る損失を補いきれない。それどころか、疫病を振りまいたペルソーナ神国を抱えた帝国は、未曾有の経済危機を迎える事になるのだ」
アルクスが眉を潜める。
「その事実を宰相達は、どうして理解しようとしないのでしょうか?」
セルスは、遠い目をして言う。
「簡単だ。帝国は、いままで侵攻による損失を全て敗戦国に背負わすことで侵攻スピードを維持してきた。その実績が宰相をはじめとする御暦席に幻想を見せる」
アルクスが深刻な顔をして尋ねてきた。
「我々には、もはや手が無いのでしょうか?」
それに対して、セルスは、搾り出すように言う。
「一つだけ手が無いわけでも無い。あの兵器を完全に廃棄してしまえば良いのだ」
それを聞いてアルクスが顔を輝かせる。
「それです。あの様な兵器は、帝国に相応しくありません。直に廃棄してしまいましょう」
セルスは、首を横に振る。
「駄目だ。さらに戦況が悪化している今、あの兵器無しでは、休戦すら望めぬのだ。あの兵器を廃棄すると言う事は、帝国の終わりを意味している」
アルクスが悔しそうな顔をする。
「全ては、後手後手と言う事ですか?」
セルスがため息と共に、窓を見た時、又もやあの兎を見る。
動揺もせずに呟く。
「お前は、私があの兵器を本当に使うつもりなのかを監視しているのだな?」
意味不明な独り言にアルクスが戸惑う。
「どうしたのですか?」
セルスが苦笑する。
「幻覚を見ているだけだ」
慌てるアルクス。
「お疲れなのです。今夜だけでも早くお休みになられた方が宜しいのでは、ないでしょうか?」
セルスは、素直に頷いた。
「そうだな。もはや、全ては、手遅れなのかもしれないのだからな」
その夜、セルスは、寝室で鏡を見ていた。
「我ながら馬鹿げている、またあの兎が出てくるかもと思っているのだからな」
その時、本当に兎が鏡に姿を現す。
セルスが念の為に振り返るが、兎がいるべき場所に兎は、存在せず、鏡の中だけにその兎は、存在した。
そんな兎を見ながら言う。
「お前は、何を監視しているのだ? 私には、もはや何も出来ないのだぞ?」
しかし、兎は、セルスを見続けた。
そんな兎を見て、セルスが立ち上がる。
「そうだな、このまま帝国を滅ぼすわけには、いかない」
直に電話に手を伸ばす。
「アルクス、至急手配を頼む。あの細菌兵器を事故に見せかけて廃棄するぞ」
こうして、セルスは、動き出した。
幼き皇帝陛下が玉座に座る前にセルスが呼び出されていた。
「セルスよ。お前が管理していた細菌兵器の開発施設が何者かに襲撃を受けて、ペルソーナ神国を滅ぼすための兵器が失われた! この責任をどの様に取るつもりだ!」
ランテの詰問にセルスが頭を下げる。
「謝罪の言葉もございません。こうなっては、私自らがペルソーナ神国に赴き、自らが人質となって休戦条約を結んで参りましょう」
それを聞いてランテが蔑んだ目を向ける。
「私が出来なかった事がお前などに出来るものか! まあ良い、対等な条件による休戦協定が結ぶことが出来るまで、二度と帝国の土を踏めると思うな!」
「この一命にかえましても、休戦協定を結んでまいります」
セルスは、素直にその命を受けるのであった。
当然、セルスの交渉は、難航を極めた。
しかし、セルスは、諦めなかった。
必死に両者の利益を主張し続け、ようやく休戦協定が結ばれようとした時、アルクスがやってきた。
「セルス様、宰相が、お亡くなりました」
それを聞いてセルスが驚く。
「どういうことだ?」
アルクスは、宰相が独自に細菌兵器の開発を再開した事とその流出による、疫病が帝国の一部、宰相が管轄していた地域に広がった事とそれに罹り、宰相自身が病死した事を告げた。
細かい資料を確認しセルスは、背筋が寒くなるのを感じた。
「宰相側の研究の開発上の失敗でしょうか?」
アルクスの質問にセルスが首を横に振る。
「開発には、問題は、無い。最初から、あの細菌兵器には、欠陥があったのだ。ペルソーナ神国の民だけに有効な疫病だけを誘発する細菌だが、疫病を発生後、動物に感染し、変質して我々帝国の民にも感染する疫病に変異する。もしも、ペルソーナ神国を滅ぼすためにこれを大々的に使っていたら、我々は、自ら生み出した疫病で滅びることになっていた」
アルクスの顔も青褪める。
そして、セルスが何気なく鏡を見た時、兎が背中を見せて去っていく姿が見えた。
「あの兎に助けられたと言う事だな」
セルスの独り言に首を傾げるアルクスであった。
八百刃の神殿。
「細菌兵器の使用に関する調査結果です」
あの鏡に映っていた兎、八百刃獣の一刃、鏡界兎の報告に、白牙が問題を指摘する。
「この軍師に対する監視は、抑制の意味が感じられるぞ。解っていると思うが、お前の役目は、あくまで監視であり、干渉は、禁じられているのだぞ」
鏡界兎が頭をかきながら言う。
「どうも、あの人だったら、正しい道を選んでくれそうで期待してしまったのですよ」
白牙がため息を吐く。
「過剰な干渉は、人々の成長を阻害する。気をつけろ」
鏡界兎が素直に頭を下げる。
「すいません」
それに対して八百刃が言う。
「監視している時点で、ある程度の干渉となるんだから仕方ない。許容範囲って事で気にしなくても良いよ」
お気楽な八百刃の言葉に鏡界兎がうれしそうに言う。
「ありがとうございます」
そんな中、白牙が言う。
「ところで、細菌兵器の使用の関する調査結果の中にお前の姿を見たと言う報告が複数紛れ込んでいるのだが、これについての説明を求めたいいのだが?」
八百刃が視線をそらす。
「きっと他人の空似だよ」
白牙が爪を伸ばして言う。
「八百刃獣が主の顔を見間違えるか! 何度も言っているが、お前が現場に出るな!」
白牙の説教は、長々と続くのであった。




