番外編1:リオン王子の贖罪
リオン・クラウディウスは、王太子の座を退いた後、王宮の片隅で静かな日々を送っていた。セリーナと正式に離婚し、エリザベスとも別れた彼は、すべてを失った。権力も、愛も、そして何より、自らが手放したかけがえのない宝物の存在に気づき、ただ後悔だけが彼の心を支配していた。
彼は毎日のように、セリーナの噂を耳にした。彼女が辺境の地で成し遂げた奇跡。彼女が人々から「豊穣の聖女」と呼ばれ、敬愛されていること。そのたびに、胸がナイフで抉られるように痛んだ。なぜ、彼女が隣にいた時、その真価に気づけなかったのか。彼女が演じていた「悪役令嬢」の仮面の下にある、優しさや強さを見抜けなかったのか。自分の愚かさが、ただただ呪わしかった。
ある日、リオンは一つの決意をする。彼は身分を隠し、一人の青年として、グリーンヴァレー農業学校の門を叩いたのだ。自分の犯した過ちを、この目で確かめ、そして償いたい。その一心だった。
もちろん、入学は簡単ではなかった。しかし、彼は王族としてのプライドをすべて捨て、一人の学びたい人間として、必死に頭を下げた。彼の熱意……いや、その目に宿る深い絶望と贖罪の色を汲み取ったのか、校長であるエドワード・グリーンフィールドは、特例として彼の入学を許可した。
学校での生活は、リオンにとって贖罪そのものだった。生まれて初めて土に触れ、額に汗して働く。慣れない肉体労働に体は悲鳴を上げたが、彼は歯を食いしばって耐えた。周囲の生徒たちは皆、希望に満ち、生き生きとしている。その姿を見るたびに、自分がセリーナから何を奪おうとしていたのかを思い知らされ、胸が苦しくなった。
ある日、彼は畑でセリーナの姿を見かけた。息子のアランを抱き、夫であるエドワードと幸せそうに笑い合っている。その光景は、一枚の美しい絵画のようだった。自分が決して入り込むことのできない、完璧な世界。彼は、その光景を目に焼き付け、静かにその場を去った。それが、自分にできる唯一のことだった。
一年後、リオンは優秀な成績で学校を卒業した。卒業式の日、彼は校長室に呼ばれ、エドワードと、そしてセリーナと対面した。
「リオン殿下。一年間、お疲れ様でした」
セリーナの静かな声に、彼は深く頭を下げた。
「セリーナ……いや、グリーンフィールド伯爵夫人。そして、校長閣下。私に、学ぶ機会を与えてくださり、心から感謝いたします。私はここで……本当に大切なことを学びました」
「それで、これからどうなさるのですか?」
セリーナの問いに、リオンは顔を上げた。その表情には、かつての傲慢さや絶望はなく、穏やかな決意が浮かんでいた。
「私は、王宮には戻りません。王国北部の、未だ貧困にあえぐ領地へ赴き、ここで学んだ知識を活かして、人々を助けたいと思います。それが……私の生涯をかけた、贖罪です」
その言葉を聞き、セリーナは静かに微笑んだ。それは、許しでも、同情でもない。ただ、一人の人間が新たな一歩を踏み出すことへの、純粋な敬意に満ちた微笑みだった。
「殿下の新しい人生に、幸多からんことを」
その言葉を胸に、リオンはグリーンヴァレーを去った。彼は二度とセリーナの前に現れることはなかったが、その生涯を人々のために捧げ、後に「開拓の賢公」と呼ばれるようになったという。彼の心の中には、いつも黄金色の麦畑で微笑むセリーナへの、消えることのない感謝と敬意があった。




