千秋楽
芸能事務所のマネージャー・園田は、社長命令で昭和七年築の小劇場「朝霧座」の改修に携わることになる。配信スタジオへの全面転用。こけら落としは若手俳優の単独ライブ。
地元の保存会が残した三つの要望——神棚を維持すること、舞台を敬って使うこと、深夜零時以降は活動を控えること——は、ひとつずつ踏み破られていった。
園田が異を唱えるたび、社長の目は冷たくなる。「あなたの代わりはいくらでもいるの」
事務所を追われた園田のもとに、元同僚からメッセージが届く。工事業者の相次ぐ撤退。俳優の変調。そして——乾いた拍子木の音。
芝居の幕を開ける、あの音。
千秋楽は、まだ終わっていない。
企画書を十七ページまで読み上げた私を、黒沢玲香社長は手のひらひとつで遮った。
「もういいです、園田さん。リスクの洗い出しは、大切な仕事。でも、リスクだけ語る人ならSNSで無限に見つかるのよね」
黒沢社長の目には癖があった。人を見るというより、見定める。この企画は通せるか。この顔は売り物になるか。芸能事務所の代表として十年、彼女はつねに見る側にいた。
会議テーブルの端では、宮瀬悠人君が頬杖をついていた。うちの事務所の若手俳優。去年の新人賞は最終選考に残れなかったが、顔なら業界誌の表紙を飾れるレベル。
ここ二ヶ月ほど、黒沢社長と宮瀬君は日付が変わる頃まで執務室に残り、翌朝二人そろって同じコンビニのカフェラテを持って出勤する。二人がどんな関係なのか、事務所の全員が見ていた。見ていて、見ないふりをしていた。
「玲香さんのビジョン、俺は全面的に支持です。古いものにしがみつく体質、この事務所の問題でしょ」
宮瀬君がそう言い、黒沢社長が満足げにうなずいた。会議室に残ったスタッフが数名、曖昧に同調した。
私はこの事務所で六年間、マネージャーをやってきた。タレント八名のスケジュール管理、ギャラ交渉、現場立ち会い、体調管理。「芸能人のマネージャーにしてはなんだか地味」だと、友人からは言われる。でもこれがマネージャーだと思ってる。
いま、それは問題じゃあない。問題なのは、朝霧座だ。
朝霧座は昭和七年築の小劇場で、うちの事務所が昨年の暮れに取得した物件だ。黒沢社長の計画は、朝霧座を全面改修し、配信スタジオ兼イベントスペースに転用するというもの。宮瀬君のライブ配信をこけら落としにすると言っていた。
ただ、朝霧座の楽屋には、神棚があった。
取得時に、地元の保存会からは三項目の要望書が出されていた。
一、楽屋の神棚を現状のまま維持すること。
二、舞台を敬意をもって使用すること。
三、深夜零時以降は劇場内での活動を控えること。
法的拘束力はない。ただの要望だ。でも私が下見で楽屋に入ったとき、あの神棚の前で足が自然と止まった。神棚の木材の色は、周囲の木材とは明らかに違っていた。何年どころか、何十年単位で古い。これに触れてはいけない——説明のつかない直感があった。
改修図面では、その神棚の壁を取り壊し、ミキシングブースを設置する予定になっている。
「保存会との関係もあります。撤去するにしてもしかるべき手順を——」
「しかるべき手順って、もしかして、お祓いでもしろって言うの?」黒沢社長が鼻で笑った。「令和の、この時代に? 園田さん、マネージャーの仕事をしてください」
反対意見は、議事録に残らなかった。
その日の夕方、改修前の記録写真を撮るため、私は一人で朝霧座にいた。
楽屋から舞台にカメラを向けた、そのとき。
舞台の中央に、人が立っていた。
着物姿の人影だった。裾が長く、頭の位置が高い。暗い藍色の着物に、白い帯。人影は客席を向き、右手を高く掲げた姿勢で微動だにしない。
歌舞伎役者が、見得を切っているかのようだった。
反射的にファインダーから目を離すと、人影は消えていた。写真にも、何も映っていない。
疲れている——と思った。ここ二週間、朝霧座の件で毎日クタクタだ。
* * *
三週間後の、月曜日。朝霧座に入った私の足が止まった。舞台の上は、惨状としか言いようのない有様だったからだ。
ビールの空き缶が六本。コンビニ弁当の食べ殻。赤ワインの染み。舞台の中央に毛布が丸めて放置され、板にはヒールの傷が何本もついていた。
楽屋に入ると、ソファの上に宮瀬君のジャケットが脱ぎ捨てられていた。その下から黒沢社長のスカーフが覗いている。化粧ポーチが床に転がり、ソファ自体が壁から不自然にずれていた。
要望書の二番目と三番目が、同時に破られたことになる。舞台への敬意。深夜の使用禁止。
午後、本社で黒沢社長に報告した。
「昨夜、朝霧座を使用されましたか。舞台上に飲食の痕跡がありました」
黒沢社長は一瞬だけ視線を外し、すぐに表情を整えた。
「打ち合わせで遅くなっただけ。それより園田さん、あなた最近、保存会の要望書のことを社内で言い回ってるでしょう」
言い回ってなどいない。聞かれたから答えただけだ。
「オカルトめいた話を広めるのはマネージャーとして不適切よ。あなたのせいでスタッフが朝霧座に入りたがらないの、知ってる?」
翌日から、私の業務連絡への返信が目に見えて減った。廊下ですれ違うスタッフが歩調を速める。パートタイムの佐々木さんだけは変わらず昼ご飯に誘ってくれたが、彼女は組織の力学を動かす立場にはいない。
その日の夕方、私は朝霧座で一人、撤去予定の備品リストを作っていた。
舞台の方から音がした。
——かっ。
拍子木の音だった。乾いた、硬い、体の芯を打つような音。
拍子木——柝だ。芝居の幕開きに打つ、あの音。
一秒にも満たなかった。反響はなく、まるで音が空間に吸い込まれたように消えた。
音響設備はまだ搬入されていない。劇場には私しかいない。
空調の反響。あるいは家鳴り。そうに違いない。
* * *
翌週、改修工事が始まった。最初に手がつけられたのは楽屋の壁。つまり神棚だった。
要望書の、最後の一項目。
作業員が棚板を引き剥がすと、裏面に文字が刻まれているのが見えた。古すぎてほとんど読めなかった。ただ、二文字だけ読み取れた気がした。千秋——。
千秋楽。芝居の最終公演。この劇場が最後に上演した芝居の記録なのだろうか。あるいは——。
作業員は一瞥もせず、棚板を廃材の山へと放り投げた。
三つの要望が、すべて破られた。
私は最後の進言をした。
「せめて地元の神社に相談してからでも——」
「園田さん」黒沢社長は書類から目を上げなかった。「この事務所に何年いるの」
「六年です」
「六年。中堅ね。でも正直に言うわ」。社長がペンを置いた。あの目がこちらを向いた。見定める目。「あなたがいなくても、現場は回る。スケジュール管理なんて、やる気のある子を一人入れれば済む話。それなのに制作に口を出し、オカルトを広め、チームの空気を壊す。あなたの代わりはいくらでもいるけど、あなたが壊した信頼は簡単には戻らないの」
背後でドアが軋んだ。振り返ると、宮瀬君が腕を組んで立っていた。
「はっきり言ったほうがいいですよ、玲香さん。この人、いないほうがうちのためです」
黒沢社長は否定しなかった。
夕方、朝霧座を出る前に、最後にもう一度だけ舞台を見た。
舞台袖の暗がりに、顔があった。
人間の顔ではなかった。目があるべき場所にあるのは、暗い窪み。
顔が、こちらを見て——瞬きひとつで消えた。
首筋の産毛が全部、逆立っていた。走って外に出た。見間違い。光の加減。疲労。きっと、そうだ。それ以外であるはずがない。
* * *
週明けの月曜、退職届を黒沢社長のデスクに置いた。
「引継ぎ資料は共有フォルダに格納済みです。担当タレント八名のスケジュールは来月末まで確定。各クライアントの連絡先と交渉経緯の一覧も添付してあります」
黒沢社長は退職届を一瞥した。「ご自由に」
背後で宮瀬君が鼻で笑う気配がした。
私は何も言わなかった。一礼して、部屋を出た。
最終出勤日、佐々木さんだけが小さな花束を持って待っていてくれた。「園田さんは間違ってない。私にはそれしか言えないけど」
ありがとうございます、とだけ答えた。花束を受け取り、ビルを出た。振り返らなかった。
* * *
三ヶ月後。都内の小さなプロダクションで、私はまたマネージャーの仕事をしていた。所属タレントは五名。前の事務所の三分の一以下だが、代表の高橋さんは「園田さんのお噂はかねがね耳にしていました。一緒に仕事ができて嬉しいですよ」と言った。
スケジュール管理、契約確認、体調管理。ただただ、丁寧にやった。そうやって働いている間は、前の事務所のことを——あるいは朝霧座のことを——忘れていられる。
* * *
あれからも、佐々木さんから月に数回、LIMEでメッセージをもらった。
『朝霧座って昔は芝居小屋だったんですね。保存会の人が言ってました。昭和の初めに役者さんが夜公演の舞台の上で亡くなって、それから閉まったって。工事は全然進んでないです。業者さんが理由も言わずに降りて、二社目も先週撤退。原因不明って』
舞台の上で亡くなった。昭和七年築の劇場で、昭和の初めに。朝霧座は芝居小屋としての生涯のほとんどを、閉じたまま過ごしていたことになる。
『水島くん辞めちゃいました。園田さんの後任だった人です。引継ぎが追いつかなくて、クライアントにも迷惑かけたみたいです。川村さんも来月退職。黒沢社長は毎日怒鳴ってます』
『三社目の業者がやっと入りました。でも夜の作業を嫌がってるそうです。妙な物音がするって。あと宮瀬君の顔色がすごく悪いです。深夜に一人で朝霧座にいるらしくて、独り言みたいに何か呟いてるって聞きました。台詞みたいだって。目の下のクマが濃くて。先週のオーディションも落ちてます』
返信には「お疲れさまです。佐々木さんも体に気をつけて」とだけ打った。
台詞みたい。その一言が、しばらく目の奥に残った。
* * *
四ヶ月後。朝霧座リニューアルオープンイベントが開催され、高橋代表が招待されて現地に行った。
配信スタジオのこけら落としを兼ねた、宮瀬君の単独朗読ライブ。スポンサー五社と業界メディアを招く、黒沢社長の総力を傾けた企画だった。
でもイベントは、温厚な高橋さんをして「ちょっと擁護の余地がないくらい、ひどかった」と言わしめるものとなった。
開演直前に、乾いた木の音が一つ鳴ったそうだ。PAが音源を探したが、何も見つからなかった。それから五分後に、配信機材が原因不明のエラーで次々と停止し始めた。バックアップも応答なし。メインカメラの映像は使い物にならず、スポンサー席の照明だけが不規則に明滅を繰り返した。
宮瀬君は予定どおりステージに立ったけれど、開始十五分でマイクが沈黙。予備に切り替えても、すぐに音を拾わなくなった。天井の高い劇場に、宮瀬君の地声だけが、頼りなく響いていたらしい。
マイクもカメラもない、生の芝居だけを、誰かが求めているみたいだった——と高橋さんは苦笑した。冗談のつもりだったのだろう。私は笑えなかった。
終了後。ロビーに関係者がまだ残る中、メインスポンサーの担当者が黒沢社長を呼び止め、何かを話し合っていたという。黒沢社長ははた目にもわかるくらい青ざめていたというし、そうでなくとも何の「話し合い」だったのかは明らかだ。
社長の隣にいたはずの宮瀬君はいつの間にか消え、残ったスタッフの誰一人として、黒沢社長のフォローに入らなかった。
翌週、スポンサー四社が撤退。タレント二名が移籍届を出した。
* * *
リニューアルオープンから三週間後。二つのニュースが業界を駆け巡った。
巡回の警備員が、早朝、朝霧座の舞台上で宮瀬君を発見した。
舞台の真ん中。右手を高く掲げ、左足を踏み出し、首をかしげた姿勢で硬直していた。大見得だ。歌舞伎役者がとる、あの姿。あの日——改修前の朝霧座で私が見た着物の人影と、同じ姿勢だ。
そう、思った。思っただけだ。口には出さなかった。
死因は特定されなかった。外傷なし。毒物反応なし。心臓にも脳にも異常なし。検死報告には「死亡時、顔面に著しい恐怖の表情が認められた」と記されていたそうだ。目は大きく見開かれていたという。彼は何を見たのだろう。何に見られたのだろう。
黒沢社長は、宮瀬君の死の翌日から出社しなくなった。
一週間後、様子を見に行った佐々木さんは、自宅リビングの床に座り込んでいる黒沢社長を発見した。社長は、生きてはいた。だが反応がなかった。目は開いているのに何も見ていなかった。話しかけても、肩を揺すっても、名前を叫んでも、視線は動かなかった。
診断名は解離性昏迷。
佐々木さんはLIMEで、黒沢社長の家のテレビやディスプレイが、すべて壁に向けて回転させられていたと教えてくれた。何かに見られることを、拒むように。
社長を失った事務所は、月末で閉鎖された。朝霧座は競売に出されたが、新たな買い手はつかないままだ。
* * *
あれから半年が経つ。
私は穏やかに暮らしている。新しい事務所の仕事は充実している。先週、担当する山口さんがドラマのオーディションに受かって、事務所の皆でお祝いした。高橋代表は寿司を取ってくれた。
朝霧座のことはもう考えない。宮瀬君のことも、黒沢社長のことも。私にどうすることもできなかったし、どうする義理もない。
ただ——。
昨夜。仕事を終えてアパートの外階段を上っていたとき。
背後で、音がした。
——かっ。
拍子木の音だった。乾いた、硬い、体の芯を叩くような、音。
あの日、朝霧座で聞いた音。こけら落としの日にも鳴ったという、あの音。
階段の下には街灯に照らされた駐輪場があるだけで、人の気配はない。近くに劇場はない。工事もしていない。
私は強く首を振って、階段を上ることにする。
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