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テグレス戦線―――2

 軍学校の応接室というものは意外と綺麗に整えられている。それもそのはず、この場所を利用するのは決して親族だけではなく、場合によっては大統領や高位の軍人までやってくる。常に失礼のないような場所がたとえ学校と言えども、求められている。故に、既に数度利用した事のあるこの学校の応接室は綺麗だ。装飾も派手すぎない程度にはされており、落ち着ける雰囲気の場所となっている。


 扉を開けて中に入ると、中には既にソファに座っている女の姿があった。年齢は俺と同じで十八の娘だ。髪は長く、流れる様な金髪をしている。だが頭から生える獣型の耳がその女を純粋な人間ではなく、獣人との混ざり者だという事を示している。服は動きやすさを求めているのか、無駄に洒落た者ではなく、ハーフサイズのスカートにシラクのブラウス、その上から軽い上着という風な恰好になっている。此方が入ってきたのを見ると抱いていた尻尾をどかし、胸にバスケットを抱いているのを見せる。


「遅い」


「いいだろ、別に」


「良くないわよ。女の子を待たせるのは男子失格よ」


「女の扱い何て習った事ねぇから解らねぇよ」


「じゃあ今覚えなさい。私だから貴方の事許してあげるけど、他の女の子を待たせるようなことはしちゃ駄目よ? ―――まぁ、他の子に譲るつもりはないんだけど」


「はいはい」


 軽く溜息を吐きだしながら女の正面のソファ、テーブルを挟んだ向こう側に座る。その洗濯を見て相手が頬を膨らませ、いかにも怒ってますアピールをしてくるが正直知ったことではない。彼女、エレナ・ヴァッヘン・フォルヘイマー はあのギアフリード将軍の孫であり、元軍人だ。数年前に将軍から命令を受けて軍から身を引いた彼女は―――


「もう、婚約者なんだからもう少しそれらしくしなさいよ」


 そう、婚約者だ。


 エレナは俺の婚約者となる為だけに軍から身を引いた。あの老将軍から言わせれば大事な番に傷でもついたら困るそうだが、確実に俺を後継者とするつもりだ。この軍学校もその一環に過ぎない。卒業し次第、凄まじく苛烈な戦場へと送られるのは決定している。そして俺がそこに行くことは好ましい。あの老将軍と俺の間ではある種の取り決めができている。


 奴が俺に知っている事全てを伝え、押し上げる。


 俺が奴の後継者として共和国を守り、帝国を滅ぼす。


 シンプルにそれだけだ。衣食住の全ても、教育も、最高級の武器も、最悪の戦場さえもあの老人は出してくれるといった。そして、絶対に家から、国から離れられない様に番を、妻という存在を与える事で絶対に逃げられない様にしている。卑怯な事だ。


 俺が根本的な部分で善人であることを利用しに来ている。帝国民に対しては心の動きは一切ない。修羅となって殺す事ができると断言できる。だが殺し合う仲でもない味方にはどうだろうか。少なくともアランを振り払って完全に孤独に森で暮らす事を選択できなかった俺には無理だ。父を失い、人間の温もりに一時期飢えすぎた。そしって今、誰かと共に居る心地よさを理解している。だから煮え切れない。


 本当に腹が立つ。


 だから―――素直に協力的な態度を取らないのは純粋に、嫌がらせだ。


 全部思い通りに進ませたらあの”結果”を生み出したあの老人の期待通りっぽくて嫌だ、と思うのはまだ子供らしいのだろうか。いい加減こういうことも割り切れる様になりたいとは思うが、そうもいかないのが人類。


「で?」


「あ、まずはこれ」


 そう言ってエレナがバスケットを間のテーブルの上に置く。開けて出てくるのはまだ温かい、


「好物だって聞いて張り切って作ってきたわよー」


 アップルパイだった。特にこの季節はりんごが美味い。先ほど食っていたようにりんごはよく食べる好物で、アップルパイは中々な高級品だった。食べられる機会は少なかったし、作る事もほとんどなかった。父がいたころは何度か食べたが、死んでからは一度しか食べていない。


 というか、


「何で知ってるんだよ」


「貴方の友達に聞いたのよ」


 アランめ、口を割りやがったな。


 しかし、という事はあの男もまだ生きているという話だ。不思議な事だ。もう三年もあっていなくて、今まで一度も思い出す事がなかったのに思い出せば急に”今はどうしているのだろう”と少し気になるところがある。アップルパイを取り出し、それを持ってきた皿の上に並べようとしているエレナの手からアップルパイを奪い、手掴みで食べる。


「品がないわよ」


「森育ちだから仕方がねぇよ」


「そこらへんの教育はもう受けてるでしょ」


「教育を受けてるのと実行するのとでは全く違う話だ。それともなんだ。俺がいきなりですます口調でペコペコしだしたらそりゃあ愉快かもしれねぇな」


「うわ、キモチ悪っ」


「言うな、俺もそう思った」


 非常に腹が立つ事実だがアップルパイがおいしい。否定のできない事実だ。そしてアップルパイには罪はない。故に味を楽しみつつ食べる。ゆっくりとアップルパイを食べる俺と、そしてアップルパイを食べる俺を見るエレナとの二人の時間が過ぎてゆく。ふと、疑問に思った。


「面白いのか?」


「なにが?」


「これ」


 その言葉には俺との事、そして今のこの状況の事を含めている。それを察せないような馬鹿な女ではない。少なくとも最高の教育を受けてきた軍人家系の娘だ。即座に俺の言葉の意味を理解し、


「最初はもちろんつまらなかったわよ。誰がすき好んでどこぞと知れない男の婚約者になるのよ」


 そりゃあそうだ。


 だが最初、と彼女は言った。


「今は?」


「予想外にジャックが可愛いし、これでもいいんじゃないかなぁ、とは思ってるわよ」


「ゴホッ」


 可愛いという言葉に反応して思わずアップルパイを喉に詰まらせる。せき込みながら胸を叩き、喉に詰まらせたアップルパイを飲み込む。ついでに残ったアップルパイを口の中に放り込み、飲み込んでから、


「おい、可愛いってなんだよ!」


「そういう所よ」


 尻尾をゆさゆさ揺らし、楽しんでいる事を表現しながらエレナが此方へと笑みを向けている。全く意味が解らない。確かに顔だけはいいかもしれない。顔だけは。だがこんな可愛げのない性格の男相手に可愛いだとか、悪くないとか、


「お前絶対人生損してる」


「そう思う?」


「確実にな」


 あぁ、この女は本当に生まれるところを間違えたと思う。まだ違う家であれば人並みの幸せを手に入れられたかもしれない。だが俺の様に何時死ぬかもわからない男の妻になる―――確実に報われる人生はないだろう。


「どんなところが?」


「俺とお前の爺があった事らへんから」


「そう? 今じゃ私もそんな悪くないと思ってるんだけどねぇ……」


「おいおい」


 まんざらでもなさそうな顔をして、立ち上がったエレナが此方の横に座る、腕を抱くように身を寄せてくくる。もちろん女の経験なんて皆無だ。いきなりこんな行動に出られると、


「ふふふふ」


「テメッ」


 遊んでるな、と口にしようとして、更に腕を抱き込みながら身をエレナが寄せてくる。そのまま少しだけとがっている耳に口を寄せて、


「―――貴方の任地、決まったわよ」


 その一言で一気に冷静になる自分がいた。


 戦争という者は常に兵士を欲している。軍学校も元々はもっと長いプログラムだったが、前線の状況を考え、プログラムの時間を短縮しつつプログラムにある事を組み込むようになった。それは実際に戦場へと赴き、戦争を経験してくる事だ。長くて一ヶ月、短くて一週間。どこか衝突の少ないか、比較的小さい戦場へと連れて行きあらかじめ実践の空気を感じさせることで先に弱点や恐怖を克服する機会を作る、という趣旨らしい。


 だが、しかし、こうやってエレナに伝えられるという事は―――


「―――おめでとう、テグレス行きが決定したわよ」


「なんだそりゃあ……」


 ―――元帝国領テグレス。帝国領にある程度入り込んだところに存在するこの場所は街のテグレスを中心に広がる山岳地帯だ。攻め込むのが難しく、そして守りやすい地形のテグレスは共和国が得た帝国首都への入り口となる場所だ。だがもちろん帝国も入り口を作られる事の危険性は理解しているため、テグレスを奪還しようと必死になる。何でもそこに来ている指揮官が優秀らしく、難所のテグレスを手玉に取っているとの話。共和国も補給を続けてはいるが状況は芳しくなく、持ち直すのには苦労しそうとの話だった。此方での見解は一度退く方が賢くないか、との事だが。


 当然の如く、激戦区。


「爺か」


「うん。お爺ちゃん」


「これはまた―――」


 優秀な帝国軍人をぶっ殺せるいい機会じゃねぇか―――。


 自然と、唇の端は持ち上がっていた。

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