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婚約破棄された悪役令嬢のスローライフ。辺境で農業をしていたら、いつの間にか溺愛されていました  作者: 黒崎隼人


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第1章:偽りの仮面を脱ぎ捨てる日

登場人物紹介


◆セリーナ・ヴァルドリア(22歳)

 本作の主人公。元ヴァルドリア公爵令嬢にして、元王太子妃。内気で心優しい性格を隠し、冷酷な夫リオンの前ではプライドを守るため「悪役令嬢」を演じていた。離婚を機に、亡き祖母の遺した辺境の領地で農業による自立を目指す。土に触れることで、本来の自分と生きる喜びを取り戻していく。


◆エドワード・グリーンフィールド(26歳)

 辺境の村「グリーンヴァレー」で農業指導を行う青年。男爵家の次男だが、平民の母を持つため貴族社会では冷遇されてきた。王立農業学院を首席で卒業するほどの知識と技術を持つ天才。ぶっきらぼうに見えるが、心優しく誠実な性格で、偏見なくセリーナに接し、彼女の挑戦を支える運命の相手となる。


◆リオン・クラウディウス王子(25歳)

 セリーナの元夫で、この国の王太子。セリーナを政略結婚の道具としか見ず、愛人のエリザベスを溺愛していた。セリーナを離婚に追い込むが、彼女が離れて初めてその真価と、自身が抱いていた本当の想いに気づき、深い後悔に苛まれることになる。


◆エリザベス・ローゼンタール伯爵令嬢(20歳)

 リオン王子の愛人。可憐な見た目とは裏腹に、計算高く嫉妬深い性格。セリーナを悪役に仕立て上げ、王子の寵愛を独占してきたが、その幸せは脆くも崩れ去る。


◆ルーカス・ヴァルドリア公爵

 セリーナの父親。娘への愛情はあるものの、家の体面と政治的立場を優先してしまう厳格な人物。当初はセリーナの離婚に猛反対するが、彼女の成功と自立した姿を目の当たりにし、父親としての愛情を取り戻していく。

「離婚していただきたい」


 静まり返った謁見の間に、夫であるリオン・クラウディウス王子の冷たい声が響いた。私は感情の乗らない瞳で彼を見つめ返す。金の髪に空色の瞳。神が愛したかのような美貌を持つこの国の王太子は、私のことを見る時だけ、その瞳に氷のような光を宿すのだ。


「理由をお聞かせ願えますか、殿下」


 努めて冷静に、感情を殺して問いかける。悪役令嬢セリーナ・ヴァルドリアを演じるのは、これが最後になるだろう。そう思うと、胸の奥に奇妙な安堵が広がった。


 リオンの隣には、庇われるようにして立つ伯爵令嬢エリザベス・ローゼンタールがいた。彼女は私を怯えたような目で見つめながら、そっと自分のお腹に手を当てた。その仕草が、すべての答えだった。


「エリザベスが、私の子を身ごもった。妃である君を差し置いてこのような事態になったことは謝罪する。だが、これが私の……いや、我々の真実の愛の結晶なのだ」


 真実の愛、という言葉に、私は思わず口の端を吊り上げた。ああ、なんて陳腐な言葉だろう。この三年間、私は彼の「真実の愛」の物語の、邪魔者でしかなかったのだから。


 ヴァルドリア公爵家の長女として生まれた私は、十八の歳にリオン王子と政略結婚をした。それはヴァルドリア家の権力を盤石にするための、父が決めた婚姻。そこに愛など存在しないことは、最初から分かっていた。リオンには、結婚前からエリザベスという愛する女性がいたのだ。


 私は妃として、完璧であろうと努めた。けれど、夫の心は決してこちらを向かなかった。公務の場で私に向けられるのは冷たい視線ばかり。夜会ではいつもエリザベスの隣で微笑み、私を孤独にした。いつしか私は、傷つく心を守るため、傲慢で嫉妬深い「悪役令嬢」の仮面を被るようになった。きつい言葉でエリザベスを牽制し、リオンに冷たく当たった。そうでもしなければ、惨めな自分を保てなかったのだ。


「……承知いたしました。離婚をお受けいたします」


 私の返事に、リオンとエリザベスが驚いたように目を見開いた。私が泣き喚き、離婚を拒否するとでも思っていたのだろうか。


「ただし、条件がございます。慰謝料として、亡き祖母から私が相続したままになっている、辺境の土地の所有権を正式に認めていただきたいのです。それ以外は何も望みません」


 それは王家から見れば取るに足らない、痩せた土地だ。リオンは眉をひそめたが、面倒なことになるよりはましだと思ったのだろう。「よかろう」と短く答えた。


 離婚は驚くほどの速さで成立した。私が実家の公爵邸に戻ると、父は烈火のごとく怒り狂った。


「お前のせいでヴァルドリア家の面目は丸潰れだ!なぜおとなしく妃の座に収まっていられなかったのだ!」


 父の言葉は、私の心を深く抉った。やはり、ここにも私の居場所はない。愛されなかった結婚生活から解放されたはずなのに、今度は実家という檻に閉じ込められるのか。


 その夜、私は自室でひとり、窓の外を眺めていた。これから私はどうなるのだろう。父の言う通り、どこかの貴族に厄介払いのように嫁がされるのだろうか。そんな未来を思うと、息が詰まりそうだった。


 ふと、離婚の条件として手に入れた土地のことを思い出す。祖母が、まだ私が幼い頃に話してくれた。『セリーナ、あそこはね、何もないけれど、空気が綺麗で星がよく見える素敵な場所よ。いつか、もし君が今の生活に疲れたら、あの土地を思い出してごらん』


 優しい祖母の声が、記憶の底から蘇る。


 ――そうだ、あそこへ行こう。


 王都の喧騒も、貴族社会のしがらみも、何もない場所へ。父の怒声も、元夫の冷たい視線も、哀れむような周りの目も届かない場所へ。そこで、私だけの人生を始めるのだ。悪役令嬢セリーナ・ヴァルドリアではなく、ただのセリーナとして。


 夜明け前、私は小さな荷物だけをまとめ、誰にも告げずに公爵邸を抜け出した。朝焼けが東の空を染め始める頃、私は王都の門をくぐり、辺境の地「グリーンヴァレー」へと向かう乗り合い馬車に乗り込んでいた。馬車がガタガタと揺れる。その揺れが、新しい人生の始まりを告げる鼓動のように感じられた。

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