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34杯目 神戸ドライブ -桜の下で- 終わり

【Bar風花 -kazahana-】神戸旅行編③ 再会のハイボールと春の余韻


※Bar風花シリーズの短編・旅行編の第3部です。前編(①②)を読んでいただけるとよりお楽しみいただけますが、単独でもOK。

※おウィスキーやハイボール、バーの再会シーン、軽いロマンス、ホテルのハプニング、神戸の街並みや朝食が好きな方向け。

※派手なドラマはありません。ゆったりとした大人旅の締めくくりをお届けします。


神戸の夜霧に包まれた元町、Bar Black Lotusのカウンターで、数年ぶりの再会が訪れる。

兄弟弟子の片桐と美和、懐かしい記憶が雨音に溶けていく。

めぐみの儚げな瞳が、桜の香りを運ぶ中、ハイボールで亡き師に献杯を。


ホテルに戻れば、ソファベッドの予想外のハプニングが朝の笑いを呼び、朝食のフルーツが春の光を映す。

三宮から旧居留地、生田神社へ——神戸の街を歩き、246GTのエンジン音が旅の終わりを告げる。


風花町へ向かう夜の高速で、今日の余韻が静かに広がる。

Bar風花の旅は、まだ終わらない。


Bar風花へようこそ。

今夜は、神戸の春風に吹かれながら、グラスを傾けてみませんか?

どうぞ、ゆっくりとお付き合いください。

 神戸の元町は、夜になると霧のような雨が街を優しく包み込む。


 Bar Black Lotusの看板は、控えめなネオンでぼんやりと光り、通りすがりの人を誘うように揺れている。


 1階の店舗はクラシックな木目調の店内で、カウンター席が8つ並び、奥に4人掛けのテーブル席が2つ。


 いつも通り、この店のオーナー兼バーテンダーである片桐聡はカウンターの向こうでグラスを磨いていた。


 30代前半の細身の体型、黒いシャツにベスト姿。


 口数は多くないが、客の顔を見れば自然と優しい言葉が出てくる男だ。


 今夜は客足がまばらで、カウンターの1番奥の端っこには、いつものように朝比めぐみが座っていた。


 二十代前半の彼女は、淡い橙色の髪を肩まで伸ばし、白いブラウスに淡いスカートを纏っている。


 全体が透けるように儚げで、琥珀色の瞳が少しぼんやりとしている。


 いつも気怠そうに眠そうで、グラスを磨くふりをしながら、時折うとうとと首を傾ける。


 片桐はそんな彼女を横目で見ながら、ため息混じりに思う。


 ――あいつ、今日も起きてるだけで精一杯だな。


 時間は22時、ドアのベルが静かに鳴った。


 雨音に混じって、懐かしい足音が店内に響く。


 入ってきたのは、二人連れ。


 片方は女性で、淡いピンクのシルクブラウスに袖の細かいレースがあしらわれ、オフホワイトのシルクミディスカートを合わせ、ライトグレーのショートトレンチコートを羽織っていた。


 小さなパール付きのクラッチバッグを手に、雨に濡れた髪を軽く払う。


 彼女は美和さん。


 Bar岸本で一緒に修行した兄弟弟子だ。


 片桐が岸本さんに弟子入して数年、二人体制で働いていた時に、ふらりと来店した美和さんがいつの間にか岸本さんに弟子入し、それから2〜3年程一緒に働き、後輩として面倒を見た仲。


 口数は少ない片桐だが、美和さんとは昔話ができる数少ない相手だった。


 隣の男性は、落ち着いた雰囲気の彼さん――Bar風花の常連客で、今回美和さんの岸本さんの墓参りに同行している。


 めぐみはドアが開いた瞬間、微かに体を震わせた。


 何か、淡い桜の香りが漂ってきた気がした。


 ぼんやりとした瞳が、一瞬だけ鋭く美和さんに向くが、すぐにいつもの眠たげな表情に戻る。


 美和さんの瞳——右目が微かにワインレッドに輝き、左目が琥珀のように温かく光る——が、めぐみの視線を捉えるように見えた。


 片桐の視線がドアに向かい、そこで止まる。


 数年ぶりの顔。


 美和さんも片桐を見て、足を止めた。


 店内の空気が一瞬、張りつめたように静かになる。


 雨の音だけが、遠くで囁くように続く。


 美和さんの瞳に、懐かしさと少しの切なさが浮かぶ。


 修行時代の記憶が、フラッシュバックのように蘇る――厳しい岸本さんの下で、深夜までカクテルを練習した日々、互いに励まし合った失敗の夜、岸本さんが亡くなった知らせを聞いたあの日。


 美和さんはゆっくりとカウンターに近づき、片桐の顔をじっと見つめる。


 声が、かすかに震える。


 「お……お久し……片桐……君……」


 美和さんは言葉を詰まらせ、目頭を熱くする。


 数年の空白が、胸を締めつける。


 「……本当に、久しぶり。片桐君変わってないね。今日もグラス磨いてるんだ……あの頃みたいに……」


 片桐はグラスを置く手を止め、珍しく表情を緩めた。


 優しい微笑みが、ゆっくりと広がる。


 心の中で、数年の空白が一気に埋まるような感覚。


 喉が少し詰まる。


 「美和さん……。美和さんも、元気そうだね……」


 声はいつも通り短いが、そこに込められた温かさが、店内の空気を柔らかく溶かす。


 数年ぶりの再会は、言葉以上の何かで繋がっていた。


 美和さんはカウンター越しに手を伸ばし、片桐の手に軽く触れる。


 短い沈黙の後、二人は静かに笑い合う。


 失われた時間を取り戻すように、互いの目が語りかける。


 隣の彼さんは、そんな二人の空気を察して、静かに頭を下げてテーブル席に座る。


 美和さんはカウンターに肘をつき、懐かしげに店内を見回す。


 「この店の造り、Bar岸本にそっくりだね。あのお店を思い出すよ。今日は風花町から、岸本さんの命日で神戸まで墓参りに来てさ。その足で寄ったの。岸本さん、数年前に亡くなっちゃったけど……あの人の元気だった頃の思い出が最近よみがえるよ。あ、この方は彼さん。うちの店《Bar風花》の常連さんで、今回の墓参りの話をしたら『俺も行きたい』ってついてきてくれたんだ。」


 「……ああ、そうか。岸本さん、厳しかったけどな。時々、思い出すよ。あの頃、ジントニックの失敗で徹夜した夜とか。」


 片桐はそう言いながら、ふと思い立ったように冷凍庫からウィスキーのボトルを取り出す。


 「……じゃあ、まずはみんなで神戸ハイボールで、岸本さんに献杯するか。」


 美和さんの目が少し潤み、彼さんも静かに頷く。


 片桐は素早くグラスを4つ並べ、地元のウイスキーを注いで炭酸で割り、軽くステアする。


 めぐみもカウンターの端からぼんやりと立ち上がり、グラスを受け取る。


 「……献杯……」と小さな声で呟く。


 みんなでグラスを掲げ、静かに岸本さんへの思いを込めて献杯した。


 炭酸の弾ける微かな音が、雨の夜に優しく響く。


 献杯の後、片桐は美和さんにいつものジントニックを、隣の彼さんにウィスキーのロックを差し出した。


 めぐみはカウンターの端で、ぼんやりと来客を眺めている。


 美和さんが目を細めて片桐君に声をかけた。


 「あれ?片桐君……そういえば彼女、誰? 従業員? 可愛い子ね」


 めぐみは少しびくっと肩を震わせ、琥珀色の瞳を伏せた。


 「……お、おはよう…ございます……」と、いつもの癖で小さな声で呟く。


 朝じゃないのに、だ。


 片桐はさりげなく間に入る。


 「めぐみだ。……居候みたいなもんだよ。絡むなよ……」


 美和さんはくすっと笑い、彼さんに目を向ける。


 「ほら、彼さんも見て。片桐君の店、居心地いいでしょ? 私たち、岸本さんの店で修行してた頃、閉店後のお店で語り合ったよね。片桐君、先輩だからいつも私にカクテル教えてくれたっけ」


 彼さんは頷き、グラスを傾けながら片桐に話しかける。


 「片桐さん、Bar風花で美和さんのカクテル、よく飲んでますよ。今日は墓参りのついでに、美和さんに誘われて来ました。ここ……いい店ですね」


 片桐は口元を緩め、珍しく少し長めに話す。


 「……ありがとう。美和さんが後輩でよかったよ。あの頃、岸本さん厳しかったけど、美和さんがいると店が明るくなった」


 会話が弾む中、めぐみは静かにグラスを磨き続けている。


 時折、片桐の背中にそっと寄りかかるような仕草を見せるが、美和さんたちは気づかない。


 雨の音がBGMのように響く店内で、兄弟弟子の再会は穏やかに進む。


 美和さんは昔の失敗談を笑い、彼さんはそれを聞きながら、時々めぐみの儚げな横顔に目を止める。


 ――なんか、気になる子だな。


 その時、美和さんがトイレに行くふりをして立ち上がり、カウンターの端にいるめぐみに近づいた。


 片桐と彼さんが話に集中している隙に、彼女は小さな声でめぐみに囁く。


 「……あなた、朝の光みたいな匂いがするわね。桜の朝露みたいな……どこかで会ったこと、ある気がするけど……」


 めぐみはびっくりして体がぴくりと震え、琥珀色の瞳を大きく見開き、手に持っていたグラスを危うく落としそうになる。


 蚊の鳴くような声が上ずりながら返す。


 「……え、わ、わかるんですか……? 私なんか、ただの薄明かりみたいなものなのに……あなた、えっ、もしかしてあの桜の香り……? ま、ほ、本当に……?」


 美和さんは優しく微笑み、誰にも聞こえないくらいの声で続ける。


 「ふふ、みんなそれぞれよ。目覚めの瞬間みたいな、優しい光ね。人間の世界で、こんな風に生きてるの? ……ここ、いい場所ね。片桐君みたいな人に守られて、幸せそう」


 めぐみは頰を少し赤らめ、驚きを抑えながら


 「……、そ、そんな優しい香りが、こんなところで……わ、私、聡さんに、助けてもらったんです……あの光が、毎日少しずつ、私を照らしてくれるんです」


 と返す。


 二人は一瞬だけ目を合わせ、すぐに普通の顔に戻った。


 片桐たちは何も気づかず、会話を続けている。


 時間がゆっくりと流れ、閉店時間が近づく。美和さんが立ち上がり、片桐に握手する。


 「また来るよ、聡さん。彼さんも気に入ったみたいだし。」


 片桐は頷き、めぐみをちらりと見てから言う。


 「…いつでも来てよ。めぐみも、喜ぶよ。」


 ドアが閉まると、店内は静かになった。


 めぐみはカウンターに突っ伏し、眠そうに呟く。


 「……聡さん、楽しそうだった……ね」


 片桐は彼女の頭を軽く撫で、「無理すんなよ」とだけ返す。


 2階の住居に戻る階段を上りながら、片桐は思う。――この店に、こんな来客が増えるのも悪くないな、と……


 


 皇ホテルのスイートルームに戻ったのは、Bar Black Lotusを出てから深夜0時を少し回った頃だった。


 タクシーの車内で、美和さんは淡いピンクのシルクブラウスを優しく撫でながら、片桐君の作ったハイボールの味と、めぐみちゃんの琥珀色の瞳を思い返していた。


 彼は隣で静かに彼女の横顔を見守り、夜の神戸の街灯が車窓を流れていくのを眺めていた。


 エレベーターで最上階に上がり、ドアを開けると、部屋は柔らかな間接照明に包まれ、窓の外には神戸港の夜景が宝石のように広がっていた。


 キングサイズベッドはシーツが綺麗に整えられ、リビングのソファベッドは、昼間の記憶を残したまま、ふかふかと膨らんでいる。


 美和さんはクラッチをテーブルに置き、トレンチコートを脱いでソファに掛けた。


 ブラウスとスカートの裾が優しく揺れ、彼女はベッドの端に腰を下ろして、小さくため息をついた。


 「……やっぱり、ソファベッド……彼さん、本当にいいの? 私、ベッドで寝るの……なんか、申し訳ない……」


 彼女の声は少し上ずっていて、頰がほんのり赤い。


 今日一日、墓参りの涙から始まり、常連さんたちの再会、空き地の切なさ、ブティックのプレゼント、豪華な夕食、そしてBar Black Lotusでの温かな時間…… すべてが重なって、今、二人きりの部屋で、1泊の現実が胸に迫る。


 彼はソファベッドに腰を下ろし、クッションが深く沈み込むのを感じながら、苦笑した。


 「大丈夫だって。俺、ソファベッドで寝るよ。……でも、正直、ちょっと不安かも。さっき座っただけで沈んだし……夜中に埋もれて、朝起きたら大変かも」


 美和さんはぷっと吹き出し、すぐに手を口に当てて笑いを抑えた。


 「ふふ……想像したら、なんか可愛い……彼さんが『美和さ〜ん、沈んじゃった〜』って呼んでるの……助けに行ったら、一緒に埋もれちゃうかも」


 彼も笑いながら、ソファベッドのクッションを軽く叩いた。


 「マジでヤバいかも……これ、夜中に動いたら、完全に飲み込まれるよ。美和さん、朝起きたら俺がいなくて、探す羽目になるかも」


 美和さんは笑いながら体を起こし、ベッドの端に座り直して、彼の顔を覗き込んだ。瞳が少し潤んで、でも今は嬉しそうな光でいっぱい。


 「彼さん……今日は、本当にありがとう。お墓参りから、皆さんに会えて、めぐみちゃんに会えて……そして、この服まで……全部、彼さんがいてくれたから、こんなに心が軽くなった」


 彼はソファベッドから立ち上がり、美和さんの隣に腰を下ろした。


 ベッドが少し沈み、二人の距離が自然に近くなる。


 「俺も、ありがとう。美和さんと一緒にいられて、今日という日が、こんなに特別になった。ソファベッドは……まあ、頑張るよ。もし沈み込んだら、朝、美和さんに助けてもらおう」


 美和さんはくすっと笑い、彼の肩に軽く頭を預けた。淡いピンクのブラウスが彼の腕に触れ、シルクの柔らかさが伝わる。


 「……もし沈み込んだら、私、ベッドから手を伸ばして……『彼さん、こっちおいで』って引っ張るね」


 彼は彼女の髪を優しく撫で、静かに答えた。


 「じゃあ、俺は待ってるよ。美和さんが呼んでくれるまで……」


 その時彼の携帯が小さく振動した。


 画面に「妻」と表示された着信通知が光る。


 彼は一瞬、表情を曇らせ、美和さんに気づかれないようにそっと携帯を手に取った。


 「……ちょっと、電話出てくるね……」


 彼は立ち上がり、ベランダのドアを開けて外へ出た。


 ガラス越しに、美和さんは彼の背中を見送る。


 声は聞こえないが、短い会話の後、彼はすぐに戻ってきた。


 美和さんはベッドに座ったまま、小さく呟いた。


 「……彼さん……奥さん、待ってるのかな」


 彼はベランダのドアを閉め、静かに彼女の隣に戻った。


 少し疲れたような、でも優しい笑みを浮かべて、一言だけ言った。


 「大丈夫だよ」


 美和さんは彼の目を見て、ゆっくりと頷いた。


 声は小さく、でも温かかった。


 「うん……今日は、私のそばにいてくれてありがとう」


しかし、彼はすぐにベランダに戻り、ガラス戸を少し開けたまま立っていた。


 携帯を耳に当て直し、声は低く抑えていた。


 「……ごめん、今日は帰れない。ただ……ここにいる方が、俺は少し楽になれるんだ」


 電話を切った後、彼はガラス越しに美和さんを見て、小さく息を吐いた。


 夜風がカーテンを揺らし、神戸港の灯りが彼の横顔をぼんやり照らす。


 彼は額をガラスに軽く押し当て、独り言のように呟いた。


 「……俺みたいな男が、こんな綺麗な人に隣にいてもらっていいのかな……」


 美和さんはベッドから立ち上がり、そっと近づいたが、声はかけなかった。


 ただ、静かに彼の背中を見つめていた。


彼女は彼の手に自分の手を重ね、そっと握った。


 二人は窓の外の夜景を眺めながら、言葉を交わさず、ただ寄り添った。


 神戸港の灯りが宝石のように輝き、春の夜風がカーテンを軽く揺らす。


 部屋の中には、今日の涙と笑顔、小さなハプニングと大きな優しさが、静かに満ちていた。


 美和さんは彼の肩に頭を預けたまま、小さく呟いた。

 「もう少し……ここにいよう。神戸の夜景と、彼さんと……一緒に」


 彼は頷き、彼女の肩を抱き寄せた。


 「うん。ゆっくり……今夜は、まだ終わらないよ」


 春の神戸の夜が、二人の背中を優しく包み込んでいた。



 

 朝の陽光がスイートルームの大きな窓から差し込み、神戸港の海面をキラキラと照らしていた。


 キングサイズベッドのシーツは少し乱れ、美和さんは白いナイトガウンを着たまま、ベッドの端に座って髪を梳いていた。


 昨夜の夜景と片桐君の店での温かな時間、めぐみちゃんの儚げな瞳……すべてが夢のように混じり合い、彼女の頰にはまだ昨夜の笑顔の余韻が残っている。


 彼はリビングのソファベッドで、まだ完全に目が覚めていない様子で体を起こした……はずだった。


 「ん……?」


 ソファベッドのクッションが、予想以上に深く沈み込んでいて、体を起こそうとした瞬間、「ズブッ!」という音とともに、彼の体がさらに沈み込んだ。


 背中から腰までがクッションに飲み込まれ、まるで巨大なマシュマロに埋もれたように動けない。


 腕を伸ばそうとしても、クッションが柔らかすぎて支えにならず、「うわっ……マジで……!?」小さな悲鳴が上がる。


 昨夜の記憶が重なり、昨日の不安が現実になった。


 美和さんは髪を梳く手を止め、リビングを覗き込み彼を見た。


 一瞬、状況が理解できず目を丸くし、次の瞬間、堪えきれずに「ぷっ」と吹き出した。


 「彼さん……!また沈んでる……!ふふっ……朝から……!」


 彼女はベッドから立ち上がり、笑いをこらえながら近づいてきた。


 白いナイトガウンが軽く揺れる。


 美和さんはソファベッドの横にしゃがみ込み、彼の顔を覗き込んで、ニヤニヤしながら言った。


 「どうしたの〜?『助けて〜』って言ってるみたいだけど……本当に埋もれてる……可愛い……」


 彼はクッションに半分沈んだまま、顔を真っ赤にしてじたばたする。


 「笑わないで……!マジで動けない……このソファベッド、生きてるだろ……昨夜の嫌な予感が的中した……!」


 美和さんはますます笑いをこらえきれず、肩を震わせながら、彼の腕を掴んで引っ張ろうとした。


 「よしよし…… 私が助けてあげますから……彼さん、ほら、力を入れて……!」


 しかし、ソファベッドのクッションが柔らかすぎて、美和さんが引っ張る力で逆に彼女の体が傾き、「わっ!」と小さな悲鳴を上げて、彼の上に覆い被さるように倒れ込んだ。


 二人はソファベッドに一緒に沈み込み、クッションが「ズブズブ……」と二人を飲み込んでいく。


 美和さんは彼の胸に顔を埋め、笑いながら体を震わせた。


 「やっぱり……一緒に沈んじゃった……ふふっ……彼さん、重い?でも……温かい……」


 彼は彼女を抱きとめるように腕を回し、顔を赤くしながらも、くすっと笑った。


 「……美和さん、助けに来たはずなのに……逆に埋もれてるじゃん。これ、朝から何やってんだろ、俺たち……」


 美和さんは彼の胸に顔を押し当て、笑いをこらえきれず、肩を震わせながら言った。


 「もう……笑い止まらない……彼さん、動けない……でも……このままでも、いいかも……ちょっとだけ……こうしてたい……」


 二人はソファベッドに沈んだまま、互いの体温を感じながら、しばらく動かずにいた。


 クッションがゆっくりと二人を包み込み、朝の陽光が優しく照らす。


 美和さんの髪から、かすかなシャンプーの香りが漂い、彼の胸に温かく広がる。


 美和さんは小さく呟いた。


 「……彼さん……今日も、ご機嫌だよ……朝からこんなに笑えて……幸せ……」


 彼は彼女の髪を優しく撫で、静かに答えた。


 「俺も。美和さんが笑ってくれるなら、毎日ソファベッドに沈んでもいいよ」


 二人は顔を見合わせて、また同時に吹き出した。


 笑い声が部屋に響き、春の朝の神戸が、優しく二人を包み込んでいた。


 


 皇ホテルの朝食レストランは、最上階に位置する明るいガラス張りのダイニングだった。


 朝の陽光が全面の窓から差し込み、神戸港の海面を金色に輝かせ、遠くの六甲の山並みが柔らかな朝霧に包まれている。


 店内は白とベージュを基調とした清潔感のあるインテリアで、テーブルクロスは淡いクリーム色、椅子は軽やかなラタン調、天井からはシンプルなペンダントライトが優しく下がり、BGMは控えめなピアノジャズが流れている。


 窓際のテーブルに案内されると、二人は並んで座った。


 美和さんは昨夜着替えたままの春コーデ——淡いピンクのシルクブラウスにオフホワイトのスカート、ライトグレーのショートトレンチを羽織った姿で、朝の光に照らされてまるで桜の花びらが彼女を包んでいるように見えた。


 パールのクラッチを膝に置き、彼女はメニューを広げて目を輝かせた。


 「わあ……朝から神戸牛のハンバーグもある……贅沢すぎるけど……昨夜のハイボールが残ってるから、もう少し軽めにしちゃおうかな。フルーツとヨーグルトが良さそう」


 彼女の声は少し弾んでいて、昨夜のソファベッドハプニングの余韻で、まだ笑いがこみ上げてくるようだった。


 彼はコーヒーの香りを楽しみながら、メニューを覗き込んで微笑んだ。


 「そうだね、少し軽めがいいかもね。しかしこのレストラン、朝の景色も最高だ」


 美和さんは窓の外を見ながら、小さく頷いた。


 「本当に……綺麗。海が朝陽で金色になってる……こんな景色見ながら朝ごはん、風花町じゃ絶対できないよ」


 ウェイターが静かに近づき、オーダーを確認した。


 美和さんは新鮮なフルーツとヨーグルトのボウル(グラノーラ添え)、彼はシンプルなトーストとエッグベネディクト、二人ともフレッシュオレンジジュースとコーヒーを追加。


 テーブルに運ばれてきたのは、色鮮やかなフルーツのボウルから立ち上る甘い香り、クリーミーなヨーグルトに散らされたグラノーラの食感、トーストは外はカリッと中はふわっと焼かれ、エッグベネディクトのオランデーズソースがクリーミーに輝いている。


 美和さんはスプーンを手に取り、フルーツを一口すくい、口に運んだ。


 目を閉じてゆっくり味わい、小さく息を吐く。


 「ん……美味しい……新鮮で、さっぱりしてて……朝からこんな軽やか、幸せすぎる……」


 彼女はもう一口食べて、彼の方を見て微笑んだ。


 「彼さんも食べてみて。これ、風花で出せたら人気出そうだけど……材料が高すぎて無理だよね……ふふ」


 彼はエッグベネディクトをフォークで切り、一口食べて頷いた。


 「うん……本当に美味しい。ソースの酸味とクリーミーさが絶妙だ」


 美和さんは頰を少し赤らめ、オレンジジュースを一口飲んでから、静かに言った。


 「昨日の夜……片桐君の店で、めぐみちゃんのこと、ずっと考えてた。あの子、片桐君に助けられて、今は店に住まわせてもらってるんだね……なんか、胸が温かくなった」


 彼はコーヒーをすすりながら、優しく答えた。


 「うん。めぐみちゃん、ぼーっとしてるけど、片桐君の優しさはちゃんと伝わってるよ。美和さんが会いに行ってくれたのも、きっとあの子にとって特別だったと思う」


 美和さんはスプーンを置いて、窓の外の港を見ながら、小さく呟いた。


 「私も……風花町で、頑張るよ。彼さんがいてくれるなら、もっと頑張れそう」


 彼は彼女の手を軽く握り、静かに微笑んだ。


 「俺も。美和さんの笑顔が見られるなら、どこまでも付き合うよ」


 朝食はゆっくりと進み、二人は窓の外の港を眺めながら、昨日の旅を振り返った。


 美和さんの新しい春コーデが、朝の光に優しく照らされ、彼女の笑顔をより華やかに見せていた。


 フルーツの最後の一口を食べ終え、美和さんは満足げに息を吐いた。


 「ごちそうさまでした……。心もお腹も満たされた。今日は……まだ神戸にいようか。もう少し、この街を歩きたい」


 彼は頷き、彼女の手を握った。


 「うん。美和さんがそうしたいなら、どこまでも付き合うよ」


 二人はレストランを出て、春の神戸の朝が、優しく二人を包み込んでいた。



 

 皇ホテルの朝食を終え、二人はエレベーターでロビーへ降りた。


 朝の神戸はまだ少し肌寒く、港からの風が頰を撫でる。美和さんは淡いピンクのシルクブラウスにオフホワイトのスカート、ライトグレーのショートトレンチを羽織った春コーデのまま、クラッチを手に軽く髪を払った。


 朝陽が彼女の髪に透けて、淡い橙色の光を反射する。昨夜のソファベッドハプニングと朝の脱出劇の余韻で、まだ時折くすっと笑いがこみ上げるようだった。


 「今日は……神戸の街を歩こうか。まだ見ていないところ、たくさんあるよね」


 彼女の声は弾んでいて、瞳に朝の光がきらめく。


 彼は頷き、彼女の横に並んだ。


 「うん。美和さんが歩きたいところならどこでも付き合うよ」


 二人は満足げにレストランを出た。


 美和さんはオレンジジュースの余韻を頰に残し、軽く唇を拭きながら言った。


 「本当に美味しかった……神戸の朝、満喫したね。でも、そろそろチェックアウトしようか。街を歩きたいし、荷物は車に置いておけばいいよね」


 彼は頷き、彼女の提案に同意した。


 エレベーターでロビーへ降り、フロントでスムーズにチェックアウトを済ませた。


 ホテルマンが丁寧に荷物を運んでくれ、二人は地下駐車場へ向かった。


 246GTの赤いボディが、蛍光灯の下で静かに輝いている。


 美和さんはトランクを開け、荷物を収納しながら、くすっと笑った。


 「ソファベッドの記憶が、まだ新鮮……でも、今日の神戸はもっと楽しい思い出を作ろうよ♪」


 彼は助手席側から荷物を手伝い、微笑んだ。


 「うん。チェックアウトしたし、次は街の駐車場に車を停めて、ゆっくり散策だね」


 二人は246GTに乗り込み、美和さんが運転席でキーを回した。


 エンジンがゴロゴロと低く目覚め、車体に軽い振動が伝わる。


 すぐに排気音がヴォン!と鋭く響き、静かな駐車場に広がった。




 ホテルを出て、三宮の中心部へ向かい、近くのコインパーキングを探した。


 朝の交通は穏やかで、街路樹の桜がまだ散り残り、淡いピンクの花びらがフロントガラスに舞い落ちる。


 美和さんはハンドルを軽く回しながら、駐車場を探した。


 「ここ、良さそう。広くて、街の真ん中だし」


 彼女は多階層の立体駐車場に入り、246GTを空いたスペースに停めた。


 エンジンを切り、キーを抜くと、車内が静かになる。


 二人は車を降り、軽くストレッチをしてから、街へ繰り出した。


 美和さんの春コーデ——淡いピンクのシルクブラウスにオフホワイトのスカート、ライトグレーのショートトレンチ——が、朝の陽光に映えて優雅に揺れる。


 「車を停めちゃったから、自由に歩けるね。まずは三宮の辺りから、旧居留地まで行ってみようか」


 彼は彼女の横に並び、手を軽く繋いだ。


 「うん。美和さんが行きたいところ、全部回ろう」


 二人は三宮の賑わう通りを歩き始めた。


 朝の空気が清々しく、ベーカリーから漂うパンの香り、カフェのテラス席でくつろぐ人々。


 美和さんは小さなブティックに目を留め、ウィンドウを覗き込んだ。


 「このスカーフ、かわいい……春色だね」


 彼は頷き、店内へ誘った。


 小さな買い物を済ませ、紙袋を手にさらに歩く。


 旧居留地の石畳の道へ入り、西洋風の建物が並ぶエリアを散策した。


 美和さんは石造りの壁に手を触れ、目を細めた。


 「この雰囲気……タイムスリップしたみたい。岸本さんの店があった頃の神戸を思い出すよ……」


 二人はさらに生田神社へ。


 石段を登り、桜の花びらが舞う境内を歩き、美和さんは手を合わせて祈りを捧げた。


 「めぐみちゃんも……みんなも幸せでありますように……」


 参拝を終え、公園のベンチで一休み。


 美和さんは彼の肩に寄りかかり、静かに言った。


 「歩いてるだけで、こんなに心が満たされる……彼さんがいるからだよ」


 彼は彼女の髪を撫で、優しく答えた。


 「俺も。美和さんの笑顔が、一番の景色だ」


 午後が深まり、街の空気が少し暖かくなる頃、二人はカフェで軽いランチを取った。


 クロワッサンサンドとコーヒー、窓から見える港の景色。


 美和さんはフォークを置き、満足げに息を吐いた。


 「神戸の街、満喫したね。夕方になったら、風花町へ出発しようか」


 彼は頷き、時計を確認した。


 「うん。車を取って、ゆっくり帰ろう」


 二人は駐車場に戻り、246GTを起動させた。


 美和さんが再び運転席に座り、エンジンの咆哮が響く。


 夕陽が神戸の街を橙色に染め、246GTは高速道路へ向かって滑り出した。


 美和さんはアクセルを踏み込み、V6エンジンがウォン!と力強く唸りを上げ、桜の花びらを巻き上げながら加速した。


 彼女はハンドルを握りながら、横目で彼を見て微笑んだ。


 「風花町まで……この音を聞きながら、今日の思い出を振り返ろう。片桐君、めぐみちゃん……そして、神戸の春」


 彼は助手席で頷き、彼女の手を軽く握った。


 「うん。美和さんと一緒なら、どんな道も楽しいよ」


 246GTは夕暮れの道を駆け、風花町へ向かって進んだ。旅の余韻が、車内に優しく広がっていた。



 

 車は神戸の街を抜け、山陽自動車道へ。


 夜の高速は交通量が少なく、246GTのエンジンが低く響きながら、静かに加速していく。


 美和さんはハンドルを握り、時折彼に視線をやる。


 「今日……本当に、特別な一日だったね。墓参り、常連さんたち、めぐみちゃん……そして彼さんがいてくれたから、全部、温かく感じられた」


 彼は彼女の横顔を見ながら、静かに答えた。


 「俺も。美和さんと一緒にいられて、今日という日が、こんなに特別になった。風花町に帰っても……この思い出、ずっと残るよ」


 美和さんは少し照れくさそうに笑い、アクセルを優しく踏んだ。


 246GTのV6が甲高く唸り、夜の高速を滑るように進む。


 窓の外に、神戸の街の灯りが遠ざかり、闇の中に点在する小さな光が流れていく。


 美和さんはハンドルを握ったまま、小さく呟いた。


 「風花町に帰ったら……Barのカウンターに、今日の桜の花びら、置いておこうかな。めぐみちゃんの分も、みんなの分まで、ハイボール注いであげる」


 彼は助手席から、彼女の横顔を見つめて頷いた。


 「うん。美和さんの店は、みんなの止まり木だ。俺も……また、飲みに来るね」


 246GTの排気音が、夜の高速に尾を引く。


 春の夜風が窓から入り、桜の香りを運んでくる。


 神戸の街灯が遠ざかり、闇の中に点在する小さな光が流れていく。


 美和さんはハンドルを握り、静かに微笑んだ。


 「彼さん……また、Bar風花で待ってるね。いつでも……来て」


 彼は彼女の手を軽く握り、静かに答えた。


 「うん。絶対に行く。美和さんの店に……美和さんのそばに」


 246GTのエンジンが、夜の高速を優しく、確実に走り続ける。


 旅は、終わらない。二人の物語は、風花町の小さなバーで、また静かに続いていく。

あとがき


神戸旅行編③、いかがでしたでしょうか。


この編は、旅の締めくくりとして、再会とハプニング、街の散策をゆったり描きました。

Bar Black Lotusのシーンは、修行時代の懐かしさを軸に、ハイボールの献杯で少し切なく温かく。

ホテルや朝食の部分は、ソファベッドのコミカルさを加えて、日常の微笑ましい瞬間を。

神戸の街並みは、実際に歩いた記憶を基に——三宮や旧居留地、生田神社の桜が、春の旅にぴったりでした。


美和と彼の関係、めぐみの秘密めいた存在、片桐の優しさ……シリーズのつながりを匂わせつつ、神戸の余韻を残せたら嬉しいです。

(246GTのエンジン音は、想像で盛ってますけど、旅のワクワクを伝えたくて……笑)


読んでくださった皆さん、ありがとうございます。

この旅行編が、少しでも心に春の風を届けたら幸いです。

Bar風花の扉は、いつでも開いています。また次の物語でお会いしましょう。


それでは、ハイボール片手に——。


天照(Bar風花)

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