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婚約破棄された悪役令嬢のスローライフ。辺境で農業をしていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 黒崎隼人


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第2章:荒れ果てた土地と希望の芽

 王都から馬車に揺られること、実に五日。乗り合い馬車をいくつか乗り継ぎ、ようやくたどり着いた「グリーンヴァレー」は、私の想像をはるかに超えて寂れた場所だった。


 村の入り口に立つ粗末な看板を頼りに、祖母の遺した屋敷を探す。村人たちの視線が、値踏みするように私に突き刺さった。王都から来た着飾った女。その視線は雄弁にそう語っていた。無理もない。長旅でくたびれてはいるものの、私の身なりはこの村では明らかに浮いていた。


 小高い丘の上に見えてきた屋敷は、屋敷というより廃墟と呼ぶのが相応しかった。蔦が絡まり、窓ガラスはところどころ割れている。庭は雑草に覆い尽くされ、かつての面影すらなかった。そして、屋敷の向こうに広がる土地は、見るからに痩せ細り、石がごろごろと転がっていた。


「……ここが、私の新しい出発点」


 あまりの惨状に、思わず乾いた笑いが漏れる。涙さえ出なかった。途方に暮れて、屋敷の前の石段に座り込んでいると、一人の男性がこちらに歩いてくるのが見えた。


「あんたが、この土地の新しい領主様かい」


 ぶっきらぼうな声だった。見上げると、日に焼けた肌に、飾り気のない茶色の髪をした青年が立っていた。歳は私より少し上だろうか。土の匂いがする、丈夫そうな作業着を身に着けている。彼の腰には、農作業に使うのであろう小ぶりな鍬が差してあった。


「……ええ。私がセリーナ・ヴァルドリアです」


 私が名乗ると、彼の眉がわずかに動いた。元王太子妃で、悪役令緒として有名だった私の名前は、こんな辺境の村にまで届いているのかもしれない。警戒されるだろうか。そう身構えた私に、彼は予想外の言葉をかけた。


「そうかい。俺はエドワード・グリーンフィールド。この村で農業指導みたいなことをやっている。あんた、見るからに都会のお嬢様だが、こんなところで何をするつもりだ?」


 彼の鳶色の瞳は、まっすぐに私を見つめていた。そこには好奇心はあっても、悪意や偏見の色は見えない。私は少しだけ勇気を出して、正直に答えた。


「ここで……農業を、始めたいと思っています」


「農業?」


 エドワードは心底意外だという顔で私を見下ろし、それから視線を痩せた土地へと移した。


「……本気で言ってるのか?この土地は見ての通り、碌な作物は育たない。あんたみたいな素人には無理だ」


 厳しい言葉だったが、それは事実だろう。ぐうの音も出ない私に、彼は少しだけ声のトーンを和らげて続けた。


「……だが、本気なら、手伝ってやらんでもない」

「えっ?」

「俺は、本気で土と向き合おうとする人間を馬鹿にするつもりはないんでな。ただし、覚悟はしておけよ。生半可な気持ちじゃ、一日もたない」


 エドワード・グリーンフィールド。それが、この荒れ果てた土地で私が出会った、最初の希望の光だった。


 翌日から、私の土まみれの生活が始まった。エドワードはまず、屋敷の裏手にある小さな一角を指さし、「家庭菜園からだ」と言った。彼は石だらけの地面を鍬で根気よく耕し、土の作り方から教えてくれた。


「いいか、セリーナ。作物を育てるのは、土を育てることから始まるんだ」


 私は生まれて初めて、自分の手で鍬を握った。硬い地面に何度も何度も振り下ろす。すぐに手のひらの皮がむけ、汗が滝のように流れた。ドレスを着て扇子を仰いでいた日々が、遠い昔のことのように思える。


 初めは遠巻きに見ていた村の子どもたちが、泥だらけで奮闘する私に興味を持ったのか、少しずつ近寄ってくるようになった。

「お姉ちゃん、何してるのー?」

「畑を、作っているのよ」

 私が笑顔で答えると、子どもたちはきゃっきゃと笑い、私の周りを走り回った。その無邪気な姿に、凍てついていた心が少しずつ溶けていくのを感じた。


 エドワードの指導は的確で、無駄がなかった。腐葉土の作り方、畝の立て方、種をまく間隔。彼の言葉は専門的で難しいこともあったが、私が理解できるまで何度も丁寧に説明してくれた。


 そうして数週間後。私たちが耕した小さな畑から、可愛らしい緑色の双葉が顔を出した。それは、私がこの手でまいた、カブの種だった。


「……芽が、出たわ」


 土の中から顔を出した、生命の息吹。たったそれだけのことなのに、胸がいっぱいになって、視界が滲んだ。嬉しくて、愛おしくて、たまらない。私はその場にしゃがみ込み、小さな双葉をそっと指で撫でた。


 ぽろり、と頬を涙が伝う。それは、王宮で流した悔し涙や悲しみの涙とはまったく違う、温かくてしょっぱい涙だった。私の涙を見て、隣にいたエドワードが少し困ったように頭を掻いている。


「……まだ芽が出ただけだぞ」

「ええ、わかっているわ。でも、嬉しいの」


 私は涙で濡れた顔のまま、彼に向かって微笑んだ。初めて自分で何かを成し遂げたという達成感。それは、王太子妃という地位よりも、どんな高価な宝石よりも、私の心を豊かにしてくれた。この小さな双葉が、私の新しい人生そのもののように思えた。

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