テグレス戦線―――1
旧暦359年に発生した帝国による自治州への侵略行為は当時は大きな驚愕を生んだ。永世中立を謳う自治州を帝国は襲ったのだ。あらゆる国家に対して中立であるために商業が盛んで、戦争に関係なく龍中の拠点となる場所は即ち敵国だけではなく自国にさえダメージを与える事となる、それを知っても帝国は迷わずミコートを焼き払い、侵略した。幸い共和国軍が援軍に到着し、周りの国と共同する事でそれ以上の進撃を許さなかったが、それが確実に世界に対して帝国の脅威を訴える事となった。
―――この物語の主役となる人物の話はこの事件の3年後の事となる。
ギアフリード将軍に才能を見出された少年ジャックはギアフリード将軍に連れられてエイリック共和国について行くほかなかった。特に今までの生活が森による恵みと狩りに依存していた分、森も経済もなくなってしまったミコートに止まるという選択肢は不可能であった。少年ジャックはこの時、強い憎しみを帝国へ抱いていた。
ギアフリード将軍の養子縁組を快諾し、その権力を持って軍事学校への入学を果たす。
何を果たすにしても知識、そして力は必要となってくる。それをジャックは誰よりも第三皇子との相対で理解し―――第三皇子が生きていたことを数日後知って、更にそれを深く実感した。
手段を選ばなくてもそれを純粋な実力で巻き返す理不尽がいる。
だったら力を得て更に手段を選ばなければいい。
その瞬間、正しくギアフリードの眼力は衰えていないことが証明された。ギアフリードが戦場においても止めるのは従順な兵士でも真正面から大軍を滅ぼす様な圧倒的能力の英雄ではなく、手段を選ばず、持てる能力を持って必ず任務を果たす死神。自分の思想の後継者を、それを自分が求める英雄として見抜いていた。
ここで数年、ジャックとギアフリードに関する報告は平凡であるため省かれる。
だがギアフリードの後継者が軍人としてその活動を始めるのは軍隊学校に入学し、3年生になってからの話しだった―――。
◆
春の共和国という場所はかなり過ごしやすくなっている。
周辺の街道は完全に整備されて優秀な冒険者たちが多く存在する首都シュトレキアの周辺には魔物の存在はない。その全てが狩りつくされ、人工林などが存在しシュトレキアの景観を整えている。観光に来るにしたって中々良い場所がシュトレキアという場所だ。大統領も”自然と進化の調和”等というテーマを掲げており、もっぱら住民から拍手喝采を得ている。
だが森の民の側面を持つ人物からすれば、
「足りねぇなぁ」
首都の景観を損なわない様に首都から少し離れた場所に軍隊学校はある。ここに入学できるのはだれでもというわけではなく、狭き門がちゃんと存在している。賄賂による裏口入学もあるが、この戦時中に厳選している余裕もないのかここ数年は若干オーバーロード気味らしいが、経営面の話しには正直興味がないから話半分にしか聞いてない。
この三年間は子供一人の精神を作り変えるには十分すぎた。
ミコートと、森の中で生きていたころとは違う。
狩りの為の弓はもっと人を殺しやすいようにさまざまな種類の弓を高いレベルで使えるように訓練させられ、他にも刃での戦い方や、殺人用のトラップの作り方。狩り嘘には全く関係のない人殺しの技術を多く教え込まれた。それだけではない。高い金を”払わせている”ため、入学できたエリートコースでは部隊の動かし方や貴族との接し方まで教えられる。
普通に生きる上では完全に必要のない知識だ。
だが戦争で人を殺すのなら必要になってくる。
「……」
生徒用の寮の前には庭があって、そこには木が生えている。大きな樫の木だ。もう何百年も育っているのかかなり太く大きく育っている。これを切るとなるのであれば魔法でも使わない限り苦労をするだろう。だがあえてこの木を切ろうとする人間はいない。この木は昔から自主訓練用に良く使われていたらしく、幹にはそこそこ傷がついている―――とはいえ全体からすれば微々たるものだ。
指の先でほわほわ踊る樫の木の精霊は気にした様子はない。だがやはり、足りない。自然が足りな過ぎる。都会は自然が少ないという話はよく聞いていたが、まさかここまで緑が少ないとは思わなかった。この学校へとやってきて見つけられた木の精霊がこの樫の木の精霊一匹とか色々と潤いがなさすぎる。
「はぁ……ま、慣れちまったしなぁ」
左手の指先にじゃれ付く精霊の姿を眺めながら、右手に握るりんごにかぶりつく。もちろん普通にりんごが手に入るわけがない。夜中の内に穏行で見張りを騙して森へ取りに行っているりんごだ。みずみずしいりんごの甘味は糖分が滅多に摂取できないこの学校―――というよりも訓練所で得られる数少ない娯楽であり趣向品だと理解している。今日も樫の木の枝の上で隠れる様に昼寝でもするか、等と思考していると、
「おい」
下から声がする。支えにしている枝の上から下を見ると、軍服姿の男がいた。素早くりんごを枝の上に隠す様に置き、飛び降り、敬礼する。
「ハッ! 何でありましょうか!」
「……応接室へと行け。貴様に客だ」
あぁ、また来たのか。そんな事を考え、溜息が漏れそうになる。その気配を察したのか、軍服の男、教官が代わりに溜息を吐いてくれる。
「いい加減ここは気軽に遊びに来れる場所ではないと教えてくれ。幾ら出資者のご息女とはいえこれでは色んな意味で目立ってしまう」
「ハッ! 注意します!」
口答えは許されない。少なくとも教官よりも高い階級を得るまでは絶対に口答えは許されない。だがその返事はお気に召さないのか教官は皺を額に寄せる。
「はぁ、婚約者にしっかり言っておけ……ったく、俺も一々人探しなんかしたくないんだ」
「ハッ! 胆に銘じておきます!」
「宜しい、では行け」
ジャック。
それが俺の昔の名前。だが、今は違う。ギアフリードに拾われ、そして家に確実に繋ぎとめるに一つの首輪が俺には付けられた。
即ち婚約者。
将軍の孫娘という婚約者。
―――ヴァッヘン・フォルヘイマー性。
絶対逃れる事の出来ない”家族”という鎖で、あの老将軍は俺を共和国へとつなぎとめた。