番外編 太陽の審判と、天照の雫の約束
【Bar風花 -kazahana-】番外編 太陽の審判と、天照の雫の約束
※Bar風花シリーズの完全新作・番外編です。本編の後日談的な位置づけですが、単独でもお楽しみいただけます。
※お酒(特に爽やかなカクテル)、神話の気配、圧倒的な美しさ、静かな審判と優しい約束が好きな方向け。
※今回はいつものカウンターに、シリーズ史上最も強烈なゲストが来店します。ご覚悟ください。
風花町を包む深い霧の夕刻。
Bar風花の扉が静かに開き、店内に一人の女性が入ってきた。
濃紺のパンツスーツに真珠のネックレス。
陶器のような肌と、太陽を間近で見たような圧倒的な熱量。
彼女こそが——天照大御神。
「咲耶、お前の『人間ごっこ』がどれほどのものか、確かめに来た」
カウンターの向こうで美和さんが静かに頷き、特別な一杯を用意する。
カクテル名は『天照の雫』。
ルリカケス ホワイトと、彼女が育てた日向夏が織りなす黄金色の雫。
太陽の神による、優しくも厳しい審判。
そして、二人の「人間の時間」への、意外なほどの慈愛。
Bar風花へようこそ。
今夜は、霧に包まれたカウンターで、神の審判と約束をお届けします。
どうぞ、息を潜めてグラスを傾けてください。
その日の風花町は、珍しく夕刻から深い霧に包まれていた。
『Bar風花』の開店直前。
美和さんはカウンターの中でグラスを磨き、フリーランスの執筆を終えた彼さんは、Bar風花の奥に新たに設置された小さなテーブル席からカウンター席に移り、彼女との穏やかな時間を共有していた。
カラン、とドアベルが上品に鳴った。
入ってきたのは、一人の女性だった。
仕立ての良すぎる濃紺のパンツスーツに、大粒の真珠のネックレス。
肌には陶器のような質感が宿り、どう見ても40代後半にしか見えないその「美しき祖母」が放つオーラは、店内の空気を一瞬でひれ伏させた。
真夏の太陽を間近で仰ぎ見るような、圧倒的な熱量。
「……お祖母様……」
美和さんの言葉に、彼さんは息を呑んだ。
この凛とした美しさを湛えた女性が、皇グループのトップ——天照大御神なのか。
「咲耶、お前の『人間ごっこ』がどれほどのものか、確かめに来た。神の雫ではなく、その汚れた手で作り出した、刹那の味を出しなさい」
彼女はそう言うと、彼さんがいつも座る「止まり木」の席へと腰を下ろした。
美和さんは深く頷き、バックバーから特別な一本を取り出した。
鹿児島・高岡醸造のルリカケス ホワイト。
彼女が選んだのは、新たな一杯——『天照の雫』。
磨き上げられたタンブラーに美和さんが丁寧に割ったキューブアイスを入れ、ルリカケス ホワイトを注ぎ、そこに今朝収穫した、美和さん宅の庭で彼女が丹精込めて育てた日向夏を贅沢に絞り入れる。
トニックウォーターを満たすと、炭酸の弾ける音が静かな店内に「シュワッ」と心地よく響いた。
「お待たせしました。カクテル名は、『天照の雫』。……太陽の神が零した、優しい一滴という意味です」
美和さんが差し出したタンブラーの中で、淡く黄金色に輝く液体が照明の光を受けて美しく揺れている。
美しき祖母は、それを白皙の指で持ち上げ、ゆっくりと口に含んだ。
「……ふん。冷たくて、爽やかで……」
彼女は目を閉じ、喉を流れる味わいをじっくり確かめた。
「ルリカケス ホワイトの柔らかな甘みと、咲耶が自宅の庭で丹精込めて育てた日向夏の、瑞々しくも力強い酸味がよく絡んでいる。トニックの苦味が全体を引き締め、まるで短い人生のほろ苦さを思わせる……」
彼女はグラスを静かに置き、わずかに唇を緩めた。
その微笑みは、冷徹な神のものではなく、一人の祖母としての、どこか誇らしげな慈愛に満ちていた。
「悪くない。お前が育てた果実の味が、ここまで私の舌に届くとは……。お前たちの『人間ごっこ』は、思ったより深く根を張っているようね」
「そして、人の子よ」
鋭い視線が、彼さんを射抜く。
「お前は、記憶を失うことすら厭わず、この子を繋ぎ止めた。その愚かさに免じて、この二人の『縁』を、これ以上邪魔立てはしない。……せいぜい、皇の孫娘を飽きさせないことね」
彼さんは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。……彼女の隣にいることが、僕の唯一の真実です」
「咲耶、せいぜいその『不自由』を楽しみなさい。老い、病み、そしていつか朽ち果てるその時まで。人間らしく、精一杯あがきなさい」
彼女は立ち上がり、音もなく出口へと向かった。
霧の中へと消える直前、彼女は一度だけ振り返った。
その姿は、逆光の中で神々しいまでの光を放っている。
「……お前たちがその短い命を使い切り、土に帰る日が来たら。その時はまた、私が迎えに来てあげる」
美しき祖母は、茶目っ気たっぷりにウインクをして見せた。
「その時こそ、お前たち二人を、永遠に離れぬ一対の神として、高天原へ連れて行ってあげるわ。……それまでは、せいぜい私のことを忘れるくらい、幸せになりなさい」
ドアベルが鳴り、霧が晴れた。
店内に残されたのは、日向夏の爽やかな残り香。
美和さんは、カウンター越しに彼さんの手を握った。
「彼さん……聞いた? お祖母様、ああ見えて結構お節介なのよ」
「ああ。……あんなに綺麗な人がお祖母ちゃんだなんて、神様の世界はやっぱり規格外だね」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
寿命という終わりがあるからこそ、この一杯のように、ほろ苦くも愛おしい時間が続いていく。
あとがき
番外編「太陽の審判と、天照の雫の約束」、いかがでしたでしょうか。
……とうとう、天照大御神様をBar風花に招いてしまいました。
天照大御神様の圧倒的な美しさと、冷徹でありながらどこか祖母らしい優しさを丁寧に描いてみました。
特に『天照の雫』を作るときの美和さんの指先や、神様がグラスを置いた瞬間の微笑み——あの「誇らしげな慈愛」を、ずっと書きたかったんです。
この話は、シリーズの根幹にある「神と人間の境界」「忘却と再会」「短い命の尊さ」を、ちょっとだけ外側から照らしてみた番外編です。
天照大御神様の最後のウインクと「お前たちが幸せになりなさい」という言葉に、彼女の本当の想いが詰まっている気がして、書きながら胸が熱くなりました。
読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。
この霧の夜の一杯が、少しでも心に残る余韻を残せていたら嬉しいです。
Bar風花の扉は、これからもいつでも開いています。
神様が来店した夜の余韻を胸に、また次の杯でお会いしましょう。
それでは……太陽の雫を、もう一口。
お祖母様の審判、受け止めました。
天照(Bar風花)




