ルーキー
その日、ワタリとして二日目を送ることとなった千早は、まず自分が何をすべきかを考えた。
ゲームの掲示板で仕入れた情報を元に推測すると、恐らくかなりの数のワタリが自力で生計を立てることを困難としているようだ。ウツツでそれなりに裕福な者は、金に糸目をつけずユメでの通貨を取引しているようだったし、若い者は男女問わず娼館での働き口を探す者が多く見えた。
逆に、それなりに稼ぐ者はと言うと、体力自慢の屈強な男であったり、幸運にも金持ちの目に留まった見目麗しい者であったり、要は人より抜きん出て優れた何かを持っていなければならないようだった。そういう者たちは、二つの世界の通貨を両替することによってウツツでも容易に金を得ることができ、さらに貧しいワタリを召使いのように侍らせ悠々と暮らせるのだという。
千早は我が身を顧みて溜め息をついた。運動は得意な方だが、力仕事には向かない。外見も人目を引くほどの美貌は持ち合わせていなかった。その他、何をするにつけそつなくこなせる千早であったが、逆に言ってしまえば突出した何かをただの一つも持っていないといえた。
「僕も身売りか?」
だが軽く掲示板を読んだだけでもその現状たるや悲惨なものばかりだった。どうしようもなく逼迫している状況に陥らない限り御免被りたい。ひとまずその案は脇に置いた。
「そう言えば、あの人は小綺麗な格好してたな」
千早は昨日の青年を思い浮かべた。出会ったときにいたあの部屋は、千早のアパートより広かったし、周辺の治安も良さそうだった。一体彼は何をして稼いでいるのだろう。
「雰囲気のある人だったし、金持ちのパトロンがいるのかもな」
教えを請いたいところだが名前も知らない。あの部屋にもう一度行こうと思っても恐らく無理だろう。この世界の建物はどれも似たり寄ったりだし、目印となるものが少ない。
そんなことをつらつらと考えていたとき、千早はあることに思い至った。ギルドに行けば、青年のことを教えてもらえるかもしれない。そもそもユメの世の情報提供だとか仕事の斡旋だとか色々言っていたのに使わない手はないじゃないか、と早速ギルドに向かうことにしたのだった。
「君を連れてきたワタリ?」
ダンは難しい顔をして唸った。千早が青年の特徴や出会った場所について説明すると、更に難しい顔になる。
「そんな人がいたかなあ。そもそも、このギルドのある第6区より中は許可証がないと入れないんだよ。まして住むなんて、稼いでるワタリでも難しいはずだ。私の知る限りでは……」
と、そこで言葉をきってなにか思い当たった素振りを見せたが、何も言わないまま首を振ってしまった。
「もしかしたら、そのアパートはその人のではないかもしれないね。君が言うように、誰かから庇護されているのかも。そういう人はギルドを利用することがあまりないから、私が把握していなくても不思議じゃない」
「そうですか……」
落胆を隠せない千早であったが、ギルドに来た目的はこれだけではない。
「あの、この世界について教えていただけませんか。僕は、体力も知力も誇れるほどありません。だったら、自分のできることを徹底的に探すしかない。知らなきゃいけないんです」
それからというもの、千早はユメでもウツツでも、ひたすらユメついて調べた。幸いギルドの職員は親切で仕事熱心であったし、オンラインゲームはワタリの実情を知るのに役立った。そうして仕入れた情報は精査し、自分に必要だと思えば掘り下げていった。
「金を得るには金のあるところに行かなきゃだめだ。でも、第6区より外に金なんかないし、中には入れない……何かいい方法は……」
千早がワタったクライギュント王国は、王族の住まう第1区からワタリを含む貧民が寄せ集まる第10区まで、円を描くように低く低く身分層が広がっている。第5区と第6区の間には壁がそびえ立ち、それぞれの門に衛兵が配置され許可証なしには入れない仕組みになっている為、千早は貧民街から抜け出すことが出来なかった。多くのワタリがなす術なく貧困を窮めていくのは、つまりそういうことだったのだ。
壁の内に入ることさえできれば、仕事の幅が大きく広がる。貧民街に住んでいることは則ち、蔑みの対象であり、ろくな仕事が回ってこないということであった。なんとか許可証を手に入れる方法がないか、千早はそればかり考えるようになった。
「この際、本当に身売りも一つの手かもしれない」
ノートに書き留めた文字をシャープペンでぐるぐると囲っていた千早は、ぼんやりして登校したばかりの水乃が机の前に立っていたことに気付かなかった。
「身売り……?」
水乃の不審げな声に反応して、勢い良く顔を上げる。
「あっ、おはよう、これは、その、ゲームの……」
「ゲーム? ふうん?」
「……あの、何かあった? 月草から来るなんて珍しいね」
少しばかり強引に話題を変えられた水乃は、何か考え込んだ様子で黙ったままだ。千早は居心地悪い思いで水乃を見やった。
「鞍馬君が難しい顔をしていたから。何を悩んでいるのかと思って」
千早の視線に気付いたのか、水乃はそんなことを言った。
「最近すごく熱心に何かしてるようだったけど、それもゲーム?」
千早は目の前の彼女が自分をよく観察しているらしいことに動揺した。それともそれ程自分の行動がわかりやすかったのか。
「そんな風に見えた? あんまり表に出さないようにしてたんだけど。何となく恥ずかしいから」
その言葉で、水乃はまるで自分が千早に関心を抱いているかのようだと思い至ったのか、少し俯いてぼそぼそと弁解を始めた。
「何となくそう感じただけで。今日もたまたま目に入ったっていうか……鞍馬君いつも早いからつい……」
話せば話すほど言い訳めいて聞こえ、水乃は黙り込んでしまう。
「そっか。月草も早いもんな」
いつも水乃は分厚い本を静かに読んでいるから、周りのことなど一切関心がないものと思っていた。千早は意外に感じつつ、上手く彼女の気をそらせたことに安堵した。
休み時間になると、千早の席に数人のクラスメイトが集まってきた。新しいクラスも2週間ほど経つと決まったグループが形成されてくる。
「鞍馬、今日朝月草に絡まれてたろ」
友人の一人がそんなことを言った。
「まじか。呪われるぞ」
「モテすぎんのも考えもんだな」
他の友人達も面白がって盛り上げる。
「絡まれてたわけじゃない。普通に話しただけだよ」
水乃はクラスで浮いた存在だった。どのグループにも混ざらず常に一人で本ばかり読んでいるので、孤立するのに時間はかからなかった。
「そんなんだから勘違いされんだって。その内告られるな、絶対」
「いや、むしろいきなり彼女面してくるかも」
「怖えー」
千早は一人で過ごしたいという水乃の気持ちも理解できたから、そこまでの言われように同情した。
「月草って言うほど酷くなくない? むしろ可愛い方だと思うんだけど」
あまり擁護すると自分にまで火の粉が飛んできかねない。しかし何も言わないのは気の毒な気がして、それだけ言った。水乃は眼鏡と長めの前髪で顔を隠すようにしているが、よく見れば整った顔立ちをしているのはすぐにわかることだった。
「えっ、うっそ! 鞍馬ってB専?」
「いや、普通だよ。確かに制服の着方とか髪型とか地味な感じだけど、基本は結構可愛いと思う」
友人達は納得いかない様子だったが、一人悪戯を思いついたような顔をして、
「だったらさ、付き合っちゃえば?」
と言うと、他の一人も
「そうだよ、お前が月草と付き合ってくれれば、お前狙いの女子がこっちに流れる」
と同調した。
千早としては十分に注意をはらったつもりであったが、火の粉は確実に飛んできたようだ。げんなりとして答える。
「なんでそうなるかな。別に付き合いたいとは思わない」
千早の回答は予想していたのだろう、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。
「なんだよ。つまんないな」
「結局それかよー。一人くらいよこせっての!」
「じゃあお前月草と付き合えば?」
「冗談!」
などと口々に言い合っている。
千早はその光景を眺めながら、そんな余裕はどこにもないよ、とひとりごちた。