ミコート自治州―――6
走った。
ひたすら走った。
振り返る余裕も止まる余裕もない。楽しそうな皇子の声が聞こえてくるが、それでも絶対に動きを止めない。相手は確実に約束を守るだろうが―――それを信じるほど馬鹿ではない。だから走る。命が残っているうちに走る。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
『ダイジョウブ?』
『ガンバッタ?』
『ハイテンション?』
『ゲンキダス』
森の気を分け与えてもらい、体力を回復し続ける事で全力で森を走り続ける活力を得る。もつれそうになる足を堪えながら、痛みを訴える足の裏を無視しながら、全力で森の中を駆け抜ける。目指すべき出口は一つで、もう帝国軍に関わる必要はない。あの皇子に打ち込んだ毒はオークさえも悲鳴を上げて苦しみ、腐り死ぬ毒。それを食らって生きていられる生物はいない。森の恵みから生み出せるその毒は父が最終手段に、と教えてくれたものだ。
だから、確実にあの皇子は殺せたはずだ。
奇跡でもなきゃ助からない。
だから今は逃げる。主を失った軍は容易く暴走する。今、この瞬間襲い掛かってきてもおかしくはない。不自然なほどに不気味な森を全力で駆け抜ける。来るときは一日以上かけた道のりも普通に走って移動する事が出来るのであれば話はだいぶ変わってくる。その時間を一時間もかけずに走破する。
ようやく、森を抜ける。
任務は完了した―――これで後は将軍が何とかしてくれる。
そんな希望を持って街へ戻ったのに、
待っていたのは赤く燃え上がる街の姿だった。
「……なんだよ……これ」
膝を大地に付き、勢いよく燃え上がるミコートの姿を見る。白く、美しい町並みは今、赤く燃え上がっている。その姿まで美しく見えてしまうのは白い建築物の表面を炎の赤kが反射し、夜の闇に輝いているだろうから。それとも、これを風前の灯火と呼ぶからだろうか。
だが事実として、故郷は燃えていた。
「ぁ……あ……ぁ……?」
まるで訳が分からない。あんな化け物どもからようやく任務を達成して逃れたと思ったら街が燃えている。なんだ。なんなんだ。
「なんなんだよこれはあああああああああああああああ―――!!!」
夜の空に叫ぶが、人間の気配も声も何もしない。
「答えろぉ―――!!!」
「帰ってきたか」
馬に乗って近づいてくる姿がある。一切の衰えも疲れも見せない、まるで鋼の様な老人。ギアフリード将軍だ。それが軍という組織にいる以上やってはいけないと解っているが、
「答えろ! どうしてこうなっているんだ! 答えろ将軍!!」
「任務の真っ当、そして生還、ご苦労であった。卿のの働きは実に大義であった。これより共和国へと全住民を移動させる。卿も指揮下へと加わり協力せよ」
「答えろギアフリード!!」
ねぎらい、そして次の指示を与えてきた将軍に向けて声を叫ぶ。同時に、
「お爺ちゃん! これはどういう事なの!」
背後から女性の声がする。顔をそちらへと向ければ金髪の娘がいた。狐耳なのと尻尾を見れば彼女が獣人だという事は一目瞭然だ。共和国の軍服を着ているという事は先ほどの発言を踏まえ、この将軍の孫であり、軍人であることを示すが―――
「私はこんな話を聞いてないわよ!?」
おそらく年齢は俺と同じぐらいの娘、そう叫んでいた。
魔法を発動させ、弓と矢を向ける。
「答えろ! 答えろギアフリード! 街を守るのではなかったのか!?」
俺達の視線を受けて、ギアフリードは去ろうとしていた動きを止めて。、此方へと向き直る。
「私は一度も街を守るなどとは言っていない」
「は?」
では、何故この街の防備を―――
「卿は勘違いしている。私は共和国の軍人であり、共和国の人間だ。だから他国など使い潰しの道具でしかない。私が守るべきは共和国であり、その利益を守ることが最優先だ。だからミコートには活躍してもらった。この街が消えれば帝国は略奪先をなくし、軍を動かすための中継地をなくすことになる。消費する時間も資材も増える―――足止めには十分だ。故に、この街には消えて貰った」
矢を放つ。
が、それを素手でギアフリードは掴んだ。おそらくこの老将軍もあの皇子の様な化け物だ。歳を取って弱っているだけまだ此方の方がましだが、戦闘経験で言えばこっちの方が圧倒的に怖い。無駄だ、この老人を自分の腕前で殺す事は不可能だ。
「ちくしょう……ちくしょう……!」
「ミコート自衛軍は全て共和国軍に吸収されてもらう。反発してもいいが我々の護衛なしで無事にいられるものか、実に見てみたいものだ」
なんだよ、これ。
つまり、最初から全て利用されていたというわけか。ミコートが襲われれば不利だから、此処を焼き払って帝国を遅らせる為に態々ここまでの事をして―――なんだよ。だったら俺の苦労はなんだったんだ。俺の思い出は、故郷は、怒りは、
「一体何なんだよぉおおお―――!!」
ギアフリードへと向けて叫ぶが、ギアフリードは背中を向ける。
「卿は将来中々優秀な殺人者になれるだろう。親はいないのであったな? 卿の身柄は私が預かろう。共和国へと戻り次第、軍事学校へと入学し技術を磨くといい」
そう言ったギアフリードは職務を全うするべく背中を向けてどこかへと消えて行く。素早く進む展開について行けず、両手を大地に付ける。ギアフリードは最善の手段を取ったに過ぎない。それは理解できる。理解できるが感情とはまた別の話だ。こんな非道な手段を躊躇なくとった。
「クソ……なんなんだよ……!」
もう訳が分からない。ただ故郷を守りたかっただけなのに、自分がやっていたことは故郷を確実に滅ぼすための時間稼ぎでしかなかった。全力で頑張っていたようで、実は道化を演じているだけだった。
「ごめん……ごめんなさい……こんな話聞いてなかったの、ただお爺ちゃんが時間稼ぎしたら勝てるって……」
将軍の孫が何かを言っているが、よく聞こえない。ただ理解できるのは、
すべて失ってしまった。
親も、親のいた痕跡も、故郷も。全部、なくなってしまった。
何もかも、
「帝国……!」
そう、帝国のせいだ。侵略なんか始めなければ。お前らさえいなければ。あんな悪魔が故郷を燃やす事もなかったのに―――!
「うおおおおおおおおおお―――!!!!」
夜の空に吠える。
許さない。
絶対に。手段は選ばない。
何年かけても、
絶対に帝国を―――滅ぼす。
ここに、後の世に名前が残る事のない一人の英雄の起源が刻まれる。その手段はとても英雄として称賛されるものではない。毒殺、暗殺、奇襲、罠。多くの兵士がせめて戦って死にたいと嘆く元凶がここに生まれる。後の世に”姿なき死神”と呼ばれる一人の名もなき英雄の、誕生だった。